第2話 手始めに
〇〇県有田市。
ここは、日本有数の大都市だ。
同時に、国指定の緑化自然都市としての体裁も整えている。環境保護団体を主とする権利団体が市を統治し、日々人と自然の共存の強く意識したまちづくりをしている。
一方で、科学発展も目を見張るものがあり、この都市には国内外問わず様々な科学系大企業、ベンチャー企業が押し寄せている。
最先端の研究も盛んに行われているそうだ。
波留街は、そんな栄りの中央に位置している。
『さて、こうして外に出てきたわけだが。時にワトソンくん』
「は、はい?」
広々と整備された歩道を隣並んで歩く俺たち。彼女は、人差し指を上に向けた。
『物品捜索…特に落とし物の場合において、大切な事は何だと思う?』
俺を試しているのだろうか。
この質問次第で気に入られるかどうかが変わる…とまでは無いだろうが、慎重に言葉を選ぶに越したことはない。
考えて、それらしい答えを提示する。
「落とし主の当時の動きを再現する…でしょうか」
『おぉ。やるじゃないか。正解だ』
どうやら当たっていたらしい。
『あの御仁によると、当日、南通りを取引交渉のため歩いていたそうだ。時刻にして午前10時から午後4時までの6時間で、この南通りに並ぶ幾つかの企業に立ち寄ったと話している』
「確か、取引先には落とし物が無いかどうか既に聞いているんでしたよね」
『よく覚えているじゃないか』
「…ってことは、あれ?道端に落とした線が濃厚なんじゃ」
『なるほど。一応聞くが、どうしてそう考えた?』
「だって、あの方はこの南通りに取引交渉のため…いわば仕事の為に来ていたわけですよね。となると立ち寄る場所はその企業の建物だけ。そこに無いのなら、もう道端で歩いている際に落としたとしか」
『ふふっ。実にシンプリティックな考えだな』
「え…俺の考え間違ってますかね」
『いやなに。間違ってはいないだろう。ただ、あまりに短絡的に物事を結びつけすぎだ』
「短絡的…」
『まず、どんな時においても大事な事だが、前提条件を整理するんだ』
「と、言うと」
『今ある前提条件は、南通りを通った。通りにある幾つかの企業に立ち寄った。落とし物は、取引書である。その企業は落とし物は無かったと証言している。そして、彼が外回りをしていた時刻は午前10時から午後4時である…という事』
「はい」
『あぁ…あと、あれだな。取引書はA4サイズの茶封筒に入っていて、紐でされた封を解かない限り外部から中身を確認する事は出来ない…もあったな』
「その茶封筒は、住所も宛名も何も記載していないただの紙入れとして用いていた…とも言ってましたね」
『あぁ』
彼女は、頭にしているディアストーカーの椿を指でそっと弾いた。
『さて、悠斗。ここから推理できることはないだろうか』
「推理、ですか」
まるで探偵だ。
『何も、この推理で答えを見つけなくても良いのだ。隠れた条件を新たに白日の元にする、それだけでも大きな進歩だからな』
「考えてみます」
彼女は、もう書類のある場所に見当がついているのだろうか。そんな事を思いながら、わざわざ整理してもらった条件を元に推理する。
まずは、南通り。
何の変哲も無い通り…ではなく、この通りは、その大半が企業の建物が並び占めでいるという特徴がある。その他には飲食系が数軒、宿泊ホテルが一軒のみ。
つまりは一般住宅がたった一軒すらも無い通りなのだ。
そして、無くしたのは、茶封筒に入っている取引書類。
紐栓で閉じられた「何の記載もない」茶封筒だ。わざわざ中身を確認しようとしない限り、外から見て、それが誰の所有物かどうかは判らない。
同時に、中身も判るはずがない。
そんなものが仮に道端に落ちていたとして、盗む輩などいるだろうか。常人なら警察に届けるか無視するかの二択だろう。
そもそも、俺が初めに考えた道端に落とした…というのが間違っている可能性が高い。
