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5. 魔女の末裔

 少しむらのある古いガラス窓の向こうは、青い海と空が広がっていた。図書室の窓際で、クレールは週末には提出しなければならないレポートをまとめていたが、少し憂鬱だった。課題というのが、この国の近世以降の歴史に関することで、他のクラスメートと違って、クレールは自分の来歴を調べるようなものだった。

 後ろの机には、カレンとアリスが熱心に金文字に刺繍の入った古い本をめくっている。


 ヘリアデス公国は、学校制度はイングランドを手本に十九世紀の初め頃から整備されはじめ、五歳から十一歳までがジュニアスクール、十二歳から十八歳までがハイスクールで、十六歳以降は一般教育修了の上級レベルのためにあてられた。クレールたちは今この段階にいた。

 クレールの学校は女子校で、パブリックスクールに相当していたが、この国で一番格式高いとはいえ、昔でいうところの平民も多く学んでいる。

 カレンはイングランド系の銀行員の娘、アリスは宿屋の娘だが、この島では古い家柄だった。フランスがルーツであったりクレールのように昔からの住人というのは半分ほどで、後から移住してきたものがもう半分を占めていて、イギリス、アイルランド、スペイン、ポルトガルといった近隣の国々が多かった。町ではアジアやアフリカ系も見かけるが、まだ数は少ない。

 学校では公用語のフランス語と英語が使われているが、大学の無いこの国では、進学先はフランス以外ではイギリスやアメリカなど英語圏へ進学する者が多かった。


 格式高い学校とはいえ、侯爵家の子弟はこの学校及び、同格の男子校で学んだことは無い。大抵、フランスか、イギリスの学校へ幼いころから留学していた。現当主の二人の子供もフランスで生まれ育ち、この島にはさほど愛着も無い、と言われていた。侯爵夫人もフランスにある侯爵家の地所に住んでいて、公式行事の時だけ来島するくらいだった。

 現当主のベルナルド二世は、立憲君主制から完全な国民主権の民主制への移行を考えていると言われ、それを表明したこともあった。この国の成り立ちからして、諸外国とのつながりをもつ侯爵家が無くては成り立たないところもあり、議会や国民も移行にはさほど熱心では無かった。侯爵家が領主として存在しないなら、国として立ち行かないと言われ、そうなった場合、宗主国であるイギリスかフランスへ帰属することも考えられた。

 この国、この島が、時代の波にの洗われ飲まれようとしているときに、古い一族の長として、自分の将来を考えなければならないクレールは、進学を考えるだけでも悩ましいものだった。


「クレールは、もう調べ終わったの?」

 本から顔を上げて、アリスが尋ねた。

「クレールなら、自分の知ってることを書くだけでも良いんじゃないの?」

 カレンが笑っていう。子供っぽさの残るアリスと違い、カレンは見た目は成人女性と変わりなく見える。

 二人とはジュニアスクールの頃からの付き合いだった。クレールのことを姫様と呼ぶ者がいたが、クレールは仲の良い二人はもちろん、周りの者にもそういう呼び方は止めるように言っていた。

「公式なことだけでも、あまり細かくならないようにするのは、面倒なの」

「非公式なことって?」

「秘密」

 二人が声を上げるのを、クレールが静かに、と押しとどめた。

 実際、クレールには人には話せない、非公式な情報に満ちた人生を送っていた。その生誕にも、隠された物語があった。


                 ※ ※ ※


 クレールは、〝銀の女王〝の類縁である母と、メルクーリ家の親戚である父との間に生まれた。

 ラ・ファージュ家の前当主、ニコールは、クレールの曾祖母だった。

 曾祖母ニコールは、若い頃に夫を亡くし、当主となった。一人娘だったクレールの祖母は、母親との折り合いが悪く、早くに島を出てフランスへ渡り、そこで結婚して暮らしていた。しかし、娘であるクレールの母、ミラが生まれてから夫との仲が上手くいかず、娘を連れて島に戻って来ていた。

 クレールの母ミラは、生まれつき目が見えなかったにも関わらず、それを感じさせないような、奇妙な能力があった。両目は光を捉えていなかったが、周りが見えるかのように行動できたのだった。

 こういったミラの能力と、その母親の出自が〝魔女の島〝と言われた島国の出であることなどから、夫やその家族から不興を買うこととなり、別れることとなったのだった。

 クレールの祖母は、先進的な考えの持ち主で、島の生活が疎ましくて出て行っただけに、こういった結果になったことがだいぶ身に応えたのか、あまり丈夫ではなかった体を壊して、まだ幼かったミラを残して亡くなった。

