35.視線の先
「もしかして、迷惑……でしたか?」
立ち上がり、鴨紅さんが俺の今まで座っていた場所へ横にずれたことを確認して座り直すと、鴨紅さんが俺をうかがうように、一瞬だけ俺を横目で見てまた視線を外すという行動をしながら質問してきた。
「え? そんなことないけど、なんで」
「今、ちょっと名残惜しそうな気がしました」
鴨紅さんの頬が少し膨れているように見えるのは気のせいだろうか。というか気のせいであってほしいと思う。このままでは鴨紅さんがいるというのに他の女性にうつつを抜かしている図になってしまう。
俺は内心焦りながら、というか声がうわずりかけているのは十分に焦っているのかもしれないが、少しでも言葉を続けようとする。
「そんなことないって。助かったよ」
「さっき返事に詰まっていたみたいですし……」
「いや、それは色々事情が」
結果、言えば言うほど言い訳っぽくなってしまった。
しかも困ったことに、さっきのどっちつかずな状況を考え込んだことが、かえって鴨紅さんに不信感を抱かせてしまったらしい。
これでこの事情を聞かれたら、もう正直に答えるしかないなと、俺は覚悟を決めていた。下手に取り繕おうとしてもボロを出すだけなのは目に見えている。
『いや、すぐ離れようとはしたんだけど、鴨紅さんにどう言おうかというのも気になって、すぐに答えられなかったんだ。ごめん』
……うわ、自分で考えておいて何だが、ものすごく嘘くさい。
頭の中にシミュレーション失敗という文字が繰り広げられ、俺が違った意味の覚悟を決めた頃だった。
俺の心配は無駄だったかのように、鴨紅さんは何も言わずにいる。
相変わらず、視線が俺の顔に向いていないけど……
……いや、違う? 俺の方に向いてはいるように見える。
目よりももっと下の……鼻ではない、口でもない、首でもなくて。
ということは、もしかして。
俺がようやく鴨紅さんの視線の行き先に気づいた時。
「あの、失礼します」
空いたはずの俺の肩が、また埋まった。