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11. ベルナルド二世

 昼までの晴れた空から一変して、雷を伴った雨が蕭々と降りそそぐ。日は沈んでいたが、遠くの空は赤く夕日の名残を見せていた。

 港町から丘の上に見える、領主の城だった議事堂からほど近い屋敷に、黒塗りのベントレーが乗り付けて来た。鉄の門が開き、警備員が敬礼で見送る。

 玄関に横づけされたベントレーから降りるのは、白髪に口ひげを蓄えた、細身で上品な物腰の紳士。ヘリアデス侯国の行政長官だった。差しかけられた傘に入ると、屋敷の中へ入って行った。


「早かったな。急に呼び出してすまん」

 屋敷の主人、ヘリアデス侯国の領主ベルナルド二世は、やや太り気味だが、がっしりした体格の人物だった。

 古くからの友人でもある行政長官アンドリュー・パーキンスを公用ではなく自宅に招き、居間のテーブルにブランデーを用意していた。

「私は紅茶で良いよ。君も酒は止した方が良くは無いかね? 血圧が高いんだろう? 侯爵殿に倒れられてはこの国の一大事だよ」

「紅茶なら、ロンドンでさんざん飲んで来たさ」

 給仕をしていた男を下がらせ、二人きりになると、侯爵の顔から笑顔が消えた。

「ロンドンはどうだったね」

 その顔をみてパーキンスは慎重な面持ちで訊ねた。

「相変わらずさ。援助は切り下げられるだろうな。向こうもEUと揉めているんだ、小国の雑事に構ってはいられないというところだろう」

 小さくため息をつく顔には疲れが見えた。目の下の隈も色濃い。

「エジンバラでの会合は?」

「彼らも、もう後を譲りつつある身だ。友誼ゆうぎまで次の代へ引き継ぐことはできんだろう。花が咲くのは昔話だけだよ」

「そうか」

 パーキンスも渋い顔になった。啜っている紅茶が苦いかのようだ。

「何年になるかね」

「何がだ?」

「卒業してから」

 侯爵は一瞬戸惑い、額に手を当てた。

「カレッジをか? 五十年にはなるかな。急にどうした?」

「いや。お互い、老けたものだと思ってね。昔の学友たちも今は老人か」

 パーキンスの笑った顔は寂し気だった。

「エジンバラは老人会さ」

 侯爵は鼻先で笑って、グラスをあおった。

「留守の間はどうだったね。長官殿」

 酒が入って舌がなめらかになったのか、侯爵も軽口を言うようになった。

「特に変わりはないよ。警察署長から、フランスから検事が来ているという報告があった」

「検事? 何のために?」

「例の、君の土地を巡る一件だろうな。フランスでは、どこからか情報が洩れているらしい。何かかぎつけたのか、暗躍している連中がいる。フランスの検察はその連中を調べているらしいが、この国のことまでは知らんのだろう。とりあえず、捜査の許可は出しておいた。断るわけにもいかんしな。変に勘繰られても困る」

「連中というのは、誰か分かるのかね?」

「おおよそは。この国の土地を買っているのは、マルタンという実業家だ。マフィアとも繋がりがあるという、あまり評判の宜しくない男だ。ただ、バックに大物がいる」

 パーキンスは口を潤すために一口紅茶を啜る。

「大物?」

「ジャン=フェルナン・アルノー。与党の有力議員だ」

 侯爵は片眉を顰めた。

「アルノーといえば、女に評判の良い、誠実さが売りのような優男やさおとこだろう?」

「誠実な政治家などおらんよ。今日みたいな雨の日にブーツを汚さず歩ける者はいないだろう。ぬかるみを歩けば尚のことだ」

 侯爵は苦笑してまたグラスにブランデーを注いだ。

「それはわし等にも返ってくるぞ。アルノーか。どこから何を聞きつけて、何を企んでいる?」

「さてね。野心はありそうだが。ただ、彼が大統領にでもなったら、面倒だろうな。今の振る舞いを見ても、この国に強気で当たるのは目に見えている。事を表に晒して、現政権を批判する気なのかもしれん」

