うちの騎士はおかしいと思うbyド・ベレト公女マリアン
感想欄でちらっと言ってたグローリアンのおまけ話です。
これはド・ベレト公女マリアンがアンブロシーヌ新女王即位に際し、バルドア王国宰相への就任を求められた直後のことである。
王都にあるド・ベレト公爵家屋敷は一風変わった建物で、古くはこの土地に根付いていた宗教の主神殿だったとのことだが、外壁から屋敷内に至るまで磨かれた大理石の謎の模様入り巨柱が無数にあり、建物の中心には当主の私室や書斎が、そこから各部屋は渦巻き状に配置されている。遠く遠く昔の信仰はもはや受け継がれていないが、その歴史的および美術的価値はバルドア王国の王侯貴族たちに認められてこうして残っている。
奇妙な屋敷のエントランスは扇形に外へと開けており、敷地内に車寄せはないことから必ず客は歩いてここへやってくる。今日やってきた客は——エルケル伯爵家嫡男フェレンツ、屋敷の主人であるマリアンの婚約者だ。
ちょうどエントランスにいたマリアンの一の騎士グローリアンが、執事や使用人より先にフェレンツを出迎える。
「ようこそおいでくださいました、フェレンツ様」
絶世の美形と謳われて久しい『完璧な騎士』グローリアン、その穏やかな微笑みと完璧な敬礼に迎えられ、少しばかり間を置いてから真顔のフェレンツは握手を交わす。
「元気そうだな、グローリアン。マリアンは?」
「書斎にて少々仕事を片付けられております。先ほど、緊急の案件が持ち込まれたため」
「そうか、出直したほうがいいだろうか? アポイントも取っていなかったことだし」
「いえ、大丈夫でしょう。マリアン様は優秀でございますから、それにフェレンツ様の来訪とあらばマリアン様は大喜びなさいますよ」
ふむ、とフェレンツは冷静に受け答え、グローリアンの案内を受けてマリアンの書斎へ向かう。
渦巻き状の建物には起伏があって、くるくるとただ巻かれているだけではない。螺旋階段やスロープ下に隠し通路や隠し扉がいくつもあり、一見客は案内なしでは決して中心部へ辿り着けないほどだ。ド・ベレト公爵家屋敷が別名『渦巻き迷宮』と呼ばれる所以でもある。
そしてグローリアンの言ったとおり、そんな迷宮の主は、婚約者の顔を見るなり飛び上がって喜んだ。
「あら、フェレンツ! 来てくれたのね!」
赤みがかった金髪を揺らし、バーガンディのドレスの裾を払いながら、マリアンは久々に会うフェレンツへとびきりの笑顔を見せる。フェレンツはというと、わずかに頬を緩めて両手を開き、マリアンを待ち構えている。
「ああ、最近君の顔を見ていなかったから、心配になってね」
「もう! もっと早く会いたかったわ! 毎日でもいいくらい!」
書斎机に山積みの書類を放り出し、マリアンはフェレンツに抱きついた。抱きつかれた衝撃でメガネがズレたフェレンツは片手でマリアンを支え、片手でメガネのつるを上げる。
王侯貴族の正式な婚約者同士としては珍しく、二人は相思相愛だった。マリアンの手のつけられない気性を見抜いた昔の宰相が、冷静沈着で有名だったエルケル伯爵に息子を紹介するよう頼み、実現した政略結婚だったのだが、フェレンツがマリアンの手綱を握るどころかマリアンの暴走をより鋭く加速させるとは誰も思いもよらなかっただろう。
そのおかげでマリアンは広大な領地の経営に成功し、才覚をアンブロシーヌ新女王に評価されて新宰相へ任じられたほどだ。
——と、そこまではよかった。
抱擁をようやく解き、お茶を、とマリアンが言おうとしたそのときだ。
騎士グローリアンがジト目でマリアンを見ていた。マリアンは咎める。
「何、グロー。その目は」
しれっと口を尖らせたグローリアンは目を逸らし、フェレンツに絡む。
「いいえー。ところでフェレンツ様」
「うん?」
「マリアン様を抱きしめたあと私とハグすれば、私はマリアン様と間接ハグとなるのではないでしょうか」
「グロー、そのあたりにしておきなさい」
「はい」
しれっと主君の婚約者にとんでもないことを言い放った騎士グローリアン、咎められるのは当然である。