 ミラを引き取ったニコールは、娘と違い、旧家の娘として古くからの仕来りなどを守って生活することにさほどの苦労を感じることもない人物だった。それだけではなく、一族の中で、〝銀の女王〝のような魔力を持つとされる者が生まれることがあったが、その一人でもあった。

 自分に子供が無く、仕来りなど煩わしいと島を出て行った娘の子が自分と同じく、〝魔力〝を持っていたことで、ニコールはミラを引き取って我が子のように育てることとなった。

 それまで、周りの者はもとより、母親にさえ時折奇妙な子供として疎まれることがあったミラだったが、ニコールはそれを当たり前のこととして、自分が知っている、古来からの技術(時にそれは魔術と呼ばれもした)を手解きしていった。

 今まで自分のことを周囲に迷惑をかける厄介者として卑屈になっていた少女は、ニコールによって明るさを取り戻し、目が見えないにも関わらず、朗らかな、金髪の美しい娘に成長し、周囲から天使のようだと言われるまでになった。

 天使のよう、と言われるのにはその姿だけではなく、ミラの持つ、見る人を、近くにいる人を癒す力に依るところも大きかった。この能力はニコールとの生活の中で、次第に明るく健やかに育っていくにしたがって表れてきたものだった。


 ミラが十八歳になり、成人して間もなくの頃、砦の村に、若い教師がやってきた。神学校を出たが、牧師にはならず、教師の道を選んだ者だった。

 教師は、砦の村の教会の牧師の招きで来たのだった。


 ヘリアデス侯国は、国教、に相当するものは特に定められていない。侯爵家の始祖はカトリックだったが、イギリスに接近してからは、プロテスタントとなる者もいた。ベルナルド二世はカトリックである。

 〝銀の女王〝の頃にも島にはキリスト教が根付いていて、それはケルト教会とよく似たものだった。魔女と呼ばれるような女王を弾圧することなどなく、島の古来からの暮らしに溶け込んでいた。

 その教会が廃れてからは、侯爵家のカトリックに従う形になって行ったが、侯爵家がプロテスタントとなった折に、ラ・ファージュ家もプロテスタントとなり、プロテスタントの教会も砦に造られた。侯爵家に依らずそれ以降はプロテスタントとなっていた。


 ベジャールという教師は、教会の牧師の招きもあったが、自身のルーツがこの島にあるということを伝え聞いていて、興味を持っていたこともあった。

 学校で子供たちに教える傍ら、島の歴史や風物を調べて回るのを趣味とし、ラ・ファージュ家へもよく出入りしていた。

 ベジャールは既婚だったが、まだ結婚して間もない妻をフランスに残し、落ち着いたところで呼び寄せるつもりだった。

 ラ・ファージュ家では、ミラとよく顔を合わせ、時には砦や、その背後の森を案内してもらうこともあった。ベジャールはミラに、残してきた妻の面影を見ていた。姿形がどことなく似ていたこともあったし、美しい優しいミラに好意を抱いてもいた。

 半年ほど島で過ごしたベジャールは、一時帰郷することとなった。島へ戻る際には妻を連れてくるはずだったベジャールだが、独りで戻り、むっつりと暗く押し黙った様子は、何事かあったことが察せられた。

 悲劇が起こったのはそれからしばらくしてからだった。

 ラ・ファージュ家の者がベジャールが森の中で倒れているのを見つけた。両目を木の枝で突き刺し、血を流していたという。

 同じころ、ミラの様子もおかしかった。服が乱れて汚れた状態で、虚ろな様子で砦に帰ってきた。

 ニコールはミラを問い質したが、何も答えなかった。それでもニコールは何事か起こったのかは察していた。ニコールは牧師と協議し、容体の落ち着いたところでベジャールを島から連れ出した。

 ミラについては、誰も何も問う者は居なかった。それは何も起こっては居ないからであった。


 それから程なくして、ミラと侯爵家の親戚に当たる者との婚約が発表された。以前からラ・ファージュ家を訪れては、ミラに会いに来ていたアランという男で、幾つも浮名を流し、女誑おんなたらしと噂のある男だった。

