侵入者
「お疲れ様です」
全員が声をかけると、市長は無視して、俺たちを素通りしていく。
霧島もこの土地で生まれの純粋培養者なのだが、もう太陽の匂いがしない。生まれながらにして腐れ切っている月島大臣と太く強固に繋がって、毒にやられて根腐れしてしまったようだ。平の職員の言葉は耳に入らない。自分はこんな田舎人間とは違うんだ。そう主張するように、上等なスーツを着ている。毒の回り具合を示すように年々スーツの値段が上がっているようだ。不似合いだということに気づかず、堂々としているその歪さが滑稽だと誰もが思っているのに、本人は全く気付いていない幸せ者だ。
もっさりとした白髪と丸っこい顔に乗った切れ長の瞳を一直線に瑞穂の方へと向けていた。
「お疲れ様、瑞穂君。今度、君のお父さんと食事をすることになってね。瑞穂君も一緒にどうだい?」
「それは、私の業務である秘書として同席しろという意味ですか?」
「いやいや、そういうことじゃなくて。しばらく娘と話せてないという嘆きを電話で聞いていたものだから……」
「でしたら、遠慮しておきます。父には元気にしているとだけ言っておいてください」
霧島もたじたじだ。どっちが市長なんだか。
そもそも、瑞穂がここにやってきたのは霧島と父親が娘を政略移住させたというのがもっぱらの噂だ。俺は噂は信じない。けれど、大方その通りなのだろう。瑞穂が引っ越してきた当時は大物政治家の娘が田舎に移住してきたと大いに話題になっていたし、市長が「これで我が町も安泰だ」と酒席でつい溢していたのをこの耳で聞いた。
月島大臣の愛娘がこの土地にきたとなれば、弱小地方都市にかかりがちな大都市からの圧力もかけにくくなる。そんな戦略を思い付いたのだろう。
「そんなことより、今話題のホワイトの動画、市長も見られましたか?」
瑞穂は、急に話題をかえて霧島市長にもマウントをとりはじめる。ポケットにしまってあったスマホを手にして画面に指先を滑らせ始め、動画を再生しようとしてところで、終業の鐘が鳴っていた。
他の職員たちは、鐘の音とともにバタバタと机の上に広がっていた資料やパソコンを閉じていく。閉じられた表紙や真っ黒になったパソコンの画面にはプライベートと太字で書かれていた。仕事中は利害関係に敏感に反応して瑞穂に周りに集まっていた職員たちも手に平を返したように、早々に解散し帰路についていく。
瑞穂はこの話題を強制終了されたことで、口元はへの時に曲がっていた。ピンヒールで不満をまき散らしながら市長室の一番近い席にドスンと腰を下ろす。それを横目で見て鼻で笑い、俺も解散の流れへ乗るために、荷物を鞄へ詰め込む。足早に帰路へつこうとしたら、真面目な顔をした間宮が近づいてきた。
「八神、ありがとな」
「何が?」
ホワイトのことで頭がいっぱいになっているせいもあったが、礼を言われるような覚えもない。片付けしていた手を止めて、何度か目を瞬かせていると、間宮は照れくさそうに言った。
「住職のところだよ。お前が先陣切ってくれなかったら、ずっとこのままだった」
あぁ、そのことか。今日俺が動こうと思ったのは、大部分は面倒くさい月島瑞穂から逃れるため。そして、俺が動きやすいようにより環境改善したいがための一連の行動だった。そんな本音を知らず、俺の中に残っているのかどうかも怪しい微々たる善良を勝手に見つけ出し、拡大させて額面以上に受け取ってくれる間宮は、本当に純粋培養者だと思う。
「礼をいうのは、俺の方だろう。間宮が空気を変えてくれたんだ。助かったよ」
そのことについては、心底ありがたく思っている。ここに根を下ろしている大抵の人間は、流入者の過去を聞きたがる。それはこの役所においても、例外ではなかった。俺も数えきれないほど「昔はなにやっていたんだ。どうしてここにやってきた」と耳にタコができそうなくらい同じ質問を投げられてきた。今まで気づかなかったが、そんな中で間宮だけは何も聞いてこなかったような気がする。他の誰かから、すでに俺の話を耳に挟んでいたせいかもしれないが、詮索の欠片もされたことがなかった。
俺が素直に礼を返すと、間宮は照れ笑いを浮かべていた。
「だってさ、人の昔話聞いたところで、意味ないじゃん? 今目の前にいるそいつが俺の知っている人間で、これ以上でもそれ以下でもないだろ?」
田舎という場所は、新庄住職のように面倒だと思わせられることの方が断然多い。だけど、それをも簡単に覆してしまうほどの純粋さを持つ人間と出会えたなら、この地への愛着は一気に高まるのだろうなと思う。土地や環境よりも、結局は人なのだろう。
「だから、有難いんだよな……」
つい口から零れてしまった呟きに、苦笑しながら俺は席を立つ。
