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9. 廃墟

 島をぐるりと一周している外周道路から少し逸れて、エリックは廃鉱山への道を辿った。廃鉱近くの廃墟に近づくにつれ、道は次第に荒れてきた。あまり補修がされていない様子だ。住民が居ないので、補修の要請を出すものもいないのだろう。

 4WDでもがたがた揺れるような道を走らせていると、コンテナを置いたような検問所があった。車はそれほど走ってもいないように見受けられるのだが。

 エリックがスピードを落とし、警官の誘導に従って車を止めた。カーキ色の制服にキャップを被っている。こちらは普通の警官で、北の港町に居た特殊部隊はベレー帽だった。

「観光かい? この先には見るようなもんは無いよ。廃鉱や廃墟ばかりで、崩れると危険なとこばかりだ」

 二人の警官のうち、若い方が笑顔で話しかけて来た。もう一人は検問所の開いたドア越しに中から見ている。

「それに、危険な連中もいっぱい?」

 エリックの言葉に、若い警官はちょっと眉根に皺を寄せた。

「どういうとこだか分かってるようだが、何しに行くつもりなんだ?」

「調べたいことがあってね。許可はもらっている」

 エリックは、警察署で貰った許可証を出した。この国の紋章が透かしとしてはいっているA5サイズほどの厚手の紙だった。

 若い警官はそれを手に取ると、しげしげと眺めている。これまでは警察官に呼び止められたりしたことはなかったので、エリックはこれがどれほど役に立つのか良く分かっていなかった。

「こういうのは、見たことが無いな」

 若い警官は困惑したような顔をしている。

「何だ、どうした?」

 検問所の椅子に座っていた年かさの男が立ち上がると近づいてきた。

「どれ、見せてみろ」

 男は薄くなった頭を掻きながら許可証を見ている。太った腹にベルトが窮屈そうだった。

「長官殿のサイン入りか。あんたか、署長が言ってた、フランスから来た検事様ってのは?」

 許可証をエリックに返しながら男は言った。

「ええ」

 捜査に協力すると言った署長だったが、一応は部下に話は通していたらしい。

「この先は危ねえからな。あんた一人じゃ。何処まで行くつもりだね?」

「廃墟に他所から来た荒くれ者が住み着いてるらしいので、その状況を見てみたいと思ってるんだが……」

 エリックは地図を取り出し、調査中の企業が買収した物件あたりを指示した。

「そうか。見回りがてら、あんたも付いてくるかね。その車はここに置いといていいだろう。連中、警察の車には手は出さないからな。ボリス、ちょっと早いが見回りに言ってくる。この人の車は見といてくれ」

 ボリスと呼ばれた若い警官は、はいはい、と鷹揚に返事をした。エリックは車を置いて行くのは気が引けたが、警察の申し出とあれば断る訳にもいかない。丸腰で乗り込んで大丈夫かどうかも多少心もとないところもあった。

「見回りというのは?」

 黒塗りの多少型の古いフォルクスワーゲンのパトカーの後部座席に乗り込みながらエリックが聞いた。

「日に三回、廃鉱とかの跡地を見回ってるんだ。あんなところを買い取って期間作業員とか送り込んでるやつらがいるが、何を企んでるんだか。廃鉱に今何か作ってるらしいが、そっちで働きもせずにぶらぶらしてる連中も多い。そいつらが揉め事を起こすんで悩みの種だが。

 あんたがわざわざ来たってことは、ろくでもないことなんだろうな?」

 パトカーをスタートさせて、バックミラーでエリックの顔を見た警官が尋ねた。エリックは笑っただけで答えなかった。

「まあ、言えないことなら構わないが。マフィアが絡んでるとかって話もあるが、そんな感じでもないがね」

 暫く無言のうちにパトカーは走った。行く手に、煉瓦造りの家並みが見えてくる。戸が閉じられ、窓も閉まっている家ばかり。殆どの窓はガラスが割れている。パトカーは道を右折して通りに入った。エリックは地図を見る。碁盤のように区画された、ちょっとした町だった。かつては多くの人が住んだのだろう。

 大きな通りをゆっくりとパトカーは走る。通りを端までいって、今度は町の外側を周回するように走り始めた。ここまで人の姿は見えなかった。

「ほら、あっちだ」

 警官の言葉に、エリックが窓から外を見ると、家の前のベンチに腰かけてビール瓶らしきものを持っている男がいた。近くにポケットに手を突っ込んで立っているものが二人。無表情で目だけパトカーを追っている。前にエリックの車に瓶を投げつけた連中より大人しく見える。パトカーは警戒しているだけかもしれないが。

