14. クレールからの招待状
七月に入り、ヴァカンスの季節ともなれば、島に人も多くなった。多くは避暑にやって来た人たちだった。この島の気温は夏の盛りでも最高気温が平均で二十℃を少し超えるかというような涼しい気候だけに、夏の暑さを避けて涼を求める人で賑わった。
エリックは人の増えた町をアリスの宿に向かって歩いていた。一度、フランスへは戻って調査報告を行っていた。
調べていた企業は、マルタンという実業家が絡んでいて、その男は、今は、ヘリアデス侯国で嘗て行われようとしていた、カジノ設置計画地だった場所の購入を行っている。そこは現在廃墟となっていて、以前の計画で設置や運営などを引き受けた企業が購入して中止となり、持て余した土地を売りに出したものだった。それをマルタンが購入しているというのは、また、何かの計画が持ち上がっているかのようだった。
以前購入した企業はヘリアデス侯国から開発許可を貰っていたので廃墟をそのまま放置していたが、マルタンはこの島の法律も絡んで、土地の購入だけでなく、人を送り込むというような面倒なこともする必要があった。それは、マルタンがやっていることは、この国には公には認められていないということでもあった。
送り込まれている人々は、好ましからざる者としてこの国では見られているが、人集めはマルタンが行っているわけではなく、他に依頼しているらしく、そこにマフィアの介在が一部確認されてはいた。
それが、ここでは、土地の購入からマフィアが絡んでいることになっていて、警察署長もそういった発言をしていた。エリックも調査にあたるまではそういう事例もあるだろうと思っていたが、調べるうちに見当たらないことが分かった。余所者の間に死者が多いというのも、マフィアの抗争らしく見えていたものの、実際は事故であったり、他殺と断定できるものは殆ど無かった。死んだ者の多くが廃鉱山近くに集中している。そこにマルタン達が送り込んだ者が多いからでもあるが、何か、あまりそこを調べてほしくは無いかのようにも、エリックは思えてきた。
国元では、マルタンから先の、政治家への捜査が進められているはずだった。対象となっているのは、与党の議員、ジャン=フェルナン・アルノーだったが、この名もあまり表にでることもなく、秘密裡に進められている。具体的にマルタンとの関りから汚職と言えるような証拠が見つかるまでは公にされることは無いにしろ、仲間内でもこの名に触れるのはタブーとなっていた。それが、捜査を秘匿するためで、及び腰ではないことをエリックは願っていた。
「あら、お帰りなさい。エリックさん」
アリスが笑顔で迎え、食堂の方へ入って行った。ヴァカンスに入って宿も客が増え、学校が休みに入ったアリスの姿を見ることも多くなった。アリスのような女の子が笑顔で迎える宿などこれまでエリックは泊ったことも無く、それも気に入っていた。
オデットもエリックと同じく宿にずっと宿泊していたが、雑誌の取材というのがどの程度続くものなのか、エリックには良く分らなかった。
部屋に入ってナップザックを放るように置くと、ベッドに腰かけた。かれこれ三週間近くこの部屋に泊っているので、自室のように雑然として来ていた。
仕事の方はほぼ終わりというような状況にあった。調べ残しや、これまでの調査結果に漏れがないか確認するくらいで、この島にもこの先長居することもないと思われた。
ただ。自分が以前この島に来た時のことは、未だに分からずじまいだった。そのことについて調べるには、時間よりも、気持ちに余裕が無かった。
「エリックさん。アリスです」
ノックの後に、アリスの声。エリックがドアを開けると、笑顔のアリスが白い封筒を差し出した。
「クレールから、週末に、砦の村のお屋敷にご招待するそうです」
「クレールから? どうして……」
「どうして、と聞かれたら、お会いした時に理由は話すから、と伝えて、と言ってました」
アリスが笑顔で言う。クレールに先手を打たれた感じだ。封筒を受け取ると、アリスは隣へ行った。手にはもう一通封筒を持っている。ドアから顔を出すと、オデットにも招待状を渡していた。戸惑いが見えるオデットと目が合った。アリスが下りていくと、オデットがエリックの部屋に来た。
「あなたも?」
「ああ」
オデットがエリックの部屋に入るのは初めてだった。特に気にした様子も無い。むさ苦しい部屋に、甘い香水の匂いが漂う。
エリックは赤い封蝋がされている封筒を開ける。紙が一枚。手描きの、カリグラフィーのような細く綺麗な文字が並んでいる。
〝昼食にご招待いたします。時間は土曜日の十二時より。昼食後に外でお見せしたいものがありますので、多少汚れても良い服か、着替えを持っておいで下さい。
砦にてお待ちしています。
クレール・ド・ラ・ファージュ〝
「そっちは?」
「同じよ。宛名が違う位じゃない?」
椅子に座ったエリックに、ベッドに腰かけたオデットが言う。
