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新庄住職

 舗装されていない道を十五分ほどあるいていく。田んぼ一つ分くらいの大きさがぐるりと塀で囲まれている。その中心に日本家屋が見えた。他の家とは違う、少し気高い雰囲気が漂っている。

 経営している寺は、少し離れた場所にあるため、昼過ぎになると住職はスクーターに乗って寺へ通っているらしい。時間も早いためここにいるだろうという予想は的中したようだ。その家の前に年季の入ったスクーターが一台止まっていた。

 自宅正面に立つと瓦屋根が乗った重厚感のある数寄屋門。部外者を拒むような雰囲気を漂わせている。間宮は完全に怯んでいるようだが、門の格子越しに透けて見える奥から、子供の声が俺たちを引き入れるように聞こえてきた。

 住職の子供だろうか。その割には、ずいぶんと幼そうな高い声だ。孫と一緒に住んでいるのだろうか。、門へと手を伸ばそうとした。だが、それよりも早くガラリと扉が開いていた。

 四、五歳くらいの子供が五人ほど引き戸の奥から顔を出してきて、大きな声が空高く響いた。

 

「こんにちはー!」

「お客さんだー」

「だぁれ?」

 まだ、俺の腰にも届かないほどの小さな子供が我先にと玄関先へ出てきた。まだ、たどたどしい言葉遣いから、五、六歳くらいだろうか。五人ほど並んでいた。奥さんが亡くなっていると聞いていたから、一人暮らしだと思っていたために、意外な出迎えだった。心構えができていなくて、思わず言葉に詰まる。間宮が、この子供たちと負けず劣らずの笑顔を向けていた。

「こんにちは。今、新庄住職いる?」

「いるよー! ちょっと待ってて。行こうー」

 また一斉に、騒がしく門の奥へと消えていく。駆けていく小さい子供たちの小さい背中は、楽し気に飛び跳ねていた。

 

「住職は、孫と一緒に住んでるのか?」

「いや、住職夫妻の間には子供がいないよ。身寄りのない子供を預かってるんだ。住職、昔からこうやって引き取ってたりしてたんだ。外から来た大人には、厳しい対応しがちだけど、子供には優しいんだよ」 

 住職ーどこー! 遠慮ない大声で呼ぶ声が、外まで聞こえてくる。ここでの生活はのびのびと、明るいものだとわかる声だ。大声で叫んだり騒いだりしたら、殴り飛ばされるのは当たり前。厳重に鍵をかけられている檻を息を殺しながらすり抜けて、逃げ込む場所は図書館しかなかった環境とはまるで違う。

 ずっと忘れていた胸の奥が呼応するように疼いて、鈍く痛んだ。

 子供は引き取られた場所によって、これほどまでの差ができる。十分知っていたことではあったが、実際に目の当たりにすると何とも言えない気分になりそうだ。そして、ふと思う。

 昔、手の中にあった小さな温もり。カスミは、こんな環境で育っていてくれたら、と。

 柄にもなくそんなことを思い、感傷に浸る自分へ嫌気がさしてくる。過去を振り返るのは好きじゃない。深くため息をついて、溢れだしそうな気持ちを遠くへと追いやる。そこにビリビリと地響きがしそうなほど太い声が響いてきた。

 

「誰だ」

 丸い輪郭の中心に大きな溝を作っている険しい顔をした新庄住職が仁王立ちしていた。頭を丸めてた下に、白髪になった太い眉毛の下に小さめの双眸が鋭くこちらを睨んでいて、仁王像顔負けの威厳が漂っている。その横にまた子供たちが目をキラキラさせながら興味津々な顔を作ってくる。間宮は子供たちへ笑顔を振りまきながら、住職の前に立った。

「四丁目の間宮の息子です」

 田舎ならではの自己紹介。都会なら意味不明だが、ここではそれが常識だ。社名なんかじゃ、警戒心を一層高めるだけ。この辺一帯に根を下ろしている人間は、住んでいる場所の方が断然、重要視しているし、顔と結びつくようだ。

「あぁ、坊主か」

 厳しい顔つきが一気に緩む。眉間の皺が凪いだように消えていた。

「道端ではよく見掛けるが、こうやってわざわざ来るのは……お前が酔っ払って、俺の田んぼに落ちて謝りに来て以来だな?」

「あー……二年前くらいでしたかね……?」

 苦笑いする間宮に、優し気な笑顔を浮かべていたが、俺の方へ視線が移動すると、先ほど以上に深い溝が出来上がっていた。

 俺の存在は警戒に値すると、鋭く察知したのだろう。長めの前髪少しだけ横によけて、人好きする笑顔を作って丁寧に頭を下げる。

「村雨市職員の八神翔と申します」

「ここに来た目的は何だ」

 この地区の部外者という嗅覚が働いたのだろう。目を見開いた瞳は俺をじっと捉えて、詮索の色を惜しみなく漂わせてくる。思っていた以上に、ガードも固く単純にはいかなさそうだ。値踏みをしながら切り出そうとしたら、間宮が気を利かせたのか、先に口を開いていた。

