22. 魔女の力
デビュタント・バルも終わってからは、学業に専念するときだった。
クレールは、大学に進学するための資格試験に挑んでいた。留学先はイギリス。前年に出願していたが、君主になるという予定もあり、学校で一番成績優秀なクレールの合格は疑いのないところだったものの、実際に進学できるかどうかは、確定しているわけではない。事前に、デビュタント・バルで知り合った、ステラ・アンドルーズに連絡を取って情報を仕入れたりもしていた。彼女も同じ大学へ進学すると言う。ステラも学校の成績は悪くは無いのだった。
これに、アレクシア・ルデュックも興味を示して、自分もイギリスに行くと連絡が入ったのは、クレールも若干閉口した。アレクシアからは、デビュタント・バル以降、何かにつけて連絡が入ったりして、クレールを信頼しているらしい。優秀な姉の代わりに頼れる相手を見つけたとでもいうようだった。ちょっと薬が効きすぎたか、という気もしないではなかったが、有力者の子女と友人であると言うメリットは大きい。その好意は甘んじて受けることにしていた。
学友のアリスとカレンは、表面上はいつも通りのようだったが、クレールが爵位をもつ君主になることが決まってからは、少し、距離ができたようにも感じていた。
アリスは、進学せず、島に残ってこれまで通り家業を手伝っていくことになっていた。カレンは親類のいるイギリスへクレールと同じく進学することになってはいたが、同じ大学でもなく、これまでの様に付き合いが続くとは、カレンも思っていなかった。
五月の終わりの週末の午後。新緑の砦の村を訪ねて来たものが居た。
「お久しぶりですね。シュバリーさん」
館に招き入れられたエリックは、クレールに迎えられた。ここを訪れるのは、前年の七月以来、十ヶ月振りだった。クレールの姿は雑誌にテレビ、ネット上でも何度も見ていたので、エリックにとってはあまり久しぶりという感覚は無かった。直に会って見ると、以前よりも落ち着きを増したというか、貫禄のようなものさえ感じるようになっていた。
「今日は、どのようなご用向きでしょうか?」
「廃鉱山近くにある、廃墟で暮らしている連中のことで伺いました。今、何か問題が起こっているようですが?」
「そのことですか」
人材派遣会社、といえば聞こえが良いが、安い単価で大勢の人集めを行って目的の場所へ送り込む、というだけの企業がこの島に送り込んだ者たちは、資金とこの島での家屋という物件を提供していたマルタンが起訴され、事業から手を引いたことで、人材派遣会社からの収入を失っていた。本来ならこれで帰国するところなのだが、帰国に際しての渡航費用というものも持ち合わせていないものが殆どだった。中には、帰ったところで住む場所も無い、という者も少なくなかった。
そういう者たちが、未だに居付いて、日雇いの簡単な仕事をしたり、中には盗みや強盗を働くものも出始めていた。
そこへきて、移民支援を名乗る、国外の非政府組織が乗り込んで来て、ここに暮らす者たちを移民として受け入れるべきであると言うような活動を始めた。欧州各地と違って、財政上の理由もあって、移民をさほど受け入れていない(受け入れる余地が無い)ヘリアデス侯国ではあったが、この廃墟に住み着いているような数百人程度なら問題ないだろう、というのが論旨だった。
かれらから若干の資金や衣類や食料といったものを提供されて、落ち着き始めたが、こんどはデモなどの抗議活動を始めるようになっていた。非政府組織以外にも、人権保護団体、自然保護団体を名乗る先鋭的な活動家も混じっているようで、世間で注目を集めるようになった島国は、格好のデモンストレーションの場であるらしかった。
「これまでは、宗主国などからの援助によって国内のインフラ整備などで人手が必要となっていましたが、既に援助は縮小、または打ち切りというような状況です。国の財政も厳しい時に、さらに失業者を抱えるような事態は避けたいところではありますが。方策を誤ると事態は悪化しかねません。パーキンスもこれを苦慮しています」
淡々と語るクレールは、もう一人の少女ではなく、一国の君主としての自覚の元に行動しているようだった。
「こちらで活動している連中の中には、フランス国内で犯罪を犯して指名手配されている者もいる。捜査活動や逮捕に協力してもらいたい、というのが私が来た理由です。殿下」
「殿下は、まだ早いですよ。シュバリーさん」
クレールはエリックの尊称に苦笑した。
「パーキンスとは、もうその件で話をしたのでしょう?」
「それは、大使館を通じて。もう一つ、あなた自身にご忠告もあって。いましばらくは、身辺警護などを強化した方が良いと思います。いまの騒動が収まるまでは」
