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17. 暴露

 九月。ヴァカンスの時期の、観光客で賑わう通りを離れれば、閑散としていたパリも人通りが戻って来ていた。少し色付いてきたマロニエの並木道を通り抜け、エリックは自宅へと向かう。

 古いアパルトマンの最上階。エレベーターは無く、六階まで歩いて昇る。出来た当初は使用人の部屋だったものだが、改装されてモダンな住居になっている。

 エリックは階段を歩くのは苦にならないし、一人住まいには十分な広さだった。遅い夕食を買ってきた総菜で適当にすませる。仕事中は何時も同じだ。パリに住んで長くなってはいたが、パリっ子ではないだけに、慣れてはいても、馴染んではいなかった。そう思うこともこのところ無かったのだが、あの島へ行って来てからは、そんな自分の気持ちの細かなところにも気が付くようになった。

 パゲットに買って来たハムサラダ、切り分けられ、ポテトを添えられたローストチキン、レトルトのポタージュをテーブルに広げ、夕食。テレビを付ける。ニュース番組に合わせた。

 国内のニュース。貴金属強盗事件。連続して発生しているらしいが捜査に進展は無い模様。鉄道で脱線事故。負傷者が数人と大きな被害はなかったが、未だ復旧せず。エリックが関係している案件などは、当然まだ表には出てこない。

 EU経済の動向。海外のニュースへ。合衆国では十代の少年による銃の乱射事件。 食事をしつつ、何か機械的に見聞きしていたエリックに、思わぬニュースが飛び込んできた。

『ヘリアデス侯国君主、ベルナルド二世、執務室で倒る。脳梗塞の模様。意識戻らず』

 エリックは食事の手を止めて、画面に見入った。写っているのは、何時の物なのか、ベルナルド二世と着任報告に来たフランス大使との会談の模様が流れていた。それに合わせてアナウンサーの簡単な状況説明だけで終わった。

 現君主が倒れる。容体如何では、後継ぎの話にまで発展する出来事だった。

 オデットと一緒に出向いた、砦の村で会ったクレールの顔が脳裏に浮かぶ。その時に教えられた、ヘリアデス侯国の密約と、それに絡んだアルノーの暗躍。

 エリックが送ったそのことに関する報告書は、汚職事件の捜査チーム内では取り上げられずにいた。上司からは、エリックがアルノーの調査担当ではないこと、この件が今回の事件に関わることか確証が無いこと、等々、報告書に反応が無いことをせっついたエリックに小言が返って来ただけだった。特に、米英仏三国とヘリアデス侯国との密約については、捜査の範囲外との認識で、その件に関しては汚職事件を捜査する検察の関与するところではないとの返事。

 ある程度想定していたことで、エリックはさほど失望も感じなかった。この件は、捜査をする上での参考資料という意味合いもあっての報告で、知らせずにおくわけにはいかないと言うエリックの気持ちも手伝ってのものだった。

 もしかすると。エリックから伝えられるまでも無く、上層部は既知の事実なのかも知れない。外交も絡んだ内容だけに、あからさまに出来ないことではあるのだろう。

 それも、この、わずか一分たらずのニュースが、どのような影響が与えるのか。既に画面は切り替わって、サッカーボールをけり込む選手の姿を見ながら、エリックはヘリアデス侯国で過ごした日々をぼんやり思い返していた。


 ヘリアデス侯国では、ベルナルド二世が入院する中央病院に議員や関係者が訪れていたが、集中治療室のベルナルド二世とは面会謝絶となっていた。国元に居ない家族、夫人や息子達は、急な出来事だけに侯国へ来るのは翌朝ということだった。

 国政については、パーキンスが業務を兼任することで対応していた。

「どうだね。殿下の容体は?」

「思わしくないな。覚悟はしておいた方がよいだろう」

 パーキンスのもとを尋ねた議会の議長は容体を聞いて険しい顔になった。

「どうしてまた急に……」

「以前から懸念はあった。今朝は、急に頭痛がすると言って、座り込んだそうだが、そのあと急に横になって眠り込んでから様子がおかしくなったそうだ……」

 悲痛な表情ながら、パーキンスの口調は落ち着いていた。

「ご家族がお見えになるのは明日だったな?」

「ああ。こういう時に、誰も近くにいないというのが……」

 仕様の無い事ではあるが、パーキンスは口にせずにはいられなかった。

「爵位は、どうなる?」

「今は、それを言っても……。それとなく、リシャール様には伝えてはおくが」

「砦の、姫は、どうする?」

「クレール姫か。今はまだ学業に励む時期だろう。十七になったばかりだったか」

「そうだが。この国で名を知られているのは、殿下以外では、クレール姫だけだぞ。場合によっては、名ばかりでも、後を継ぐことも」

 うんざりしたような顔でパーキンスは議長の顔を見たが、首をふってため息をついた。

「分っている。国の体制が変わることになるかもしれない。議員の皆にも、心しておくように伝えてくれ」

「分った」

 立憲君主から民主制への移行も踏まえてベルナルド二世とは何度も協議してきた矢先の事態だった。密約についても三国と調整しつつ、ベルナルド二世統治下で公表し、ことの推移を見極めたうえで、民主制への移行を視野に入れて国の行く末を見定めるという方針だったが。見定めるはずの者が病床にあることにより、行く末は混沌としていた。