「自分も与党なのに影響しないか?」

「将来の大統領候補と言われていても、連立政権の第二党所属だし、アルノーは今はさして重要なポストに居ない。それが不満でもあるだろう」

 パーキンスは空になったカップに紅茶を注ぐ。

「マルタンという男はアルノーとどう絡んでいるんだ?」

「政治資金集めかな。どこでどう繋がったのかまではわからんが。アルノーがマルタンに便宜を図ったりしているんだろう。それが検察の目に留まったというところかな」

 パーキンスの言を聞いて、侯爵は嘆息して窓の方へ顔を向けた。雨がガラス窓に筋を作っている。

「あの土地を買っているということは、今廃坑に作っている施設だけでは開発が終わらないということを知っているということだろうか」

 パーキンスは侯爵の顔を見て、少し難しい表情になった。

「廃墟に作る予定の発電施設か。まだ計画だけで、公になってもいない」

「今土地を押さえておけば、高値で転売できるとでも考えているかもしれんが。この国の法律では、そんなことは出来ないことを知らないのか」

 蔑むように侯爵が言う。

「君の引退後が不安だよ。誰も爵位を継がなければ、この国は自動的に民主国家になる。侯爵家という柱が無くなれば、それも立ち行かないだろう。宗主国か、合衆国の信託統治領にでもなるかもしれない。そうなった場合の先行投資といったところかな。もしかすると、密約を公にしたうえで、永続的に活用することを考えている者もいるかもしれん。今より自由にこの国に介入できるようになれば、それを実行に移すことも」

「そんなことは考えたくもないな」

 少し赤くなった顔の侯爵は、不愉快そうにさえぎった。

「どこが主導権をとるかも問題だぞ。今のところ動きのあるのは、アルノーとマルタンのフランスだけだ」

「フランスがイギリスと合衆国を出し抜くつもりだと?」

「アルノーが大統領にでもなればな。その動きを合衆国側は警戒しているようだ。今この国に一番影響力があって、反響も受けるのは、合衆国だからな。宗主国では無しに」

「宗主国は持て余し気味だが、合衆国は、この国を上手く使ってきたからな。あの事が表沙汰になるのは面倒だろう」

 自嘲気味に侯爵は言って、グラスを口にした。

「この先のことは、どこまで考えている?」

「先のこと?」

「引退後さ。無論、君の余生のことじゃない。この国のことだ」

「引退後か。爵位を譲らずに死ぬまで続けることになりそうだがな。リシャールは昔から継ぐ気はないと言っている。アデルは、自分が侯爵家のものだということすら忘れているだろう」

 遠くを見るような目で侯爵は言った。

「それでは、ヘリアデス侯国も消滅だな。あ、いや、もう一人、継承権を持つ者がいたな」

「誰だ?」

「忘れたのか? 耄碌もうろくするには早いだろうに。砦の姫君だよ」

 あきれたように言うとパーキンスはカップを手にした。

「ああ。ラ・ファージュ家の。まだ小娘だろう。継ぐ気はあるのか?」

「さあね。そういう話は公にされたこともないからね。今は十七だったか。今年で十八、成人だな」

 侯爵は毎年新年に行われるパーティーで会ったクレールの姿を思い浮かべていた。薄いブルーのドレスに身を包んだ、黒髪の美しい娘。ただ、その目は黒く深く、見る人の心の奥底でものぞき込んでいるかのようだった。

「あの姫の目をみていると、伯母様を思い出すよ」

「砦の女帝か。最後の魔女などと言われていたな」

「あの姫もその血を引いている」

 どこか、得体のしれない、この島のかつての支配者で魔女を生んだといういにしえからの一族。遠い時を隔てて、その元へ再び支配者としての地位が訪れることにでもなるというのだろうか。

「もし、そうなったらどうなる?」

「そうなったら? 姫が侯国を継ぐ場合のことか? 君に言うまでもないが、まず、議会の信任が必要だな。これは、年若い姫様といえども、通るだろう。議会の連中は今まで通り侯国として存続することが第一だろうからね」

 皮肉の籠った言葉でパーキンスは言った。

「その後は、女王様とフランス大統領の信任だが、これは形式だから異論をはさむこともないだろう。そんなことをするとかえって厄介だからな。理由を挙げるのに。

 これで、ヘリアデス侯国に女王の誕生さ。国家元首としての女王は、〝銀の女王〝以来になるのかもな」

「三国はどう出ると思うね?」

「イギリスは、おそらくこれまで通りだろうな。フランスは、アルノーの件もあるが、それを除けば、これも変わらんだろう。合衆国だが、彼らはなぜか他所の国の姫や女王にご執心なところがあるからね。王家を持たざる国故か。女王クレール様は諸手を挙げて歓迎しそうだな」