エリックは、逮捕後にマルタンと会っていた。マルタンは、禁固二年ということになっていたが、抵抗することも無く罪をうけれていた。それだけで済んで良かった、というような態度だった。
マルタンは、自分以外にも、人を送り込むなど便宜を図った者が居るだろうに、自分だけが罪に問われるのは不本意だと言っていた。その言葉が気になって、ヘリアデス侯国に渡った者たちについて、調べていた。ある程度は、マルタンが送り込んだような者たちで、母国で食い詰めたような、素性が良いとはとても言えない者たちだったが、凶悪と言うほどのこともなく、酔って暴れるようなことはあっても、組織だって破壊活動をするようなこともなかった。
ベルナルド二世の亡き後、注目を集めるようになって現れた人権保護団体、自然保護団体を名乗る先鋭的な活動家達は、破壊活動などを行なうテロ行為を行なったこともある者も混じっていた。
そのなかでも、ひときわ異質というか、危険な者がいた。ヘリアデス侯国、特に、クレールに大して、敵愾心を抱いているようだったが、その理由というのが、遠い昔にこの国にやってきた海賊(彼らは騎士団、と称していた)の末裔であり、忌まわしい魔女は我らが打ち滅ぼす、と、いかれた発言をしてもいた。
マルタン自身が何か手引きしたというわけではなさそうだったが、彼らの事について、何か知っているか、感づいているようではあった。思わせぶりな口調は、騒ぎが起こっても自分は無関係だ、と、言いたいのだろう。
「何か、そのような懸念でも?」
「いま具体的に何かあるわけでは無いのですが。騒ぎを起こす者たちの標的にされる危険性は高いでしょう。あなたを標的とみなしている者たちもいるようです」
クレールは真面目な顔をして聞いていたが、ふと横を向いて、窓の外をながめるような仕草を見せた。
「ちょっと、でかけませんか。車でいらしたんですよね?」
「ええ。そうですが……」
戸惑うエリックをよそに、クレールは外へでる用意をする。仕方なしにエリックも外へ出た。車は去年と同じ4WDの日本車だ。
クレールは紺のパンツにベージュのニット。ショートブーツを履いて外へ出ていた。その横に、例の番犬、ならぬ狼、プロションが横に寄り添っている。
「あら。あなたも着いて行くの? よろしいかしら?」
笑いながらクレールが頭を撫でる。
「ええ。まあ。乗せても大丈夫ですか?」
「小さい頃から車に乗せているから、大丈夫よ」
車の後部座席のドアを開けると、クレールに続いて、狼も乗り込んだ。エリックがドアを閉める。
「運転手付きのメルセデスはどうしたんです?」
「あの車では、登れないところですから」
「というと、どちらへ?」
「緑のピラミッド。中央火口丘の上まで」
エリックは車を走らせつつ、時折バックミラーで後ろを覗く。そうすると、何時も狼の視線が突き刺さるように鋭かった。犬を乗せて車を走らせたことも記憶に無いが、狼は初めてだった。
「ああ、そこは右に曲がってください」
クレールが道を指示する。前に通ったことのある四車線の道路からそれて、ほそい牧草地の中の道へ入った。時折羊の姿が目に入るくらいで、通る車も無い。やがて、緑色のピラミッドのような中央火口丘が正面に見えて来た。路はそのまま山へと続き、山に沿うように上に伸びていく。九十九折の正面の道よりも急な登りだった。ギヤを入れ替え登るうちに、海が見える、九十九折の道へ合流した。
ほどなく、前にオデットと来た駐車場まで来て、車を止める。エリックは降りて後ろのドアを開けた。さっとプロションが降りる。続いてクレール。
「ありがとう」
ドアを開けたエリックに礼を言う。肩にはグレーのショールを羽織っていた。この山は外輪山の半分くらいの高さだが、緯度の高い島の春は肌寒かった。
先導するように先を行くプロションの後を、クレールとエリックが続く。プロションは遺跡の入り口で止まると、クレールを待っていた。あとから来たクレールが頭を撫でて先に進む。
「私の祖先は、この石に乗って海を渡って来たのだそうです。本当に石を飛ばして来たのか。船に載せて来たのか。どちらにしろ、一族でここへ辿り着いたのはこの石の数の家族だけ」
クレールは巨石に手で触れながらぐるりとめぐると、奥にある石段を上がった。そして、石のテラスの上の石の玉座に座った。玉座の横にプロションが並んで腰を降ろした。
「あなたは、空を飛んだりできるんですか?」
エリックがまじめな顔で質問した。
「小さい頃に試したことがありますが、それほど楽しいものではありませんでした。箒ではなく、それよりは小さい石でですが」
クレールは巨石を指示して笑って答えた。
「一族は、皆、そんな力が?」
