20. デビュタント・バル
冬に島の木立に積もった雪も次第に溶けて、地肌を見せた地面から、雪の様に白いスノードロップやクロッカスが姿をみせるようになった。それはやがて溶ける雪に変わって地面を覆いつくすかのように咲き乱れ、競うように春の訪れ告げていた。
三月。パリで行われる、デビュタント・バルへ、クレールは赴くこととなった。デビュタント・バルとは、上流階級の娘が社交界へデビューするための舞踏会。貴族の世から移り変わって、富豪や著名人の娘が参加するものとなり、招待された若い娘たちがオートクチュールのドレスを纏って社交界デビューする場となった。
クレールが招待された、デビュタント・バルは、ある富豪が自分の娘のために開いたものが始まりで、十九世紀頃までの貴族のための舞踏会を模して行われた。開催は毎年三月三日。これは主催した富豪が日本に滞在した折に、女子のための祭りを見聞きしたことによるという。最初は、富豪の道楽として低く見られていたものの、次第にスポンサーなども着いて華やかになり、回を追うごとに評価も上がって、三十回以上の開催経た今では、昔ながらの王侯貴族の血筋のものから、巨万の富を得た実業家の娘、芸能人や芸術家といった著名人まで様々な国の上流階級の者が集うイベントとなっていた。
参加したいものは、主催者へ参加の申し込みを行い、審査に合格すれば参加の通知を受け取ることとなる。それ以外に、特に招待状が送くられ、招待される者もいた。クレールを含めたその者たちは、家柄、容姿や話題性に富むものが選ばれ、舞踏会の花となっていた。
上流階級の贅を尽くしたイベントだけに、無駄な浪費と非難する者もあった。これに対応したのか、参加者から寄付金を募るなどのチャリティーの側面もあった。
クレールの場合は、招待されたこともあり、国外へ新しい国の〝顔〝を売り込む場でもあるとして、国内からは概ね好意的に見られていた。
それに、クレールには、もう一つ、エドナにも黙っている目的があった。密約に関して、利益を得ようとする者たちのうち、主だった者の子女がこのイベントに参加していたのだった。クレールは、彼らとの接触も目的の一つだった。
もしかすると、私が呼ばれたのも、それが目的なのかもしれない。
どちらにせよ、クレールにとっては千載一遇のチャンスだった。
クレールとエドナは、デビュタント・バルが開かれるパリのパラスホテルの一室に滞在していた。三日ほど前に到着し、明日の開幕に向け、今日はリハーサルが行われた。参加する上流階級の子女は十八名。十名は申し込みを行った者からの選抜で、残り八名が招待者だった。
リハーサルはほぼすべてのプログラムを通しで行うもので、ダンスや開式の挨拶など省略されたもの以外は当日と変わらない内容だった。
この催しの主役は社交界へデビューする若い〝女性〝であり、エスコート役などは特にデビュタントに限られていなかった。参加者が連れてきても良いし、各界の著名人がデビュタント以外にも招待されていて、その中から指名しても良かった。招待客の中には誰彼のエスコート役として自薦することも許されていたので、エスコート役を連れていないデビュタントの女性には、指名してほしいという自薦が届くこともあった。
クレールは、エスコート役を連れてきていないこともあり、彗星のごとく現れた美貌の姫君の相手を務めようという者は多かった。
「選り取り見取りとはこのことですね」
クレールが自薦者のカードを眺めて言った。
「その通りですが、少し慎みが無いように聞こえますね」
エドナが釘をさす。クレールが微笑み返した。
「この方が宜しいかと思います。伯母様」
クレールが選んだのは、ジュール・デュポンという、富豪の息子で、二枚目のテニスプレーヤーとしても、名うてのプレイボーイとしても知られていた。
「あら。その方は、少々品行に難有りと聞いていますよ」
「だから、問題ありません」
「どういうことかしら?」
「他の殿方は、今回私同様にデビューなさる方か、将来のお相手を求めていらしたような方ばかりですから。この方なら、変に勘繰られたりせずに済むでしょう。本人からも、周りからも」
エドナは、呆れたような面持ちでクレールを見つめた。こういう知恵をどこで手に入れたのか。
「そういうアドバイスは私の役目でしたね。あなたはそれでよろしいのね?」
「ええ。エスコート役が必要なのは、オープニングセレモニーとその後のダンスだけですから」
あっさりとクレールは言った。
