第1話 雲の上のお話
夜の帳も落ちきり、月明かりばかりが照らす夜空を、1隻の飛行船が滑るように飛んで行く。
雲間を掻き分けて進むその巨体が帯びる使命は、人々を目的地へ運ぶことだ。即ち、この飛行船は旅客機だ。白く塗られた船体は、月光を淡く反射しながら、今日も多くの人を乗せ、行き先の空港へと向かっていく所だった。
その船影を、灰色の雲海に潜るようにして追いかける、1つの影があった。
飛行船の内部は観光客向けの構造となっており、巨大な内部には船を動かす為の機関部や、船の航行を管理する艦橋の他にも、豪奢な飾り付けの広いホールに、船内での長旅を飽きさせないよう設けられた娯楽施設など、様々な心配りが施されている。
そんな施設の1つ、レストランの一角から、女性の怒鳴り声が響き渡った。
「――これは、一体どういうことですか!?」
レストランの他の利用客が、思わず振り向くほどの声量である。女性は白と黒のコントラストが映えるエプロンドレスを着用しており、艶やかな金髪には小さなホワイトブリムが乗っている。
女性は、目の前の机に両手を叩き付け、その勢いのままに立ち上がったのか、椅子がその後ろに倒れてしまっている。端正な顔立ちながら、その剣幕はなかなかの迫力があり、口調こそ丁寧ではあるが、その怒りが余程強烈な物なのだと思わせる。
その整った身なりから、いずこかに仕える侍女なのだろうと察せられるが、しかしその主と思われる人物の姿が、また変わっていて目を引くのだ。
服装は上下とも質素な布製の物を着用しており、上着に至ってはチョッキ1枚のみである。大柄な体格に対して少し小さいのか、着られている服の方が窮屈そうに引っ張られている。極めつけは、白い肌に青色のメッシュの刺青――否、よくよく見れば、それは肌ではなく、全身を覆い尽くす体毛であった。抑も、顔の形からして、突き出た鼻を先端として出っ張っており、頭頂部には三角の耳という、人と言うよりは犬の類いの面立ちである。そんな人並み外れた容姿の者が人宜しく、椅子に行儀良く座っているのだから、その違和感は凄まじい。
控えめに言っても、到底、従者を侍らせているような所縁ある人物には見えないが、女性はこの犬のような人物の扱いについて、酷く憤っている辺り、やはり彼こそが彼女の主なのだろう。
「注文した料理どころか、これは生の野菜ではないですか! 我々を愚弄しているのですか!?」
そう言う女性の指差した先には、なるほど、確かに濃い緑色の固形物が数個、無造作に皿に盛り付けられている。いや、その様は、なんとか皿からはみ出さない程度に、置いただけと言った方が適切だろう。女性の言い分を真に受けるなら、これが注文した料理として運ばれてきたということだろうが、皿に生野菜を切りもせずに置いて提供するというのが、この店の正しい提供方法なのかは、他の卓の料理を見ても、疑問が残る。
せめて、注文の取り違えなら、ただの間違いで済む話だったが、流石に未処理の生野菜を持ってきて、ただの間違いだった、などということはあるまい。即ち、これは意図的に、この状態で、この卓に運ばれてきた物なのだ。
女性に睨みつけられたウェイターは、客から怒鳴られているという事実に、しかし、反省もしていなければ、堪えている様子もない。それどころか、顔には不満の色がありありと見て取れた。
「……嫌なら、食べなきゃいいじゃんかよ」
挙げ句、全く隠す気の無い声量で、はっきり悪態を口にした。敬語すらも放棄した、接客業にあるまじき態度に、女性の表情が更に引き攣る。
殴りかかるつもりなのか、女性が机を離れ、ウェイターへと詰め寄ろうとするが、その動きを手で制したのは、他ならぬ犬顔の主であった。人間同様の五本指だったが、しかしその手は成人男性の一般的なそれの倍以上は大きく、また、指先や手の甲は隙間無く毛で覆われていたが、指の腹や掌だけは皮膚が露出し、独特の膨らみを持っていた。
彼は挙げた手をそのまま野菜へと伸ばし、その中の1つを手に取った。
「構わないから座りなよ。僕、野菜好きだし」
厳つい顔に似合わず、柔和そうな声色でそう言うと、生の野菜を口元に運び、大口を開けて齧り付いた。イヌ科の動物がそうであるように、先の尖った歯がびっしり生え揃っているのが見え、不遜な態度を取っていたウェイターも、ぎょっとしたのか後退りする。
豪快に囓った野菜を、ほとんど噛み砕くことなく飲み込み、犬顔の主は満足げな顔をした。
「うん、瑞々しくて美味しい。アンも早く食べなよ、君のは生野菜じゃないでしょ? 冷めちゃうよ?」
犬顔の主はそう促すが、アンと呼ばれた侍女の方は、額を抑えて深いため息を吐いた。
「アラン…貴方という人は……」
呆れた様子で主人の名を呼ぶ様子は、主の為に怒りを露わにしていた忠義者の姿から一転、主従関係の存在しない気さくな間柄にも見える。どちらが2人の関係性として正しいのか、ウェイターも、周りの客も、測りかねているようだ。
「――この、大馬鹿野郎!」
突然、野太い怒号が響いた。勿論、女性であるアンの声ではない、また別の誰かの声だ。同時に、小さく鈍い音が聞こえ、ウェイターがその場に蹲った。
声の主は、白いコックコートにコック帽、腰巻きのエプロンを身に着けていた。出で立ちからすると、このレストランのシェフなのだろう。怒りの形相もそのままに、殴られた頭を抑えて小さくなるウェイターに、上から更なる怒声を浴びせる。
「客に対して、なんつー態度してやがる! さっさと料理と取り替えてこい!」
店としての品格を問われかねない接客態度は、どうやらこのウェイター個人の問題だったようだ。恐らく、アランの注文した料理はちゃんと準備されていたが、あのウェイターの独断が今回のような事態を招いた、ということなのだろう。
しかし、鉄拳制裁をもらったウェイターは、立ち上がるや否や、謝罪するどころか、強い反抗の意を示した。
「だって料理長、こいつ獣人ですよ!? 獣人なんかに人並みの料理なんて、食わせてやる必要ないですよ!」
獣人――なるほど、獣と人の特徴を併せ持つその姿を表すにはぴったりの言葉だ。ただ、それにしても、随分と嫌悪感を剥き出しにした言い方である。端から聞けば、あまり気持ちの良い言い回しではないが、何故か周囲の客達の視線は、獣人であるアランの方に注がれている。中には、ウェイターの言うことに賛同するかのように、頷いている者までいた。
強い不快感の伴う表現に、またしてもアンの眉がつり上がるが、彼女が何か言う前に、料理長の怒声が飛んだ。
「んなこたぁ、見りゃわかる! 俺だって獣人は好きじゃねぇよ! でもな、金払って乗船してる以上、客は客だ! だったら従業員としてちゃんともてなすのが、最低限の義務だろうが!」
比較的真っ当な感性を持っていると思われた料理長からも、仕事人としての矜持こそ感じるものの、はっきりとアランを嫌悪するという個人の感想が飛び出した。言っている内容が立派なだけに、その1点が兎に角悪目立ちする。
引っ込みかけた手を、アンが再び伸ばした。誰かがその好戦的な一挙の餌食となる前に、アランの、彼女の2周りはあろうかという太い腕がその動きを掴んで止める。
「どうどう、僕は気にしてないからね。……お会計いいです?」
喧騒を尻目に、アランは1人、用意されていた"料理"を平らげていた。口の構造上、一度噛み切った物はそのまま咀嚼せずに飲み込んでいたが故の、完食の早さである。それにしても、気にしていないとは本人の言だが、話題の中心人物が、よくもここまで周囲に無関心でいられたものである。
相当に肝が座っているのか、はたまた極端に鈍感なのか――言い分を真に受けるのなら前者だろうが、果たして、その剛胆さ故なのか、自分だけが食事を終え、さっさとこの場を立ち去る目算のようだ。同席者の料理は、まだ手も付けられておらず、仄かに湯気すら立ち上っているというのに、である。
尤も、この状況で、今更大人しく席に戻り、料理に舌鼓を打つような気は、片手にぶら下げられて尚両足をばたつかせているアンにはなさそうだったが。
料理長は一瞬、自分を中心とした一幕にも関わらず、まるで動じた気配のない客人と、まだ残されている料理を見比べ、眉を潜めたが、結局、この場を収める最も効果的な手段が、アランに立ち去ってもらうことなのだと理解すると、ため息を吐いた。
「……わかった。だが代金はいらん。生野菜食わせて金払わせるなんざ、俺のプライドが許さん」
「それはまた、随分とお安いプライドですこと」
憮然とした表情で、すかさずアンが悪態を吐く。ここだけ見れば大人げないが、受けた仕打ちを考えればやむ無き反応ではある。
「やめなさいって。……じゃ、お言葉に甘えさせてもらいます」
そんなアンを、アランは片手で持ち上げたまま、歩き始めた。小柄な女性が、厳つい獣人に軽々運ばれる様が、どこか犯罪的な画に見えてしまうのは、先入観を抜きにしても無理からぬことだろう。
そんな姿を見たからなのか、立ち去る間際に、小さく誰かが呟くのが聞こえた。
「……野蛮な毛深人め。食事が不味くなったではないか」
発言者は、家族連れの男性客のようだ。同席している妻と思しき女性と、小さな男児の整った服装に加え、すぐ傍に付き人まで控えている辺り、かなり裕福な身の上のようだ。
如何にも忌々しい、という風に吐き捨てられた言葉に、すかさずアンが反応する。が、どれだけ暴れたところで、アランの太腕はびくともしなかった。
「だから、やめなさいってば。……それじゃ、色々お騒がせしました。御馳走様」
それだけを言って、アランは忠誠心が暴走気味の侍女をぶら下げたまま、レストランを後にするのだった。
「……ねー、そろそろ機嫌直してよー」
首元の毛に櫛を通されながら、嫌そうな顔をするアラン。櫛を通しているのは、勿論侍女であるアンだ。
部屋に戻って早々、彼女はアランを椅子に座らせ、それからずっと、無心でアランの毛繕いを続けている。これが彼女のストレス解消法だとわかっているアランは、しばらくは何も言わなかったが、流石に30分近くも背筋を伸ばしっぱなしで、身動ぎもせずに座り続けるというのは、体に堪える。いい加減解放してはくれないかと、苦言を呈したわけだが、アンは無慈悲にも首を横に振った。
「毛足が長いのですから、日頃のケアを怠ってはいけません。被覆面積が小さい以上、せめて毛並みには気を遣わなければ。……それと、わたしは別に怒ってなどいませんよ」
妙な所でプライドの高いのが、アンの欠点である。相手からの指摘や提案を素直に受け取らないのは、子供っぽくて可愛げがあると言えば聞こえはいいが、要するに頑固者ということだ。況してや、成人はしていようかという見た目では、大人げないという言葉の方がしっくり来る。
それに、感情的な理由を抜きにすれば、彼女の主張は強ち間違っているわけでもない。アランの好んで着用する衣服は、確かに布面積が小さい。これが、毛足の短い一般男性が身に着けているのなら、露出の多さから変質者呼ばわりもされるだろう。だが、アランの皮膚の上には、皮膚とは異なる色の長い毛がびっしりと生えている。これが、素肌を晒しているのとは違う印象を見る者に与え、布地の少なさを誤魔化してくれているのだ。
しかし、それが見るからに手入れのされていない、伸び放題の枝毛や縮れ毛だらけならばどう見えるか。お世辞にも清潔には見えまい。実際、毛足の長い体毛を持つ以上、汚れは付着しやすく、放っておけば見た目以上に不潔である。
というわけで、アンの言う通り、こうして身嗜みを整えておくことは、大切なことである。ただでさえ、アランは獣人だ。先のレストランでの件同様、差別的な目で見られることは少なくない。せめて見た目を綺麗にしておけば、無用なトラブルに巻き込まれるリスクを減らすことができる。
そこまではいいのだが――胸元の毛束を整え終わるなり、そこに顔を突っ込んで深呼吸されるのが常となっているのなら、話はまた違ってくる。
「……その、顔突っ込んで深呼吸するのやめてよ。シンプルに気持ち悪い」
「体臭を確認しているだけです、我慢して下さい」
アンはそう言いながら、更に顔を埋めてくる。確かに、体の臭いというのは、自分ではなかなか気付きにくいものだが、目を瞑り、恍惚と息を吸い込んでいる様子を見てしまうと、その言い分には、何か私的な欲望が潜んでいる気がしてならない。
無論、強引に引き剥がすことは容易だが、そこまでしてアンの至福の時間を邪魔しようとは思わない。彼女は数少ない、アランの理解者だ。そんな彼女を、不満が無いとは言えないが、かと言って、無碍に扱う気にはなれなかった。
結局、この場合、折れるのはいつもアランである。ため息を吐き、諦めて身を委ねる他無かった。
「――どうして、言い返さなかったのですか?」
どれぐらいそうしていたか、不意にアンの呟きが耳に届き、アランは霧散していた意識を慌ててかき集めた。見れば、相変わらず胸毛に顔を埋めている状態だが、顔はこちらを見上げ、目からは言外の不満がありありと見て取れる。
何に対して言い返さなかったのか、と聞き直すのは、最早愚問だろう。アランは内心呆れながら、頑固だが貴重な自身の理解者に返事をする。
「どうしてって、そりゃいつものことだからだよ」
――獣人に対する差別の意識は、人ありきの社会に於いて、常識と表現される程に根深く浸透していた。
抑も、ヒトという種は、現在の世界に於いて、食物連鎖の頂点に君臨する存在だ。他種族を攻撃、駆逐することに特段優れているわけでもない動物如きが、何故自然の支配的存在にまでのし上がったのか。それは、身体的特徴を補完する形で、文化的進化をしたからだ。この文化的進化の課程で、ヒトは知恵を発展させてきた一方、自分達と同じレベルの文化に満たない他種族を持たざる者として憐れみ、蔑んだ。優劣の意識が芽生え、植物は疎か、同じ動物ですら、ヒトと獣という、さして意味の無い壁を作った。