「いいえ。何世代か生まれなかったこともあるようです。男の場合もありますが、もう数世紀そういう男は生まれていないそうです。私は曾祖母から色々なことを教わりましたが、何に役立つのかわからない様なものもありました。曾祖母も長らく生まれなかった力を持つものとして、先代のものから教えを受けたそうです」
クレールの声が静かに反響する。
「私の祖先は、もともとは、ヨーロッパとアジアが接する東の地に住んでいました。しかし、王族でありながら飢饉で民を守ることが出来ず、国を追われたのです。そして、アルプスの麓まで逃れ来て、そこに落ち着きました。それも、周囲の民族間の争いに巻き込まれ、離れることとなり、争いのない土地を目指して、海を渡ったのです」
クレールは謳うように語った。
「こういう石を運べるくらいなら、争いにも負けないんじゃないですか」
エリックが五つの巨石を指さした。
「そのような力を持つものは多くはありません。一人で百人を相手に出来たとしても、千人、万人が襲ってきては太刀打ちできません」
そいうクレールの顔はどことなく淋しげでもあった。
「ここで、〝銀の女王〝が斃れたように」
そういうと目を閉じた。束の間、風の音だけが静かに、微かに響いていた。
「曾祖母は、未来を視ることのできるという老女から一つの予言を聞いたといいます。
彼女は私の曾祖母に、
〝おまえは、力を持つ、最後の者を見守ることになるだろう〝
そう言ったそうです。
最初は、私の母の事だろうと思ったそうですが、私が生まれました。この先魔女と呼ばれるような者は生まれることは無いのでしょう」
クレールはゆっくりと目を開いた。
「私は女王になります。最後の魔女である私は、一族最後の女王にもなるでしょう」
静かだが、決然とした口調だった。
「君主制を廃止するということですか?」
「先代のベルナルド二世も目指したことです。私で終わりにするつもりです」
「それは、もっと時間が経ってから公にした方が良いでしょうね」
「そのつもりですよ。この国が、自分の力で立って行けるようになるまでは見届けるつもりです」
それは、クレールが一代でそれを成し遂げると宣言したようなものだった。
車は山を下り、来た道を逆に辿った。だいぶ日も長くなってはいたが、太陽は外輪山の向こうへ沈み、夕闇が迫りつつあった。
もうすぐ砦の村、というところで、村の境界となっている石垣の前に群衆が見えた。車がゆっくりと近づくと、それは何やら気勢を上げる群衆で、百人以上いるだろうか。プラカードや横断幕などを持っているものも居る。何のつもりか、棍棒や鉄パイプを持ってそれを空へ向かって突き上げている者もいる。殆どは薄汚れた格好の男達だったが、ぱらぱらと女も混じっていた。
それに向かって、小銃を持った警官隊が石垣の前で威嚇していた。
リックはまずいところに来たな、と車を止めるとバックして戻ろうとした。
「おい、あれ!」
群衆のなかから、誰かがエリックの車を指さした。
「なんだ?」
「クレール姫じゃないか?」
「なんだって?」
目敏い者がいるもので、周りにも伝わったようだ。こちらに向かって歩き出しているものも居た。
エリックは急いで車を出そうとすると、ガチャッと音がして後部座席のドアが開いた。ハッとしたエリックが振り返ると、もう、クレールが外へ出て、群衆の方へ歩いていた。
車を降りたクレールに気が付いて、数人近づこうと走り出すような仕草を見せたが、クレールが、下がれ、というように手を振ると、皆立ち止まって後ずさるように戻って行った。
クレールは、高さが二メートル位はある石垣の上に飛ぶようにひらりと飛び乗ると、その上を群衆が集まっている前まで歩いて行った。その後ろをプロションがいつの間に上ったのか付いて行った。
クレールは、石のアーチ門の上に立つと、門を通る道を埋めるように群れている者たちを眺め下した。
「これは、何の騒ぎですか?」
良く通る声が夕暮れの近づいた空に響いた。
「これは騒ぎなどではない! 我々の権利を認めさせるための示威行為だ!」
「そうだ!」
「ここを通せ!」
口々に騒ぎ出す。
「この先は砦の村です。あなた達は何の用があってここを通ろうというのですか?」
「我々に食料と燃料を都合してもらう。その交渉を行うためだ。村長に合わせろ!」
おお、と周りが呼応する。
群衆の先頭に立つ男は、長い髪を束ね、赤いスウェットを着ていた。身振りが大きく派手で、どこか、舞台の上の役者のようにも見えた。
「あなた方は支援物資を送ってもらっているのでは?」
「それでは足りない。それも有志の支援によるものだ! この国は何もしていない!」
「それでは、交渉する相手が違うでしょう。あなた方の声は私が聞き届けましょう。今日はお帰り下さい」