「実は、村雨市に移住してきた人たちがまた大量に出て行ってしまったんです。それで、僕らは出て行ってしまった原因を調査してまして……」

 その言葉に、住職の瞳は我を取り戻したかのように、鋭くなっていた。

「わしが悪いとでも言いたいのか」

 ギラリと鋭くにらんでくる新庄住職に間宮が完全に狼狽える。俺がその先を引き取った。

「単刀直入に申します。新たに入ってきた人たちへの厳しい取り締まりや調査をやめていただきたいのです」

「役所の奴らは、バカな一つ覚えのように、ろくな身辺調査もせずにどんどんと受け入れるだろう。そんなことをやっていては、この地域の治安は守れん。新たに入ってきた奴らは、探られてはまずいようなことをやっている輩という可能性だってあるだろう。だから俺たちが、やるんだ」

 正論をかざす新庄住職の言葉に、耳が痛かった。まさにその通りで、俺もその甘さに付け込んでやってきたのだ。

「そのご心配は、よくわかります。ですが、このような長閑な場所へぜひ住んでみたいと思っている人間には、そのような危ない人間は、やってこないのではないでしょうか?」

 よくいうと、自分自身に突っ込みを入れながら、心底困っているという表情を作り出そうとしたら、視界の端に子供たちが映り込んでいた。ふいに胸を掴まれたように、軋む。きゅっと擦れた音が、そのまま俺の口から出ていた。

「むしろ都会の殺伐とした場所で生きてきた人達が、傷つき、癒しと希望を求めてここへやってきた。長閑な緑あふれる村雨市は、安住の地だと信じていた。それなのに、ここに来てすぐに厳しい目を向けられ、何もしていないのに敵視されては、あまりにやるせない。希望は、絶望に変わってしまいます。そうは思いませんか?」

 俺の子供の頃の逃げ場は、図書館だった。そこまで奪われていたら、施設に初めて連れていかれた日、横に立っていた人の不幸をあざ笑う冷酷な人間と同じようになっていたと思う。だが、僅かな黒の一歩手前で何とか心を殺さず、踏みとどまれたのは、いつもどこかに逃げ込める居場所があったからだ。

 それは、まさに俺を受け入れてくれたこの場所もそうだと思う。

 新庄住職は、険しい顔つきは崩さないまま、俯いて黙り込んでいた。そこに子供が住職を顔の下へと潜り込んで、心配そうに見上げている。新庄住職は苦笑いを浮かべて、皴としみだらけの手を小さな頭にのせていた。


 新庄住職の変化。確かな手応えだ。

 本当は、あの家屋も引き合いに出したかったところだが、今日のところは仕方ない。これ以上攻めたら、失敗する。時間をおいてからだ。俺は再度深々と頭を下げて、間宮に行こうと声をかけて、踵を返そうとしたところで「おい」という掛け声が引き留めていた。

 

「お前も、そういう経験があってここへ来たのか? お前の身の上話を正直に話したら、わしも考えてやる」

 爽やかな風が吹く。前髪が揺れて額の古傷がその隙間から、顔を出す。不意打ちだった。新庄住職の問いかけを受け流すこともできず、体の中心へ命中してしまう。途端に、これまでの出来事が、怒涛のように押し寄せてくる。背中を向ける最中の、中途半端な横顔を住職へ晒したまま、身動きが取れなくなっていた。

 何を焦る必要がある。いつも通りの嘘を並べ立てればいい。そう思えば思うほど、胸の奥がぎりぎりと締め付けられるように痛んだ。重く気まずい沈黙が落ちていく。そこに、間宮ののびのびとした声が、重苦しい空気を攫っていた。

 

「俺、八神との付き合いは、三年になるんですけど、いい奴です。それだけで、いいんじゃないですか? じゃあ、住職。また来ます」

 間宮は、軽く頭を下げて、子供達へ手を振っていた。

 間宮の自然な笑顔が、こちらへ向いて、乱暴に背中を叩かれる。太陽の香は好きじゃない。能天気な苦労知らずは、嫌悪感すらもっていた。なのに、今はその単純さに救われる。

 


 

 

 

 

 

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