しかし、いつものことだ。マリアンは深いため息を吐く。
「はあ、ごめんなさいね、フェレンツ。いつもいつも」
真顔に戻ったフェレンツは、些細なことだ、とばかりだ。
「気にしていないよ。グローリアンは間違いなく次世代を担うに足る優秀な騎士だ。それに、君に無関心な騎士よりも、君のことが大好きな騎士に守ってもらうほうが安心だよ」
「まあ、そうなんだけれど」
そう言いつつ、マリアンはどうしようもなく主君が大好きなグローリアンへと振り向いた。
怒られて拗ねているのではないだろうか、そう思ったからだが、生憎とグローリアンはそんな脆弱なメンタルをしていない。
その証拠に、なぜか鎧を脱ぎ捨て、ついでに主君と同じバーガンディの騎士服も脱ぎ捨て、下着のみで待機していた。大袈裟に手で自分の顔を扇ぎ、何かのジェスチャーをしている。
脱ぎ散らかった服を跨いで、怒りのマリアンはグローリアンの胸ぐらを掴もうとしたが服はなく、しかもグローリアンに手をぎゅっと握られた。ここぞとばかりである。
「何で脱いだ」
「お二人がお熱いことを表現しようと!」
「何でよ! 着ろ、服を!」
貴族令嬢としての顔などかなぐり捨てたマリアンを、グローリアンは余裕で手を握って抑え込む。その横で、フェレンツはまじまじとグローリアンの肢体を上から下まで眺め、感心していた。
「しかし、グローリアンは均整の取れたいい体をしているね。画家や彫刻家が放っておかないだろうに」
「ええ、もちろん! マリアン様のご命令でときどきヌードモデルに派遣されております」
「誤解がないように言っておくけれど、芸術家のパトロンになっている貴族からよく頼まれるのよ。ついでに婿に来ないかって誘われることもままあるわ」
「それはまあ、君の騎士だからということもあるだろうが、さすが大人気だね」
その間にも、マリアンとグローリアンの攻防は続く。服を着せたい主君、主君と手を繋ぐ理由ができた裸の騎士、大概な状況である。とはいえド・ベレト公爵家屋敷ではまま起きることであり——正確にはマリアンと友人イグレーヌの前でだけ主君への愛が暴走する『完璧な騎士』グローリアンだ——他の使用人には一切悟られていないあたり、さすが『完璧な騎士』である。
実はフェレンツは今日初めて暴走するグローリアンを見たのだが、冷静沈着で知られる未来の官僚候補はおかしいことを指摘するよりも、もっと遠大なことを考えていた。
フェレンツは語りかける。
「グローリアン」
「はっ、何でしょう、フェレンツ様」
「私がいない間は、マリアンにいくらでも甘えてもらってかまわない」
「ちょっと、フェレンツ!?」
「膝枕はオッケーですか!?」
「そのくらいで私が嫉妬するように見えるかな? 君は高潔な騎士だ、絶対にマリアンを泣かせることはないだろう。私はそう信頼している、マリアンが君を信頼しているのと同じくらいに。『完璧な騎士』グローリアン、君は君なりに騎士であろうとしているのだろう。私はそう見たよ」
マリアンは絶句した。これのどこがそう見えるのか、と怒鳴りたくてたまらないが、婚約者の見立てが間違っているとは口が裂けても言いたくはない。ぐぬぬとマリアンが葛藤している間にも、グローリアンはまだ暴走する。
「つまり、フェレンツ様公認のロマンスな関係を築いてもいいと!」
「手の甲にキスくらいならね」
「本当ですか! では今すぐ!」
「落ち着け駄犬。服を着ろ」
「くぅん」
マリアンが本気で怒れば、グローリアンも察して大人しくなる。なぜか犬のように「わん」とか「くぅん」とか鳴くものだから、もしかしてそういう性癖や願望があるのだろうかとも思えるが、いちいち聞きたくなくてマリアンは無視している。私の一の騎士は変態です、なんて真実は隠しておかなくてはならない。貴族的に考えて。『完璧な騎士』グローリアン、その実態はとりあえず隠しておいたほうがいい。マリアンは深く深くため息を吐いた。
なのに、あろうことかグローリアンまでため息を吐き、フェレンツに愚痴っていた。
