7. 島の秘密
カモメの鳴き声が聞こえる波止場を、エリックは海を見ながらのんびりと歩いていた。週末になって、島にやってくる人も増えたようだ。港のターミナル付近にも人が多くなっていた。来週の夏至の祭りにはもっと多くの人が集まるのだろう。
エリックは、宿のアリスに聞いて、この島で道路やターミナルといった工事の作業のために島の外からやって来た者たちが多く宿泊している場所へ向かっていた。それは、港からほど近い、銀鉱山と北の港町へ向かう道が伸びているあたりにあった。安い宿泊施設や、港湾作業員のための住居などが立ち並んだ、ダウンタウンといった趣の場所だった。
エリックの宿がある港の東側と比べると荒れた感じもあって、住人もこの島の人間ではない島外からの季節労働者といった者達が多いようだった。
それでも、砦の村から離れた所にあった、廃墟の家屋にたむろしていた連中のように荒んだ雰囲気は無く、まだ仕事にやって来た労働者という範疇には収まっているように見えた。
昼を過ぎた頃だったので、エリックは手近な食堂といった雰囲気の店に入った。テーブル席について声高に話をしていた労働者風の者たちが、入ってきたエリックを見つめる。ここではチノパンに麻のジャケット姿は小綺麗に見えるだろう。
気にせず、カウンターに座って、表の看板にチョークで書かれていた昼食のメニューから、キャベツとジャガイモの煮込みを頼んだ。ソーセージやハムもついて、量も多かった。隣の男も同じものを頼んでいたようで、同じようなタイミングで持ってきたものを一緒に食うような形になった。
「あんた、観光で来たんかね」
二の腕に入れ墨のある男は、エリックに話しかけてきた。いかつい顔だが、声は優し気だった。南仏あたりのアクセントがあるようだった。
「いや、仕事だ」
「ほう。じゃあ、役所かなにかかな」
「そんなところだ。あんたは、港の建築現場で働いてるのか?」
「今は、そうだ」
ジャガイモをフォークで刺すと口に運ぶ。
「今は?」
「前は、銀鉱山跡の工事現場だったな」
「銀鉱山? 採掘でも始めたのか?」
「いいや。なんでも地下に発電所だかシェルターだか作るってんで、立坑を降りてったやけに広い場所だったな」
男はフォークを指先で振りながら話す。
「そういえば、砦の村あたりでは、柄の悪い連中が増えてるそうだが、そいつらも工事に来たのか?」
「ああ、いや、やつらは、金だか銀だか出るって話を聞いて、掘りに来た連中じゃないかな。あの近くの廃屋とか誰かが買い取ったらしくて、そこに住んでたな。工事の時に荷運びくらいはやってたかもしれないが、当てが外れてふてくされてんだろう」
男はそう言って笑う。北の港のカフェの店主が言っていたこととほぼ同じだった。
「それにしては、仕事にあぶれてるのに、酒なんて飲む金はあるみたいだったが」
「それよ。連中、どっかから金でかき集められて、送り込まれたらしいぜ。鉱山を掘るって聞いて、採掘だと思ったんだろう。中には、工事中に金鉱石とか見つけたら、懐に入れるつもりのやつもいたな。見つけたかどうかは知らねえが。金がなくなりゃそのうち居なくなるんじゃないか」
男の物言いには砦の村の村長や、北の港のカフェの店主のような深刻さも重みも感じなかったが、束の間この島で過ごすだけの人間ならそんなものだろう。
男と話して、少しエリックには見えてきたことがあった。誰か、銀鉱山近くの廃屋を買い取って、そこへ人を送り込んで住まわせている。あの場所を占有するための方便なのだろうか。
エリックは食事を終えて、港のターミナルビルに向かった。このビルはフランスと合衆国の援助で出来たもので、この国の玄関口ということもあってか、政治・経済に関する資料を閲覧できる設備もあった。昔は、役所にまで出向いて、閲覧許可をもらう必要があったとかで、申請してから許可が下りるまで数日かかるという事も珍しくなかったという。
今は、タッチパネルの画面から操作して、提供されている資料は簡単に見ることができた。インターネットでこの国のサイトに繋いで見ることの出来る資料と変わりないようでいて、ここの資料の方が閲覧できる範囲が広く、情報も新しかった。
エリックが調べたのは、今年の公共工事と、その受注先。食堂での男の話にあった、鉱山跡での工事を調べると、米英仏三か国の企業とその提携先がこの工事に関わっていた。金額も意外に大きく、二億五千万ユーロとなっていた。エネルギー関連施設と、よく分からないもので、書かれているものを仔細に見ると、実用的なものではなく、科学実験設備といったものらしい。核融合炉といったものに近い様なものらしいが、エリックにはどういう物か判断がつかなかった。
もう一つは、銀鉱山に近い場所にある廃墟のことだった。これは、公共事業が絡んでいる訳ではないので、誰がどのようにあの場所を運用しているのか詳しいことは分からない。
