決行
満月が空の真上にあと少しで届く頃。俺は人身売買が行われる現場――暁市に降り立った。
駅前通りは、すぐに繁華街となる。予想外に、夜中の割には、人通りも多く賑わいがあった。
カフェや飲み屋が多数点在していて、グループとなっている若い人間はその中に消えていく。繁華街から少し離れれば、クラブ、サロン、風俗店とグレーな店が多数乱立している。群れからあぶれた点々とした人間は、のらりくらりと漂ってくる甘い蜜の中に消えていく。
それを横目に見ながら、俺は繁華街を抜けて、さらに細い裏道の中へと入っていった。
眼前に広がるのは、ろくな街灯もなく、腐敗し、消えていくのを待っているかのような薄暗い世界。表通りの煌びやかさは、この暗さを見せないための虚構だと知る。
街の姿を見れば、街の長の腐り具合がよくわかる。暁市長は、村雨市とは比べ物にならないほどの腐り具合だ。臭いものには、ふたをする。使えないものは、手を差し伸べることもせずに、放置して見捨てる。それが、ここの市長の人間性なのだろう。
一般人ならば、光がなければ自分の足元も見えない闇。だが、そんな世界にどっぷり浸かっている俺の目は、そんな暗闇に慣れている。その上、満月の光が力になってくれるのならば、躊躇することない。数分もしないうちに、使用されていない廃ビル群が現れた。
隣接するビルとの距離は数メートル。ビルの高さもほぼ同等の高さ。その中に紛れる形で取引現場となるビルは建っていた。この付近での人の姿は皆無だ。入り口が視界に入る程度の角から顔を出し、付近を確認すれば、一目で格闘家顔負けの体格のいい男が二名入口の前に立っていた。
他にも警備がいないか見回す。俺がいる方向とは反対側の道で一つ丸い光が揺れている。しばらくすると、あちこちから光が現れた。
外周りの警備は、外だけで二十はくだらないようだ。プラス建物の中と、これからやってくるであろう人間相手。予想以上に警備は固い。
ちっと舌打ちをして、頭の中で一番取りたくなかった作戦を再現しながら、少し離れた廃ビルの屋上へと上がった。このビルは十階建て。周囲のビルの中で一番背が高い。そのお陰で、現場となる廃ビルの屋上もよく見えた。警備はない。やはり警備の重点となっているのは、現場付近の地上周辺のみ。
ポケットの中からイヤホンを取り出し、背負っていたリュックの中から必要なのものを取り出し、さっと着替える。ボール型の発煙、発煙筒、閃光弾を数個ポケットに入れて、ワイヤー銃を手に持った。
『そちら、どうですか?』
相変わらず無機質な低音のホワイトの声がそこから響く。
「警備は、想定以上に強固。外だけで二十以上。それに加えて、取引に来る奴らと、施設側の人間を合わせたら……結構な数になるな」
『大丈夫ですか?』
こちらからも予想外の心配する声が上がって、苦笑する。
「こっちの心配は無用だ。で、そっちの準備は?」
『通信妨害、傍受、その他、指示があり次第すぐに実行できる状態です。何なら、わたくしもそちらへ行って、加勢しますが?』
「お前が来たところで、足手まといになるだけだ」
屋上のフェンスを飛び越えて、足場の少ない淵に降り立ち下を見下ろした。更に、人が集まってきているようだ。手には銃らしきものを持った輩もいる。それを見つめながら、疑問符が浮かんだ。
「お前の弟は、そんなに重要人物なのか?」
『……どういうことでしょう?』
聞き返されながら、思う。
人身売買という取引は、悪の中で最もリスクが伴う案件だ。それ故に、それなりに人員は必要になることは理解している。だが、これは異様ではないか?
「警護傭員が、異常なほど集まってきている。お前の腹違いのたった六歳の弟のために、どうしてここまでする? お前の弟は何者だ?」
『……それは、仕事が無事終了した後、お話しします。それよりも、策はあるのですか?』
話を逸らされたことに、不満は残るが仕方ない。時間が差し迫っている。
「あぁ、もちろんだ」
返答しながら、頭の中で作戦をシミュレーションしていく。
その最中、視界がさらに慌ただしくなっていた。一台の軽自動車がライトも点けずに入ってきた。廃ビルの前に止まると、すぐさま大人二人に挟まれて頭に布を被せられた子供が引きずられるようにしてビルの中へと押し込まれていく。どうやら、ターゲット到着のようだ。
「無駄話は、終わりだ。作戦に入る」
『了解。通信機器の妨害を始めます』
「取引現場に仕掛けた盗聴器の音声は、こっちに流してくれ」
『……わかりました。では、健闘を祈ります』
ホワイトの素人らしい緊張にあふれた声を、容赦なく切り離す。
俺は、満月を味方につけるように背にし、ワイヤーを発射した。