そうして獣を自分達と異なる生物であると認識した彼らにとって、その自我を維持する上で、邪魔となる存在があった。それが獣人である。
獣人は、その見た目通り、ヒトと獣が混じり合ったような姿をしていることが多く、身体能力は獣に近いが、その脳の発達は、ヒトと遜色ない。ヒトを上回る身体能力と、ヒトと同等の知能――自らを絶対的優越種と思い込んでいたヒトにとって、その存在は、自分達の価値観を著しく狂わせる、厄介な存在でしかない。結果、意思疎通を図れるにも関わらず、ヒトは獣人を獣に分類し、まるで家畜か奴隷にでも接するようになった。ヒトと獣人の人口比率が、ヒトに偏っていたというのも、また知能が発達していても、敢えて原始的な生活を営む者が獣人に多かったという事情も手伝って、この認識は広く深く、或いは呪詛の言葉のように、人々の中に刷り込まれていった。
現代では、多少の人権は獲得しているとは言え、それもほとんど奴隷が獲得する権利とほぼ相違ない。先のレストランでのウェイターの態度も、元よりアランを客だと認めてはいなかったが故の物であるし、何なら料理長の発言は、獣人を毛嫌いする人々からすれば、相当に譲歩した物言いだっただろう。
アラン自身は、そう言った獣人差別を、ごく当たり前の物として受け入れていた。待遇の変化、況して改善など望むはずもなく、他の獣人を思って、権利を獲得する為の運動などに荷担するつもりもない。抑も、アラン自身がヒトと獣とを区別しており、過度な反応は自己否定に繋がると考えているからだ。第一、獣人を差別する彼らの価値観が、アランには理解できないわけではなかった。
容姿が大きく違えばこそ、同じ言語を用いる相手を不気味に思うことはあるだろう。自分の体格、顔立ちが、相手を威圧するものだという自覚もある。本人が望んで得たわけでもないそれらを、悪し様に言う人格は決して褒められたものではないが、だからと言って閉口しろと強要するのも、アランには何か違うように思えるのだ。
――結果として、アランは事勿れ主義を拗らせ、何を言われても気にしないことにしている。「言い返すだけ無駄、無駄」と、肩を竦めるが、アンは全く納得がいっていないようだった。
「……何故、彼らは獣人というだけで、あぁまで嫌悪するのでしょう。同じヒト科の動物でしょうに……」
最後の方は、怒りよりも、悲しみの方が強い口調だった。アンの心中を思うと、アランも正直、なんと答えればいいのかわからなくなる。
自分の良き理解者であるアンは、アランが差別の標的となると、怒りを露わにして相手に掴みかかることが多い。その剣幕はいちいち鬼気迫る物があり、非常に感情的だ。普段は機械的で、物腰の落ち着いた様子なのだが、どうしてもそこの感情のコントロールだけはうまくできないらしい。それだけ、獣人差別に対して、許しがたい思いがあるのだろう。その気持ちは有り難いし、だからこそいつもストレス解消に付き合うわけだが、あの顔を毛に突っ込んで目一杯に息を吸い込む行為だけは直してほしい――そう密かに願いつつ、アランは口を開く。
「まぁ、わかりやすい感情の捌け口があった方が、色々楽だから、かな。自己肯定感を得る為だったり、団結を促したりするのに、他者を排斥する行為が効率的なのは、否定できないし」
これまでにも、アランは自分だけではない、たくさんの獣人が酷い扱いを受けている様を見てきた。差別意識が根強い地域に至っては、その命にすら価値無しと決めつけられ、民族浄化の名の下に捕らえられ、虐殺されることすらある。悲しいかな、そうした残虐な行為が、ヒトと獣人の間に明確な"違い"として映り、その傍ら、共通した認識と行動はそれぞれの種族同士の結束を高めていく。
仮に獣人の存在が無かったとしても、ヒトはまた別の差別対象を探し、攻撃していただろう。人類がまとまる為に必要な作業が、人類同士の争いとは、なんとも皮肉な話である。
「わたしは時々、わからなくなります。あの時、自分の判断は間違っていたのではないか、と……」
アンは力無く、アランの胸の中に身を寄せている。彼女の中には、彼女が過去に行ったとある行動が去来しているのだろう。その詳細を知るアランも、その胸中を慮るや、忸怩たる思いに囚われるのは否めない。
アンはこの世界を想い、その為に多大な犠牲と罪を背負った。しかし、その結果がこの過激で歪んだ思想に支配された世界だと言うのなら、自らの行いを省みるのも仕方ないだろう。少なくとも、彼女は明るい未来を夢見て、行動を起こしたのだから。
しかし、だからこそ――アランは、誰にも知られず世界を救った英雄の肩を優しく掴み、その顔をまっすぐ見つめる。
「その答えを得る為に、僕らは世界中を見て回ってるんだ。時間はたっぷりあるんだから、焦らずに答えを探していこう」
アラン達は、根無し草の旅人である。元々、アランの故郷で"女神"として祭り上げられていた彼女は、とある事件をきっかけに、アランと共に旅に出た。その目的は、彼女が救った世界を共に見て回ること。
終着点など存在しない、行く当ての無い旅。その果てに何が待っているのかは知らないが、少なくとも、彼女が救ったこの世界を、彼女自身がその目で見ることに、なんの不自然があろうか。
アンには、この世界を自由に"観光"する権利がある。そのことを知る、恐らく、世界で唯一の存在として、アランはアンに寄り添い続ける。彼女が、この世界を守った甲斐があったと納得できる、その時が訪れるまで。
憂いを帯びたアンの瞳は、まっすぐにアランを捉えている。彼女の手がアランの顔を掴み、目を細め、自分の顔の方へと引き寄せた。アランは特段抵抗することもなく、徐々に2人の距離は近付いていく。
―――その悩ましく潤った唇が触れるかどうか、という時、非常事態を知らせる船内警報が鳴り響いた。音に気を取られ、アランもアンも、2人の空間から現実へと引き戻される。
「……なんだろ、これ」
「さぁ…あまり良くないことが起きているのはわかりますが」
いい雰囲気を邪魔されたアンは、いつもの調子を取り繕っているつもりのようだが、露骨に不満げな表情をしている。隠しきれていない感情の起伏に苦笑しつつ、アランはふと、窓の外をちらと見やる。ちょうど、雲間から黒い影が複数現れ、飛行船の上の方へと上がっていったところだった。その軌跡を見届けたアランは、この後に起きることを想像し、辟易するのだった。
船内に警報が轟くより数刻前、飛行船の円滑な航行を管理する操縦室内部は、俄に慌ただしくなっていた。
「こちら、ジムニット空港発MA237便。付近を航行中の船舶、応答願います――」
「呼びかけにも反応無し、ですね」
飛行船の副長が心配そうな顔で、通信士のやり取りを聞いている。船長も顔には出さないが、内心同じ心持ちだった。
飛行船のレーダーが謎の反応を捉えたのは、つい先ほどのことである。当たり前だが、飛行船同士が衝突しないように、飛行計画は入念に組まれるが、遙か遠方の、それも他国の空港とまで正確なやり取りができるケースはそう多くない。時折、こうして航路が近付いてしまうこともあり、そうした場合、お互いの船舶の所属元の証明と、衝突しないように航路を微修正する為の、船舶同士での連携が必要となる。
しかし、相手の飛行船は、こちらの呼びかけに応じていない。当然、相手が身元を証明しないとなれば、それは所属不明の不審船となり、相応に警戒すべき相手となる。厄介なことに、この空域では最近、空の盗賊、空賊が散発的に現れては、強盗を繰り返すという事件も起きており、相手の反応が無いということは、それだけで身構えておくべき事柄だった。
「……護衛の傭兵には、もう通達はしてあるだろうな?」
流石に、襲撃の危険があるとわかっている場所に、丸腰で飛び込む程、会社も馬鹿ではない。数人の傭兵を護衛として乗船させ、備えてはいる。抑も、安全が確保しきれていないのなら、運航を一時停止するのが最善手だとは思うが、数少ない他国への交通手段と物流を兼ねている以上、そうも言っていられない。船長の言葉に、副長は頷いた。
「大丈夫です。皆さんもう待機してるみたいですよ」
謎の船影が見つかった時点で、既に傭兵達には臨戦態勢で待機するように通達を出してある。願わくば、彼らの出番が無いことを祈るばかりだが――と、船長が淡い期待を抱いた、まさにその時、レーダーを監視していた船員から、鋭い声が飛んだ。
「――所属不明船から小型の反応! 数は9、こちらに向かってきます!」
得てして、希望は打ち砕かれた。報告を聞いた副長が、明らかに狼狽した声をあげる。
「小型の反応って…まさか、マギア!?」
――マギアとは、世界各国から発掘された、エクスマギアと呼ばれる古代遺産を解析し、開発された、人が搭乗し操縦する機械の総称である。武装を施した軍事用の他、構造を簡略化し、単純な作業に特化させた民間用など、その用途は多岐に渡る。今日の人類の発展は、エクスマギアからもたらされる古代文明の情報、そしてこのマギアの開発競争無くしてはあり得なかっただろう。
そのマギアが、所属不明船から突然飛び出し、こちらに向かってきているという。呼びかけにも応じず、一方的なマギアによる接近は、襲撃を意図しての、明確な敵対行為であることは、最早誰にも目にも明らかだった。
「船内警報発令! 機関最大、最大船速でこの空域を離脱する! ハッチを開いて、傭兵にも応援要請を出せ!」
雇った傭兵も、武装したマギアを持ち込んでいる。傭兵のマギアの数は僅か2機と大きく劣るが、そこは彼らを信じる他無い。
雲間から、白い筋を帯びて、複数のマギアが飛び出してきたのが見えた。いずれも小型で、ロケット推進か何かで空中を自在に飛び回っている。入り乱れながらぐんぐんと近付いてきたかと思えば、数機が操縦室の目前まで肉薄し、手に保持している銃火器を室内に向けて突き付けてきた。操縦室の窓は、そう簡単に壊れるような柔な作りではないが、流石に殺傷能力を追求した武器に耐えられる程、剛健というわけではない。目の前に迫った死の恐怖に、その場の全員が凍りつく。
とは言え、マギアの持つ機関銃では、この操縦室毎室内の設備を全て破壊してしまうだろう。金品の強奪が目的なら、彼らは船内に侵入し、制圧を試みるはずだ。そういう意味では、その行動は無意味な示威行為と言えるかもしれない。
その間に、傭兵がなんとかしてくれれば――と思っていた矢先、耳を疑うような言葉が聞こえた。
「は、ハッチが開きません! 傭兵のマギア、ハッチから出られません!」
――先ほど分かれた他の数機が、飛行船背部の貨物用ハッチの出入り口を塞いでいた。開きかけたハッチには粘着性の物体が付着し、マギアが通るには狭いが、人が入り込むには充分な隙間を晒してしまっていた。艦橋側に回り込んできたマギア達は、船長達の意識を引き付ける為の囮だったのだ。
虎の子の傭兵が何もできずに無力化されたばかりか、空賊の侵入を防ぐこともできなくなったという事実に、一同は愕然とする。飛行船には、侵入者を阻む頑丈な隔壁などは無く、船内が制圧されるまで、もういくらもかからないだろう。
――程なく、飛行船内部は、哀れ空賊の一団によって完全に占拠されてしまった。
乗員、乗客は全員、広間のロビーへと集められた。銃を突き付けて脅されては、抵抗も無意味である。皆、大人しく指示に従っていた。
空中で制止した無防備な飛行船に、空賊の母船が横付けする。乗り込んできた残りの空賊達は、事前に打ち合わせていたか、方々へと散っていく。最後に乗り込んできたがたいのいい男が、値踏みするように乗客達を見下ろし、口を開いた。
「流石、古臭いくせに高い料金設定してるだけあるな。金回りの良さそうな連中ばっかりだ」
男の声からは、乗客達を嘲るような、明確な悪意が窺えた。実際、空賊が襲撃する可能性があるような空路を、わざわざ選択するような連中なのだ。危険を顧みず、道楽を優先するようでは、こう言われるのも無理からぬことではある。
「俺達の目当ては金品だけだ。大人しくしていれば、安全に解放することを約束しよう」
男――ビオネル・アンヘッダーは右手の銃を弄びながら、言葉を続ける。
「……だが、妙な真似をしたら、女子供とて容赦はしない。覚えておくことだ」
脅し文句に、集められた人質達の表情が強張る。解放される可能性があると安堵しかけたところに、過激な言葉で威圧する。気の緩みかけたところに浴びせられた冷や水は、冷静な判断力を奪い、萎縮させるのに効果的だ。
全体を見渡して、ビオネルは部下の数が足りていないことに気が付いた。
「……ガジとビーンはどうした? まだ戻っていないのか?」
先行して船内の制圧を担当した、空賊の団員達である。乗客の確保と誘導が彼らの担当だったはずだが、既に合流していてもおかしくないところ、この場に2人の姿は見えない。ビーンは勇敢だが、短気で繊細さに欠けるとこがあり、その為に冷静沈着で判断力もあるガジを一緒に行動させている。この2人が時間通りに動けていないというのは、少々気がかりだ。
まさかとは思うが、何かあったのではないかと思った矢先に、客室のある廊下の扉が開け放たれた。
「ほら、さっさと歩け!」
そう言っているのはビーンの声だが、彼の姿は見えていない。というのも、扉の中から現れた人物の体に、ほとんど覆い隠されていたからだ。