他の、国の入出国管理の資料などを当たると、どこから人が来て、どの程度滞在したかおおよそは分かる。島の地域ごとの資料もあったので、見てみると、廃墟付近は侯爵家の直轄地に当っている。そこだけの資料は無いが、直轄地と他を比較すると、南の港町と侯爵家の直轄地に人の流入が多く、侯爵家の直轄地が一番多いようだった。
土地の取得の申請と言った資料もあり、申請された土地は侯爵家の直轄地が大半を占めている。この国の法律では、土地の取得といっても、取得した者の持ち物になるわけではなく、使用する権利を得られるということになっていた。他にも、宅地や農地などから別の目的への転用などは別に許可が必要だったり、人が居住するために取得した場合は、実際に一定期間は住んでいなければならない等々、この国特有の法律もある。
不動産の売買などは不動産屋の扱いで、ここの資料に細かいことは触れていないが、町の不動産屋を回ったところでは、住居を買っているのは、この国に事務所をもつ国外の企業らしかった。ダミー企業などが溢れる租税回避地の国だけに、その企業がどんな来歴を持つのかなどの詳しい情報までは開示されていない。
廃墟に妙な連中が多いのは、とりあえず住居を押さえて、転用などの許可が下りるまで、仮に住まわせてでもいるのだろう。金で雇われているというのは、食堂の男の話で分かったことだった。
実体がよく分からない企業が多い中、エリックは、フランスで調査した際にめぼしを付けていた企業が住居の購入を行っていることを突き止めた。エリックが追っている、マルタンに絡んだペーパーカンパニーは幾つか見つけていたが、全体からすれば、わずかなものだった。
人を集めて送り込んでいるのは何処かも知りたいところだったが、ここの資料ではわからない。これは本国に依頼することにした。
エリックが追っていた企業がダミー企業を隠れ蓑に、この国で用地買収などを行っている。その企業には、フランス政府から研究開発目的の助成金が支給されていたが、使い道に怪しいところがあり、助成金を受けるにあたっては、政治家、おそらくはアルノーの口利きもあったとされている。
人の住まなくなった廃屋を買い取って、人を雇ってまで住まわせている。研究開発目的の助成金の使い道とは言えないだろう。どういう説明をするか聞いてみたいところだ。
研究開発、で、エリックは、廃鉱山に作られていると言う科学実験設備というものが気にかかった。そちらの企業は、ダミー企業などではなく、実名で参加していた。合衆国の、ここ数年で原子力発電に力を入れ始めた企業で、エドワード・ハイド・バートンという、三十代でIT企業のカリスマの様に言われている男が出資していた。バートンは、今はエネルギー事業にも力をいれているらしい。
合衆国からは、USエレクトリックという、原子力発電事業では最大手の企業も参画している。
これは、エリックの調査の対象でもない。
ただ、研究開発目的の助成金が使途不明金となっているように、この国の公共事業であるところの科学実験設備とやらにも、漠然と、胡散臭さを感じなくもなかった。
エリックは、海岸沿いの道路を、島を時計回りに回るように走らせた。この道路も十年ほど前に作られたもので、道路は島の周りをぐるりと一周している。
南の港町付近は外輪山が崩れて入江になっていて、そこから海岸沿いを走る道路はトンネルで外輪山の外へ出ていた。トンネルを潜ると、斜面を削り取って作られたような道路が島の外周に沿って続く。この日も幾分雲が多いが天気は良く、ドライブには良い日和だった。
オデットは、今日は議会や学校などの取材を行うということで、町に残っていた。船で出会って、宿も同じ、一緒に行動したこともあって、親しみを感じる様になっていた。なんとなく、助手席に誰も居ないことを自分が物足りなく感じているとまでは気づいていなかったが。
道は波の打ち寄せる荒い岩場を左手に、右は山の斜面が、時には急に、時には緩やかに続く。
島には砂浜のようなものは少なく、海流の関係で緯度の割には温暖だとはいえ、夏場でもあまり海水浴には適してはいなかった。ごつごつした溶岩で出来た磯で、時折釣りをしている人を見かけるが、泳ぐには適さないので海水浴らしき人は居ない。
坂道を登って高くなったところで、ふと、海に目をやると、川があるわけでもないのに、陸から沖へ向かって、水路のような筋が伸びているのが目に留まった。低い場所からでは気が付かなかっただろうが、海の水の色の変化で見て取れた。その水路らしきものから少し離れた、磯と海の間に、紡錘形のものが沈んでいるのが見えた。
エリックは路肩に車を停め、ガードレールに手を突いて乗り出すように覗いた。何か、船の様にも見えるが、細部は崩れて輪郭だけ残っているようだった。妙に気になってスマートフォンを取り出して撮影した。
