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1. 魔女の島

 波間に遠く、島が見えて来た。近づくにつれ、濃い緑色の平たい影の上に、空に溶けるよう青く尖った山並みが見えてくる。

 エリックは、昨日の荒れた天気が嘘のように凪いだ海を見つめた。昇ったばかりの朝日が浮かぶ空は抜ける様に青く、雲も水平線に霞むように浮かんでいるだけだった。一日に四便しかない飛行機のチケットが取れなかったので船にしただけで、のんびり船旅を楽しもうという訳では無かったが、これはこれで悪くも無いとエリックは思った。向かうのがあの島で無ければ。

「良い天気ね。昨日の時化しけが嘘みたい」

 声に振り返ると、背の高い赤毛の女がこちらに向かって歩いてくるところだった。エリックに向けて言ったというよりも、独り言のように聞こえた。船縁にもたれるエリックの隣に並ぶ。雀斑の浮いた顔に丸い眼鏡。赤茶色の髪を無造作に後ろで束ねている。首にはカメラがぶら下がっていた。

 たしか、合衆国の雑誌記者だとか言っていたか。

 エリックは、直接会話したことはなかったが、この女が航海士だかと会話していた姿を覚えていた。

「あの島には、どんな御用で? ああ、私は『天文航法』という雑誌の記者をしています。オデット・ワイズです」

 流暢だが、訛りのあるフランス語だった。

「エリック・シュバリー。刑事です」

 若干の躊躇があったが、エリックが答えた。

「あら。フランスから?」

 エリックの発音で察したのか、刑事、という言葉には故意か、反応しなかった。

「ええ。『天文航法』とは、また、どんな雑誌なんですか?」

 はぐらかすようにエリックは話題を変えた。

「まあ、旅行雑誌ですね。マイナーな。昔は船舶関係に携わる人向けの専門的な雑誌だったみたいですけど。今は、ちょっとマニアックな旅行雑誌です」

 そう笑って言うと、カメラを構えて水平線に浮かぶ島を写した。エリックはそんな雑誌など聞いたこともなかったが、合衆国の雑誌などもとよりほとんど知らない。

「大西洋の島々というテーマで取材しているんですが、このテーマの企画が出るまであの島のことは碌に知らなかったくらいで、ちょっと期待してます。あなたも初めてですか?」

「いえ。昔、一度だけ行ったことがあります」

 それで、俺に仕事が回ってきたのだろうか。その時のことはよく覚えていない。思い出したくない記憶でもあるのだが。

「へえ。そうなんですか」

 オデットはカメラを構えたまま横目でエリックを見た。雑誌記者、という割には、話し方に押しの強いところもなく、エリックが話したがらないだろうことは敢えて避けてでもいるようだ。

 だとしても。一人でいる時の俺に話しかけて来たということは、何かしら、興味があるのだろうな。

 会話が途絶える。オデットは、またカメラを構えてファインダーを覗いた。どこか、花に停まった蝶でも写すかのようにそっとシャッターを切った。

「どんな島なんでしょうね。昔は、〝魔女の島〝なんて言われていたみたいだけど」


 古い客船は喘ぐように港に入港した。デッキから港を見ていると、古びた内装そのままの客船に、これまた数世紀は経ているかのような港の施設に、自分が時代掛かった映画の登場人物になったような感覚に、エリックは束の間捉えられた。

「やっと着きましたね」

 声に振り返る。オデットだった。

「どちら……」

 言いかけたところで、汽笛の低い音が鳴り響いた。オデットが笑って肩を竦める。バックパックを背負って、手にもバッグ。エリックはスーツケース一つだった。

 タラップを降りる乗客は多くはない。パリとさほど変わらぬ緯度にあり、ブリテン島やイベリア半島、ニューファンドランド島からほぼ等距離と孤島で、南のアゾレス諸島の様に温暖でもなく、観光地として人気があるわけでもない。ヴァカンスにはまだ早いし、平日でもあった。

 出迎える人がいるわけでもなく、エリックは石造りの港に、場違いに真新しいターミナルビルへ向かった。後ろにオデットも続く。


 ヘリアデス公国という、立憲君主制の独立国家の体を成しているこの島では、一応入国審査があるが、歴史的な関係で宗主国扱いの英仏と、合衆国のパスポート所持者はビザは要らなかった。

 一通りスーツケースを調べられ、職業と入国の理由を伝える間、若い男の係官は生真面目な顔で話を聞いていたが、なるほど、というように端末に向かってキーボードを叩いた。事前に連絡があったのか、フランスから刑事が来ることがおかしなことではない状況にあるのか。

 ターミナルビルから外へ出たエリックが振り返ったが、オデットは出てこない。ビザは要らないはずだし、手間取っているのなら、あの荷物だろう。バックパックからの荷物の出し入れは面倒くさそうだ。

 少し会話したとはいえ、待つ義理も無い。エリックはスーツケースを手に歩き出した。この島の警察署に出頭する必要があったが、スマートフォンを手にまずは宿に向かった。

 

 古い中世の路地裏にでも迷い込んだような石畳を歩き、同じ石造りの家並みを眺めつつ進む。スマートフォンで指示された場所には、鉄製の枠に〝HOTEL〝と彫られた木の看板が吊り下げられていた。鉄の手すりが付いた石段を登って瀟洒な白いドアを開けた。フロントに人は居ない。呼び鈴が置かれていたので、エリックは手に取って振ってみた。どこか涼し気な音色。と、ぱたぱたという足音がして、奥から人が出て来た。長い、栗色の髪を後ろで束ねた、目のくりっとした少女だった。エプロンをして、家の手伝いというところか。