ビオネルをすら上回るがっしりとした体格は、それだけでも見る者に威圧感を与える。全身を体毛で覆われ、犬のような鼻先が尖った顔付きは、到底人間らしからぬが、しかし2本脚で歩行するそれは、やはり人間を想起させる。
乗客の中に、獣人が紛れていたのだ。なるほど、部下達が手間取ったのも理解できる。武器を持っているとは言え、あの太い腕に抵抗されてはひとたまりもない。後ろ手に縛られた腕に何重にも巻き付けられた縄が、その苦労を如実に物語っていた。
続いて入ってきたのは、対照的に、小柄の女性だった。服装が主人に仕える侍女のそれであることを除けば、身なりはしっかりと整っており、清潔さを感じさせる。整った顔立ちは育ちの良さを窺わせるが、拘束されたことに対する不満を隠す気も無いのか、今は眉間に皺が寄っていた。
問題は、その侍女と獣人以外に、ガジ達が連れてきた乗客がいなかったことである。2人しかいない、ということは、侍女の姿をしている彼女の仕える相手というのは、獣人以外にいないのだが、そもそも獣人に仕える人間など聞いたことがない。ひょっとすると、そういう服の趣味の婦人が、獣人を従えているのかもしれないが、それならそれで、他のお付きの者もなく、獣人だけを連れているというのは、常識が欠けていると言わざるを得ない。
「……なんだ? こいつ獣人じゃないか? こんな奴がこの船に乗ってたのか?」
ビオネルは混乱した。侍女はともかく、特に獣人の方は、服装からして客船を利用できるような、経済的余裕があるようには見えない。よくよく見れば、確かに毛並みは整っているようだが、それは侍女が世話をしているのだろうし、何を於いても着ている衣服がとにかく質素で品性に欠ける。こうまで服装に無頓着な人物が、つまり社会的な自己評価に興味を持っていないであろう人物が、金品を貯め込んでいるとは、到底思えなかった。
ビーンが他の乗客と同じ場所に追い立てている間に、ガジが事情を説明する。
「すんません、遅くなりました。まぁ、見ての通り、あの野郎を縛るのに手間取っちまいまして」
「いや、まぁそれはわかるが…なんだ、乗客なんだよな? 従業員じゃないんだよな?」
ひょっとしたら、接客以外の裏方として、使役されていた奴隷階級の獣人なのかもしれない。それなら質素な服装にも、それなりの説得力がある。
いや、勿論その可能性が低いことはわかっている。あまつさえ獣人が従者を伴っているということが異様なのに、それが奴隷階級ともなれば尚更だ。案の定、ガジは首を竦めて、その可能性を否定した。
「客室にいたから、そりゃないでしょうよ。信じがたいですが、ありゃ確かに客として乗船してますよ」
状況的には間違いないし、部下を疑うわけではないが、それを踏まえても俄には信じがたい話である。正直、余計な厄介事に巻き込まれるのは避けたい。目当ての物を頂戴して、さっさとこの場を立ち去るのが一番いいのだ。
しかし、部下達が獣人の姿を確認して以降、少し色めき立っているのも確かである。無視すべきか、それとも事の子細を明らかにして気を引き締め直すべきか、判断に迷っていると、突然ビーンが大声をあげた。
「このガキ、何隠してやがる!」
見ると、ビーンが身なりのいい小さな子供に詰め寄っていた。子供は男児のようで、悲鳴をあげながら、何かを抱えているかのように縮こまっていた。察するに、男児が何かを隠しているのを、ビーンが見つけたのだろう。
見たところ、十にも満たないような子供に対して、神経過敏に思えるかもしれないが、万が一、外部と連絡を取れるような物など持っていたら、本人に具体的な知識が無かったとしても、助けを呼ぶ道具として使われるかもしれない。可能性の芽は、潰しておくに越したことはないのだ。
母親と思しき女性が必死に庇ってはいるが、それも他の団員が引き剥がす。両腕を拘束された状態では、遮二無二縋り付くことも許されない。挙げ句、大人と子供の力比べともなれば、結果はやる前から見えている。ビーンは難なく、男児が隠し持っていた物を取り上げた。
果たして、取り上げたそれは、なんの変哲もない、木でできた拙いペンダントだった。手作り感溢れるその品物にどんなドラマがあるのかは知らないが、少なくともその男児にとっては、奪われたくない大事な物だったのだろう。年齢的にも、自分達の置かれている状況を理解できていないのだとすれば、仕方ない判断だと言える。
しかし、今のビオネル達にとって、余計なことに時間を割く精神的な余裕はない。案の定、予定外のことに神経を使ったビーンは、怒りを露わにした。
「――この! 紛らわしいことしやがって!」
ビーンは奪い取ったペンダントを、乱暴に男児に投げ付ける。只でさえ怯え切っていた男児は、物をぶつけられたという暴力に晒されたことと、大切な物を一度奪われたという事実に感情が完全に制御できなくなったか、とうとう泣き出してしまった。そのけたたましい鳴き声に、ビーンの眉が更に釣り上がるのが見えた。
「てめぇ…うるせぇんだよ!」
ビーンが小銃を振り上げ、銃床で殴りつけようとしていた。大の大人が、力一杯に金属の塊で子供を殴打しようものなら、それだけで命を奪ってしまいかねない。
必要とあらば殺人も厭わない覚悟はあったが、この場合は少し事情が違う。反撃を受けたわけでも、必要以上の抵抗を受けたわけでもないのだ。激情に任せて殺人を犯すのは、既に強盗という犯罪に手を染めているとは言え、倫理的に避けたい事象だった。
「ビーン、よせ!」
ガジが制止しようと声を張ったが、感情的になったビーンには届いていないようだ。母親の悲痛な声が響き、男児が思わず顔を伏せた時、何か大きな影が男児の体に覆い被さった。
ビーンの振り下ろした小銃は、鈍い音を立て、しかし、白い毛に覆われた大きな手に、がっしりと掴まれた。思わず身動ぎしたビーンだったが、小銃は傍目にもびくともしていない。
先ほどの獣人が、男児を庇った、それは見ればわかる。しかし、念入りに拘束されていたはずの両腕は、何故か完全に解き放たれ、自由となっていた。
力尽くで引きちぎったというのなら、それはそれでいい。だが、ビオネルが把握している限り、いくら周りが騒がしかったとは言え、縄が引きちぎられるような音もなければ、体に力を込めているような仕草もなかった。ごく自然に、男児を庇いに走ったと同時に、両腕が解放されていたのだ。
「――まぁまぁ、子供のすることじゃないですか。許してあげましょうよ、ね?」
獣人は厳つい体と顔付きの割に、柔和そうな声色でビーンを窘める。しかし、声を発した時にちらりと見えた歯は、人の肉など簡単に噛み千切ってしまいそうな、如何にも肉食動物というような鋭い牙だった。
実際、獣人は銃を掴んだまま、悠々と立ち上がり、今度はビーンを見下ろしている。仲間の1人が腕力で敵わないことをまざまざと見せつけられたともなれば、他の団員達が一斉に銃口を向け、警戒するのも致し方ない。
「……て、てめぇ! 抵抗する気か!?」
一番近くにいるビーンは、気圧されているのは誰の目にも明らかだったが、それでも自分達が襲撃者だということ、そして武器を持った仲間が包囲しているということに、表面上は強気な態度を崩さずに済んでいるようだ。
いくら強靱な肉体を持つとは言え、銃で撃たれて無傷でいられるはずはない。しかし、渦中の獣人は、全く意に介した様子も無い。
「え? いやいや、そんなつもりは無いですよ。ほら、この通り」
それどころか、あっさり銃を手放したかと思えば、両手を挙げた。なんとかして銃の主導権を取り戻そうと踏ん張り続けていたビーンは、勢い余ってひっくり返ってしまう。
――ふと、ビオネルはさっきから音沙汰のない侍女の様子が気になった。獣人が男児を庇った時、侍女の方に動いた様子はなかった。今以て確認しても、やはり不機嫌そうに眉間に皺を寄せているだけで、腕の拘束が解けている様子もない。ビオネルには、その様子こそが、不気味に映った。まるで、獣人が危険な状態ではないのだと、わかっているかのような――。
仮にそうなら、獣人の落ち着き払った態度も説明がつく。武器を突き付けられても、その武器が自分を害することができないのなら、その手段にまでは想像が及ばないが、なるほど、確かに慌てる必要もない。
いずれにしても――こうなってしまっては、獣人の存在は、仕事をこなす上での懸念材料になる。抑も、不可解な縄抜けまでしているのだ。これ以上、放置しておくわけにはいかない。
ビオネルは、獣人を処刑することに決めた。
その場で射殺すれば楽だが、他の乗員、乗客が死体を目の当たりにして、パニックにでもなると面倒だ。ビーンには申し訳ないが、みっともない姿も見られている。侮られた挙げ句、無駄な抵抗をされて、これ以上仕事に遅れを出すわけにはいかない。
よって、処刑方法は、「飛行船からの飛び降り」を選択した。古典的ではあるが、飛行船から追放でき、見せしめとしての効果も期待できる。手軽さと確実性を考慮すると、これが一番効率が良かったのだ。
飛行船は現在、浮遊機関のみを稼働させ、移動せず滞空した状態だった。とは言え、高高度は気流が乱れやすく、気温も低い。甲板に出た途端、冷たい風に晒され、ビオネルは身震いした。
「わ、流石に寒いなぁ」
そう言う本人は、全身を毛で覆われており、呑気な言葉遣いも相まって、ちっとも寒がっているようには見えない。加えて、今度こそ何もできないように、腕のみならず身体毎縄でぐるぐる巻きにしてある。顔や足は誘導の手間を考え、移動の妨げにならないように縛らなかったが、これだけ厳重に腕を封じておけば、そう易々と拘束から逃れることはできないはずだ。
それにしても――ビオネルは、事ここに至っても、未だ飄々としている獣人を訝しんだ。
「止まるな! さっさと行け!」
情けない姿を晒したビーンは、苛立ちを隠そうともせず、獣人に銃口を押し付ける。それすらも巨軀を追い立てるには至らず、どちらかと言えば、せっつかれた獣人が道を譲るような形で歩を進めてるようだ。
客室を侍女と2人分で手配できるぐらいなのだから、先の男児と違い、状況を理解できない程幼稚ということは考えにくい。なら、自分に突き立てられている凶器がどれほど危険な物か、わからないはずはない。それでも、こうまで余裕を失わずにいられるというのは、どうにも引っ掛かる。
不安の正体が突き止められないのは本意ではないが、しかし、これ以上この獣人に気を回すのは得策ではない。早々に片を付ける必要があった。
後ろからは、ぞろぞろと他の人質が続く。獣人の介入以降、危惧していた通り、ほんの僅かではあるが、場の空気が緩んでいた。人質から抵抗の意思を削ぐには、獣人を処刑する瞬間を見せ、今一度、自分達の状況を理解させる必要があるのだ。
――正直、獣人の連れである侍女までこの場に連れてくることには、一抹の不安を覚えたが、自分の目の届かない所に不安要素を残して来る方が心配だったので、そこは我慢して連れてくるしかなかった。
「おや、珍しいマギア使ってますね。ハイラス、でしたっけ? あれをちょっと弄った奴かな?」
甲板にはビオネル達の所有するマギアが待機していた。獣人はその鋼鉄の巨体を見上げ、一切気圧された様子もなく、やはり呑気なことを言っている。だが、ビオネルは自分の中の懸念が、益々強まるのを感じた。
獣人が言ったハイラスというのは、このマギアの呼称だ。高い飛行能力を持つ、ビオネル達の主戦力にして切り札的存在である。対マギア用の短機関銃と、背中の補助アームが保持するミサイルポッドが主兵装となる。
だが、獣人の言う通り、このマギアは"珍しい"のだ。それを、流し見しただけでぴたりと名前を言い当てたばかりか、改造を施していることまで見抜くなど、多少の知識がある程度では説明がつかない。
最早、ビオネルの不安は、確信に変わりつつあった。この獣人は、放っておいてはいけない。一刻も早く、この場から取り除かなければ。
「無駄口を叩くな! ……お前には、この船から出て行ってもらう」
「……ん? それは飛び降りろってことで?」
金属の塊であるマギアを攻撃する為に開発された、巨大な短機関銃に銃口を向けられて尚、この獣人はきょとんとしている。ひとたび銃弾が掠めようものなら、人間の身体など、木っ端みじんに吹き飛ぶような大口径の銃だ。いくら獣人の身体が丈夫だとて、例外であるはずがないのに、白々しいまでの無関心っぷりには、流石のビオネルも少し苛立った。
勿論、船体を傷付けるのは本意ではない。これはただの示威行為に過ぎなかったが、それでも銃口を突き付けられて、平静でいられるというのが抑もおかしいのだ。出て行けと言われて、自分の命を脅かす行為である飛び降りを即座に連想し、平然とそれを口にするというのも、よくよく考えると奇妙な話だろう。ビオネルは獣人を睨み付ける。
「そうだ。お前は俺達に刃向かった。その報いを受けてもらう」
「今更謝ったって遅いからな! 恨むなら、過去の自分を恨みやがれ!」
まるでチンピラのような、威厳のないビーンの言い回しに呆れつつ、ビオネルは部下達に目配せする。複数の団員が獣人を甲板の縁へと誘導し、乗下船用のタラップを展開した。促されるまま、獣人は高さに怯むこともなければ、命の危険になんら抵抗する様子もなく、タラップの先端へと歩いて行く。今、本来なら陸地と繋がっているはずのその先にあるのは、雲海広がる夜の空だけだ。時間を掛けすぎたか、遠くの空が白んできているのが気になった。
獣人はとてもスムーズにタラップの先端へと歩み出た。あと1歩でも前に踏み出せば、そのまま真っ逆さまに落ちていくだろうという位置だ。その間、ハイラスの短機関銃はしっかりと獣人を捉えており、何か妙な動きがあれば、即座に発砲できる状態だった。
