不本意な道へ
怒りで喉のおくが焼ききれたせいか、やけに掠れた声が出た。
「その話、誰から?」
間宮へ疑問を投げ掛けながら、愚問だと思う。こんな話を広めたのは、瑞穂以外にいない。鋭い視線を瑞穂に向けようとした。が、それを遮るように立っていた人物が、堂々と告げてきた。
「私だよ」
名乗りを上げたのは、想定外の玉川だった。
さすがの俺も、頭が混乱した。
こんなバカバカしい話を作り上げたのは、当然瑞穂。なのに、どうして玉川がこんな話が出てきたのだろうか。何度も目を瞬いていると、玉川は興奮気味に話し始めた。
「昨夜、八神さん、夜散歩に出てったでしょう?」
記憶を辿れば、すぐに瑞穂に繋がった。瑞穂から電話がかかってきて「勇気に代わって。勇気と私の大事な話をしたいから、翔君は一時間くらい散歩でも出て頂戴」といわれた時だ。俺が頷くと、待ってましたとばかりに捲し立てた。
「その時にね、私の部屋のインターホンが鳴ったのよ。こんな夜遅くに誰だろうって、思いながらドアを開けたら、小さい男の子が不安そうな顔をして立ってたの。私、ビックリしちゃってさ。だって、住んでいるアパートに子供いるなんて、聞いたことも、見たこともなかったし。もしかしたら、このアパート内じゃなくて、この辺の家の子が迷い込んできちゃったのかなって思った。ともかく『どうしたの? 迷子になっちゃった?』って、声かけたの。そしたら『お父さん、探してるんだ』っていうのよ」
もうここまで聞けば、すべて察しがついてしまった。耳を塞ぎたくなってくる。頭がガンガンしてきた。同じ話をすでに聞いていたはずの間宮も、食い入るように聞き入り、その先をせがむような熱視線を送っている。興奮冷めやらぬ玉川は、更に鼻息荒くして続けた。
「私、聞いたわけ。『君、ここのアパートにすんでるの?』って。そしたら『お母さんが病気になっちゃって、お父さんと住むようになったんだ』っていうの。だから『お父さんの名前は何て言うの?』って聞いたら『八神翔』っていうじゃない! もう、目が飛び出るくらい驚いたわよ!」
煮えくり返りすぎた脳みそのせいで、酷い頭痛に苛まれる。何とかやり過ごしながら、瑞穂の頭の中で描いていた作戦を解明する。
表の顔である職場での俺と瑞穂の接点は、ないに等しい。それなのに、急に瑞穂が俺のプライベートを吹聴して回ったら、不自然だし、少なからず接点があることがバレてしまう。ならばどうすべきか。思い付いたのが、玉川を巻き込む作戦だったのだろう。
「そのあと、色々聞こうと思ったけど『やっぱり、我慢して家で待ってます』って、早々に帰っちゃったから、詳しい話聞けなくてさ。あの子の名前も聞きそびれちゃったし。もう、その後気になって気になって、夜も眠れなくなって、今朝早く出勤してきたの。色んな人に聞いて回っちゃった。でも、みんな何も知らないっていうじゃない」
当然だ。たった一日くらいで瑞穂が思い付いた、即席物語。広まっていてたまるか。
怒りのせいで押し黙る俺に、間宮は俺の肩をポンポンと励ますように何度もたたいてくる。
一方、遠くでは未だに瑞穂の笑みがある。胸くそ悪くて仕方ない。ここにある全ての視線全てが、俺に集まっている。
どこかの血管がぷちっと切れる音がした。
これ以上、瑞穂の思いどおりに動くなんて、冗談じゃない。あの女の手の上で転がされるなんて、論外だ。
作り話に証拠などあるはずもないのだ。何も考えず、全否定してしまえばいい。勇気は預かっている子供。俺と子供は無関係。押し付けられただけだと。あいつらの今後なんか、もう知ったこっちゃない。
思い切り息を吸い込み、真実を叫ぼうとした。だが、その口を塞ぐように、玉川が俺の前に紙を突き出していた。
「じゃあ、私が昨夜見たあの子、幻だった? って、心配になっちゃってきちゃって、市民課で色々調べてもらっちゃった」
俺の視界を占領したのは、水色の紙。ここでは、役所ですっかり見慣れたもの。そして、それは公的に認められている情報で、絶対覆すことのできない証拠といってもいい。その存在に、俺は愕然とするしかなかった。
「八神さんの住民票、調べさせてもらいました」
他人の住民票を調べるなんて、通常なら大問題。確実に犯罪だ。いつもの俺ならば、激怒し、くどくど説教しているところだ。だが、そんなものは宇宙の彼方へすっ飛んでいた。玉川から奪い取った住民票。確かに俺のもので、本物。上質な紙に、どんどん手汗が滲み、生気を吸い取らていく。
「八神くん。困っているのなら、ちゃんと言ってくれればいいのよ。村雨市は、何でも優しく受け入れてくれる。そういう場所でしょ? みんなで、助け合おう。一人でではなく、みんなでユウ君を育てましょう」
熱高くやる気満々の玉川に乗せられた間宮が便乗する。
「そうだよ、八神。今回の満月の事件で、市長も俺たちの意見に賛同して、孤児たちを受け入れる場所を作るといってくれた。今後、子供達を支援する施設も出来上がっていく。八神も全部一人で抱え込まずに、頼れよ。そういうところに、頼るのはっ気が引けるっていうんなら、俺も子育てに協力するからさ。俺、子供好きだしさ」
な? 太陽のような笑顔に、燦々と目を輝かせる間宮に感動したのか、田中課長も涙目になりながら、加わってくる。
「八神くん、私も一人娘を育ててきた。いくらでも、力になるからな」
何故か拍手まで沸き起こる始末。純粋培養者たちの純粋さ。俺は、耐えきれず席にへたれ込み、頭を抱えるしかなかった。
「私も全面協力してあげるから、安心して」
白々しく、その他大勢に紛れ込む瑞穂が思い切り俺の背中をぐいぐい押してくる。不本意な道へと突き進んでいく。その絶望感に全身から力が抜けて、声もでなかった。顔をあげているだけで、精一杯で肩が震える。それを勘違いした純粋培養者たち。
「八神、泣くなよ。俺はずっとお前の味方だからな」
「僕も、力になりますからね」
「今度、うちで作った田舎鍋、差し入れするね」
次々に押し付けられる純粋な善意。重すぎて清らかすぎて耐えきれず俺は、とうとうパタリと机の上で突っ伏す。
未だに手の中にある住民票を握りつぶしかなかった。上質な紙質は、諦めろといわんばかりに、存在を主張していた。
そこに記載されている内容。
――長男 八神 勇