「予約したシュバリーですが」

「ご予約の方ですね。こちらに記帳してください」

 こちらも笑顔になりそうなにこやかな顔でノートを出した。記帳を終えたエリックに、部屋は三階のAだと告げて鍵を渡し、また奥に引っ込んでいった。部屋の鍵を受け取ってエリックはギシギシなる階段を三階へ上がった。部屋は奥と手前に二つづつ。Aは手前、道の方を向いて左手だった。部屋は狭いがこざっぱりとしていて、綺麗に洗濯されたシーツの掛けられたベッド、作り付けの机に椅子。窓からは前の通りと、その向こうに海が見えた。

 スーツケースを置き、ベッドに腰を下ろすと、そのままゆっくりと上体を倒した。暫くベッドに仰向けになる。何故自分がここにいるのか束の間忘れて目を閉じてそのまま眠り込みたくなった。

 呼び鈴の音。

 階下のフロントの鈴の音が微かに聞こえるほど静かだった。エリックは目を開け、上体を起こした。まだ、今日はすべきことがある。部屋を出ると、階段を下りた。

「あら。奇遇ね。同じ宿なんて」

 フロントで記帳していたのは、オデットだった。大げさに驚いて見せるようなところも無いが、ペンを止めてエリックに笑いかけた。

「お知り合いですか?」

 先ほどの娘が笑顔でオデットに尋ねる。

「同じ船で来たのよ。おでかけ?」

「ええ」

 エリックはそれだけ返して外へ出た。まだ昼前。眩しい日差しに、屋内に居たせいか潮の香が先ほどよりも感じられる。

 警察署までは、さほど距離がないことは調べてある。散歩がてら歩いていくことにし、周囲を眺める。初めて来た町ではないが、記憶には残っていない。町の古びた雰囲気からして、昔、もう二十年は前に来た頃と変わってはいないはずだったが。

 感傷に浸っている場合ではない。エリックは記憶を振り払うように歩みを早めた。


「最近、ならず者が増えて困っておるところではありますな」

 口髭を生やした署長は、エリックの顔をみて嘆息すると、手元のファイルに目を落とした。

「この間も、何を思ったのか崖から三人ほど飛び降りて、一人は死亡、二人は数か月の大怪我を負ったりしております。こやつらからは、合成ドラッグの所持と服用が確認されとりますが。他にも喧嘩などのいざこざは絶えませんな」

「変死というか、妙な死に方をしたものもいるとか?」

 エリックが手帳を見ながら言う。署長はちらりとエリック見て、またファイルに戻した。

「そうですな。三か月ほど前になりますか。今は使われていない鉱山の砕石場で、砕石機に巻き込まれて死んだ者がおって、これも外国人ですな。事故にしては、使われとらん機械を動かしたのもおかしいのですが、他殺とも言い切れんところで」

「外国人の死亡者が増えているのですか?」

「ここ半年位で五人。怪我人はその数倍は居ますかな」

 署長はファイルを見ながら淡々と話す。

「その、外国人のならず者が増えたというのは、何か、理由でも?」

 所長はファイルから顔を上げてエリックの顔をじっと見た。

「マフィアが入り込んでおるんですよ。あなたが来た理由もそれでは?」

「マフィアがこの島に入り込む理由があるんですか」

 署長は頭を傾げて人差し指でこめかみを抑えるようなしぐさをした。

「この島には、めぼしい産業などありません。租税回避地タックスヘイブンとしてどうにか外貨を稼いでおるくらいで。ダミー会社のオフィス用地として土地を買い漁りに来た連中にマフィアが絡んどるようですな」

 それぐらい知っているだろう、と言いたげに淡々と話す。実際、エリックもここに来る前にある程度調べて来てはいた。

「用地買収によそ者が加担していると。そのいざこざで死者まで出ているということですか」

「そういったところです。ただ、分からんのは、この国は、土地を買う、といっても、利用権は獲得できても、所有権は得ることが出来ないようになっておるんです。所有権は所有者と交渉して期限をきめて利用することになっとりますが、無期限に利用はできないようになっとります。利用に際しても、税金が発生する。死人が出るほど揉めたとこで、得る物はそう無いはずなんですがね」

 署長は首を振って、訳が分からない、という顔をした。

「実際に、土地を所有しているのは、誰なんですか?」

「この国の、昔ながらの領主ですな。侯爵が島の半分は所有しておりますな。あとは、議会が出来てからは、二割は国の物で、残りはこの島に最初から住んでおる、昔の女王の子孫の物ですな。島の者は、砦と呼んでおりますが、そこの土地は、その子孫のものです」

 エリックは、手帳に軽くメモを取った。

「言うまでもなく、ここではあなたに逮捕権などありません。捜査に協力はしますが、くれぐれも荒事は避けて、何かあったら我々に連絡するようにお願い致しますよ」


 警察署を出て、昼食のためレストランを探す。警察署から少し離れた通りがこの島の繁華街のようだったが、さほど人も歩いていない。イタリアンレストランを見つけて昼のメニューのラザニアをつつきながら、窓の外を眺める。こうしている分にはマフィアが諍いを起こしているようには思えない、静かな町だった。

『議員と企業の結びつきを示す物か、マフィアとの関係について、何か証拠を掴んできてもらいたい』

 政治家の汚職事件の捜査で、本国を離れて遠い島国にまでやってきたエリックだったが、上司の言葉を思い出しても、そう簡単に行くようなものでは無かった。


 単に租税回避地でマフィアが活動しているにしても、この小さな島にしては死人が多すぎる。


 まだ何か、他にあるのか。そう考えると、また、過去に、自分が以前訪れた時のことが、ふっと頭をよぎる。大して記憶してもいないこの島での出来事が。

 今回は仕事で来ただけだ。エリックはそう心に呟いたが、二度と来ることなどないだろうと思っていた島に居ることの因果のようなものを感じていた。

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