そのまま何事も無く落ちてくれ――そんなビオネルの弱気な願いを裏切って、獣人が振り向いた。
「一応訊きますけど、やめる気は無い、ですよね?」
先程までの穏やかな雰囲気ではなく、事務的で、いっそ冷淡さすら感じさせる声色だった。やめるか否かというのは、処刑のことか、それとも盗賊行為そのものについてか。その上で、訊き方からすると、どう返事が返ってくるのかはわかりきっているようだ。
「当たり前だろうが! さっさと落ちろ、この毛深野郎!」
侮蔑的な表現を添えて、ビーンがいきり立つ。既に手遅れとは言え、いい加減、見苦しさを隠せていないので、もう黙っていてほしいというのが、ビオネルの本音だった。
「ふーむ、じゃ仕方ないか」
獣人が困ったような顔でそう言った途端、獣人の全身に巻き付いていた縄が、突然ばさりと落ちた。重みがあるせいか、風では飛ばされずに、タラップに絡みついて靡いている。勿論、それは獣人の拘束が解かれたことを意味していた。
案の定、獣人には力を込めたり、何か隠し持っていた道具を使った様子は無かった。あまりにも自然に、予兆も無く縄が解けたことに、誰よりもこの事態を警戒していたはずのビオネルですら、反応ができなかった。
「アン、先行くから、後宜しくね」
そう言うと、両腕を左右に大きく開き、獣人は体を宙に投げ出した。誰かが静止する暇もなかった。
獣人の姿がタラップから消え、甲板には轟々という風の音だけが鳴り響く。拘束が解けたにも関わらず、全く臆することなく、堂々と落ちていった獣人には驚かされたが、ともあれ、これで懸念材料は排除できた。腑に落ちない部分はあるが、ここは本来の目的を果たし、早々にこの場を撤収するべきだ。
そう自分に言い聞かせ、気持ちを改めようと息を吐いたその時、後ろでぱさりと音が鳴る。疲れた頭がそれを認識し、反射的に振り向いた時、視界に映ったのは、ちょうど駆けだした侍女の姿だった。
当たり前のように腕は自由となっており、走る動作を軽やかに補っている。侍女はまっすぐ、獣人が落ちたタラップの方へと向かっていった。
「――くそ、またかよ!」
「逃がすな! 撃て!」
ガジの悪態と同時に、ビオネルは発砲を命じた。そう何度も見逃すわけにはいかない。思えば、獣人は――恐らくはあの侍女に対して――後を頼むようなこと言っていた。もし、このまま侍女を自由にさせた場合、何か都合の悪いことの引き金となることは、容易に想像できる。射殺してでも、この行動は阻止しなければならない。
部下達が一斉に小銃を放つ。肉眼で確認できるような物ではないが、皆、一様に射撃の訓練をしてきた者達だ。不意のこととは言え、この距離で、しかも複数人が狙っているのである。まさか全員が外すわけもない、とビオネルは考えていた。
ところが、侍女は負傷して倒れるどころか、益々加速していく。タラップの目前まで差し掛かった時、自身の服の肩を掴み、ぐいと前に引き寄せた。すると、背中がぱっくりと割れ、するりと服が侍女の体から離れる。彼女はそれを振り向き様、ビオネル達との間に壁になるようにして広げて放った。
諄いようだが、甲板上は風が強い。ひらひらした布切れなど、簡単に吹き飛んでいってしまう。実際、侍女の放った服も、ほんの一瞬、その全身を隠しただけで、当然、銃弾を防ぐことなどできていないだろう。
――服が飛んでいった後、ビオネルに見えたのは、一糸纏わぬ姿となった侍女が、タラップの縁を掴みながら身を投げ出した所だった。
侍女の姿が消えた直後、タラップが撓み、縁を掴んでいた侍女の指が消える。がたんと音を立て、タラップの撓みが元に戻ると、ようやく銃撃音も止んだ。
今の喧噪は、結局なんだったのだろうか。団員達は疎か、人質達までも困惑しているようだ。だが、この状況が芳しくないことを理解しているビオネルは、すぐに声を張り上げた。
「――総員、臨戦態勢! ハイラスは全機戦闘機動準備だ! 俺もすぐに出る!」
「た、隊長!?」
いきなりの命令に、団員達は行動こそ起こすものの、納得できていないようだ。だが、詳しい説明をしている暇は無い。
一見、侍女の行いは、特に理由のない自殺行為だったようにも見える。しかし、獣人のあの態度や言動、そして迷いの感じられない動きは、その可能性を完全に否定していた。
侍女は恐らく、タラップの裏側に回り込み、蹴ることで勢いを付け、先に落ちた獣人に追いつこうとしていたのだ。服を脱ぎ捨てたのも、ビオネル達への目眩ましではなく、落下時の風の抵抗を減らすことが目的なのだろう。
合流した後、どうするつもりなのかはわからない。だが、あの余裕を見るに、あのまま死ぬことはないという、なんらかの算段があるのは確かだ。そして、その未知の手段が、自分達の障害となる可能性は大いにあり得る。こうなってしまった以上、万全の体制を整えておく必要があるのだ。
――自分のマギアへと乗り込みながら、ビオネルは歯噛みする。完全に予定が狂ってしまった。こうなると、最早盗賊行為などという場合はではない。この場を乗り切ったら、早々に退散しなければ。
部下達のハイラスが先に飛び立ち、ビオネルもそれに続く。細かな揺れと独特の浮遊感が体に纏わり付くが、ハイラスを乗りこなしているビオネル達にとっては慣れた感覚だ。
武器の安全装置を解除したその時、コックピット内に警告音が響き渡った。レーダーが味方として登録していない、何かを捉えたのだ。来た――とビオネルは身構える。
「全機、周囲警戒! 索敵、厳に!」
「何処だ!? 何処から来やがる!?」
団員達は各々、周囲を注意深く見渡す。開けている空の上とは言え、客船とビオネル達の母船に加え、周りには雲海が広がっている。獣人達が落ちていったことを踏まえると、何かが来るとすればそれは下からの可能性が高い。必ずしも、視界が良好とは言えない環境だった。
再度の警告音が鳴り響き、ビオネルははっとレーダーを見た。計器上に、光点が1つ瞬いている。慌てて視界を上げた時、既に"それ"はそこにいた。
この期に及んで、見逃すはずもない。"それ"が浮かんでいるその場所は、つい今し方まで、間違いなく何もいなかった。音も気配も、なんの予兆もなく、まるで最初からそこにいたかのように、突如として現れ、それが当然であるかのように堂々と浮かんでいる様は、控えめに言っても、異常だった。
巨大な荷物も容易く保持できそうな頑強そうな腕からは、見るからに精巧な作りながら、硬質感を醸し出す手が伸び、指の先端は鋭く研がれ、獣の爪のようだ。体躯を支える為にやや太く設計されたと思しき脚部は、つま先に進むにつれて細く、尖った形になっている。肩越しに見えるのは、機体を滞空させている浮遊機関だろうか。頭部には煌々と光る赤い1つ目が覗いていた。
風の抵抗を減らす為、丸みを帯びた胴体に手足を生やしたようなハイラスと比べ、その意匠は明らかに異なっている。全身の節々に淡い浅葱色の光が灯り、夜闇にあってもその存在感が揺らぐことはない。鈍色に照らし出されたそのシルエットは、間違いなく、人を忠実に模して作られていた。
――マギアは本来、人に似た形こそすれ、部位毎に見れば人ならざる作りになっている物が多い。中には性能を追求し、全体のバランスが偏っていたり、或いは手足の本数を増やしたりすることもある。ハイラスもどちらかと言えば、この法則に則っている部類だ。これは、その方が製造するにあたって、理に適った構造になる為である。どれだけ芸術的で精巧な作りだったとしても、生産が難しい、作っても満足に性能を発揮できないのでは意味が無い。
しかし、目の前の"それ"は、明らかにそういう理屈を無視して設計されている。そして、その理屈を無視しているという前提で、現に自分達の前に立ちはだかっている。これだけで、もう充分に異常な存在だった。
ビオネルは、そんな"異常なマギア"の存在を知っていた。いや、ビオネルだけではない。知らぬ者無し、とまでは行かずとも、この世界の多くの者が、名前だけは耳にしたことがあるだろう。
「――エクスマギア……ッ!」
古代文明の遺産、あらゆる現代技術の礎、全てのマギアの母――音に聞くばかりだった伝説的存在が、確かにそこに存在していた。
数分前、アンがアランを追って、甲板上から身を投げた直後の事。アンは腕も脚もぴったりと閉じ、直立不動の姿勢で、放たれた1本の矢のような勢いで落下していた。
視線の先には、対照的に両腕両足を大の字に広げ、目一杯風の抵抗を受け、落下速度を抑えているアランがいる。全身の体毛も風を捉えているお陰か、2人の距離はぐんぐん縮んでいく。
やがて、アンの体がアランの胸の中に吸い込まれると、その体を筋肉質な腕が抱き留める。ロマンチックな画にも見えるが、如何せん、アンの姿が全裸と考えると、どうにも安っぽさが勝ってしまう。
「……いや、なんでパンツまで脱いでんの?」
ひらひらしたエプロンドレスが、風の抵抗を受けやすいから脱いだのはわかる。しかし、肌に密着し、余った布地の少ない下着まで脱ぐ意味がわからない。
訝しむアランに、しかしアンは、至って真面目な顔をして言った。
「風の抵抗を限界までゼロに近付ける為です。間違いなく、その方が早く合流できますから」
それは、確かにその通りだ。しかし、下着の有無が与える落下速度の差異は、限りなく無いに等しいだろう。効率を重視するあまり、判断が機械的になるのは、彼女らしいと言えば確かにそうだが、融通の利かないアンに苦笑いしながら、アランは言葉を続けた。
「――そいじゃ、そろそろお願いしていい? このままじゃ、ほんとにぺちゃんこになっちゃう」
本人達の呑気な空気に騙されそうになるが、彼らは現在、自由落下の真っ最中である。当たり前だが、この高さから地面に激突して、無事でいられる道理も無い。そうならない目算あっての身投げではあったが、このまま行動を起こさなければ、哀れ地面に赤黒い染みを広げる羽目になる。それではなんの為に、あんな小芝居じみた真似をしたのか、わからなくなってしまう。
アンは無言で頷くと、目を閉じる。刹那、アンの背後に、巨大な影が現れた。影は人の形を模しており、体の各所から浅葱色の光を放っている。その巨体にも関わらず、どう見ても体格の違うアラン達を追い抜くこともなく、その落下速度にぴったりと合わせ、付いてきている。
唐突に、アランとアンの体が弾けて消えた。と言っても、破裂して内臓や血液が飛び散ったわけではない。体の外も内も、とても細かな粒子のようになって解けていった。無論、地面に落着したというわけでもない。ただ空中にあって、静かに霧散していったのである。
2人の体が消え去って間もなく、巨人が動き始める。落下速度が急激に落ちたかと思うと、ぴたりと空中で動きを止め、そのままいずこへ飛び立つのかと思いきや、ふっと消えてしまった。何も無い空の只中にあって、姿を隠す障害物があるはずもない。しかし事実として、巨人は忽然と姿を消してしまったのであった。
時刻は戻り、現在。忽然と現れたエクスマギアを、ビオネル達は呆然と眺めていた。
その圧倒的な能力は、ただのマギアでは到底覆しようもない。発掘をきっかけとして、その地域に国が興され、発掘者がそのまま国の支配者となることも珍しい話ではない程なのだ。人の手で改造を施した程度のハイラスがどれだけ群れをなそうと、勝てるような相手ではない。
「――当機はエクスマギア、識別名称アーフェイト。空賊団に所属する全ての船舶、マギア、並びに貨客船に侵入中の全ての団員に通告します。武器を捨て、投降しなさい」
ハイラスの通信機から、女性の声で警告が流れてくる。恐らくは――アーフェイトと名乗っていたか――あのエクスマギアに搭乗している者の声だろう。それで先の侍女を思い浮かべるのは、ビオネルは直接その声を聞いていない以上推測に過ぎないが、見当違いの妄想ということもあるまい。
極当たり前のように行われた警告も、冷静に考えればおかしなことである。ビオネル達の駆るハイラスは、通信回線を傍受されないよう、複雑に暗号化してあるのだ。それを、現れてからほぼほぼ間も置かずに暗号を突破し、通信に割り込んできている。それも、内容を傍受するだけではなく、その回線を自分の物のように使っているのだ。
機体から広域に向けて発せられた音波を、受信したというわけではない。とすると、先の言い方からするに、ビオネル達の母船は疎か、貨客船の通信機も、同様に掌握している可能性が高い。つまり、この一瞬の間に、この空域内の主な通信手段を全て掌握したということになる。これだけでも、あのエクスマギアがどれだけの性能を秘めているか、推し量れるというものだ。
アーフェイトは首を回し、形だけは包囲しているハイラス達を眺めている。その様子からは、焦りや恐怖などは微塵も感じられない。優雅に空に浮かびながら、こちらがどう動くのかを待っている、そんな余裕さすら漂わせている。その人間臭い動き一つ取っても、ビオネルには異質な物に映った。
「う…ひ……」
情けない声が通信機から聞こえた。4番機に乗っているトレットだ。団の中で小心者なのは確かだが、過酷なマギアの操縦訓練にも耐えられる強い精神力と、実際にその席を任せられるだけの技術を併せ持った豪傑である。にも関わらず、彼の決して大きくない欠点が表に出てきてしまう程、エクスマギアと対峙するというのは精神を疲弊する一事なのだ。
通信を傍受しているアーフェイトにも、その呻き声が届いたのだろう、赤い目がじろりと4番機を捉えた。乗っている者からすれば、何か動きがあったのかを確認するだけの、自然な動作だろうが、睨み付けられたような形になったトレットにとっては、恐怖で冷静さを失わせるのに、充分過ぎる効果があった。