「外で見せたいものって、なんだろう?」
「さあ。あまり、楽しい物じゃなさそうな気がするわね」
オデットは余り浮かない顔をしている。
「どうして?」
エリックの問にオデットは顔を上げると、また招待状に顔を戻し、言い淀んだ。
「……なんていうか、ちょっと、危険な感じがするのよ」
「危険? クレールが? まさか、魔女だからとか言い出すんじゃないだろうな?」
からかうように言うエリックに、オデットはむっとしたような顔になったが何も言わなかった。オデットにしてみれば、インタビューの時のレコーダーの件はエリックには話せないことだった。
「で、行くのか? 断るのか?」
「行くわよ。砦の中には入ったことは無いし、せっかくだから取材させてもらうわ。あなたも居ることだし」
「おや。俺を頼りにしてるのかい?」
「そうね。それに、クレールが話をしたいのは、あなたのような気がする」
「俺に?」
「ええ。昔、この島に来たことがあるんでしょ? 夏至の祭りの夜に、行政大臣と話をしてたわよね。あのとき、クレールも居たでしょ」
オデットに言われて、改めてそのことに気が付いた。
「それで、俺に何を見せるんだろう?」
「さあ? とにかく、行ってみれば分かるでしょ」
黒のハーフパンツから伸びる長い脚を組んで、招待状を持つ手を膝に置いたオデットは肩をそびやかした。豊かな胸が腕に挟まれて強調される。
そんなオデットを見て、エリックは、雑誌記者とは違う、別の顔が隠れているような気がした。
週末は雨模様だった。弱い雨が断続的に降り、肌寒さも感じるような天気になった。エリックの運転する車で砦の村までドライブするのは、この島に来てばかりの頃から、二度目だった。あの時と違って、今日は二人とも口数が少なかった。
砦の村に着き、屋敷を囲む城壁の前に車を止める。雨は止んでいて、車から降りると草木の香りのする水気を含んだ空気に包まれた。
石門の前に来ると、今日は狼は座っていなかった。到着したことをどうやって知らせたものかと思っていると、石門の横に丸い鉄の輪が付いている。ドアノッカー的なものかと、動くとは思わなかったが、手を掛けた。意外に、軽く動く。これをノッカーとして叩いたところで屋敷の方に聞こえるのか疑問だったが、石門に打ち付けてみた。すると、何か、反響するように重い音が響いた。
そうしてから暫く何も起こらないようで、二人が顔を見合わせていると、屋敷の方から人が歩いてくる。ゆっくりとした足取り。
「ようこそ。いらっしゃいました」
石門の手前で三つ揃いの黒のスーツを着た、頭は白くなった老人が挨拶する。
「オデット・ワイズ様と、エリック・シュバリー様でいらっしゃいますね」
「ええ」
「私はこちらのお屋敷に仕えております、アレマンと申します。では、こちらへ」
そう言って、先に立って歩く。二人とも後に続いた。路は屋敷の玄関へやや斜めに向かって伸びている。左右には、円錐形に駆り込まれた柘植が並んだ、質素で幾何学的な庭だった。屋敷の両脇には花壇があり、白や黄、青の花が咲いている。近づくにつれて、それが、エーデルワイスやソルダネラ・プシラといった、園芸品種よりは野草のような花々だとエリックは気が付いた。
玄関に着くと、扉の横に、彫像のように座っているのは、例の狼だった。何か、退屈そうに二人を眺めている。
「どうぞ」
案内したアレマンがドアを開ける。オデット、エリックと入って行った。玄関ホールは高い吹き抜けの部屋で、長いガラス窓から庭の花壇が見えた。
「ここでお待ちください」
ビロードの張られた衝立の向こうに、ソファがあった。二人は向かいあって腰かけた。石造りの壁や天井は、古い教会か、古城を思わせるものがあった。
オデットは回りを遠慮なく見回している。鉢植えの観葉植物や、壁の暖炉。それらを眺めていると、玄関ホールの奥のドアが開いた。
「お待たせしました」
クレールが現れた。グレーのタイトスカートに、濃いグリーンの肩が広めに開いたブラウスと、大人びた服装だった。片や、ジーンズにサマーニットのオデットと、何時ものようにYシャツとチノパンに、今日はウォーキングシューズのエリック。
「歩きやすい服装で来ていただいたようですね」
「お食事に招待されて、こういう格好というのもどうかと思ったんですけど」
ちょっと言い訳がましくオデットが言った。
「いえ、かまいません。形式ばった昼食会ではありませんから」
今日は髪を編んで後ろに垂らしたクレールは、笑うと明るく活発に見えた。
「では、こちらへ」
先ほどのアレマンが、二人を別室に案内した。長方形のテーブルが置かれた、食堂に当る部屋らしかった。こちらも窓は細長く、オデットには少々部屋は暗く感じるが、フランスでもそうだったので、エリックは気にしていないだろうと思った。それに、形式ばった昼食ではないと言われても、執事が給仕をしたりするなら服装がどうあれ堅苦しいだろう。
二人が並んで席に着くと、クレールもやって来た。