「こういうときは大人しいがな。下手に騒ぐととっつかまえて強制送還てとこだが、最近は大人しくなってきたし、人数も減ったな。前は、砦の村の方へもちょっかいをだしてたらしいが、妙な死に方をした連中が多くなって、怯える様になったのかもな」

「妙な死に方?」

「ああ。崖から落ちて死んだり、機械に挟まって死んだり。夜中に得体の知れない者を見たとかって、気が変になったやつもいるそうだが。狼に追い回されたってやつもいたな。最近では怖がって近づかないらしい」

 パトカーは縦横に走る通りの、道幅の広いものをぐるぐると周ってから町の外へ出た。

「あんたは、どうなんだ? そんなことが起こるっていうのは?」

「ここは昔魔女がいて、砦の村にはその子孫もいる。不思議な事が起こるのも当然だよ」

 警官は真顔で言う。

「てえのは、冗談だが。そういう先入観があると、何でも結び付けて考えるようになるもんさ。とくに、連中みたいに酒や薬でいかれてる場合は特にな」

「ここは侯爵家の地所だそうだが、こういう状態で問題無いのか?」

「纏めて引き取ってなにか作るかするって何処かの国の企業だかが言い値で引き取ったらしいんだが、それが駄目になったのか、ばら売りされて妙なことになってるらしい。侯爵家や議会の連中も揉めてるらしいが、それでわし等が見回りなんてことをしとるわけさ」

 警官はそう言って笑った。

 廃墟とはいえ、市街地として整備された土地なので、一部分だけ別目的には使えないという杓子定規な法律があるために、簡易宿泊所という妙な代物になっていた。煉瓦造りの家々は堅牢で、中をどうにかすれば住むには問題無さそうではあり、実際に人がたむろしている家はそれなりに改修や補修がされているように見えた。

 何か、ここは開発目的で購入され、それが放棄されたのでばら売りされて、エリックの追う企業がまた買い集めているという構図らしい。侯爵家が売ったということは、この国では国家規模の事業だったのかもしれない。それが中止になり、また、買い集めようなどという動きをする者もいる。

 エリックの追って来た事案は、この国そのものとも係わりがありそうな気配になってきていた。

 それと、死人が多いことまで絡んでいないと思いたいが……。

 狼に得体の知れない者。どこか、エリックの記憶に引っかかるところがあった。子供の頃にこの島に来たことと関りはあるのだろうか。今は、その事を考えている余裕は無かった。


 検問所まで戻ると、退屈そうにしていたらしい若い方の警官が出迎えた。エリック以外にここを訪れたものも居ないようだ。

「良い車だな。この島のもんじゃないだろう?」

 エリックの車を親指で指し示す。

「仕事で持ってきたもんだよ。日本車だから丈夫で燃費は良いだろうな」

 実際この島では役に立っていたが、ブランドやデザインを気にして使う者があまりいなかったので手配が楽だったとは言わなかった。

 もう一人の、年かさの警官は挨拶もそこそこに検問所の中に入ると、一服やっている。ドアを開けたまま、吐いた煙が少し薄暗くなってきた中に、白く見えていた。

 エリックは二人の警官に別れを告げて、預けてあった車に乗って、来た道を今度は海を右手に見て帰りについた。検問所を出て港町へ向かう頃には、夏の長い陽も漸く傾いて夕暮れを迎えつつあった。

 港町の石畳の道を走らせていると、なんとなく帰って来たという気になるくらいにはこの町と宿には馴染んで来ていた。宿近くの駐車場へ止めて、歩いて向かっていると、宿の前に見覚えのある車が停まっている。型の古い、黒のメルセデス。

 エリックがそれを横目に通り過ぎ、宿に近づくと、ゆっくりと優雅に階段を下りてくる姿があった。ブルーグレーのロングスカートのワンピース。長い黒髪の顔がエリックの方を向くと、どこか、射るような強い眼差しで見つめてきた。