依頼に出して探させるほど大事なものだ。カバンの中にしまうはずだし、第一落とすとなれば物音で気づくはず。
となると、あり得るのは、置き忘れたか、茶封筒の中身を知り得る何者かに盗られたか。
だが、置き忘れたと言っても、あの男の人は10時から4時までの6時間で、取引先の会社にしか立ち寄ってないそうだし、取引先の人はそんな忘れ物はなかったと言っている。
つまり置き忘れは無いのだ。
だとすれば…。
(一つ、可能性が思い付いたけど…)
盗まれた。
言葉にするには、突飛な推理な気がしてきて躊躇われる。
「うーん…」
俺の推理次第で彼女に気に入られるかどうかが変わる可能性が高い。
だとすれば慎重になった方がいい。
言うべきか、更なる可能性を追求すべきか葛藤していると、
直ぐ隣から
きゅるる—-…
と、腹の虫の音が聞こえた。
『ご、ごほん。ごほっ…ごっほ!…失礼、何故か急に咳が』
咳で誤魔化しているが、彼女の腹の虫だろう。
(確かにもうお昼だもんな…。俺もそろそろ昼飯を食べたいし……)
「…あ」
ハッとして、顔を上げる。
『ん?何か分かったのか?』
「依頼主って、当日昼食をとったんでしょうか?」
『普通に考えれば、とっただろうな』
「もしお昼がお弁当ではなく、この南通りのどこかの飲食店だったら…」
『……なるほど。さて、この南通りにある飲食店は3つ。どうする?』
「3つぐらいなら、全部聞いて回りましょう。さして、時間も掛からない筈です」
反応を見る限り、彼女もとっくに気付いていたみたいだ。
*
運良くと言うべきか。俺の読みの是非は一軒目で確かめられた。
「はい。それでしたら先日から預かっております。翌日になったら警察に届けようと思っていたんですけど…ちょうどよかったです」
目的のブツを受け取り、ついでに昼飯を済ませ、店を出た。
『お手柄じゃないか』
「いえ、そんな大したことでは…」
彼女は茶封筒を大事そうに腕に抱え、事務所への帰り柄に依頼人へ電話を済ませた。
『終わった事だが、せっかくなら推理の経緯を聞いてみたい。話してもらえるだろうか』
「はい、勿論」
歩きながら、俺は考察の軌跡を語る。
「まず、物がなくなるという現象には三つの原因が考えられます。一つ目は、物を落とす。二つ目は物をどこかに置き忘れる。三つ目は物を誰かに盗まれる」
『あぁ』
「一つ目のものを落とすに関して言えば、最初こそそうかもしれないと思いましたが、A4サイズの茶封筒を落とし、それに気づかないシチュエーションがまるで思い浮かぶません。小さなものなら落とした時に気づかない事もあり得ますが、何せこの大きさですしね…」
「そして、二つ目の物を置き忘れる。…依頼人によると、当日は取引先の幾つかの企業に立ち寄ったらしいですが、既に忘れ物などなかったと取引先には確認済み。となると、この線もあり得ない…ように見えてしまいます」
『ふむ』
「三つ目の盗まれた可能性ですが、今回のケースですと盗み得る相手は取引先に絞られます。依頼人が通行人の手に届く場所に茶封筒を置いてしまったとしても、中身を知らない一般人が何の記載もない茶封筒を盗み取るとは考えにくいですからね」
「以上の三つを踏まえて、俺は初め、取引先の誰かしらかが書類を盗み、それを隠蔽しているのだと推理しました。書類を盗んだ本人が、電話で書類が無いですかと尋ねられて、素直にありますと答えるはずがありませんから」
『確かに何の矛盾もないな。だが、実際には落とし物は前提条件には出てこなかった例の飲食店にて見つかった。これはどう説明できるだろう』
問題はそこだった。
「先ず、さっきした盗まれた可能性について、これは取引先を悪とした場合の話です」
『そうだな』
「次は、取引先を善と仮定しましょう。そうすると、つまり盗みはなかった。取引先に置き忘れはなかったと言うことができます」
『ふむ。しかし、そう仮定すると、前提条件を全て満たすケースが考えられないのではないか?』