「はー、マリアン様は本当にフェレンツ様しか眼中にないのです。私がこうして裸になっても知らん顔です、もし私がご婦人方の前で脱いだら誰一人放っておきませんよ?」
「それはもうただの露出狂じゃないの?」
「マリアン、グローリアンには脱ぎ癖が?」
「なかったはず」
「私の裸はマリアン様にしか見せませんとも! あっ、フェレンツ様にも見られましたね!」
「やめなさいよ、いつも見ているみたいでしょ! 見ていないからね、フェレンツ!」
「見てくださいよおおおーーーー!」
「迫ってくるな!」
大声で叫びながら迫ってくる裸の絶世の美青年、これだけですでにマリアンはドレスの裾をたくし上げて相手の急所を蹴飛ばす理由を得ている。
——のだが、蹴飛ばす前に書斎の扉が勢いよく開いた。
「失礼、叫び声が聞こえたもので。何事ですかな、マリアン様」
実に真剣な表情で現れたのは、大柄ながらも理知的な顔立ちで、貴族と言っても通りそうな気品を備えた黒髪の壮年の騎士だ。近衛騎士の鎧を久方ぶりに着用し、王の騎士として信任された者にしか与えられない銀装飾の剣を腰に下げている。
その騎士の名はブレイブリク、銀槍の騎士と名を馳せたアンブロシーヌ新女王の一の騎士だ。
しん、とマリアンの書斎は時が止まったように静まり返る。
立ち尽くすフェレンツ、足を蹴り上げようとするマリアン、マリアンへと縋っているグローリアン、ちなみにグローリアンは以前ブレイブリクの従騎士を勤めていた。ブレイブリクからあらゆる騎士としての技や礼儀、教養を教え込まれた弟子でもある。
ブレイブリクの視線がグローリアンへ固定され、固まった二人をよそにやらかしたグローリアンの断罪が始まる。
「騎士グローリアン。これはどういうことだ?」
調子に乗りすぎたグローリアン、慌てて舌を噛みつつ言い淀む。
「はい! あっ、いえっ、これはその」
その様子を、まるで蛇に睨まれた蛙だわ、いやどちらかといえば雷を落とされる直前の叱られる子どもだよ、とマリアンとフェレンツは他人事のように鑑賞している。この状況が外に知られれば、『完璧な騎士』グローリアンの理想像など吹っ飛んでしまいそうだった。
険しい表情のブレイブリクはきちんと論理的にグローリアンを追い詰めていく。
「主君の前で裸になるよう命じられたのか?」
「マリアン様がそのような命令を下すことは断じてございません!」
「なら、貴殿の意思か。それとも主君の前で痴態を晒す癖でもあるのか?」
「あっ、えっと、まあ命令されれ……マリアン様はしないですよ!?」
混乱の最中にあるグローリアンには、もはや逃げ場はない。
本日もっとも深いため息を吐いたのは、おそらくブレイブリクだろう。弟子の醜態を見かねたブレイブリクは、グローリアンの頭を銀の手甲で包んだ大きな手でがっしり掴む。鷲掴みである。
「どうやら、今一度その性根を矯正する必要がありそうだな、グローリアン」
ブレイブリクの声色は、パンツのみの能天気な格好をしているグローリアンを震え上がらせた。
「助けてマリアン様! 銀槍で串刺しにされちゃう!」
「いい機会だから直してもらいなさいよ、その性癖。ブレイブリク、お願いするわ」
「承知いたしました。ああ、こちら、アンブロシーヌ様からの書状と書類です。のちほどお改めを」
「ありがとう。それじゃ、よろしく。用事があるから明日の昼までに返してくれればいいわ」
一応ブレイブリクは紳士なので、グローリアンに服を着ることを許した。
この日、『完璧な騎士』グローリアンが王城でどんな目にあったかを知るのは一握りの騎士と偶然見かけてしまったイグレーヌ王女だけであるが、一切口を閉ざしたグローリアンの代わりに翌日イグレーヌがすべてマリアンへ話し聞かせたため、ちょっとマリアンは真顔になった。
何が起きたのか、それは口外しないほうがいいだろう。マリアンはイグレーヌと認識を共有したのであった。
(了)
よければブックマークや☆で応援してもらえると嬉しいです。が、コメディは人それぞれツボが違うので「ないな……」と思ったらそっ閉じしてください。