Event.2 だいきらい
学校は今、春休みに入っている。肌寒さも抜けはじめ、心地の良い平和な日々を送るはずだったある朝の七時のこと。
寝起きから食らった突然のとある宣言に、脳にまで汗をかきそうなほどの動揺をしなければならない出来事が起こることになろうとは、予想だにするわけもなく。
「お、お兄さんなんてだいきらい、です……っ」
俺の部屋の中、いつの間にか当たり前のように出入りするようになった鴨紅さんが、俺に宣言してきたのだった。
宣言してきたのだった、と簡単に言ってはみたものの、あまりにもいきなりすぎてわけがわからない。そもそも俺、嫌われるようなことをしただろうか。
覚えがないからにはうまく返事することもできず、ただ驚くばかりなリアクションしかできなかった。
「えっ、鴨紅さ……ん?」
「私よりも、みおちゃんばかりで……私なんて、かないません。だから、私……」
鴨紅さんが俺から視線を外し、首をたらすようにうつむいたままに、声は確かに俺に向けて言った。
「彼が、その、できたんです……」
「えっ」
鴨紅さんの言葉に、吐いた息から声が漏れた。
いつの間に。美央からもそんな話は聞いたことがなかったし、ここ最近近くにいることが多いのにまったく気づかなかった。
「いつも、優しくしてくれて。嬉しかったけど、でも、もう諦めるしかないと思いました。そう思うと、お兄さんのこと、もうだいきらいだって……」
彼ができたのなら、余計な男と付き合うのは確かにやめておいたほうがいいのかもしれないとは思うけれど。
とはいえ、心の準備もさせてくれないまま面と向かって嫌いと言われるのは、かなり衝撃というか、実際物理的に頭を殴りつけられているような感覚に陥る。
「そ、そっか……わかった。もうできる限り顔を合わせないようにするから」
「えっ? えっと、あの……その……」
鴨紅さんの意向を汲まないわけにもいかないので、俺はなるべく関わらないようにする旨を伝えたはずなのに、なぜか鴨紅さんの顔は冴えてないように見える。
いたたまれず、俺は視線を動かす。たまたま部屋のドアに視点があった。
いや、もっと細かく言えば、半開きになっているその向こうにある視線と、だが。
……なるほど。今日、カレンダーを四月にしたばかりなのをすっかり忘れていた。こんなイベントを逃すわけない人物に、俺は心当たりがある。
俺の視線に気づいたのだろう、ドアが開いて美央が入ってきた。心当たりの人物そのものだったので、そこに驚くことはなかった。
「えへへ、ちょっと驚いたでしょー」
「鴨紅さん巻き込んでなにやってるんだ美央は」
「だーってー、わたしが何かしたって、おにいちゃん全然反応してくれないんだもん。るりちゃんだったら、きっと新鮮なリアクションしてくれるかなーって」
確かに、動揺してしまったのは事実かもしれない。
鴨紅さんを共犯にしてまでエイプリルフールという日にかける美央には、ある意味頭が下がるものの、やられっぱなしというのも嫌なもので。
「まあ、確かにショックだったかもな。鴨紅さんのこと好きだって気持ちを封印しようとは思ったよ」
「え……っ、は、はわわわ」
「ええーーーっ! おにいちゃん、それホント!?」
「お返しだ」
まるでタイミングを打ち合わせていたかのように、二人の反応がぴたっと止まる。
「おにいちゃん……」
「な、なんだ」
美央の目の鋭さに、後ずさりしそうになるほどにはひるんだ。
「乙女心を踏みにじるなんて、さいてーだよ。どうなっても知らないよ?」
「お、お兄さんなんてだいきらい、です……っ」
鴨紅さんのセリフが数分前にループする。
ただ違うのは、今度ばかりは冗談でもなんでもないような……
美央の宣言通り、俺はお返しをしたつもりだったのに、大きな代償を負ってしまったようだった。