「ええ。先挙げた前提条件だけではそうなります。…しかしながら、まだ使ってない前提条件を使い、当日の依頼人の動きについて、とある仮説が考えられます」
『聞こうか』
「まだ使ってない前提条件とは、当日の依頼人の行動時間です」
『確か、午前10時から午後4時の間だったな』
「はい。それに加え、もう一つ。南通りの特性が前提条件として大きな意味を成します」
『南通りの特性…?』
「はい。南通りは、波留街の中央区に次いで、日外諸企業誘致区画として有名です。つまり、飲食店やホテルを除いて、この南通りに建ち並ぶ建物の全てがどこかしらの企業のものなんです」
『それがどう答えに繋がるのだろうか』
「えー…っと、サリーさんもさっき仰ってましたが、10時から4時の間この南通りにいたとなると、昼食を取るためにどこかの飲食店に立ち寄った可能性があります。何せこの付近じゃコンビニも公園もありませんから、わざわざ弁当を持参していたとしても食べるスペースはありませんからね」
「まぁ堅い事を言ってますけど、要は依頼人が当日行った場所に取引先以外に飲食店が追加されたわけです。となると、飲食店に置き忘れた可能性もあり得るなと考えたわけです。…以上が俺の推理です」
推理と言うには、随分とスケールが小さく、自分で話してて恥ずかしくなる。
『…ふっ…ははははっ!』
「え、えっと…サリーさん?」
どうしたのか、突然口に手を当てて笑い出した。
『いや、すまない。ほんと、人間あまりに予想と外れた物を間見えると笑えてしまうのだな』
「おかしかったですかね、俺の…推理」
『そうじゃない。素晴らしい推理だったよ。予想と外れたというのは、いい意味でだ。まさか、ここまでおまえが頭の回るやつだとは思いもしなかった』
「あ、ありがとうございます」
『…ふふ…そうかぁ…んへへ』
「あれ、サリーさん…?」
何やら様子がおかしい。
『な、なんでもない。べ、別に、大して私が何も考えてないのに報酬金がもらえる事に浮かれているわけでは、決して無いからな』
「…………」
彼女はとっくのとうにこの推理をし終えている物だと思い込んでいたのだが…。なんだか怪しく見えてきた。
『助手というのも、案外アリかもしれないな…』
そんな彼女のぼやきが俺の目的に沿っているのに、純度100で嬉しい訳ではないのは何故だろう。
いやしかし、どの道有難い限りだ。
「ってことは…!」
『因みにだが…月給はどれくらいは欲しいとかあるのだろうか』
「え?サリーさんが決めるんじゃ」
『いや、いかんせん他人に給与を渡した経験がなくてな。この事務所は私個人用だったし、相場…というのが判らない』
(ふむ。なるほど…)
俺は金には困ってない。全くというほどに。
一方で、彼女のどこか金欲的な言動の節々からに、そこまで裕福でないと考えるべきだろう。
本業のジャーナリストだけでは食っていけないと言い切っているほどだ。ここで俺が20万…とでも言ってしまえば、一気に交渉が悪い方向に進むはずだ。
「そうですね…。依頼人からの報酬金の一割を頂く…というのでどうでしょうか」
『え。い、いいのか?そんな物で』
「俺はお金じゃなくて経験と技術が欲しいんです。学ばさせていただく身、そんな立派に給与を貰うなんて出来ません」
『…謙遜だな。だが…』
報酬金の一割では、生活費を養うにも到底足りない。
そう言いたげに見える。
「大丈夫です。俺、お金には困ってないですから」
『……おまえが、それでいいと言うなら、私がとやかく言うべきではないか』
「では!」
『あ、あぁ。…弟子、と言うより、助手として働いてもらおう。約束は約束だ。先の仕事ぶりは文句も無かったしな』
「…っ、ありがとうございます。これから、よろしくお願いします!」
終始、彼女は俺の謙虚さに反応を困らせているようだった。
彼女の元で働きたい理由は伝えたとは言え、それでもやはり疑問は残るのだろう。
『あぁ、よろしく。悠斗』