同盟
『明日の夜、慈善団体で引き取られていた六歳の男の子が現金と引き代えに相手の手に渡ります。あなたは、その取引を中止させ、その子供を連れてきていただきたい』
「……そんな危ない橋を渡れと俺にいう以上、理由が必要だ。どうして、その子供を手に入れたい?」
『理由を告げる義理はありませんよ 』
余裕たっぷりな自分の優位性を強調する言い方に、俺のどこかで火がついた。
「ならば、この話はなかったことにしよう」
『……何を言ってるんです? こっちは、あなたの弱みを握っている。いますぐに、警察へつき出せるんですよ』
俺が強気に出てくると予想していなかったホワイトの声は動揺していた。滑舌よく流れるような口調が一転、早口になっていく。
頭の表面に張られていた冷静さの幕が薄くなっていくのを感じる。
「突き出したきゃ突き出せばいいさ。だが、困るのはお前だろう。取引は、明日の夜。時間は差し迫っている。ここで、俺がお前に手を貸すこともなく、警察に捕まるなんてことになったら、どうなる? お前が欲しいと言っている子供も、当然手に入らない。一番困るのは、お前自身なんじゃないのか?」
綱渡りの仕事ほど、他人と組むにはリスクがある。裏切られたら、自分自身の命を落とすことになるからだ。それでも誰かと手を組まなければならないのだとしたら、信頼関係がより強固で、背中を任せられる相手と組むのが鉄則。それなのに、ホワイトは得体のしれない俺に全面的に頼ろうとしている。その危険性をわかっていない。黒い画面の向こう側に重い沈黙が漂う。それは、図星だという意味だ。
それさえも気付けないホワイトは、よっぽど切羽詰まった状況に陥っているのか、無能か、だ。判断を下すまでもない。このまま通信を切ろうと手を伸ばした。
『……連れてきていただきたいのは、弟です』
通信オフのボタンへ掛けた手がとまる。声が出た。
「弟だと?」
『彼が助かるのならば、自分の命と引き換えにしてもいいと思えるほど……大事な。それがあなたへ依頼しようとした理由です。同じような苦しみを味わったあなただからこそ』
何度も、切り捨てようとしてきた過去。それさえも、こいつは知っていることに愕然としながら思う。
あえて、探そうなんて思っていなかった。血は繋がっていたとしても、所詮他人だ。子供の頃は、自分のことだけで精いっぱいだったし、周りなんて構っていられなかった。生きることで精いっぱいの日常の中で、その存在さえも、埋もれていて消えていたはずだった。だが、いざ仕事へと身を投じた途端、本能のように名前を探していた。まるで、細胞に沿う行動するように刻み付けられているかのように無意識に。
『ショウ、カスミをよろしく』
放り出されたあの日、母が無言で俺の元から立ち去ってくれていたら、といつも思う。あの時、腕の中にあった存在の名前も知らないままでいたら。知らないまま、大人の手へとそいつが渡っていたら。俺は、『カスミ』という存在にこだわることなど、なかったはずだ。そうすれば、俺はもっと自分自身のために時間と自由を謳歌できていたはずだと、思わずにはいられない。
母は、どうして最期に俺へ呪いをかけたのか。母への怒りは断然強いのに、それでも心底恨むことができずにいる俺自身。虫唾が走る。それなのに、どうしようもなく母があの日指し示す道を進もうとしているのだから、正真正銘の呪いだと思う。
『誰かを探すのは容易なことではありません。それが、歪な環境の中に放り込まれている人物であれば尚更です。あなたのような古典的な方法ではいくら身を粉にしても、見つけることはできない』
伸ばしていた手が耐えきれず、沈黙が落ちる。今度は、俺の方が図星を露呈する番だった。ホワイトの言うとおり、いくら身体や力を使っても限界があることは痛感しているところだ。怪しいと思った場所に忍び込み、情報を盗み出すにしても限界がある。だからこそ、これだけの時間を要しても輪郭さえもつかめていないのだ。
『でも、私のハッキング技術と膨大な情報を集める力さえあれば、それは可能となる』
俺の思考と全く同じ文言がホワイトから発せられる。俺には、その技術がない。習得すべきだと、試行錯誤した時期もあったが、何せぎりぎりの生活。金も時間もなく、結局今に至っている。
『もしも今回の仕事が成功したら、あなたの妹を探すのをバックアップするとお約束します』
向こう岸へ渡れない俺の前にホワイトが渡し舟を用意して、手を伸ばしてくる。一番欲している船を用意してくることが、癪だ。
誰とも組まず一人で動くのが、俺の理想。だが、現時点ですでに行き詰まってしまっている。前へ進むためには、この道しかないのかもしれない。感情に流されれば、物事はうまくいかない。俺は目閉じて、一度深呼吸する。重要なのは、感情じゃない。的確な判断と、冷静な行動だ。ゆっくりと瞼を開けて、裏の顔に切り替わるスイッチを押した。
「取引時間と場所を教えろ」
『時間は、明日の二十三時。場所は?暁市の廃墟ビルです』
無機質なホワイトの声で、パチッと頭の中が切り替わり裏の仮面を手に取る。
暁市は村雨市に隣接するベッドタウン。距離は電車で三十分程という距離なのに、この田舎風景とは別世界の灰色の景色が広がっており、古びた雑居ビルが点在している。一昔前は、いろいろな店舗が入り賑わっていたようだが、人口減少するにつれてもぬけの殻になり、今や廃墟と化している建物がゴロゴロしている。あのあたりの地理は把握済みだ。そこなら、確かにそのくらいの取引をやっていても、表沙汰にはならないだろう。
手にした仮面で、顔を覆う。
そこに俺の素顔はどこにもない。あるのは、絶対に外れない鉄壁の仮面だ。




