13. マノン
大学はヴァカンスに入るというのに、マノンは、休暇の予定が友人の都合で潰れてしまい、スケジュールには空きが出来ていた。いっそまだそれほど親しくもない男友達と旅行、ということも考えたが、あまり気乗りはしなかった。
パリのアパルトマンから久しぶりに家に帰ってみると、母は外出中で、父親は屋敷の一角にある温室で客人を迎えてなにやら話をしているらしい。昔は商談だったりしたが、今では政治家となった父は、政策上のことで人を呼んだりもしているようだ。
秘密の話を自宅でする場所として、温室内のテーブルのある場所を選ぶことが多い父だったが、本人はあまり植物が好きでもないことをマノンは知っていた。単に、温室の雰囲気が好きなだけなのだ。世話などは使用人任せにしている。温室を作った祖父は金に飽かせて様々な国の植物を集めたりもしていたというが、育てることが難しいようなものは殆ど残っていなかった。
温室のテーブルがある部分は、外からは見えない場所にあり、入るにも一か所しか通り道は無かったので、父は密談には良いと思っていたのだろう。子供のころから温室で遊んで祖父を手伝ったりしたマノンは、そこでの話を立ち聞き出来る位置があることも知っていた。悪戯心で子供の頃は立ち聞きしたりもしたが、あまり面白くもない話ばかりで、すぐに止めてしまった。今日は急にふらりと帰ってきて、暇だったこともあり、昔を思い出してこっそりと温室に入り込んだ。
勝手知っているだけにすぐに父がいるテーブルの背後にある壁の後ろのパンノキの下まで来た。そこで聞き耳を立てていると、小声でなければ話は聞こえた。
「……の島では、いろいろと問題を起こしているようじゃないか。あんまり騒ぎを起こすと、こちらにも影響がでないとも限らない。もう少し、大人しくしてもらいたいものだね」
父の声だった。
「アルノーさん。私としても、使い走りのようなことばかりではどうもね。実入りも無いと。あの小国は資金運用だけではさほど旨味もない。侯爵が退位した後に、あの国を自由にできるのなら、それをちょっと、儲け話のネタにと思っているだけだよ」
もう一人は、客人のマルタンという男らしい。
「そう上手くいくかどうかわからんぞ?」
「密約と言う物がある、ということは、確かめてもらったんでしょう? あの連中は国を跨いで動き回っている。盟約の内容も詳細に知っているんでしょうよ」
「かれらの影響力は私も知っているさ。ただ、あからさまに国を飛び越えるような真似をするだろうか」
思案気なアルノー。
「あなたが居れば、そんなことをせずに済むでしょう。連中の力も使いようですよ。
あの国も、侯爵様は健康を害しているとかで公職を休みがちだとか。引退するとなると、後継ぎだが、息子は継ぐ気が無いそうだというし、国を背負う柱も無くなれば、良いように動かしやすくなるでしょう」
なんだか、政治というより金儲けで、悪巧みのようだった。
「後継ぎと言えば、何とかという、姫君が国民の間では人気があるそうじゃないか。侯爵の娘だったか?」
「いやいや、確か、親戚筋の、昔の女王の子孫だとか。まだ大学にも行かないような小娘だし、後を継いでも飾りのようなもんでしょう」
「小娘か。そういうのが、却って厄介な場合もあるぞ。変に正義感に燃えて、あの話を公にしかねない。私としては、情報は小出しにして、揺さぶりをかけるくらいが良いんだ」
「どっちにしろ他の国が黙っちゃいないんじゃないですか?」
「そうなったときは、今責任を負うのは私じゃないさ。お歴々が引き受けて下さるだろう」
マルタンの笑い声。世間が言うほど父親が清廉な人物ではないということは、子供の頃から接しているマノンが良く知っていた。マノンは親を理想化するような初心な娘でも、理想を求めるような生真面目な娘でも無かった。そして、他人から良家の淑女として見られることを上手く利用する自分は、父親に似ているとも思っていた。そういう自分を別に嫌いでは無かったし、父親を嫌ったこともない。尊敬してもいないが。
それにしても、一体何の話をしているのだろう?
マノンはちょっと興味を持った。侯爵だとか、姫君だとか。島と言っていたが海外の領土の話だろうか? 侯爵がいるというとヨーロッパのどこかの国のことだろうか?
