4.逆ドリカム状態
そもそも突き刺さる視線は一向に変わらなくて、この生活に耐えられるかをどうこう言う以前に、今のこの状況を耐えられるかさえ怪しいようだ。
注目を浴びる要素は、まだ終わらない。
「あ、あわわわわ」
横断歩道を渡りきって歩道の段差を上がろうとした鴨紅さんが、つまづいて頭から突っ込む勢いで倒れていくのを見てしまったら、さすがに見過ごすことはできないわけで。
俺は両手を伸ばして抱きとめようとしたが、左手が美央の腕で埋まっていることを忘れていた。開いている右手を、とりあえず鴨紅さんの倒れる前に持っていく。
それが、ある意味で失敗だった。
右手だけで体重を支えられるくらい鴨紅さんが軽かったおかげで、とりあえず地面への激突をまぬがれはした。
女の子ってこんなに軽かったのか。美央もそれくらいだったかな……あまりにも振り回されすぎててそこまで考えたことがない。とにかく鴨紅さんのもたらす重みは、ふんばる必要などまるでなく、それでいて確かな存在がそこにはあって、なんだか心地よささえ感じる。
と、そんなことを悠長に考えてごまかすようなことはできないことが起こったのだ。
出した腕はちょうど鴨紅さんの胸の前で、そこに鴨紅さんの全体重が乗っかってきたおかげで、朝に顔に受けていたそれとは比べものにならないほど……といっても、朝は実際に見たわけではないが、しっかりと腕を飲み込むように食い込んできているのだった。
まだ高校一年生のはずなのに腕を飲み込むほどとは、見た目スレンダーな外見なだけにギャップを感じて、いいというか悪いというか、とにかく何がとは言わないが大きいということだけはわかる。というか、俺は何を考えているんだ。これじゃただの変態じゃないか。
「ご、ごめん!」
「あ、いえ、こちらこそ、ごめんなさい……」
少し考えてしまってそのままにしてしまったのを反省しつつ、俺はその柔らかみから右腕を離した。
どうしてだ。俺は何も悪くないのに、鴨紅さんにセクハラみたいなことばかり繰り返しているような雰囲気になっている。というか、端から見たら完全にそうなのだろう、一段と視線が怖くなっていくのを感じた。しかもこれに至っては男だけでなく女側からの視線も加わってしまい、もう収拾のつけようもない。
「むー、おにいちゃん、わざとやったんじゃないの?」
「どこをどう見たらそうなるんだよ、つまづいたのを助けたんだぞ」
「でも朝のこと思い出してちょっと嬉しかったり?」
「しない。変な誘導しようとするな」
「あわわ、あの、気にしてないですからもういいです……」
「あれれー? るりちゃん、気にしてないってことはもしかしてむしろ触ってほしかったり?」
「そ、そういう意味じゃないよぉ……みおちゃん、からかわないでっ」
俺が否定すれば矛先は鴨紅さんに向けられて、しかも同じような聞き方をしてくるのだから、美央もいやらしいものだと思う。
「もうやめてあげてくれ、鴨紅さんがかわいそうだ」
「あう……目の前でイチャイチャしてるのを見なきゃいけないわたしは、かわいそうじゃないんだ。やっぱり、るりちゃんの肩だけ持って、わたしは捨てられちゃうんだ。新しい人見つけたら、もうわたしなんか用済みなんだ……」
人聞きの悪さも程がある。美央が俺から腕を離し、下を向いてため息をつくという普段ではありえない行動をとっているのが、余計に俺のアウェイさを引き出していく。そのまま俺を見る美央の目が、笑っているように見えるのが腹立たしい。
しかし周辺の人にそんな美央のドス黒い魂胆を見るすべはなく、さらにこうまで注目されると、これ以上視線が増えるわけでもなく、その視線が怖くなるわけでもなく、ただ、またかと言わんばかりに無視の状態へとレベルアップするのだ。
それは逆に恐ろしいことでもある。俺が普段からこんなだと認められてしまったようなものだ。否定したいところだが、否定なんかしたらますます立場が悪くなっていくのは目に見えている。手の打ちようがないというのはこういうことなんだと、よく理解できた。できれば理解なんかしたくなかったが。
「はあ……逆ドリカム状態ってこんなにもつらいんだな」
美央の攻撃があまりにも心をえぐっていくようなことばかりすぎて、だからこの際、女二人と男一人の状況を一応受け入れ、誰にも聞こえない程度でもいいやと、俺は息を大きく吐きながら力を入れずに言う。
「お、おにいちゃん古い……そもそも今のドリカムは二人だよ?」
「その歴史を知ってる美央もどうかと思う」
なんだろう。突っ込みどころはそこなのかとか以前に、お互いにメリットのない会話な気がする。美央を怒る気も起きなかった。
三人全てが得をしない、そんな朝。これからの生活どころか、今日一日の始まりからして頭が痛くなった。