「あ、エリックさん。おかえりなさい」

 その後ろから、アリスが続いて降りて来て笑顔でエリックに挨拶した。どこか、ほっとするような優しい笑顔。

「こちらに泊まっている方?」

「ええ。そうよ。あ、こちらは、クラスメートの、クレール。砦の村の」

 アリスが紹介すると、クレールが軽く会釈した。

「エリック・シュバリーです。一度お会いしましたよ。砦の村へ行った時に」

「ああ。あの、雑誌の記者の方と御一緒でしたね。フランスからいらしたのですね。お仕事で?」

「ええ」

 エリックは、クレールの端正な、どこか動く彫像とでも言いたくなるような、美しいがどこか固く、隙のない様子に感心していた。そう躾けられたからか、そういう資質なのか。

「この国を外から眺めたことはないので、あまり気が付きませんが、外国の方には奇妙に見えることが多いでしょう?」

「いえ。それほどでも」

 エリックは、クレールの視線に眩暈のようなものを感じた。妙な違和感。

「つまずいた石が小さいからといって退けようとすると、意外に大きくて掘り返すような目にあうこともありますよ」

「それはどういう……」

 どこか、クレールの言葉は意味深長に響いた。

「お仕事が、上手くいくといいですね。それじゃあ、アリス、また来週」

「ええ。またね」

 アリスに向ける笑顔は、十七歳の少女のそれだった。

「どうかしたんですか?」

 ぼんやりと突っ立ってクレールを見送るエリックにアリスが声を掛けた。その声に、エリックは我に返ったように振り返った。

「あ、いや。彼女は、砦の姫様だよね。同じ学校なの?」

「ええ。私が同じ学校なんて変でしょ。でもねぇ、お母さんもお祖母ちゃんも同じ学校だったからってどうしても行けっていうの。お祖母ちゃんは古い家柄だからっていうんだけど。古いだけじゃしょうがないのにね」

 ちょっと失礼な意味になったかと思ったエリックだったが、アリスは気にした様子も無かった。

「君は、砦の村には行ったことがあるかい?」

「ええ。親戚がいますから」

「良く行くの?」

「たまに。小さい頃は、ヴァカンスの時期に預けられたりもしました。クレールと初めて会ったのもその頃です。私、森で迷ったことがあるんですよ。暗くなってきて道も解らなくて。そしたら、森の中で狼に会ったんです」

 アリスはどこか楽しそうに話す。

「大丈夫だった?」

「ええ。最初は、赤ずきんの話を思い出して怖かったんですけど、とことこ私の前を歩いて行って、私の方を振り返ったりしたんで、ついて来いって意味だと思って。付いて行ったんです。時々私が付いてきてるか振り返ったりしながら先を歩いて行って。私もそのうち怖くなくなってついて行ったら、森を抜けて、村に着いてました。その時、クレールと会ったんです。クレールと一緒に村に帰ったら、みんな心配して探していたみたいで。クレールが居たので、怒られなくて済みました」

 その時のことを思い出したのか、アリスは楽しそうに笑う。

「クレールとは、昔からの付き合いなんだね」

「ええ。いいお友達です」


「お嬢様?」

 車のドアを開けて待つ運転手が、立ち止まって振り返ったクレールに声を掛けた。クレールは無言で乗り込むと、運転手がドアを閉める。

 表情からは伺えない、苛立ちや戸惑いと言った感情になるまえの、さざ波のような微妙な気持ちの揺れを押し隠してでもいるようだった。

 なんだろう……。

 何気なく拾い上げた物が、何故か手から滑り落ちたような、奇妙なもどかしい感覚をクレールはエリックに感じていた。


 アリスと一緒に宿に戻ったエリックは、オデットのことを尋ねた。

「オデットさん、先に帰ってきてましたけど、なんだか具合が悪いらしくて。明日も具合が悪いようだったら、医者せんせいを呼んで来ようと思ってます」

 そう言うアリスに、そう心配しなくても大丈夫だろう、と自分も上に上がった。エリックは、オデットの部屋のドアをノックしようとしかけて、何と言ったものかと思案したが、いい言葉は浮かばなかった。

 そうして、自分まで何か調子が悪くなったような気がして、ドアの前を離れると、自分の部屋へ入って行った。

 薄暗くなった部屋のベッドに腰を降ろしてから、どたりと横になった。天井を見上げる。天井は格子状の多少凝った意匠になっていた。

 町での調査。食事中に聞いた話。資料から分かったこと。海岸線の道路と、朽ち果てたUボート。水路と秘密の入江。廃墟とたむろする浮浪者の様な男たち。二人の警官。オデット。

 オデット。聞き覚えのある名前だが、何かの小説かドラマだったか。いや、童話だったかな。

 ぐるぐると、目が回るように今日一日のことを思い返した。その記憶が回りながら、何か、一つに纏まるようでいて、ぱらぱらと、トランプで組み上げたピラミッドのように崩れてしまう。

 何か、全てが一つに繋がるようなそんな気がするのだった。自分が来た目的も、過去にこの島にきたこと、父の死さえ。


 青白い月光のもと、ブルーグレイのドレスを着た魔女が月の光を青白く照り返す長い髪を風に揺らしながら、狼を従えて荒野に佇んでいる。

 立ち上がった魔女は、銀色の杖を掲げ、それを地面に打ち下ろした。金属の共鳴のようなキインという音。

 杖を手にした魔女の顔は、眉の引き締まった、射るような目のクレールの顔になっていた。


 エリックは、はっとして目が覚めた。何時の間にか、うたた寝していたのか、部屋はすっかり暗く、肌寒くなっていた。

 そして、月光が何時の間にか、窓の外からエリックの横たわるベッドを照らしていた。

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