車に戻ると、道を下り、磯に降りる砂利道へ入って行った。駐車場というほど整備されてはいない空き地に車が二台停まっている。エリックもそこへ止めて、車を降りると、上から見えた船のようなものがあった辺りへ、海岸を歩いて行った。
空き地付近には、見慣れたローズマリーが所々茂っていた。岩場にくると、名の知らない多肉質の植物が岩の間に茂っていて、青い花を咲かせている。岩を飛び越えながら進むと、磯釣りをしている麦わら帽子の大人と、その隣に同じように麦わら帽子をかぶり、椅子にちょこんと座った子供が並んで釣りをしている。近づくと、大人の方は老人で、竿は立てかけておいて、のんびりパイプを燻らしいている。
エリックがその後ろを通り、波に洗われている端までいって海を見ると、確かになにか、さび付いてボロボロになった船らしき物の残骸だった。
「Uボートだよ」
後ろから声がして、振り返ると、パイプを手にした老人が笑ってこちらを見ている。
「知らないかね? ドイツの潜水艦さ」
近づいてきたエリックに、そう話しかけた。
「第二次大戦の頃のですね?」
「ああ。儂がガキの頃は、良い遊び場だったんだが、もうボロボロで形もよく分からんだろう。親父が言うには、爆雷を食らったんだか故障したんだかで、ここに乗り上げてたそうだ。そのときゃこの島はドイツ軍に占領されてたんで、船から荷物を運ぶのを手伝わされたとか言っとったな」
老人が話しているをの、隣のまだ七、八歳くらいの少年が見守っている。よく見ると、棒付のキャンディーを咥えて、老人のパイプの真似のつもりらしい。
「上から見ると、水路のようなものが見えたんですが」
エリックが言いながら、磯の上を通る道路を指さした。
「ああ。水路さ。自然に出来たのか、誰かが作ったのか。海の中から洞窟に繋がってるそうだが、見たやつは殆ど居ないね。そのUボートも、水路を通って洞窟に入ろうとしたところを座礁したとかって話だな。そんなこともあったせいで、一時ヒトラーの財宝を運んでいたとかって噂になったらしい」
そう言って老人は笑った。
「この島は、バイキンングの財宝だとか、海賊の宝だとか、〝銀の女王〝の遺産だとか、宝島みたいに言われて来たもんだよ。最近多くなった連中も、大方そんな夢みたいなことを信じとるんじゃないかね」
老人につられてエリックも苦笑した。
「今も水路とか洞窟は使われてるんですか?」
「いやあ。どうだろうな。儂がガキの頃に、そのUボートがまだちゃんとした形をしてた頃だが、ときどき遊びに来たり、こっそり夜泊まったりしたもんだ。友達といろんながらくたを持ち込んだりしてな。
夏の頃だったか、夜釣りをしようって話になって夜中ここに集まったことがあった。満月近い月が明るい夜で、灯りを使わなくてもよく見えたもんだった。その時はまだ道路なんぞ出来とらんかったから、その丘の上から海をながめたりしとった。
その時だ。水路の中を、馬鹿でかい、鯨か何かみたいな影が進んでくるのが見えた。友達と三人、びっくりしてみんな急に丘の上に臥せて、頭だけ出して海を覗いた。皆、何か見てはならない物を見てしまったような気がしたようじゃった。
近づいてきたものは、潜水艦らしかった。戦争も終わっとるし、Uボートじゃなかっただろうが、それがそのまま陸の方へ消えて行った。
儂はあれから見とらんが、今でも闇夜に紛れてこっそり出入りしたりしてるかもしれん」
身振り手振りで、この話は何度もしたことがあるのだろう、滑らかな話ぶりだった。
「水路の奥の洞窟は港みたいになってるんですか?」
「さあな。見たことがあるというやつは、そんなことを言うとったが。水路を抜けると北の港の近くに出るらしい。そこは、侯爵様の領地だし、勝手に出入りは出来ん。そこに、合衆国だかイギリスだかの爆弾だか毒ガスだかが運び込まれとるとかって騒ぎになったこともあったな。侯爵様はそんなことはないと否定していたが。
まあ、もしかすると、儂らがみたあの潜水艦が何か運び込んだのかもしれん。何分、昔のことだからな。運び込まれたとしても、今はもう無いだろうが」
老人の話は、五、六十年は昔の事だろう。東西冷戦の時代。
「じいちゃん、引いてる」
孫息子らしい子が、老人の釣り竿を指さしている。
「お、きたか」
老人は少しもたつきながらもリールを回す。エリックは挨拶してゆっくりその場を離れた。
車に戻ってエリックはシートに腰を降ろして、暫く考え込んだ。今見て来たものと老人の話が頭から離れない。大西洋の孤島の島国に行われる巨額な援助。
何か、この島で秘密裡に行われていることがあるようだ。それは、自分の捜査とは直接関係はしていないのかもしれない。
それでも、このことは調べなければならない様な気がした。