「――うわぁぁぁ!」
「チェッカーフォー、よせ!」
止める間もなく、4番機の短機関銃から銃弾が発射される。音速を超えて放たれた弾丸は、日頃の訓練の賜か、間違いなくアーフェイトの中心を捉えている。音速を超えるような物体が肉眼でまともに確認できるわけもないが、向けられた銃口からある程度の弾道は予測できる。ハイラスという機体に慣れ親しんだビオネル達だからこそできる芸当だ。
――そして当たり前のように、銃弾は虚空を薙いでいった。銃弾がそこに到達した頃には、アーフェイトの機影は既にそこには無く、4番機のすぐ目の前まで移動していた。
アーフェイトは、4番機の頭上すれすれを通過し、さっと駆け抜けて行った。後に残されたのは、頭部を失った4番機の姿である。誰かがトレットに警告することも、銃撃でカバーする暇もない、本当に一瞬の出来事だった。
悠々と振り向いたアーフェイトの手には、4番機からもぎ取ったと思しき頭部が握られていた。しかし、武器を用いて切り取ったようには見えなかったし、かと言って、強引に引き千切ったにしては余りに綺麗に取られている。4番機も、頭部が取られたことには気付いているだろうが、さして衝撃が無かったのか、ほんの少し蹌踉めいた程度で、大きく機体の制御を失ってはいないようだった。
――まさかとは思うが、あの速度で、すれ違う一瞬に、腕部の力だけで、しかし頭部にも、取り残される本体にもさしたる衝撃も損傷も与えず、頭部を精密な動作で以てもぎ取ったとでも言うのだろうか。馬鹿げた想像が頭を擡げたが、そもそも相手が馬鹿げた相手であることを思い出し、ビオネルは頭を振った。
アーフェイトは自身の手の中で、指を器用に動かしながら、からからとハイラスの頭部を弄んでいる。こうして見ると、あちらの機体の方がサイズが大きいようだ。ハイラスが大体6~7メートル級の、ぎりぎり小型に分類されるマギアであるのに対し、あちらは中型、実寸は10~12メートル程だろうか。
「――もう一度通告します。武器を捨て、投降しなさい」
そう言い切ると同時に、アーフェイトは4番機の頭部を手の中に収め、そのまま握り潰した。投降しなかった場合の自分達の未来を暗示しているようで、ビオネルは背筋が凍るのを感じる。
どう考えても、このまま戦うのは得策ではない。勝ち目が無いのは明白だからだ。かと言って、投降すれば当然、自分達は犯罪者として、何処かの国で裁かれるだろう。ならばなんとしても逃げ延びる他無いが、うまくこの場を逃れる術が思いつかない。
――この時、ビオネルが妙な欲を出さずに、さっさと投降する旨を伝えていれば、この場はそれで収まったかもしれない。だが、恐怖で冷静さを失っていたのは、何もトレットだけではなかった。
「――てめぇ、やりやがったなぁ!」
そう言って突っ込んだのは、7番機のロビンである。血気盛んで喧嘩の絶えない彼だが、仲間思いの好青年でもある。トロットが攻撃されたことに怒り、我を忘れて突撃したのだ。
――ちなみに、突っ込んだところで、ハイラスに距離を詰めることで有利、有効に機能する装備は無い。と言うのも、空中で近距離戦を試みても、互いの接触、最悪衝突という事態を招く可能性が上がるだけで、想定するメリットが少ないからだ。一応、回避能力の高い相手には、距離を縮めて射撃を避けられにくくするという訓練もあるが、それは1機だけで行うようなほとんど苦肉の策であり、ハイラスは依然、近距離、況して手足をぶつける格闘戦など、以ての外なのである。
猛然と、しかし先刻目の当たりにしたそれと比較するとどうしても速さが見劣りしてしまう突撃は、案の定、敢え無く避けられ、簡単に背中を取られた7番機は、あっさりと頭部と、今度は短機関銃を持っていた右手まで奪われてしまった。
アーフェイトはそのまま、今度は動きを止めることなく、手にした戦利品をぱっと手放し、腕を8番機の方へと伸ばした。何をするか見極めようと凝視したが、結局、何をしたのかはよくわからなかった。結論として、その手の中に、突然鉄の塊が現れたということだけが認識できた。
銛のように尖った塊の先端が、真っ直ぐ8番機への方に向けて射出された。縄のような物が尾を引きながら、8番機の右肩を射貫く。めり込んだ銛は外れることなく、哀れ8番機は、巻き取られていく縄に引っ張られ、射手の方へと引き寄せられていく。必死にロケットを吹かして抵抗を試みてはいるようだが、どうにも意味を成しているようには見えない。
――3機目のハイラスが攻撃されたと見て、遂にビオネルも腹を括った。
「全機、武器使用自由! 目標、敵エクスマギア!」
「えぇ!? あれとやるんですか!? 無理ですよ!」
2番機に乗るウォレスが異議を口にするが、もうこうなってはどうしようもない。ビオネルは苛立ち混じりに怒号で返す。
「もう攻撃されたんだよ! 全員、腹を括れ!」
4番機、7番機に関しては、警告を無視して攻撃を仕掛けたので、反撃されたと解釈できる。だが、その後の8番機は、警告抜きで突然攻撃されたのだ。つまり、アーフェイト側は、最早警告する意味がないと判断、武力行使に踏み切った可能性が高い。
こうなると、今更投降したところで、こちらの身の安全が保証される見込みは無い。ならば、ビオネル達が生き残るには、なんとかしてアーフェイトを無力化する以外に道は無いのだ。
無論、その可能性は無いに等しい。だが、戦うと決めた以上、負けることを考えている余裕は無い。考えてはいけないのだ。
いつの間にか、狩る者と狩られる者の立場が逆転したなぁ――銛の刺さった肩から先をねじ切られ、無造作に放られた8号機を見た時に過ぎった、そんな場違いな考えを振り払い、ビオネルは号令を掛けた。
「行くぞ! 俺達の実力を、奴に思い知らせてやる!」
団の長たるビオネルの意を受け、団員達もようやく覚悟を決めたようだ。全機が威勢のいいかけ声と共にぱっと四方に散り、雲の中へと突っ込んでいく。全機が動き始めたのを確認しつつ、自らもロケット吹かしながら、ビオネルはちらりと武装解除された8番機を確認した。8番機は、右腕からそれまで同様、頭部を丸々失っていたものの、やはり移動機能そのものに大きな損害は与えられていないようだ。それを見て、ビオネルは舌打ちした。
ハイラスには、明確な欠点がある。それは、火器管制制御が頭部に集約されていることだ。軍用マギアは、マギア本体のカメラに加え、装備された各武器毎に制御システムが組み込まれていることが多いが、ハイラスは違う。飛行を前提とした設計になったことで、できうる限り機体を軽量化する必要があり、その名目で火器管制を頭部に集中管理させ、武器の構造を簡略化したのだ。
目論見自体は、狙った通りの結果をもたらした。だが、頭部が破損するなどの問題が起きた場合、それは火器管制能力の喪失を意味している。鮮明な視界が奪われる上に、攻撃能力が事実上、失われてしまうのだ。サブカメラがある為、視野が全く無くなるわけではないし、武器が撃てなくなるわけではないが、サブカメラは火器と連動する機能を持たないので、機体による射撃の精度補正が一切行われなくなる。結局、武器がまともに機能しなくなることに変わりはない。
恐らく、アーフェイトはその欠点に気が付いている。だから執拗に頭部を破壊しているのだ。根本的な性能差からして絶望的なのに、こうも堅実に弱点を突かれると、戦いにくいことこの上ない。せめて自身の優位に胡座でもかいてくれていれば、万に一つの可能性でも見えてくるというのに。
――無い物ねだりをしても仕方がない。ビオネルは気持ちを切り替え、部下に命令を飛ばす。
「フォーメーション・スクラム! スリーファイブツーワン!」
部下のマギアは既に雲の中に飛び込んでいるが、通信自体はできる。今の命令だけで、内容は確実に伝達されている。後は訓練通りに行動すればいいだけだ。
十中八九、アーフェイトにも内容は筒抜けだろうが、これまでの自分達の行動をどれだけ緻密に観察していたとしても、初見となるこの作戦の内容を、号令だけで細部まで理解することは、いくらエクスマギアと言えど不可能だろう。事実、アーフェイトは散っていったハイラスを見送っただけで、その後はきょろきょろと周囲を見渡していただけだった。
雲の中から、2機のハイラスが飛び出した。3番機と5番機だ。2機は勢いを殺すことなく、距離にして5メートル程まで近付くと、錐揉み飛行をしつつ、短機関銃を発砲しながら猛然とアーフェイトへと突っ込んで行った。
銃弾を避け、アーフェイトの機体が揺れる。優雅な回避から、そのまま反撃に転じるか、というその時に、その背後から別のハイラスが雲間から躍り出た。ミサイルポッドの蓋が開き、アーフェイト目掛けて中身が発射される。3番機、5番機も同様にミサイルを放ち、小さなミサイルは白い尾を引きながら、その小柄な見た目に反した凶悪な破壊力を、アーフェイトへ届けようと飛行する。
突然現れた2番機に気を取られ、振り向いたアーフェイトは、周囲から飛来するミサイルを振り切るつもりか、急な加速で以て上昇する。その速度は、やはり目で見ていてもまともに追えるような速さではなく、ミサイルも目標を見失ったか、ふらふらと明後日の方向に飛んで行ってしまう。
――そして、今度こそ反撃しようとした矢先に、今度は1番機、6番機、9番機から一斉に、それも三方向からミサイルを雨を浴びせられることとなった。要するに、ビオネル達のやったことと言えば、追い立て役ととどめ役に分かれた、挟み撃ちのようなものに過ぎないが、数の利を活かした波状攻撃は、何時の時代も有効な戦術だ。今度はミサイルが逃げる相手に追いつけるように、角度を計算してある。アーフェイトがどう逃げようと、ミサイルは確実にその機影に食らい付き、破壊するだろう。事実、アーフェイトは足下から追い縋るミサイルを嫌ってか、更に上昇し逃れようとしたが、誘導弾は今度こそ、その巨体を捉え続け、撃墜しようと猛追している。
――例えエクスマギアと言えど、軍用マギアすら1発で撃墜できるような威力のミサイル数発を食らって、無傷でいられるはずはない。撃墜することなど到底不可能だと理解はしているが、ほんの僅かでも損傷を与えられれば、それだけでもこの場から離脱できる可能性が生まれる。ミサイルがアーフェイトにダメージを負わせる見込みができた以上、早急にこの場を去る算段を整えなければ。
ビオネルは小さな希望を見出したが、目だけはアーフェイトの姿を注視していた。期待ができるとは言っても、そこはやはりエクスマギア、何をしてくるかはわからない。流石に目を離す程、警戒を解く気にはなれず――だからこそ、アーフェイトが手にした物が、最初なんなのかわからなかった。黒光りするそれは、見るからに巨大な大砲で、アーフェイトのいずこに格納しておけるような大きさではなく、それ故に、唐突に現れたそれに対して、理解が追い付かなかったのだ。
アーフェイトは上昇しながら、その砲口を自らに迫り来るミサイル群へと向ける。その巨大さ故の重量感を感じさせない、実に滑らかな動きだった。
――一瞬、何が起きたのか、ビオネルには理解できなかった。目眩を覚えるような轟音と共に、自機が凄まじい揺れに襲われ、無意識に機体を制御した自覚はある。だが、アーフェイトを捉えていたはずのミサイル達が、跡形も無く消えてしまっていた様子は、自分の目で見た記憶が無い。ご丁寧に、それらの痕跡である噴煙すら、霞のように消えてしまっていたのである。
混乱し、動きの止まったハイラス達を、アーフェイトは見逃さない。猛禽の如く急降下してきたかと思えば、3番機、5番機の頭を同時に破壊して通過する。急制動から反転したかと思えば、何処にしまっていたのか、今度は先程の銛が放たれ、2番機の足に食い込んだ。為す術無く引き寄せられた2番機は、案の定、頭部を握り潰され、攻撃能力を喪失した。
不意打ち自体には成功していたはずなのに、この体たらくである。エクスマギアとの絶対的な性能差をまざまざと見せつけられ、ビオネルは安直に希望を抱いたことを後悔した。
これまで戦っていて、どうしても不可解なことがある。その最たる物が、先程アーフェイトが使用した大砲や銃の存在だ。アーフェイトは機体の何処かから、武器を取り出した様子は無かった。銛付きの銃は、比較的細身の機体に収納しておけるようなサイズ感ではないし、身の丈を悠々超えるような大きさの大砲ともなれば、以ての外である。大砲を構えた時には、銛付きの銃はいずこかに消えていたのに、今またそれを使用している。あれらをどういった手段で取り出し、保管しているのか、ビオネルはまるで想像がつかない。
「くっそぉ! このアンティークモデルがよぉ!」
狙われた9番機が、アーフェイトを近付かせまいと反撃している。アンティークモデルとは、地中から出土するエクスマギアを骨董品に擬えた、比喩表現だ。エクスマギアをベースとしたマギアは、レプリカントモデルと呼ばれることもある。どちらも俗称だが、いずれにしてもあまり前向きな意味合いで使われることが少ない言葉である。
要するに、自分に迫る脅威に対する強がりであり、理不尽な性能差に対する僻みで、強い口調に反して言っていることは弱音以外の何物でもない。実際、滑るように空中を移動しているアーフェイトは、難なく9番機へと肉薄し、頭部を潰してしまった。
これで、残るは6番機と、自分の乗る1番機の2機だけとなった。精鋭揃いの9機いたマギア部隊が、物の数分足らずで壊滅状態である。やはり敵う相手では、否、抵抗すること自体が間違っていたのだと、ビオネルはやっと理解した。