 侯爵は不思議そうな顔でパーキンスを見つめた。

「なんだ、万事上手くいくじゃないか。女王クレール万々歳だ」

「あの事が表沙汰にならなければな。姫様にもそれを告げねばならんぞ? 若き姫君に、君が背負っている物を背負わせる気か? 実の息子達には背負わせたくもないものを」

 パーキンスに言われて、たちまち侯爵はソファに沈み込んだ。

「いや、すまん。君の苦労は私が良く知っている。知っているからこそだ」

 身を乗り出してパーキンスは謝った。

「なに。私も、君には悪いことをしたと思っている。イギリスの名門に学んで前途洋々たる青年だった君を、こんな島国に閉じ込めてしまった」

「そんな昔の話を。それは私が自分で選んだ道だ。一介の商人の息子だった私がこの国の教育のおかげで名門大学まで行けたのだ。恩をかえすのは当たり前のことだよ」

 酒の入った侯爵は感情をあらわにするようになってきた。人払いして、旧知のパーキンスと二人だけだからかもしれない。

「あの事が公になれば、どうなるだろうな」

 グラスを手に、侯爵は視線を泳がせた。パーキンスは侯爵とこの話をするのは何度目だろうかと思った。

「……まず、君が非難されるだろう。国民のみならず、諸外国からも。秘密にしてきたことを。もっとも、三国は別だ。君と同じように非難されるだろうね。イギリスもフランスも。特に、合衆国は、今もこの国を利用している。それが国民に知れると、この国の援助を打ち切るかもしれん。この国の利用を辞めて。イギリスもフランスもな」

「これまでやってきて、そういう態度なら、こちらも訴訟を起こすまでだろう」

「それで一時しのぎにはなるだろうが、いずれ援助はこの国には無くなることに変わりはないだろう。大国の言いなりといえ、世間は冷たいぞ。それで利益を得てきたことを許しはしないだろうな。自分に関わりのない小国の命運なぞ、いい見世物でしかないだろう」

「ロシアや中国といった彼らにとって厄介な相手に下るとしたら?」

「昔ほど軍事的な拠点として優位ではないかもしれないが、そうなるまえに軍事的に介入されるかもしれない。ここは戦場にしたくはないだろう?」

 侯爵は頭を抱えて、しばらく下を向いていた。やおら立ち上がると、部屋を横切って、壁にかかる肖像画の前に立った。

「父上が始めたことだ。宗主国のみならず、合衆国の言うなりにな!」

 父の、前侯爵、アントワーヌ候の肖像の横の壁を拳で叩いた。

「落ち着けよ。君の父上も悩んだ末のことだ。銀鉱山以外にろくに産業も無かった国が、その銀鉱山を失くして死にかけていたんだ。他国の援助を受ける以外に生き延びる術は無かっただろう」

 肖像の横に立っていた侯爵はよろよろとソファに戻ると、気分が悪そうに顔を上げて目を閉じた。

「大丈夫か? 誰か呼ぼう」

「いや、いい。大丈夫だ」

 手でパーキンスを制すると、侯爵はゆっくりと息を吸った。

「この国も、父の代で滅んでおけば良かったのかもしれん。今更引き返すことも出来んが」

 侯爵は、ふうっと大きく一つ息を吐いて、落ち着いたのか、パーキンスの顔を見つめた。

「私が、あの事を父上から聞いたのは、後を継ぐ三年ほど前だった」

「ああ。私に相談しに来たことがあったな」

 そのときから、この国の秘密を二人で共有することになったのだった。

「それまで私は、リシャールと同じように、爵位を継ぐつもりはなく、継いだとしても、立憲君主制などという前時代的な制度は改めて、国民に政治はゆだねるつもりだった。そうして、この島の領地などは国へ返し、一市民になるつもりでいたのだ。もう若くもない歳だったというのに、青臭いことを考えていたものだ。

 病身の父上からあの事を聞いたときは、耳を疑った。この国というより、侯爵家の秘密だからな。議会も薄々感づいてはいただろうが、事なかれ主義で成すがままに、父上に任せて来たのだ。それを引き継ぐということは、侯爵の治める立憲君主制を維持するということに他ならない。

 実際、私はそうしてきた。何度も、世に晒してしまおうかとも思ったものだが。妻にさえろくに伝えなかった。あれは早くに候妃などどいうものに倦んで、この島を離れて、国民の覚えも悪いが、それも私の不徳と言っていいだろう」

 長々と話して、侯爵は息をついた。

「もう二十年にもなるのか。君にも、こんなことに付き合わせてしまって本当に済まない。民主国家となれば、君も本来の学者としての道へ戻れると思っていたのだ」

 異国の地の大学で出会ったものの、同じ国の出身者とは言え、方や一市民の息子で、方や侯爵家の後継ぎだった。それでもベルナルドはパーキンスを無二の親友として遇してきた。

 貴族であれど、高慢さなどなく、明るく人当たりの良い好人物として周りからも好かれていたベルナルドは、侯爵となってからは次第に暗く沈みがちになり、持ち前の明るさは社交の場以外では目にすることも少なくなった。

「ここまできたら、死なば諸共だ。死ぬまで付き合うよ」

 涙を浮かべるベルナルドにパーキンスは静かに言って、紅茶を一口啜ると、カップを掲げた。

「済まない。本当に。ありがとう」

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