「今日お二人をご招待したのは、色々とお話ししたいことがあったからです」
そういうクレールは笑顔だった。
「まずはお食事にしましょう」
さっそく、前菜が運ばれて来た。野菜スープにサラダ。給仕がずっと付いているわけではなく、料理を置くと、部屋を出て行く。三人だけで話をするためらしい。
クレールはワインも進めた。そう高くもないポルトガル産だというが、エリックは車があるからと断った。オデットは、今日は進められたワインを口にしている。
「そうそう、先日、面白いお客様が見えたんですよ」
「面白い客?」
「ええ。マノン・アルノーという女性ですが、ご存じありません?」
クレールがエリックの顔を見て言う。
「それは……ジャン=フェルナン・アルノーの?」
「ええ。お父様の秘密の話を盗み聞きしたとかで、この島に興味を持ったとか。ちょっとはしたない女性でした」
思い出したようにクレールは笑った。
「シュバリーさんは、彼女のお父様のことを調べていらっしゃるんですよね?」
クレールの言葉に、エリックは返答に困った。
「お仕事上のことはお話できなければ構いませんよ。私が勝手に話すことですから」
一人の少女に、何か手玉に取られている。そういう状況にあったが、屈辱とか怒りとか、そういった感情は不思議と湧いてこなかった。強いて言えば、困惑。
メインは子羊のローストで、味も良く、歯ごたえも良いものだったが、会話も途切れ、味わって食べているというより機械的に口にしているかのようだった。
「この後は、お二人に見ていただきたいものがあるのですが、ちょっと外へでます」
メインの皿が下げられ、デザートのカシスソースの掛かったクレープがくると、クレールが言った。
「雨が降っているわよ」
オデットが外を見ながら言う。
「大丈夫ですよ。外と言っても、この屋敷の外という意味で、空の下ではありませんから」
「どういうこと?」
「ここから、銀鉱山があった場所へ、行くことができる、通路があるんです。地下ですから、雨の心配はいりません」
「銀鉱山?」
エリックがクレールを見つめる。
「ええ。ここにお呼びした、本来の目的です。あなたに、お伝えしたいことがあるのです」
「俺に?」
「あなたが調べていることと、あなたが昔この島に来て、お父様に御不幸があったこととは、関りがあるんですよ」
「なんだって?」
エリックだけでなく、オデットの手も止まって、クレールを見つめた。
「それは、この国の秘密とも関わっています」
クレールは意味ありげな笑みを浮かべる。
「あなたは、この島に来て、調べ物をなさって、疑問に思うことはありませんでしたか? 何故、この小国に、フランスやイギリスのみならず、合衆国までもが、軍隊を引き上げた後も援助し支えているのか」
その通り、エリックは何度もその疑問にぶつかった。しかし、それらしい理由は見つけられなかった。
「島の北側に、秘密の入江があって、合衆国の潜水艦が出入りしているらしいな。それが関係しているのか?」
「そのことはご存知でしたか。この島、この国は、確かに合衆国に軍事施設を提供しています。冷戦終結後は、軍隊は引き揚げ、合衆国の軍隊が施設を利用する場合は、事前に共有されることにはなっています。島民は皆知っていることです。そして、それで援助を受けていると理解している」
「そうでは無い、というのか?」
「全てでは無い、ということです。そして、フランスとイギリスがこの国を援助する理由でもあります」
「宗主国だからではないと?」
「昔からの盟約ではありますが、それだけで動くほど、慈善家では無いということでしょうね」
十代の少女の言葉とは思えないような、達観した、冷めた物言いだった。
「ジャン=フェルナン・アルノーがこの島に関わっているのも、その秘密を知ったからでしょう。何か、政治的な駆け引きに利用しようとでも言うのでしょう。あなたのお仕事にも役立つ情報かと思いますよ」
「俺はそれでいいとしても、オデットを呼んだのはどういう理由だ?」
エリックが横のオデットを見つめる。
「オデットさんは、あなたと違って既にご存じのはずですから、何か補足出来ることがあるかと思いますよ。お二人は仲が宜しいようですので」
「なんだと?」
エリックはオデットを見つめた。曰く言い難い様な表情がそこにはあった。
「君はいったい、何者なんだ?」
「それは……今は言えないわ」
オデットが顔を伏せる。
「君は一体何がしたいんだ? 何故俺にこんな話を打ち明けようとするんだ?」
エリックはクレールの、黒い、澄んだ目を見つめた。
「あなたが、以前この島に来た時のことを記憶していないということが、どうやら、私と関りが有りそうな気がするからです」
「君と関りが有るだって?」
「ええ。ですから、あなたには、思い出して欲しいのです。その時のことを」
笑みを浮かべていたクレールの顔が、真顔になってエリックを見つめた。