だが、もう手遅れだ。自分達は散々、アーフェイトに対して攻撃を仕掛けてしまっている。自分達の攻撃が脅威となっていたかは、事ここに至ると怪しい所だが、事実、アーフェイトはビオネル達を易々と蹴散らしてしまっている。今になって見逃してもらえるかは、望み薄と考えるべきだろう。
9番機を仕留めたアーフェイトが、ゆっくりとこちらに振り返る。頭部で光る赤い1つ目がこちらを見据えている気がして、最初に手を出してしまったトロットの気持ちが少しわかった気がした。
「……全機、離脱準備だ」
深いため息を吐き、ビオネルは決断した。これ以上の戦闘はできない。この場を逃れることだけに、全力を尽くさなければならない。
幸い、戦闘能力を失ったハイラスも、移動能力は健在だ。破損を考慮して、全力飛行は無理としても、ある程度の速度を出して四方に散れば、本当に今度こそ、エクスマギアの性能を以てしても、全機を捉えきるのは難しいはずだ。犠牲は出るかもしれないが、1機でも、1人でも多くこの場から逃げ延びる為には、他のことに気を割いている余裕は無かった。
「離脱って、残ってるみんなはどうするんですか!?」
6番機のグエタが不満を訴える。襲撃の際、飛行船に乗り移った他の団員達は、人質達のことを見張る為に、まだそちらに残っている。自分達や母船が即離脱を始めたとして、彼らには脱出手段が無かった。離脱できない可能性があるにしても、見捨てるのはあまりに忍びない。
尤も、ビオネルには最初から、そんなつもりは無かった。レバーを強く握りしめ、力強く吼える。
「俺が時間を稼ぐ! 生き残った奴は所定のポイントで合流だ! 総員、行動開始! 行けぇ!」
言い終わるか否かというところで、手元のレバーをぐっと前に押し出した。ロケットから炎が噴き出し、機体が力強く前進を始めると同時に、体が座席に押し付けられるような圧迫感を覚える。目指すは勿論、アーフェイトただ1機のみ。
ビオネルには、彼らを導く長としての責任がある。やむを得ないという判断ではあったが、今にして思えば、部下の身を案じるならば、素直に降伏に応じるべきだったのだ。自身の判断ミスで部下を危険に晒した責任は、この命で以て果たさなければならない。自責の念と、部下達にはなんとか逃げ延びてほしいという願いが交差し、ビオネルを突き動かしていた。
突っ込みながら、ビオネルはミサイルを3発放つ。複雑な軌道を描いて飛んだミサイルは、しかし、アーフェイトが何かをする前に、その眼前で突然爆ぜた。ビオネルのハイラスが、自らの短機関銃でミサイルを撃ったのだ。広がった黒い煙が、両者の間にもうもうと広がる。必然、アーフェイトの視界から、ビオネルのハイラスは見えなくなっていた。
その煙の中に、ビオネルは躊躇わずに自機を突っ込ませる。ミサイルポッドを保持する補助腕を、その腕毎取り外し、落下する前に手にする。四角いミサイルポッドと細い補助腕は、こうして手に持つと、ハンマーのようにも見えた。一般的な工具と違うのは、先端の箱の中に、爆薬が仕込まれていることだろうか。
いくらエクスマギアの性能が優れていようとも、それを操るのは理性ある生物だ。アーフェイトを駆るのが侍女なのか、それとも一緒にいた獣人なのかは知らないが、目の前で起きた予想外の出来事に、全く驚かないということはあるまい。体が強張れば、それだけ操作も鈍る。その一瞬だけが、ビオネルが思い描いた唯一の勝機だった。
「うおぉぉぉっ!」
煙を突き抜け、想像通り、そこに佇んでいたアーフェイト目掛けて、ミサイルポッドを叩き付けようと振り被る。今までは、撃つ弾が悉く避けられていたから意味が無かったが、この距離で炸裂すれば、何かしらのダメージを負わせることはできるだろう。無論、ほとんど同じ距離で、しかも体当たりするような形となるハイラスは、まず無事では済まないだろうが、それぐらいしなければ、理不尽を振りまいた相手に、また事態を悪化させてしまった自分自身に対しても、腹の虫が治まらなかったのだ。
――捨て身の一撃は、敢え無くアーフェイトの手によって防がれた。避けられたわけではない。ポッドを叩き付けようと振り下ろしたはずの腕が、アーフェイトの手によって掴まれていた。そればかりか、全速力で突っ込んできた機体の勢いすら、完全に殺されてしまっていた。
流石に信じられない気持ちに囚われ、ビオネルの動きが止まる。その間に、アーフェイトは掴んだ腕へと繋がる肩口に、鋭く尖った指先を突き入れ、切り裂いてしまった。そして、機体が衝撃で揺れたと認識した頃には、外の様子を映し出していたモニターが暗転した。他のハイラス達同様、頭部を破壊されたのだ。
理不尽に次ぐ理不尽に、遂にビオネルの頭もかっとなった。これほどまでの不条理があってなるものか、せめて一矢報いてやらなければ気が済まない。
足下のボタンを操作し、乗り入れ用のハッチを吹き飛ばす。本来は墜落する時に、脱出の邪魔になるハッチを無理矢理取り除く為の機能で、この後に座席毎外に射出する機能を使って安全に脱出するのだが、今はそんなことはどうでもいい。
カメラを壊されて視界を奪われたのなら、視界を塞ぐハッチなど邪魔なだけだ。障害物は早々に取り除けば良い。実際、ハッチが無くなったお陰で、コックピットの中にいても、機体正面の様子ははっきり確認できる。肉眼で見るアーフェイトは、モニター越しに見るよりもずっと威圧的で、また神秘的でもあった。
血が上り冷静さを失いつつも、ビオネルは機体の自爆装置を起動させつつ、手元の機器を操作する。身に染みついた機体の制御を誤ることはない。脱出する為に設けられた10秒足らずの時間も、目の前の鈍色の悪魔に一泡吹かせるには、操縦することに費やす他無かった。
ビオネルの意を受け、ハイラスはアーフェイトに突進する。無事だった右手から短機関銃を捨て、空いた手で胸部の出っ張りを掴んだ。咄嗟のこと過ぎたのか、流石のアーフェイトもこれにはすぐに動かなかった。
搭載された爆薬を起爆することで、機体を木っ端微塵に吹き飛ばし、敵対する勢力に機体の再利用や研究をさせない為の機能だが、至近距離で起爆すれば、爆発のエネルギーはそのままアーフェイトにも伝わるはずだ。とっておき、そして文字通り一度限りの、決死の一撃だった。
「団長っ!」
ビオネルのやろうとしていることを察したか、通信機から部下の悲痛な声が聞こえたが、爆薬の起爆までもう数秒も残されていない。相手に対する憎悪、部下達を危険に晒した悔恨、圧倒的な存在に対して逃げずに立ち向かった高揚感、色々な感情が入り交じった万感を込め、最期の瞬間、ビオネルは吼えた。
「思い知れ、アンティーク野郎――!」
――カウントが零になっても、ハイラスは爆発しなかった。自分が何時まで経っても消し炭にならないことに気が付き、ビオネルは慌てて手元の機器を確認する。
自爆装置を起動させたプログラムが、どういうわけかエラーを吐いていた。そんなはずはない、ビオネルは自分の操作を思い出しながら、そう考える。装置の起爆は正確で、何も間違いなど無かった。
まさか、先の突進を止められた衝撃か何かで、爆薬に何か不具合が出たのか――絶望したビオネルの耳に、緊張感の無い、男性の声が聞こえてきた。
「――あぁ、やっと動いた。えーと、目の前のハイラスのドライバーさん、聞こえてます-?」
ドライバーとは、広くマギアに搭乗し、操縦する人物のことを指す。目の前のハイラス、と言うと、位置関係的にビオネルのハイラスのことだろう。必然、発言者は、アーフェイトに搭乗していることになる。やはり獣人も乗っていたのか、エクスマギアは2人乗りだったのか、などと場違いなことを考えるビオネルを余所に、獣人は言葉を続ける。
「すいませんねぇ、ウチのが大分暴れたみたいで。もう大人しくなったんで、大丈夫ですよ」
さっきまでの蹂躙が嘘のような、気の抜けた言い回しだ。あれだけ執拗に武装解除しておきながら、まるで向こうには敵対の意思が無いかのような口ぶりである。いや、実際にそんなつもりは無かったと、向こうは言っているのだろう。
「――巫山戯るんじゃねぇ!」
こちらの行動が、何一つアーフェイトへの有効打になっていなかったのはわかっている。わかってはいるが、こうも意に介していないというのは、曲がりなりにも交戦した身としては、まるで侮辱されているような気分になる。ビオネルは喚いた。
「何がエクスマギアだ! やることなすこと、滅茶苦茶しやがって! てめぇなんざ、自爆装置が壊れてなけりゃあ今頃――」
「ん、自爆装置って、これのこと?」
アーフェイトが動き、ビオネルは思わず身構える。差し出してきたアーフェイトの手の中には、小さな機械の塊があった。その形に、ビオネルは見覚えがあった。
間違いない、ハイラスに搭載されている自爆装置の爆薬だ。なるほど、起爆する爆薬が無ければ、爆発のしようもないだろう。問題は、ハイラスに内蔵されているはずの装置が、どうしてアーフェイトの手に握られているのかということである。
その答えは、相対するエクスマギアから、意外にもすぐにもたらされた。
「なんか危ないことしようとしてたから、抜き取ったんですよ。駄目ですよ、命を粗末にしちゃ」
さも当たり前のように、普通はできないことをしたと言われ、しかも説教までされてしまった。獣人の言葉が本当なら、自爆を察知したアーフェイトが、ビオネルのハイラスから爆薬を抜き取ったことになるが、そんな素振りは勿論無かったし、機体内部に強引に干渉された感触も無かった。
「……ど、どうやって……」
相手が本当のことを言っている保証は無いのに、ビオネルは完全に虚を突かれ、受け入れてしまっていた。とは言え、爆薬は機体の内部深くに搭載されており、なんの衝撃も無く抜き取ることなどできようはずもない。その手段が全く思い浮かばず、聞き返したビオネルに、獣人はこれまたあっさりと答える。
「そういう機能があるんですよ。ほら、こんな感じに」
そう言って、アーフェイトが反対の手を見せてくる。すっかり気圧されてしまったビオネルは、促されるまま、素直にその中を覗き込んだ。
中には大量の、乱雑に積み上げられた鉄くずがあった。よくよく見て、それが銃器の類いだと認識した時、ビオネルの背筋を冷たい物が駆け上がる。
思わず通信機を操作し、母船へと連絡を取る。一応、飛行船に乗っていた仲間達は、大した時間を稼げなかったとは言え、ビオネルの意を受けて母船へと戻っているはずだ。
応答した部下は、焦ったような声で状況を教えてくれた。
「団長、俺らの武器が根刮ぎ消えちまって! どうしたらいいですか!?」
予感は的中していた。アーフェイトの手にある銃器の山は、ビオネル達の所有する物なのだ。どういう理屈か知らないが、アーフェイトには物を自在に転移させる機能があるらしい。
実のところ、アーフェイトの見せてきた銃器が、本当にビオネル達の物だという確証は無いのだが、その形状には見覚えがあったし、何よりハイラスの自爆装置は、確かに音も無く抜き取られている。状況的には、信じざるを得なかった。
「んで、今更なんですけど…降伏、してくれます?」
獣人が相変わらずの調子で、そんな提案をしてきたものだから、ビオネルは座席に全身が沈み込むような、強い脱力感を覚えた。これまで散々いたぶっておきながら、とどめを刺すつもりは無いらしい。
アーフェイトの転移機能が本当なら、ビオネル達はとっくに全滅していたはずだ。見せられた銃器は、一目見ただけでも、今回の襲撃で持ち出した数を優に上回っていた。つまり、母船で厳重に保管していた分まで転移されているのだ。そして、詳しく見たわけではないが、転移された銃には目立った損傷も無かった。それこそ、掛けられていた壁も一緒に転移してもおかしくなさそうだが、そんな破片のような物は見当たらなかった。それだけの精度で、しかもあれだけの量の物質を転移させられるのならば、いっそハイラスに乗るドライバーか、生き物を転移できないのならば機体だけを転移させることもできたはずだ。
つまり、アーフェイトは最初から、完全に手を抜いていたことになる。必死に立ち向かっていた自分達の努力は、薄々わかっていたことだが、抑もアーフェイトが戦いに付き合っていたからこそ成り立っていたのだ。その気になれば、一瞬で制圧、全滅させられていた現実を突き付けられ、遂にビオネルは心が折れた。
「は、はは…参りました、降参です。言う通りにするから、許して下さい……」
やはりエクスマギアになど、戦いを挑むべきではない――情けなく懇願しながら、ビオネルはそう痛感するのだった。
MA237便は、定刻から大幅に遅れて、目的地であるマルシア公国の空港へと辿り着いた。空賊団の飛行船も一緒である。
待ち構えていたのは、マルシア公国地上軍の誇る量産型軍用マギア、ドネッケンの部隊である。犯罪集団が乗っているのだから当然ではあるが、驚くべきはその数で、まるで国賓でも迎えるかのような大部隊で発着場を取り囲む様は、その儀礼的な装備も相まって、まさに壮観といったところであった。
普通はここから、投降しろだの人質がどうなってもいいのかだのと言った、検挙側と犯人側の間で一悶着があるものだが、生憎ビオネル達は既に武装解除されている。この包囲網を、肉体となけなしの謀略――尤も、何も妙案は思い付かないが――で突破を試みる程、彼らも愚かではないし、第一にそんな無謀が頭をよぎる余裕も無い程に、精神が疲弊していた。
そうして大人しく軍隊に捕らえられ、下船させられている時に、ビオネルはその原因足るアーフェイトを視界の隅に見る。日の出はとうに終わり、辺りは朝日に煌々と照らされ、鈍色の巨人もまた、その金属質な身体を白い鮮烈な光で彩っていた。