「じゃあ、俺はもう帰るわ」
「おう。また明日、住職のところへも顔出そうぜ。またな」
「あぁ」
鞄を手にして、市役所を出た。
日が落ちた帰路。街頭はほぼ皆無の真っ暗な道を歩いていく。俺は普段の仕事の関係で猫のように夜目が利くために必要はないが、この地区に住む者にとって、懐中電灯は必須アイテムとなっている。
田圃の土と水の香りを含んだ冷たい風に吹かれながら、歩いていく。
住んでいるアパートは、流入者用が住む場所専用にと税金で建設した地区に経っている。地区といえば聞こえがいいが、田んぼに囲まれており、新参者が地元民に迷惑が掛からないように追いやられているような場所に、安っぽい三棟並んでいるだけだ。移住民は自分たちがまるでばい菌扱いされていると不満があるようだが、俺にとっては好都合ではある。
真新しい白い壁の前にたどり着き、並んでいるアパートの真ん中の階段を上る。上がってすぐの部屋が俺の住処。薄っぺらいドアノブについた鍵穴にカギを差し込んで回せば、一応カギはかかっていたようで、手ごたえがあった。薄っぺらい玄関の戸を開く。
ここに越してきてきた頃から、正直かなり不安だった。本当なら頑丈なドアに破られにくい強固な鍵をつけたいところだが、そこは妥協するしかなかった。ほかの住民たちと足並みをそろえる必要がある。むやみやたらとドアを改造するわけにもいかず、薄っぺらいドアと安っぽい鍵で我慢するしかなかった。
部屋の中に入ると、左側にあるキッチンへカギを置く。右側の兼洗面所トイレ兼風呂場でシャワーを浴び、Tシャツスラックスに着替えを済ませるというのが常日頃だが、今はそんなことしている余裕もなかった。正面リビングへ直行する。
畳の上に座り、目の前のローテーブルに乗ったパソコンを立ち上げに時間を要している間に、壁に沿って設置されている作業台へと、食いつく。ホワイトが映像で流していた証拠品を確かめるために、ポケットに入れておいたカギを取り出し右下の引き出しの鍵穴へと、カギを入れてまわす。だが、ぞっとするほど手ごたえがなかった。心臓が慌てて呼吸を始める。うるさい心拍音に囃し立られて、俺は勢いのまま引き出しを手前へ引いてみると、何の抵抗もなくあっさりと開いていた。そこにあったはずの獲物は空っぽ。代わりだといわんばかりに置いてあったのは、四つ折りにされた白い紙だった。
誰かここに侵入してきた事実に驚愕しながら震える手でそれを手に取り、開いた。
『本日二十三時。わたくし独自に作り上げた会議システムに繋げ、指定IDでログインしてください。今後について話し合いましょう。あなたに選択肢はないということは、おわかりですね? お待ちしております。 ホワイト』
それに手を伸ばし開くと、脳みそが沸騰しそうなくらい怒りと焦りが急速に頭をめぐっていた。
どうして、知っている? どうやって辿り着いた? 高速で、これまで手掛けてきた仕事の記憶を手繰り寄せる。けれど、直近ではどれも完璧な仕事をしている。証拠は何一つ残していないはずだ。盗みに入った後のケアとして、盗聴も忘れずに行っているが、どれも「誰がやったんだ」と騒いでいる音声ばかりだった。
だが……一つ。あるとすれば……。……六年前、最初で最後のヘマをしたあの時だ。苦い記憶が蘇り、奥歯でかみ砕く。
指定された時間までまだ時間がある。俺は、再度ホワイトの動画を確認するため検索すると、すぐに目に飛び込んできた。
『子供たちを薬漬けに! S社社長の卑劣な顔』という題名の横に表示された再生回数は、すでに一千万回を突破していた。以前も、似たような企業の不正を暴いた動画を公開していたが、内容も薄く証拠もないものばかりで再生回数は、低俗な数字で終わっている。それに比べたら、どれだけ注目されているのか。この数字さえ見れば一目瞭然だった。
そこをクリックすると動画が始まった。
職場では、見なかった導入部分が始まる。有名なハッカー集団がよくかぶっている不気味な薄ら笑いを浮かべた白い仮面を被り、黒い法衣を身にまとったホワイトが薄暗い部屋の真ん中に現れた。
『こんばんは。私はホワイト。人間という生き物がどれほど醜く、残酷か。共に知り、共有し、民衆の力で正義の鉄槌を下そう』
音声は、低音加工してあり、無機質だ。ホワイトは昔からこのスタイルだ。現世には存在せず、他の世界で存在する神だとでも言っているかのような胡散臭さだ。ストップさせてしまいたくなるが、我慢して動画を進めていく。
『では、早速これをお見せしよう』
そのあとの映像は、職場で見たものと同じだった。
大量の薬と資料。空っぽになっている棚の中身がそっくりそのままその手にあった。
まるであいつの手の中で、俺が踊らされているような錯覚に陥る。