 ベルナルド二世が病床の身となり、国を治めていくことが難しいという状態であるという知らせは、報道陣よりも早く、自宅に居るアルノーの元へ届いていた。

 このタイミングで密約を暴露すれば、注目も集めやすい。効果的に政権に打撃を与えられるだろう。しかし。今、自分に汚職の嫌疑が掛けられていて、それは捜査中であるということも知っている。密約の件を仄めかしたことが、捜査に対する圧力になっている節もある。アルノーにとっては、有効な手段を見極める必要があった。焦って先走ってしまっては元も子もない。

 混乱しているであろう、ヘリアデス侯国の情勢も気になるところだった。マルタンの言うように、つけ入る隙があるにせよ、どう利用すれば利益が大きいだろうか。

 考えるほどこの問題は難しいものであったが、同時に面白いものでもあった。何か、千載一遇のチャンスとでもいうようなものが、目の前に転がり込んで来たようにも思えるのだった。これを上手く利用できれば、将来に大きな影響があるだろう。人知れず、アルノーはほくそ笑んでいた。

 不意に、コンコン、と扉をノックする音。

「パパ。入るわよ」

 言うなり、入ってきたのは、マノンだった。アルノーがいる机の前に立つ。

「マノンか。どうしたんだ? 何時帰ってきた?」

「ほんの少し前。お話があるの。いい?」

 笑顔のマノン。

「何時もお前はやることなすこと突然すぎるんだよ。なんだね? あまり時間はとれんぞ」

「何かいいことでもあったの?」

「ん? 何故だね?」

「ちょっと、声の調子が。テンション高いもの」

 あきれたような顔でアルノーはマノンの顔を見つめた。そういうところは、妙に感が良い。にやにやと笑うマノンに、アルノーもすこし表情が和らいだ。

「ヘリアデス侯国の侯爵様が倒れたことと関係あるのかしら?」

 マノンの言葉に、アルノーは表情が強張った。目が見開かれる。

「な……何を言っているんだ?」

「その国に、私のお友達がいるのよ。そのが、パパとお話がしたいんですって」

 マノンの手には、スマートフォンが握られていた。

「友達?」

「ええ。たぶん、パパも知ってるよ。さあ」

 マノンには、どこか有無を言わせない調子があり、何故か、アルノーもそれに飲まれていた。

 突き出されたスマートフォンを手に取る。通話サインが表示されている。

「もしもし?」

『ジャン=フェルナン・アルノーさんですね?』

 若い、女の声。

「そうだが。君は?」

『あなたにやっていただきたい事があるんです』

 女は答えずに話かける。

『たぶん、いまあなたがどうしようかと悩んでいることですよ』

「なんのことだね?」

『ヘリアデス侯国と米英仏三か国の密約のことです。それをなるべく早いうちに、公にしてください』

 思わぬ言葉にアルノーは目を剥いた。

「な、何を言っているんだ、君は!」

「ねえ、パパ。彼女のことを聞いてあげてよ」

 マノンが机に両手をかけて、覗き込むように、甘えた声で言った。

『私はあなたに頼んでいるのではありません。やりますよね。アルノーさん』

 冷たく落ち着いた口調が、若い声と妙なギャップを生んでいた。アルノーの耳元から、ゆっくりと染み入るように頭の中に響いていく。

「ああ。分かったよ」

 アルノーのゆっくりとした言葉を聞いて、マノンがアルノーの頭を抱えると、額にキスをした。


「おー。エリック。ちょうど良かった」

 シテ島へ戻って局内を歩くエリックを同僚が呼び止めた。

「なんだ?」

「アルノーが、党の大会で妙な演説を行ったそうだぞ」

「妙な演説?」

「ああ。何でも、政府がヘリアデス侯国という、君がこの間行った島だな、その国との間に、核廃棄物を巡っての密約を交わしていたということを言ったらしい。そのことは、君からも報告があったね」

「何故知っている?」

「アルノーに関する報告はすべて目を通しているからね。この件に関しては、黙っているように言われてただけさ。もうその必要も無いけどね」

 アルノーを担当している同僚は笑って言った。

「そうか。まあいい。しかし、アルノーは、何を思ってそんな発言を?」

「さあ、そこだよ。公にするには、いいタイミングだとは言えるね。侯爵が倒れたということで、ヘリアデス侯国には注目が集まっている。政権内での不満分子のアルノーにしてみれば、良い人気取りにもなるだろう。そのかわり、相手の反撃を食らうことを考慮にいれているのかどうか。我々に勝てるという、見込でもあるのかな?」

「さてね。密約が表沙汰になったことで、こちらの捜査は障害が一つ減ることになるのか?」

 同僚はにやりと笑う。

「そうだね。上の方々がどう動くかだが。僕はそうなるだろうと思っているよ」

 エリックも笑って同僚と別れて歩き始めた。

「ああ、そうだ、エリック」

 数歩歩いたエリックを同僚が呼び止める。

「君の、報告にあった密約の情報はどこから手に入れたんだ? 個人情報は明かせないかもしれないが……」

「魔法を使ったんだよ。魔女の島だからな」

 エリックはそう言って歩み去った。同僚は口をへの字にして肩をすくめると、反対側へ歩いて行った。

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