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逃げる場所

 やけにらしくない思いに駆られて、脱線しかかっていた自分を無理矢理戻す。

「今は、ともかくこの状況を、どうにかしなければならない。これから、どうするんだ? 勇気を奪還したが、あちらは大騒ぎだ。躍起になって勇気を探すはずだぞ。ちゃんと身を隠す場所は、確保してあるんだろうな」

 消そうとした弱みが誰かの手に渡ったと知れば、月島大臣が黙っているはずがない。それこそ、例の奴らが血眼になって探すだろう。その指摘に、瑞穂の中心の溝がさらに深く更に影を落として、押し黙る。


「ないわ」

 堂々と言い放つ瑞穂の言葉。聞き間違いかと思い、思わず声量が上がて聞き返していた。

「ない? この先のこと何も考えずに、行動に出たのか?」

「時間がなかったの! だけど! このまま、引き渡すなんて、絶対できなかった。わかるでしょう?」

 瑞穂は悲痛な叫び声をあげる。声、表情も完全に追い詰められ、行き場を失っていた。

 勇気は舞という母親がいなくなった今、もう守ってくれる大人は、瑞穂一人。

 瑞穂も流れる血は違えど慕っていた舞の子供であり、弟を勇気を守りたいと思うのは当然だ。気持ちは手に取るようにわかる。だが、その先を考えていないというのは、浅はかすぎる。

 そう思ってしまうが、勇気の肩に乗せた瑞穂の手と勇気の小さな手に、必死さが乗っているのを見てしまったら何も言えなかった。もしも、自分も同じような立場であったならば。後先考える余裕もなく、衝動的な行動を起こしていたかもしれない。同情の余地はあるとは思う。だが、現実はシビアだ。これ以上無策で動いてしまえば、絶対に失敗する。


「……勇気を可愛がっていたことは当然、月島大臣は知っていたはずだ。だとしたら、真っ先にお前が疑われるはず。勇気と一緒にいたら、見つかるのも時間の問題だぞ」

「だったら、私も勇気と一緒に逃げるわ」

「どこへ?」

「海外でも、どこでもいい。もっと違う場所へ……」

 瑞穂の思い付きの返答に、抑えきれず深いため息が出てしまう。瑞穂がムッとしたような顔を向けてくるが、自分が言っていることは穴だらけの作戦であることは、自覚があるらしい。口をへの字に引き結ぶ。

 いちいち指摘してやらずともわかっているだろうが、俺も頭の中を整理するために、リスクを説明する。

 

「父親の権力がどれほどの威力があるのか、娘であるお前が、一番よく知っているだろう? 空港の包囲網を強化するなんて、簡単にできるはずだ。それに、月島大臣の娘が失踪なんて言ったら、全国的に大騒ぎになる。全国指名手配犯と同じ扱いをされる。その上、勇気も一緒に行動していたら、見つかるのは時間の問題。お前が俺を見つけた時の何百倍も、見つけるのなんて簡単だ」

「でも、もう後戻りなんかできないわ!」

 瑞穂は鋭く叫ぶ。その通りだ。進んでしまった以上、後戻りはできない。

 瑞穂は、すべての影を集めたような暗い顔をして俯き、下唇を今にも血が滴ってきそうなほど噛んでいる。瑞穂だって十分にわかっているはずだ。失敗したらどうなるのか。


 常に暗い場所で綱渡りしている人間は、普通の世界で生きている人間よりも残酷なことが、断然多い。少しでも足を踏み外してしまえば、想像を絶する地獄を見る。

 ちらりと勇気を見る。

 つぶらな瞳が足元に定まって動かない。

 俺はそれを横目に声には出さず、視線を遠くに移し、最悪の未来を想像する。

 瑞穂と勇気が相手に捉えられたら。僅かな父親に残っていた子供への情と勇気の従順な態度で、何とか生かされてはいたが、仮面の下の子供の反抗心を見てしまったからには、容赦なく切り捨てるだろう。過酷な環境に囲われるどころの話ではない。冷たい土の中という可能性すらある。瑞穂も、政治生命を脅かす元凶だとみなされて、自由を奪われることは必至だろう。実の娘に対してさえも、冷酷な判断を下すことだって、念頭に入れておかなければならない。