こうして、デュポンに伴われて、クレールはセレモニーで舞台に上がり、ワルツに会わせてダンスを踊った。さすがに、初めてこのような場に来た若者と違ってデュポンは慣れたもので、見栄えもダンスも一級品だった。
「お相手頂けて光栄です。クレール姫様」
こういうセリフもさらりと言える男だけに、クレールの引き立て役としては最適だった。
翌日の本番。クレールは、他のデビュタントと違い、有名なデザイナーによるオートクチュールのドレスではなく、曾祖母ニコールが若い頃に着たという、文字通りに黴臭い代物だったシルクのドレスを仕立て直して着ていた。それは夜明け前の空のように鮮やかな濃いブルーのドレスで、見つめるものに、まさに目が覚めるような印象を与えた。頭には、花冠を模した銀のティアラ、大きく開いた肩と胸には、これも鮮やかに煌めく銀のネックレス。中央にサファイア、周囲にラピスラズリが散りばめられたもので、伝承ではこれらは〝銀の女王〝が身に着けていたものであるという。
現代的な意匠のドレスに混じって、おとぎ話から抜け出て来たようなクレールの姿は、著名人の美しい子女が集う中にあっても、一際異彩を放っていた。
むろん、そうしたクレールを誉めそやすものに混じって、嫉妬もあってか家柄やヘリアデス侯国の現状を揶揄する者もいた。なかでも、イギリス人の富豪の娘で、王室の流れも汲むという、ステラ・アンドルーズという少女は、クレールと同じ十八歳ということもあってか対抗意識からか、リハーサルの時から聞こえよがしにクレールを嘲ったりした。クレールに表立って挑む者は珍しいことで、クレールはこれを余興の様に面白く楽しむことにした。
クレールが控え室でソファに腰かけていると、立ちあがって溜息をつく、少し不安げな少女が目に入った。プラチナブロンドの肩まで届く髪。薄いピンクのドレス姿の少女は、アレクシア・ルデュックというフランス貴族の末裔だった。ヨーロッパ各地の王族と血縁関係にあるという、この部屋に居る人々の中では家柄という点では最も高貴な身分だった。
「どうかなさいましたか?」
クレールが声をかけると、ぴくんと驚いたように震えた。その様子が可笑しかったが、クレールは顔には出さなかった。
「……あの、たしか、ラ・ファージュ様でしたか?」
振り返った少女が、ちいさな声で言った。眉根に皺をよせてびくついているかのようだった。
「クレールでけっこうですよ。ルデュックさん。何か問題でも?」
「え、いえ……こういった、多くの人前に出るのは、何度経験しても慣れないもので。人前に出るのは、苦手なのです。ですが、この場に来るには、私の義務でもあるのです」
目を伏せて、手も震えているようだ。クレールは近寄ると、その手を取った。はっとしたように顔を上げた小柄なアレクシアの顔をクレールはじっと見つめた。
「だいじょうぶ。気をしっかり持てば、あなたが憶するような場ではありませんよ」
魅入られたようにアレクシアはクレールを見つめる。震えは止まっていた。
「……はい。何だかすごく、落ち着きました」
笑顔でその場を離れるクレールを、アレクシアは、どこかうっとりとしたような表情で見送った。
控室といっても、ソファがそこここに設えられた広いラウンジで、参加者と関係者が一区切り毎に座っている。そこで、ほぼ中央付近に陣取っているのが、合衆国の富豪の孫娘、キャサリン・ラッセルだった。モデルの様な容姿の六フィート近い長身で、ウェーブした赤茶色の髪に緋色のドレス姿は女王のような風格さえあった。ここに集う良家の子女の中では二十四歳と年長だった。飛び級で既に大学も卒業している才媛でもあり、風力発電や太陽光発電など、クリーンエネルギーを標榜した会社を起こすなど、事業も行っていた。そういうキャサリンがこういう場に出て来たのは、これまであまり興味が無かったし、著名な人物と会うにも、富豪の集うパーティーなどで十分という気もあった。
それが変わったのは、富豪と言うだけでなく、昔から連綿と続く王侯貴族という存在がいまだに根強く存在しており、世界で特殊な位置を占めているという現実だった。曾祖父の代に、株式投資や不動産事業に成功して富豪となったラッセル家は、いわば成り上がり者だった。いくら世界有数の資産家と言われるようになったにしても、これまでの上流階級と言われる層からは、低く見られていた。それをさほど気にしては来なかったが、事業を始め、これから生きていく上では、自分と同じ世代の上流階級の人々とも知己を得るのは悪い事ではないだろう。上の世代と違い、近しい年齢のものなら抵抗もすくない。そう思って。