木の葉陰から静かに抜け出ると、マノンは温室を出て部屋に戻った。
時折帰るので、昔の自分の部屋はほぼそのまま変わらずに残っていた。見られたり失くして困るようなものは特に置いていないので、掃除などは使用人にまかせて気にしていない。
綺麗に洗濯したシーツが掛けられたベッドに横になると、スマートフォンを取り出して、ネットの検索をしてみた。適当に、島、侯爵、姫君、と入れて、思い直して、フランスも追加した。
検索をかけて幾つか候補が出てきた。そのうち、ネット上の百科全書の、それらしい国が載っている所に行き当たった。
「ヘリアデス侯国?」
大西洋上の孤島の国。地理はさほど詳しくはない。聞いたことがあるような気もするが、気にしたこともないような国だった。侯爵が領主の国で、フランスとイギリスが宗主国であるという。昔は女王の支配していた独立国だったらしい。
「あ、綺麗な女の子」
今年行われたばかりの夏至の祭の映像に、女王に扮した少女の姿があった。字幕にクレール・ド・ラ・ファージュという名前が表示される。彼女は、実際に王族の末裔らしい。
この娘が、侯爵を継ぐかもしれないという、姫君……。
マノンはヴァカンスの暇つぶしを見つけたことに気が付いた。
空港に降り立ったマノンは、辺りを見回した。田舎の小規模な空港という感じだが、設備は最新のものらしく、空港は新しかった。オルリー空港から少ないながらも便があることを知って飛行機できたが、着陸前の機内から見た島の様子は面白いものだった。海の上に浮かぶ火山島ということが良く分る形状で、周囲をぎざぎざした山が取り囲んでいた。
午後二時の便に乗り、二時間半のフライトで時差三時間を飛んできたので、三十分時刻は遡って到着は現地時間の午後二時半。着いてみると、特に外国というような雰囲気は感じない。公用語もフランス語だし、アクセントに特徴があるが、皆聞き取りやすい発音で喋っている。通貨は、ヘリアデス・フランという独自のものだったが、ユーロとレートは同じということだった。
空港で入国審査を受けたがビザもいらないし、簡素なものだった。それを終えて空港をでるとタクシーを拾って、この島唯一の四つ星ホテルがある港町の方へ向かった。空港周辺は農地ばかりで建物も少ない。
「お嬢さんはパリから来たのかい?」
運転手が話しかける。運転手が見るバックミラーには、栗色の髪をショートカットにした、緑色の目の、コケティッシュな姿が映っている。
「ええ。分かる?」
「話し方でね。観光? 仕事には見えないけど。何にもない島だよ。ここは」
「そうなの? 侯爵様とかお姫様とか、おとぎ話みたいで面白そうだと思ったんだけど」
「侯爵様の住んでるとこなら、これから行く港町の方だね。この国の議事堂は昔の侯爵家の居城だったところだよ。今は侯爵様は別の場所に住んでるけどね」
「お姫様は?」
「お姫様? 砦の姫様のことかな? それだと逆方向だな。砦の村っていう、昔のこの島の王族が住んでたところがあって、今はヴァカンス中だし、姫様も学校から戻ってるんじゃないかな」
「ふーん」
時間はたっぷりある。とりあえず二週間ほど滞在することにしていたが、面白くなさそうならそれまで待たずに帰るつもりだったし、面白そうなもっと居るつもりだった。
港町に着き、ホテルにチェックインして、部屋に入った。窓からは港町が一望出来る高台にホテルはあった。潮の香が漂い、町の雰囲気もどこか南仏のようだが、気候の感じはノルマンディーのよう、という妙なギャップが面白かった。ホテルはフランスの四つ星ホテルよりも安くて雰囲気はかわらず、異国情緒を楽しみたい向きには物足りないだろうが、マノンはそういうことは大して気にしなかった。快適であれば文句は無い。
町を回って、夕食も買い物をしたときに聞いた町のレストランに入ったが、タラのムニエルも牡蠣も美味しく、半日過ごしただけだがこの町は割と気に入っていた。
最近治安が宜しくないということだったが、物売りにしろ何にしろ、しつこく話しかけたりされることもない、素朴な町の住人は旅人には気楽で良かった。
治安うんぬんは、元凶というような人物の関係者の娘が言うことではないな、と密かに思って笑ったが、政治に興味は無いとは言え、父とマルタンがこの島の何を知っていて何をしようとしているか、気にならなくもなかった。
それに、魔女と呼ばれた昔の女王の子孫、と言うおとぎ話のような姫君も絡んでいるという。マノンは直接、その砦の姫君、クレール・ド・ラ・ファージュに会ってみたいと思った。
島に来てから二、三日は、主な観光地だという議事堂や島の古い遺跡を、同じようにフランスから観光できたという男女のグループと仲良くなって回ったりしていたが、大西洋の島めぐりをしているという彼らは、南のアゾレス諸島へ向けて旅立っていった。
一人残ったマノンは、まだ行っていない北の港か、山の方に出かけようかとも考えたが、別に登山などは趣味でもなかった。
行き当たりばったりで計画性が無いというのが欠点だと時々人に言われるが、自分は大して気にしていなかった。今回の旅も、急に決めた事で、目的らしいものがあるわけでもない。強いて言えば、ネットの動画で見た、クレール姫が気になったので会ってみたいというくらいである。それもすぐに実行に移す訳でもなく、のんびり何時でもいいやとばかりに過ごしていた。第一、どうやって合えばいいか何も考えていない。もとよりヴァカンスなどそんなものだ。
この日も、特に計画もなく出かけたが、砦の村へ行くという農家の親子に出会って、頼んで車に乗せて行って貰うことにした。クレールに会うというより、砦の村と聞いて行ってみようと思っただけだった。砦の村は、一度、仲良くなった男女と一緒に来たことがあったが、その時は別行動することもなく適当に見て回っただけだった。
ピックアップトラックの後ろの座席に座って景色を眺めていると、助手席の、四、五歳くらいの女の子がマノンの方をじっと見ている。笑顔を返すと、恥ずかしそうに引っ込んではまた顔を出した。
そんなことをしているうちに、砦の村に着いた。助手席から手を振る女の子と父親に礼を言って別れ、マノンは真っ直ぐ砦に向かった。一度行ったことはあるので、道は知っている。
砦への坂道を登って、石の門の前に立ったが、そこでどうしたものかと考え込んだ。招待状など持っているわけでもないし、知り合いでもない。
入っていいのかな?
