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プロローグ


「ショウ、カスミをよろしく」

 顔も名前も憶えていないけれど、会話にも満たない短く発した母の声だけは、鮮明に脳に刻まれている。

 

 小さい手には重すぎる赤ん坊を無理やり乗せられて、遠ざかっていく背中。

 滲んでいく視界を掻き分けて、必死に目で追いかけても、振り返ることなく、どんどん小さくなっていく。

 少年はこの状況が理解できなかった。どうして、自分は捨てられるのか。どうして、一緒に暮らせないのか。投げつけたい疑問は、たくさんあった。叫びたいのに、喉の奥が痙攣して声になることはなく、嗚咽が漏れた。

 声が出ないのならば、その背中へ駆け寄り、縋り付いて、引き止めればいい。だが、腕の中で穏やかに眠る赤ん坊が邪魔して、それさえも許されず、涙だけが無機質に頬を伝っていく。顔全体がぐしょぐしょに濡れて不快で仕方がない。それを拭いたくても、ふさがっている手では、拭うことさえもできない。

 手の中の赤ん坊。丸く艶やかな肌に、生まれたその時からあった頬に刻まれている丸い青アザ。そこへ、次々と雨が降っていく。けれど、その子は目を覚ますことはなく、すやすやと穏やかに眠り続けていた。

 

 そんな少年横に立っていた見知らぬ大勢の大人たちが、そんな二人へ冷たい視線をよこして、不幸を笑っていた。

「その妹とお前たちは、捨てられたんだ。これからは、自分を殺し、死ぬ気で生きるんだな。ここはそういう場所だよ」

 大人は、泣きじゃくる少年にそう言い放ち、手の中にいた赤ん坊を廃棄物でも扱うように乱暴に取り上げていた。

 彼の手から、急にぬくもりと重みが無くなって、目で追いかける。赤ん坊は、烈火のごとく、全身で号泣しだしいていた。青い頬の痣も、反応するように赤く変色していく。

 視界に映った赤が炎のように燃え移り、少年の中で燻っていた不安と悲しみと怒りの感情が、一気に爆発させていく。少年は、人が変わったように、鋭い眼光を放ち、小さな体を赤ん坊を取り上げた男の足に突進していた。

「何するんだ! 返せ!」

 少年と男の対格は巨人と小人ほどの差がある。当然、いくら少年がいくら押しても動かない。少年は赤ん坊と同じように真っ赤にさせていた少年は、ならば顔に一撃加えてやろうと拳を振り上げた。だが、見上げるほど背が高い男の腹部にさえも届かない。拳は空を切るだけだった。

 暴れ続ける少年。赤ん坊を抱えていた男は、他の大人へ投げて寄越し、面倒くさそうに右足で少年の腹を蹴り飛ばしていた。

 少年の身体は軽々と数メートル後方へ勢いよく吹き飛ばされ、地面に不甲斐なくゴロゴロ転がった。

 コンクリートの地面に顔がこすれて少年の顔は、無数の傷を作り、前髪の生え際が切れて血が噴き出しながら、うつ伏せになったところで止まった。あれだけ暴れまわっていた少年は、ピクリとも動かない。それを見た男は、面倒くさそうに少年の髪の毛をつかんで、頭だけ引き上げていた。傷口と流れた血の跡には土がべっとりと張り付いていた。それを洗い流すように、また次々と血が流れ滴り落ちる。そんな状態の少年を、汚物でも見ているかのように吐き捨てる。

「何もできないガキが、ガキを取り返して、何ができる? 子供は、優しい大人たちに生かされていることを自覚しろ」

 痛みで遠ざかる意識の向こうで、刃のように冷たい声が彼の心臓を抉っていく。その痛みに耐えながら、彼は思い知った。

 

 大人という生き物は、悪魔だということ。

 神様に、なんてこの世に存在せず、誰も助けてはくれないこと。

 そして、絶望というものがどういうものかということを。


 

 


 

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