 

「僕、やっぱり戻る」

 勇気のうす暗い顔とは裏腹の強い声が響いた。

「僕が勝手に逃げ出したってことにしておけば、お姉ちゃん危ない目に合わないでしょ? 今までのまま普通に暮らせるでしょ? 僕がこの先どこへ行っても、多分これ以上酷くなることはないよ。二人一緒に大変な目に合うなんて意味ないよ。一人で十分。それに、僕はお姉ちゃんとこうやって、最後に会えただけで満足だよ」

 勇気は、何もかも諦めて覚悟を決めたように薄く笑った。すっと瑞穂の上に乗っていた手を離して、自分の希望も感情も、その小さな手で握りつぶすように拳を握っていた。


 奥歯がギリギリ鳴った。

 大人はどうしてこんなに罪深いことができるのか。こんな小さな子供が、そんな選択しかできない現実。

 いつの時代も大人たちの身勝手な保身の皺寄せが、こうやって子供に容赦なく降りかかってくる。大人は強大な権力の前に、必死に自分を守るために、小さな存在を簡単に差し出し、犠牲にしていく。

 こんな現実を見せられれば、子供が絶望するには十分だ。大人が近くにいるのに、どうして助けてくれないんだ。どうして、自分だけこんな思いしなきゃならないんだ。いくら憤っても、暴れても、まだ小さな体では無力。何もかもが拙く、大人の勝手な都合と理不尽の穴に黙って落ちていく。

 葬り去ったはずの暗い過去が、フラッシュバックする。何もできなかったあの頃。あまりに不甲斐ない自分。いくら抵抗しても、何もできない。大人にかすり傷一つさえもつけられない。

 

「そんなこと、できるはずないでしょ? 勇気はずっと苦しんできた。あなたは、これから幸せにならなきゃいけないの!」

 瑞穂の顔は絶望に歪んでいく。その瞳から一気に水が溢れ出し、頬から滑り落ちた。光った涙が、アスファルトに落ちて灰色の跡だけつけて吸い込まれ消えていく。いくら泣いても、現実は変わらない。そう言っているかのように落ちた涙の跡さえも、何もなかったかのように消えていく。

 過酷な日の当たらない運命の元に生まれてきた人間は、一生日陰で生きていく。

 いくら神様に祈っても、助けてはくれない。運よく祈りが届き救われるのは、ほんの一握りだ。残りの人間は全部こうやって、取りこぼされて踏みにじられていく。

 頭が痛い。視界が怒りのせいで赤く染まっていく。あの時どうしても逃れたいと思っていた現実が、今また目の前で繰り広げられている。どんなに大人に助けを求めても、冷たい視線で手を振り払われる。あの悪魔に、なり下がるなんて俺は御免だ。黙ってみているだけなんて、冗談じゃない。だから、俺はルパンになりたかったんだ。不幸の連鎖を食い止められるヒーローに。


「ホワイト……正体は絶対に誰にも知られていないんだよな?」

 まだ涙が止まりきれていない瞳を白い指先が乱暴に目を擦らせて、こちらに向けられた。急に何の話だと、充血した白目に抗議の色を乗せてきたが、俺は無言でその答えを待つ。

「……さすがに、そんなヘマはしてない。念には念を入れてサーバーも海外経由しているし、場所も絶対に知られてない」

「映像加工も容易にできるという理解でいいな?」

「……そんなの簡単」

「配信はしようと思えばすぐにできるのか?」

「えぇ。パソコン持ってきているし、できるけど……いったい何?」

「じゃあ、三時間後……いや、二時間後だ。配信準備をしておいてくれ。一度始めたら、速攻で終わらせる。それがこの世界の鉄則だ」

 先ほどまでの涙が嘘のように瑞穂が見開いた瞳は、困惑と驚きに変わる。答えを求めるように黒目をあちこち動かして、勇気と顔を見合わせている。

 それを横目に俺は、再び夜の街を駆けた。

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