門には呼び鈴などの類は見えなかった。門からは道が屋敷の方へと続いている。
「何か、御用ですか?」
不意に後ろから呼びかけられて、マノンは飛び上がりそうになった。
「あ、えっと……」
振り返ると、髪をスカーフで巻いた老女が立っていた。手には手提げの籠を持っている。
「このお屋敷の方? クレールさんに会いたいんだけど」
「どちらさま?」
「マノン・アルノーと言います」
「姫様のお友達?」
「……ええ、そんなものです」
マノンは適当に言って心のなかで舌をだしたが、老女はそれほど疑うようなそぶりも無かった。
「そこでお待ちを。中へは入らないでくださいね。噛みつかれますから」
そう言って中へ入って行った。暫くすると、老女が戻ってきた。
「こちらへ。私の後ろに着いてきてください」
そういう老女の後ろに着いて、マノンは中に入った。少し、じれったいくらいゆっくりとした足取り。ふと横の芝生を見ると、大きな灰色の犬が寝そべったままでじっとこちらを見ている。まるで狼のような鋭い目だった。
噛みつかれるってそういうことかと思ううちに、玄関に着いて、中へ通された。天井の高い、細長いガラス窓のある部屋で、丸いがっしりした木のテーブルが置かれていた。そこの椅子をすすめられて座る。物珍しそうにマノンはあたりを見回した。
飲み物が運ばれてくる。紅茶だった。老女が引っ込んで暫くすると、ドアが開いて、生成りのサマーニットにゆったりとした黒のパンツ姿の少女が入ってきた。
「初めまして。マノン・アルノーさん。クレール・ド・ラ・ファージュです」
少し笑みを含んだ顔で挨拶をする。マノンは、意外にラフな格好のクレールに見とれていたが、ちょっと慌てたように挨拶した。
「マノン・アルノーです。初めまして」
「ばあやの言うことでは、私の知り合いでは無さそうでしたが、アルノーという名に覚えがあったので会うことにしました。どのようなご用件でしょうか?」
年下の小娘だと思っていたマノンは動画でみたよりもずっと品があって美しいクレールに圧倒されそうだった。
「父をご存じなんですか?」
「ああ。ではやはり、ジャン=フェルナン・アルノー氏の御令嬢でしたか」
年下の娘に御令嬢と言われるのも変な気分だった。自分も敬語になっている。
「マノンでいいですよ。特に用というわけではないんです。父の話から、あなたのことが気になって、会いたくなっただけです」
少し気持ちを落ち着かせてゆっくりと話した。
「お父様のお話から? どんな話でしょうか?」
「それは、まあ、政治だとか? そんなことで。私は、単に、祭りの時のあなたがとても綺麗だったので、会いたくなっただけ」
「そんなことだけで?」
「ええ。私、素敵で綺麗な女の子が大好きなの。あなたみたいなお姫様なんて堪らないわ」
何時もの調子を取り戻してマノンはクレールを見つめた。クレールは、眉を上げて驚いた様子。
「ずいぶん、あけすけなことを仰るんですね」
「そうかしら。まあ、時々自重しなさいと言われることはあるけど」
頬杖をついて、マノンはクレールを見つめた。言いたいことを言ってしまったので、気兼ねなくその姿を眺めた。
「急にやって来た知らない女にこんなことを言われたら戸惑うでしょうけど」
「戸惑わない人にお会いしたいものですね。何時もこういう、話しかけ方ですか?」
「まさか。ちょっと、というかとても気になる相手にだけ」
「拒絶されてばかりではなくて?」
「そうでもないのよ? 相手の反応を見るのも楽しいの。怒ったり戸惑ったり、怖がったり」
「そういう感性は、私には信じられませんね」
クレールは意外に落ち着いている。
「あなたは、怖くはないの?」
そういったマノンの顔を、クレールは目を見開いて見つめると、うつむいて手で口を覆った。どうしたのか、とマノンが見つめると、クレールは、ぷっと吹き出した。
そして、さも可笑しいというように笑い声を挙げた。そこは、少女らしい、軽やかな笑い声だった。
「失礼。マノンさん」
笑いを堪えたクレールが、戸惑うマノンを見つめた。
「私があなたにお会いした理由は、ジャン=フェルナン・アルノーの娘だからですよ」
「? どういう……」
「とても利用しがいのある人物が、自分のほうからのこのこやって来て、怖くはないかと聞くんですもの」
クレールは笑みを浮かべたまま言った。
「おなかを空かせた狼の前に兎がやって来て、怖くないかと尋ねるようなものですよ。可笑しくって」