この部屋に居る、他の者たちの資産を全て足してようやくラッセル家に及ぼうか、というほどの資産家ではあるものの、話題の中心でも、人々が挨拶に訪れる数も頻度も他に勝っている訳では無かった。
この部屋で、今話題の中心人物は、クレール・ド・ラ・ファージュだった。辺鄙な島国からきた、古い王家の子孫。古さだけなら、今クレールが話をしている、日本の旧家の出である、更科百合江という、皇室とも類縁であるという少女と双璧だった。高貴な出であると言う点では、アレクシア・ルデュックだろう。本物のお姫様であり、公爵家として古くから続く城が自宅でもある。今はスイスの寄宿学校に在学している。姉がいるが、社交界の花と言われている姉と違って大人しい性格らしい。ルデュック家は、親が事業に失敗して、援助してもらった相手のフィアンセになるかもしれない、などというどこまで本当か分からない噂もキャサリンは聞いていた。
金色のドレスのステラ・アンドルーズとは何度か顔を合わせたこともあった。生意気な富豪の娘。英王室と繋がりがあるというが、曾祖母あたりが爵位をもつ家の出というだけの、キャサリンとさほど変わりのない家系であるはずだった。
事前に参加者のことは調べ上げ、用意周到で参加したキャサリンだったが、今は正直退屈していた。映画俳優やスポーツ選手の二世もいる。親の方が最近目立った活躍も無いせいか、さほど注目されてもいないし、キャサリンも興味が無かった。向こうが挨拶にきたので、少々話をしたくらいだ。
変わったところでは、ウラジーミル・ポクロフスキーという、カナダ在住のロシア系のIT関連企業の三十代の若いCEOもいた。仮想通貨などで巨万の富を得た人物で、仕事が趣味とでもいうような男だった。キャサリンは何度かあったことがあるが、ドレスコードなど気にするような人物ではないため、こういう場所に来ることは無いのだが、今もマドラスチェックのシャツの上に、黒のジャケット、グレーのスラックスという恰好だ。一応、ここはドレスコードなど設けてはいないが、そんなことは言うまでもない、という意味だろう。さすがに摘まみだされてはいない。
ポクロフスキーは、今は核融合発電事業に力をいれていて、商用発電にもっとも近い技術を開発していると言われていた。キャサリンも、核融合発電事業も手掛けてはいるが、資金を集めることは出来ても、事業としてはまだ未知数だった。ポクロフスキーと技術提携するという考えもあったが、彼には、カナダ国籍を取得していてもロシアという国が後ろにちらついていて、仕事をするにはリスクが大きい相手でもあった。
その彼が話をしているのは、ジョシュア・リューという、中華系の投資家だった。ポクロフスキーと年齢が近く、共同で事業を行なってもいる。
リューは支援している女優がデビュタントとしてこの場に来ていて、ポクロフスキーはリューが呼んだのだろう。何に興味をもってポクロフスキーが来たのかは分からなかった。
この二人と、エドワード・ハイド・バートンという、スマートフォンなどの電子機器から通信ネットワーク系の企業を幾つも買収して、コンピュータ関連業界ではかなりの影響力を持っている男も来ていても不思議ではなかったが、彼は居なかった。この三人は、次世代のカリスマとして、メディアにとりあげられることも多く、共同で事業を行なうなど、仲の良さを見せてもいた。キャサリンには、そういう表の面だけでなく、裏の顔も見えているだけに、仕事でもあまり関わりは持ちたくない相手でもあった。
女性が主役のこの場で、目に付く若い男性というのは、この二人くらいだった。その他は、良家の子女たち。宝石箱の宝石のように大切に扱われて、大抵は何か目に触れさせる必要でもなければ仕舞われている美しい宝飾品。そんなイメージの者が大半だった。将来に不安もなければ、自分で働く必要も無い者たち。
いや、一人、そうでないものもいたか。
キャサリンは、爵位をもつオーストリアの退役将校と話をしているクレールを見つめた。これから国の代表となる身の少女。米英仏との密約問題に揺れる国の前途は多難のはずだ。その、密約によって送り込まれた核廃棄物は、キャサリンの父が関係する原子力発電事業を行っている企業から出たものも含まれていた。その企業は合衆国内で最大手であり、キャサリンの父は密約が問題化したことで、この企業とは縁を切ることを決めていた。それによって、クレールの国にも多少なりとも影響が及ぶことがあるかもしれない。
直接の責任など無いにもかかわらず、華やかな場で注目を集めるクレールを、なんとなく憐みの目をもってキャサリンは見つめていた。