傷一つ無いその姿に、自分達のしたことが全くの無駄だったと改めて思い知らされ、ビオネルは深いため息を吐く――と、そこでビオネル達を連行していた軍人達の歩が止まる。見れば、奥の集団から、一際豪奢な軍服に身を包んだ青年がこちらに向かって来ているところだった。
軍隊なのだから、軍服を着た男性ぐらい幾らでもいるだろう。しかし、周りと比べて、その服装は控え目に言っても、実戦的とは言い難い。どちらかと言えば、式典などで着用する、礼服のような印象を受ける。
まぁ、それも矢鱈と形式ばかり重んじるような、頭の固い人物ならあり得ない話ではない。規律を重んじる軍隊という組織では、視察という名目で現場にそういう立場の人間が来ることもあるだろう。だが、仮に青年がそういう人物だとするには若すぎる気がするし、況して、傍らに付いて歩く小さな人影は、いったいなんの冗談なのか。
一言で言えば、年若い少女である。ビオネルと比べてもやや小柄な男性の横にいると、その小ささ、線の細さが尚のこと際立つ。白いワイシャツの前を黄色いネクタイが左右し、ひらひらと裾が揺れるスカートの丈も、到底軍属の人間が着る服装に見合っていない。長い髪は左右に結わえられ、日の光を受け、鮮やかな赤い色を湛えながら、歩く振動に合わせて小さく跳ねていた。
この場に不釣り合いなその組み合わせを見て、ビオネルの脳裏に嫌な想像が浮かび上がる。思い出されるのは、自分達を散々な目に遭わせたエクスマギア、そしてそのドライバー足る獣人と侍女の2人組。
果たして、その想像は的中していた。ビオネルの目の前まで進み出た青年が、自らの立場を明らかにしてきたのである。
「マルシア公国地上軍第4師団、統括師団長のクエント・マースケスだ。君達が此度の襲撃犯、フェイン・チェッカーズに相違ないか?」
「……マルシア公国のクエント・マースケス!? 『炎熱の貴公子』が、なんで!?」
ガジが素っ頓狂な声を挙げたが、無理もない。マルシア公国のクエント・マースケスと言えば、公国の保有するエクスマギア、ギアメーアのドライバーその人だからだ。「炎熱の貴公子」とは、ギアメーアの戦い振りから付けられた二つ名で、詳しくは知らないが、辺り一面を一瞬で焦土に変える程の攻撃能力を持つらしい。そんな一国の最大戦力が、どうしてこんな所にいるのだろうか。
疑問はまだある。クエントの発したフェイン・チェッカーズとは、確かにビオネル達の空賊団の通り名である。他のならず者達とは違うという、人としての品性を失わない為に、ビオネル自身が名付け、方々に名乗ってきた名である。
だが、ビオネル達がフェイン・チェッカーズを名乗るのは、飽くまで仕事を終えた後の犯行声明のような物だ。仕事の最中に態々正体を明かすのは、不都合の方が圧倒的に多いし、実際そこは今回も徹底していた。たった今顔を会わせただけのこの男が、どれだけの切れ者だとしても、フェイン・チェッカーズと自分達を結び付ける判断材料を持っているはずがない。立場を忘れ、思わずビオネルは身構えた。
「あんた、いったいどうして俺達のことを……」
「口の利き方がなってないわね」
傍らの少女が口を開く。捕らえられたビオネル達を侮っていることを隠そうともしていない、そんな口振りだ。むっとしたが、返す言葉もなく、ビオネルは項垂れる。
大人しくなったビオネルに気を良くしたか、少女は尚も饒舌に嘲った。
「薄汚い犯罪行為に手を染めた分際で、身の程を弁えなさい。あたし達の判断一つで、あんた達全員の首だって簡単に飛ばしてしまえるのよ」
自分よりも明らかに年齢の低い相手に、手厳しく罵られ、何も言い返すことができず、ビオネルは歯噛みする。自分達克て、何も好き好んで空賊などやっていたわけではない。真っ当に生きられるのならそうしていたが、そうもいかない事情があったのだ。そうした事情など、彼らにとっては慮る価値も無い、些事に過ぎないのだろう。
悔しくても、何も反論できない自分が情けなくて――鈍い音に顔を上げ、虚を突かれる。クエント・マースケスの手刀が、少女の頭頂部を強かに打ち据えていた。
音からすると、なかなかの勢いで叩き付けられたはずである。事実、少女はクエントの手を払い除けてすぐ、叩かれた箇所を痛そうに擦っていた。
「いったー…ちょっと、何するのよ!?」
「我々に刑事罰の決定権は無いだろう? 言葉が過ぎるよ、メア」
「何よー、本当のことじゃない!」
緊張感の無いやり取りも、獣人の態度を彷彿とさせる。今にして思えば、エクスマギアという強大な力を自覚しているからこその余裕だったのだろう。
それにしても、偉そうな態度でビオネル達を見下していたメアと呼ばれた少女も、今は年相応の、表情豊かに怒る年頃の娘という感じだ。対するクエントも、戦いの相棒というよりは、保護者のような目線で接している。
「……エクスマギアのドライバーってのは、みんなこうなのか?」
思わず口を衝いて出た言葉に、メアがキッとこちらを睨み付けてきたので、それ以上は何も言わなかった。クエントはと言えば、苦笑いしながら頭を掻いている。
「君達の比較対象は、もしかしなくても彼らだろう? それと比べれば、我々は至って普通の関係だよ」
「そりゃまた、随分な言い草じゃありませんか? 僕らだって、極一般的なエクスマギアのドライバーですよ」
背後から突然声がしたので、驚いて振り向くと、そこにはいつの間にか、件のアーフェイトのドライバー達が佇んでいた。辺りを見渡せば、いつの間にかアーフェイトの姿も見えない。転移機能で本体を何処かに移動させたのだろうか。
――エクスマギアのドライバーという時点で、一般的という言葉とは無縁だと思ったが、そこは口にしないでおいた。
突然現れた獣人達に、さも当然のように、しかも気さくな様子でクエントが話しかける。
「これはアラン殿、それにアン殿も。ご無沙汰しております。通報の件、ありがとうございました」
その言葉で、空港にマルシア公国の軍隊が待ち構えていた理由がわかった。獣人達――アラン達がマルシア公国に通報したのだ。その手段についてはよくわからないが、エクスマギアの人知を超えた能力を目の当たりにした今なら、たかが超遠距離の通報手段程度、なんでもないことのような気がしてくる。
それにしても、一国最大の戦力と、エクスマギアの乗り手とは言え獣人が、随分と親しげな様子で話すものだ。マルシア公国内の獣人の扱いは、他国と比べれば随分とマシだと聞いたことはあるが、それでも一般常識から逸脱する程の権利が認められているとは聞かない。仮にもマルシア公国の顔とも言える存在が、こうまで獣人と親密にやり取りしてるというのは、どうも違和感がある。
「あんた達、知り合いなのか……?」
疑問は幾らでも湧いてくるが、それを精査する冷静さは既に無い。感じた疑問をそのまま、ビオネルが口にすると、アランがばつが悪そうに頰を掻く。
「あー、知り合いと言うか……」
「勝者と敗者、という関係です」
急に言葉を濁したアランに代わり、アンが言葉を続ける。彼女は腕を組み、何故か自慢げに鼻を鳴らした。
「――勿論、わたし達が勝者ですが」
「はぁ!? ちょっと、聞き捨てならないわね、その言葉!」
透かさず、メアが食って掛かった。今にも飛び掛かろうかという剣幕で、アンに迫っている。一方、当人は澄ました顔で、わざとらしく肩を竦めて見せた。
「事実でしょう? わたし達は貴女方に勝ったのですから、勝者を名乗って何か不自然なことがありますか?」
「あれはあんたがズルしただけで、実力での勝負じゃないでしょうが! あたしが本気出したら、あんたなんか、ちょちょいのちょいよ!」
「おやおや、負け犬がきゃんきゃんと、姦しいことで」
エクスマギアの勝敗の重要性は、ビオネルとて理解できる。エクスマギアの敗北は、そのまま他国への影響力の低下を意味する。一度、弱いエクスマギアというレッテルが貼られてしまえば、そのイメージの払拭は困難を極めるだろうし、よしんば回復できたとして、そこに至る時までの、外交上の立場の弱さは覆しようがない。エクスマギアはその絶大な能力と引き替えに、絶対的強者で居続けることが責務となっているのだ。
――という、非常に繊細な政治的側面を持つ話をしているはずの両者だが、傍目には癇癪を起こしている子供と、それをからかっている大人の図にしか見えない。悪い冗談のようなやり取りに、ビオネルは目眩を覚える。
「……彼女、随分と性格変わりましたね」
「まぁ、色々自分の目で見て回って来ましたから」
そんな2人の様子を、相棒の男性2人が他人事のように眺めている。案外、乗り手であるドライバー同士の認識は、国家間程深刻ではないのかもしれない。
「あ、それよりこの人達のことなんですけど」
アランが思い出したかのように、ビオネル達に視線を移してきた。社会にとって、ビオネル達は公共交通に害をもたらしてきた犯罪集団であり、それを捕らえた彼らの社会的貢献は表彰されて然るべきものだ。つまり、相応の謝礼を受け取れる立場ということになる。
「懸賞金のことですか? 証明手続きならこちらでやっておきますが……」
同じことに思い至ったのだろう、クエントが首を傾げる。証明手続きとは、読んで字の如く、誰がビオネル達を捕らえたかの証明する手続きであり、本来は面倒な事務手続きがあるはずだが、身柄の引き渡しはこの場でできるだろうし、クエントの言葉を真に受けるなら、その後の手続きも請け負うらしい。普通は本人が行う必要のある手続きだが、自国の英雄ともなれば代理人にもなれるようだ。
「あ、それは有り難いんで、是非。けど、そうじゃなくて。この人達の正体と言うか、素性のことです」
アランはさりげなく申し出を受けつつも、自分の言いたいことがそうではないことを明かした。その中で、少々引っ掛かる表現を認め、ビオネルは耳をそばだてる。
ビオネル達がフェイン・チェッカーズという盗賊団なのは、既にクエントが指摘した通りである。それを知った経緯には些かの不気味さを感じはしたが、この際それはもうどうでもいい。アランにそこまでの意図があるかは不明だが、仮にそこまでの経緯を知っていたとして、その上でビオネル達の正体を探ってくるのは、文脈上あまりにも不自然だからだ。
ビオネル達の素性は、抑も既に彼らに知れているのだ。今更掘り下げようとする意図が読めない。この期に及んで、こちらの不安を煽るようなことを言い出すアランに、ビオネルは正直うんざりし始めていた。
「――この人達、ドニトレスク帝国の元軍人さんですよ。ほら、2ヶ月ぐらい前に地滑りで崩壊した、山岳地帯の」
――そして、発せられた言葉に目を剥いた。自分達と接点の無いはずのこの獣人は、今、なんと言ったのか。
これに驚いたのは、何もビオネルばかりではない。後ろに並ばされていたトレットが、驚きの声を上げる。
「な、なんでそのことを……!?」
その反応では、自白しているも同然である。口を滑らせた部下を恨めしく思いつつも、虚を突かれればそれもやむを得ないだろうと思い直し、ビオネルはアランを睨み付ける。
――指摘された通り、ビオネル達は最近崩壊した国家、ドニトレスク帝国という小国に所属していた元軍人だった。山岳という天然の要塞に築かれたその国は、ある日、突然の大規模な地滑りに巻き込まれ、その国土と、ほとんどの国民を巻き沿いにして崩壊した。
事故当時、ビオネル達は長期哨戒任務で外地に出ており、使用しているハイラスはその時持ち出していた物だ。彼らが母国崩壊の報せを知ったのは、事故発生から2週間以上が経過してからだった。定期連絡への応答が無いことを不審に思い、予定を切り上げて駆け付けた彼らが見た物は、崩壊した母国の地と、故郷の亡骸を調査と称して荒らし回る、他国の軍隊の姿だった。怒りと疑心、そして家族を喪った絶望に囚われたビオネル達は、他国に保護を求めることもできずに、盗賊行為に手を出したのである。
しかし、それは勿論、対外的に公言している話ではない。出自が割り出されるということは、それだけで活動範囲や目的、拠点などの重要な情報に辿り着く可能性が上がる。即ち、検挙される危険が上昇するのだ。
故に、ビオネル達は自分達がドニトレスク帝国出身ということが露呈しないように、慎重に活動してきたのだ。それを、少し手合わせした程度の相手にぴたりと言い当てられては、動揺もするというものである。
狼狽えている部下達の様子に気を良くした、というわけでもなさそうだが、アランはあっさりと説明し始める。
「機体がまず特徴的過ぎですよ。自国の純国産マギアって時点で怪しいのに、脚の設計を見直した専用のモデルなんか、国外で流通してるわけがない。加えて、飛行船の内外を制圧するまでの手際の良さと、僕ら相手に戦うと決めてからの、落ち着いた連携攻撃も見事でした。機体制御の練度も軒並み高かったし、整った環境で、特殊な訓練を受けていないと、あの高度な操縦技術は身に付きません」
意外にも、アランはビオネル達の操縦技術を褒め称えた。エクスマギアの乗り手など、力に酔った傲慢な人物ばかりだと思い込んでいた所に、不意の賞賛を浴びせられ、ビオネル達は狼狽える。
況して、アランは実際に、手を抜いた状態でビオネル達を一方的に無力化してみせた。これについては、紛れもない事実であり、傲り高ぶるにも充分な根拠となるだろう。それを謙虚なのか、無関心なのかは知らないが、格上とわかっている相手に認められるというのは、なんともこそばゆい。
そんな男達の心情を知ってか知らずか、アランは続ける。