 皆、アランの結婚には驚き、それが砦の娘で、盲目のミラだと聞いて訝しむものさえいた。アランが三十八歳、ミラが二十歳と年の差もあることなど、噂の種には事欠かなかった。

 それでも、アランは結婚してからは身を入れ替えたかのように真摯にミラと過ごしていた。

 そして、クレールが生まれる。寒い冬の日、その日は冬至だった。

 ミラは早産でクレール生んだ。それも祟ったのか、産後の容体は思わしくなく、床に臥せることとなった。アランはそんなミラに付き添い、献身的に支えたが、クレールが二歳を迎える前に亡くなった。

 アランの悲しみは深く、クレールをあまり顧みない程だった。そんなアランは次第に酒に溺れるようになり、クレールが五歳の時に、事故で亡くなった。深酒をした翌日に、結婚してからは乗らなくなったスポーツカーを走らせていたのだという。


 クレールは両親を亡くした。母の死の際にはニコールに抱かれ、父の死の際には小さな喪服姿が皆の涙を誘った。


 ニコールは再びラ・ファージュ家の当主となり、曾孫のクレールの面倒を見ることとなった。ニコールは、これは何かの祟りか、ラ・ファージュ家へ対する神の試練なのかと老いた身で嘆いた。そして、クレールに関しては、ミラ以上に手をかけて育てることとなった。

 クレールは物静かだが、気の強い娘だと思われていた。意に沿わないことには、大人にも反抗した。賢い子供でもあり、怜悧なまなざしで人を見る様は、生まれながらの女王のようでもあった。黒髪に黒い瞳のクレールに、人々は母親のミラではなく、曾祖母のニコールに似ていると噂しあった。

 ニコールは、クレールにミラ以上の魔力の片鱗を見て取っていた。幼くして周りの大人たちを従わせるその力を、クレールが持てあますことなく、正しく使いこなせるようになるまで、この身が持つか、一抹の不安を抱いていた。

 それでも、ニコールは、クレールに先祖代々語り伝えられてきた一族の歴史と、その特異な能力を持つもの達の間で培われてきた様々な知識や技術を余すところなくクレールに伝えた。クレールは瞬く間にそれを吸収し、自分のものとしていった。ニコールは、ミラにも教えなかった秘術さえもクレールに伝えた。

 このは生まれる時代を間違えたのだ。

 まだ学校に通って間もないばかりの、小さく華奢な姿で、音にならぬ言葉で狼を操る姿を見て、ニコールは思った。世が世なら、〝銀の女王〝の生まれ変わりと呼ばれ、人々の上に君臨しただろう。そう思ったのだった。


 ニコールは、クレールが十二歳の時に病に伏した。古来より、一族の間で女性が一人前になったと認められる歳まで面倒を見てこれたことには安堵したが、この先、〝魔女〝としての先達もなく、クレールがどうやって成長していくのか、不安が残った。

 ラ・ファージュ家に使える主だった者を集め、クレールの今後を頼み、また、教会の牧師には、この先後見人となるベルナルド二世への執り成しを依頼した。

 そして、クレールを一人、寝室へ呼び寄せた。

「クレール。お前はもう、自分がどのような力を持ち、それをどう使えば良いか分かっていますね?」

「はい。御婆様」

 面立ちはミラに似ているが、黒髪に黒い瞳のクレールは、優しく暖かな印象を周りに与えていたミラとは違い、冬の夜の満月のような、厳しさを内に秘めているようだった。

「どんな力を持っていても、人は一人で世を相手に戦って勝てるものではありません。〝銀の女王〝のように。古の遠き祖先は〝銀の女王〝よりも偉大な力を持ちながらも、遠く故郷を追われてこの地まで逃れて来たのです。それを努々《ゆめゆめ》忘れぬように……」

 遠い昔、ニコールは、先代の魔女、未来を視ることのできるという老女から一つの予言を聞いた。ナポレオンの姿を見たこともあるという、よわいもよく分からない様な年老いた魔女は、二つの大戦も言い当てたという。

 その魔女は、まだ年若いニコールに、

 〝おまえは、力を持つ、最後の者を見守ることになるだろう〝

 そう告げた。ミラが生まれたとき、それはミラのことだと思ったのだったが。クレールは最後の魔女となるべく、それに相応しい力を持って生まれたのだろう。

 

 ラ・ファージュ家を長きにわたって支え、砦の女帝とも呼ばれたニコールは、クレールが十二歳の年の、まだ雪の残る浅い春の日に世を去った。

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