クレールは静かに、だが断固とした調子で答えた。
「クレール・ド・ラ・ファージュ、お前はまだこの国の君主ではない! 交渉は無意味だ!」
クレールを指さし、赤いスウェットの男は声を上げた。
「では、私が君主になるまで、お待ちなさい。交渉はその時にしましょう」
クレールはにっこりと笑った。
「な、わ、我々を馬鹿にしているのか!」
「ふざけるな!」
男はいきり立った。周りの者たちも声を上げる。不穏な空気になって来た。
エリックは、クレールが石垣に上ったときから止めなければ、と心の中で思いつつも体が何故か動かなかった。小銃を持つ警官隊も、彫像のように群衆に銃を向けているものの、石門の上のクレールには誰一人として注意を払わない。
群衆が石門ににじり寄る。怒声は大きくなってきた。
その時。
オォーン、と、プロションが頭を空へ向けて、遠吠えを上げた。
「狼だ」
「……狼を連れているぞ」
今さらながらプロションの姿に気が付いたように、たじろぐ。
すると、遠く、石垣の向こう、砦の村の背後の森から、木霊のように、オォーン、と遠吠えが返ってきた。それは次第にあちこちから響き、少しづつこちらへ迫って来るかのようだった。
群衆は声に追い込まれたかのように、急に不安げに、離れていた者も間を詰めて固まりだした。
「お引き取り下さい。あなた方に対しては、然るべく取り計らいます」
声を上げて、クレールが言う。高所から見下ろすクレールに射すくめられ群衆を率いているかのように振舞っていた赤いスウェットの男や、一際大声で周りを鼓舞していたものも大人しくなった。狼の遠吠えはなおも迫ってくる。
威勢の良かった群衆は、今は怯えを見せる者も出てきていた。振りかざしていた棍棒や横断幕やプラカードも腕から下がり、きょろきょろと辺りを窺いだした。
一人の男が、後ずさり、クレールに背を向けると走り出した。それを最初に、堰を切ったかのように、次々とその場から走りだし、群衆は散り散りになっていった。中には、逃げ去ろうとして倒れ、後から来たものに踏みつけられる者もいた。
警官隊が動き出すのが見えた。地面に転がっている男に走り寄っている。警官がまだ残っていた者たちを捕らえ始めた。
その者たちは、警官隊に一所に集められ並ばされて、身体検査をされていた。先ほどまで騒いでいたとは思えないくらい、唯々諾々と従っていた。倒れていたものは担架にのせられて運ばれていく。
クレールは、いつの間に石門から降りたのか、プロションを従えて石門の前に立っていた。
エリックは、ゆっくりとクレールに向かって歩き出した。
「無茶をする。あなたは危険にさらされていると言っただろう」
エリックはプロションの頭を撫でているクレールに言った。
「あの場にいる者たちは、全て掌握していました。問題ありません」
「掌握か。遺跡で、あなたは一人で大勢と戦っても勝てないと言わなかったか?」
「あれは戦いですらありません。戦いだとしても、これから私はあのような場面に何度も挑まなければならないでしょう」
クレールは立ち上がって言った。
「あなたの、その、魔力を使って? これまでも、そうして連中を追い払ったりして来たのか? 傷ついたり、死んだりしたものも出ているんじゃないのか?」
クレールは嫣然と微笑んだ。
「相手が攻撃を仕掛けて来たのなら、相応の打撃を与えているだけです。一度相手にしたものは、二度は向かっては来ません。私には」
クレールが魔術(超能力と言い換えても良いが)を使って襲って来たものを打倒してきたなどと言ったところで、古の魔女の家系などと呼ばれていることに対する、誹謗中傷の類にしか受け取られないだろう。物的な証拠など何も残ってはいなかった。
今回も、各地で過激な騒動を起こしている一部の活動家が煽動したことであり、説得に当たったクレールによって解散させられたことで決着が付きそうだった。デモ隊はその映像をネット上に流していたが、クレールが現れてからは途絶え、記録も残されていなかった。
警官隊やデモに参加した者たちは、あの場で起こったことをエリックのようには記憶していないようだった。
「おれだけ、どうして覚えている? 体は、何故か動かなかったが……」
「あなたは、私の母の力で守られているのですよ。未だに。それを消し去ろうと思えば、あなたの命を奪うしかないでしょう」
さらりと言うクレールに、エリックは冷たいものを覚えた。
「私がこの能力を使い、驕り高ぶっているとあなたが思うようなことがあるのなら、何時でも私を止めにくれば良いでしょう。それが出来るのは、おそらくあなただけでしょうから。シュバリーさん」
クレールは静かに言い終えると、ゆっくりと微笑んだ。