「後はまぁ、帝国跡地から見つかったマギアの総数が、公表されてたマギアより少ないって話も聞いたことあったんで、これらを総合的に判断して、彼らは崩壊を免れた元帝国軍人さんかな、と」
何気なく口にしているが、これも大概、情報通である。一国家の崩壊は、勿論大事であるが、このご時世、世界中に正確な情報が伝わるのには、結構な時間が掛かる。どの時点で聞いたかは知らないが、見つかっていないマギアの総数など、一介の獣人が知り得る話ではない。第一、判断の基準となる保有するマギアの総数など、余程の物好きでもなければ、態々調べようとも思わないだろう。
「……確かに、9機のハイラスが消息不明という報告は受けていましたが…機体と僅かな交戦経験だけで、よくそこまで推理できますね」
顎に手を当て、クエントは唸りながら、アランの推測が正しいことを裏付ける。行方不明になっていたハイラスの具体的な数まで突き止めていたマルシア公国の調査班は有能だったようだが、それと比肩する結論に辿り着いた辺り、アランも相当な切れ者だ。
「ははは、まぁマギアオタクの巧妙ということで、取り調べの役に立てば幸いです」
牙を剥き出して笑いながら、アランは謙遜している。マギアオタクを自称するということは、抑もマギアに対する造詣が深いのだろう。なるほど、それなら一般人なら知り得ないような情報を手にしていてもおかしくはない。思えば、一目見ただけでハイラスを改造機だと見抜いていたのも、元となる知識があったということだろう。
熟々、自分達は運が無かったのか――エクスマギアのドライバーという、遙か高みの存在達が談笑する様を眺めながら、ビオネルは脱力した。
フェイン・チェッカーズの引き渡しを終え、クエント達から離れたアラン達は、一度飛行船の部屋に荷物を取りに戻った。何せ、襲撃から今まで、急に部屋から引きずり出されてから戻る暇など無かったものだから、当然、荷物もそのままだった。そのまま立ち去っては、今後の旅に深刻な支障が出てしまう。
検分に訪れていたマルシア公国の軍人達から奇異の目で見られつつ、そそくさと荷物をまとめて引き上げる。現場である飛行船内部は、現場保存の観点から立ち入りの制限や、乗客からの事情聴取が行われている最中だったが、そこはクエントの計らいで、アラン達は免除されていた。
そうして、何食わぬ顔で飛行船を立ち去ろうとしていると――ロビーを通り過ぎようとしたところで、突然大声で呼び止められた。肩を怒らせて歩いてくるその姿は、一瞬誰か思い出せなかったが、レストランで悪態を付いていた、裕福そうな格好の男性だった。
制止しようとする軍人を無視し、アランに詰め寄ってきた男性は、その鼻先に指を突き立て、声を荒げた。
「この毛深め! あんな物を持っているなら、もっと早く助けられただろう!? 何故そうしなかった!?」
何を、どうして怒鳴られているのか、本気で見当が付かず――ややあって、アーフェイトの力があればもっと早くフェイン・チェッカーズを退けられたのに、どうしてそうしなかったのか、そこを糾弾されているのだと思い至る。
どうもこうも、最初からそんなつもりはなかったからである。自分達の財産などたかが知れているし、どうしても大切な物はアーフェイトの能力で隠しておける。生命の危機に瀕すれば、その時に対処するだけで充分だ。大体、自分に対し差別的な赤の他人の為に、態々進んで危険を犯す理由も無いだろう。深刻な事無かれ主義者であるアランにとって、今回の件、実は一般人のふりをしてやり過ごすのが理想だったのである。
結果として、目の前で子供が理不尽な暴力に曝されるのは見過ごせなかったわけだが、これかてその一時の話で、これを機に反撃しよう、よしんば逆に制圧してやろうなどとは思わなかった。ビオネル達の警戒心が必要以上に働いたというだけで、あの場は本当にそれ以上事を荒立てるつもりは無かったのだ。
それに、アランの個人的なポリシーはさておき、エクスマギアを預かる身として、その力は軽々しく振るうべきではないという、尤もらしい理由もある。戦力としてのエクスマギアは、当然、あらゆる勢力にとっての脅威であり、エクスマギアを保有する国家同士は、表面上は外交を結んではいても、常々相手への警戒を欠かさない。それだけ危険視されている存在が、あろうことか、根無し草の手駒として、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしているというのは、各国にとっては、さぞ心臓に悪いことだろう。世界情勢を憂いているわけではないが、強大な力を持つ者として、その行使に積極的になってはいけない――これは、旅をする上で、アランとアンが自分達に課した枷だった。
とは言え、無用なトラブルを避けるためにも、あまり大っぴらにアーフェイトを動かしたくないというのが、とにかくアランの本音であるが、これを目の前で顔を真っ赤にしている男性に言って聞かせたとして、余計に怒りを買うのは目に見えている。どう返したものかと悩んでいると、黙っている姿が反抗的にでも見えたのか、男性が更に詰め寄ってきた。
「――貴様、さては腹いせにわざと戦わなかったな!?」
その言葉を聞いて、ようやくアランも合点が行った。正直、今更アラン達を責め立てたところで、彼には何も益がない。にも関わらす、こうも食って掛かるのは、抑の目的が「アランへの八つ当たり」だからだ。
難癖をつけて喚き散らさないと気が済まず、そこに折良く、大嫌いで、しかも件で大活躍した相手が通りかかった。もっと言えば、自分達は事情聴取で拘束されているのに、この獣人は、何食わぬ顔で立ち去ろうとしていたのだから、獣人を毛嫌いしている男性からすれば、気に食わないのも当然だろう。必然、我慢ができなくなった男性は、こうしてアランに不満を叩き付けて、溜飲を下げようという腹積もりなのである。
――ちなみにだが、腹いせに戦わなかったという男性の指摘も、差別してきた相手を守ってやる義理は無いだろうという判断があった辺り、あながち間違ってはいないのだが、勿論これも口に出すと話が拗れるだけなので、言わないでおいた。
上手い返しが思い付かずに黙っていると、男性は図星を突いたと思ったか、間髪入れずに捲し立ててきた。
「毛深風情が、人間様を助けずに、いったい何様のつもりだ!? 貴様らの価値など、我々人間に忠誠を誓い、奉仕する以外に存在しない! 下らん自我など捨てて、黙って我々人間の為に働け、このなり損ない共が!」
激しい様子で男性はアランを責め立てる。自分が拘束されて、獣人が自由に行動しているのが、余程腹に据えかねるらしい。名前もよく知らない相手に向かって、自分の負の感情を隠さずに叩き付けられる胆力と正直さは、いっそ彼の美徳かもしれない。
――突如、横から殺気を感じ、アランは咄嗟に振り返る。そこには、口をへの字に歪め、目を見開いた、凄まじい形相で男性を睨み付けているアンの姿があった。何か言いたいのを我慢しているのか、唇が半開きのままぷるぷると震えており、彼女の怒りがそろそろ限界近いことを物語っていた。
知識に裏付けされた判断をすることは得意なアランだが、実のところ、機転はあまり利く方ではない。アンを宥めつつ、男性を受け流すのが理想だが、生憎とそんな器用さは持ち合わせていなかった。男性の理不尽な言い分は留まるところを知らず、比例してアンの臨界点も近付いている。早くなんとかしないといけないのだが、困ったことに、当の本人が言われたことを真剣に受け止めておらず、対してこれ以上関わりたくないという面倒な希望と板挟みになってしまっているせいで、まともな解決策が思い付かなくなってしまっていた。
――マルシア公国の軍人達が仲裁に入ったのは、いよいよアンが殴りかかろうかという時だった。両者の間に割って入り、まぁまぁと宥めつつ、肩を押さえて徐々に距離を空ける。流石は軍人、その力は鍛えているだけあってか、まだ何か言い足りないらしい男性の抵抗も虚しく、その間は見る見る開いていく。甲斐あって、アランは鼻息の荒いアンを抑えるだけで事足りた。
「君も懲りないねぇ…怒ったってしょうがないのに」
「何がしょうがないもんですか」
事情聴取を待つ群団の中に連れ戻された男性を見届けた後、アンにため息を吐かれ、アランは苦笑いした。自分のことを思って怒ってくれるその心意気は嬉しいが、彼女の怒り方は、率直に言って下手だ。迷惑だと思ったことはないが、容易に手を出しかねない剣幕を見ていると、やはり無用なトラブルを招きそうで、こちらが心配になってしまう。
とにかく、さっさとこの場を立ち去るのが一番良い。獣人が侍女を引き連れて歩き回ってるという絵面がもう人目を引くし、それにしたって自分達は色々と奇特だ。一所に留まっていれば、それだけ奇異の目で見られるし、先の男性のようにいちゃもんを付けてくる人もいるかもしれない。荷物を引き取るという当初の目的は達しているのだから、これ以上ここに居座っている理由は無かった。
「――あの、すみません!」
まだ納得してない様子のアンをせっつきながら、ロビーを出たところで、後ろから声を掛けられる。はて、また面倒事かなと内心げんなりしつつ振り向くと、そこにいたのは1人の女性と、その女性の後ろに隠れるようにしてこちらを窺っている小さな子供だった。高級そうな衣服を見て取り、即座に先の男性と一緒にいた、そしてフェイン・チェッカーズの横暴からアランが庇った、あの親子だと気が付いた。
同じことに思い至ったのだろう、アンが咄嗟に身構える。何せ、あの男性の伴侶とその息子――確証は無いが、レストランで同じテーブルに座っていた辺り、ほぼ間違いないだろう――なのだ、どんな難癖を付けられるのか、警戒しているに違いない。かく言うアランも、また小言を言われるのかと、うんざりしているのは否めない。
「この子のこと、助けていただいてありがとうございました」
諦観のまま、何を言われるのか待っていると、予想だにしない言葉を貰い、2人は揃って面食らった。大方、男性同様に荒唐無稽の罵詈雑言を浴びせられると思っていたし、そう思い込むだけの扱いは十二分に受けている。ともすれば、まさか面と向かって謝辞を述べられるなど、まったく予想していなかったのだ。
それにしても、この行動を、彼女の夫が許すとは思えないが――と、ここまで意識して、ようやく気が付いたが、よくよく観察すると、奥のホール内ではちょうど、例の男性が聴取されている最中で、上手いことこちらの方が見えないように、周囲を背の高い軍人達が取り囲んでいた。男性の気が逸れた隙をついて、夫人が軍人達の協力を経て近付いてきた、といったところか。そうすると、先の言葉は彼女個人からの、純粋なお礼ということになる。
考えてみると、彼女からすれば、アランは息子を助けてくれた恩人だ。獣人であることは、その点を考慮すれば些末な問題ということだろう。尾首にも出さないが、アランは反射的に相手を疑っていたことに気付き、思い込みだけで相手を判断していた己を反省した。
ふと、夫人の陰からこちらを窺っていた息子と目が合う。アランの姿を認めると、息子は怯えた様子でさっと夫人の後ろに隠れてしまい、アランは心の中で苦笑した。何せ、この図体に顔付きだ、幼心に恐ろしく映るのも仕方ない。
ところが、そんな恐れおののく我が子を、「ほら」と夫人が自分の陰から押し出した。守るべき自分の息子を手ずから差し出すような真似をして、いったいどういうつもりなのか。
息子は明らかに怯えながらも、母親の導きのままにアランの足下まで来ると、少々俯き加減ではあるがこちらを見上げ、おずおずと何かを差し出してきた。小さな手に収まったそれがなんなのか、戸惑いながらも受け取って観察してみる。
――それは、彼がフェイン・チェッカーズに襲われた切っ掛けともなった、木製のペンダントだった。こうしてまじまじと見てみると、既製品とは異なる、お世辞にも整った出来映えとは言えない代物で、失礼な話ではあるが、これでは気を張っていた団員の神経を逆撫でしたのも頷ける。
「――あげる! 助けてくれたお礼!」
そう言うや否や、子供はぱっと踵を返し、母親の元へと戻っていった。大役を果たした息子を迎えた母親は、今一度アラン達に深々と一礼すると、連れ添って夫の元に帰っていく。去り際、子供がアランを「犬のお兄ちゃん」と呼び、手を振っていた。
――終始、呆気にとられていたアンが、沈黙に堪えかねたか、口を開いた。
「――なんですか、あれは」
その表情は依然、憮然としており、感謝されたことを素直に受け止めていないことを如実に物語っていた。確かに、直接命を救われたにしては、呆気なく、与えられた報酬もその価値に見合う物とは到底言えない。推測できる範囲ではあるが、彼らの社会的立場を鑑みても、客観的には誠意の足りない対応だっただろう。
それでも――と、アランはアンを窘める。
「いいじゃない、感謝されてるってわかったんだしさ」
そう言って、手の中のペンダントを改めて眺める。でこぼこしていて、まるっきり商品価値の無さそうな木彫りのそれは、おそらく、あの男児にとっては大切な物だったに違いない。それをお礼の品として渡してくれたという事実が、アランの心を暖かくする。
アンは不思議そうな顔でこちらを見ている。こういう、人それぞれの誠意の表し方というのは、彼女にはまだ難しいのか――いや、理解はできても、それに対する自分の感情の制御が上手くできないだけなのだろう。どれほど優れた技術を有していても、人の心の機微は永劫、複雑怪奇なのだ。
そんな、自分とは不器用さの方向性が異なる相棒に想いを馳せつつ、アランは小さくて拙い、しかし唯一無二の"宝物"を、満足げに見つめるのだった。