その7 前半
9月の残暑が落ち着き10月になると気温はかなり低くなってきた。
半袖では少し寒い日も増え始め、ピーの散歩も本当の気分転換になる。
過ごしやすい季節になったというべきだろう。
「じゃあ、ピーの散歩行ってくる」
一颯は何時ものようにピーを頭に乗せて、おこめ探偵事務所のオフィスを出た。
坂路理沙は「行ってらっしゃい」とそれを見送りふぅ~と溜息を零した。
それに社長の尾米正と七尾友晴はちらりと彼女に視線を向けた。
最近、富にため息が多い。
その理由を2人は知っている。
正は心の中で
「ま~だ、悩んでいるんですか」
と呟いた。
「貴女の代わりはいませんよ」
一颯君が心を許している女性は貴女だけなんですから
友晴も苦笑を零していた。
一颯の側に仕えて2か月になる。
一颯が理沙を大切にしているのが友晴にはよくわかったのである。
もし、一颯の役に立っておらず普通の事務員と探偵の関係なら山陰へ戻すことも考えるように自分をこちらへ寄こした益田達雄に言われていたのである。
だが、その指令が果たされることはないと友晴は判断していたのである。
しかし、思わぬ事件が理沙の上に降りかかるのであった。
Reshot
ピーを連れて散歩に出ていた一颯がおこめ探偵事務所へ戻ってきたのは午前10時30分。
気温も20度くらいで過ごしやすい秋の午前であった。
一颯はオフィスの戸を開けると
「戻った」
今日の仕事おわりー
と告げた。
瞬間に正が
「あー、一颯君」
仕事、入ったよ
とニコニコと笑った。
…。
…。
一颯は「またかよ」と心で突っ込んだ。
「いま仕事終わりって宣言したじゃねぇか」
そうぼやいたのである。
だが、正は
「明日の10時に依頼者が来るので今日は終わっていいよ」
と告げた。
一颯は正の前に進むと
「前も同じノリであの女の依頼だったな」
と嫌そうに顔をしかめた。
それに理沙がププッと笑って
「古波彩…彼女ね」
確かにそうだった
とうんうんと深く頷いた。
一颯は腕を組むと
「じゃあ、宣言通りにしゃちょーに頼むかな」
と告げた。
正はにこやかに
「依頼者は彼女ではないし」
企業でもないんだよねぇ
と言い
「依頼者は杉田理津子さん…資産家の杉田家のご令嬢」
最近不審な同じ人物を行く先々で見て心配だという話で
「その人物を調べてもらいたいということなんだよね」
と告げた。
一颯は「なるほど」と言うと
「杉田家の令嬢の理津子な」
とピーを籠に入れると
「坂路、その杉田家のことと理津子のことを調べておいてくれ」
と告げた。
理沙はそれに
「りょうかーい」
二部で良いだよね
「一色くん」
と答えた。
一颯は笑むと
「ああ、それで良い」
と答えた。
友晴は理沙に軽く頭を下げた。
お願いします、と言う意味だ。
理沙も応えるように頭を下げて
「本当に礼儀正しい人だ」
と心で呟いた。
一颯はそれを見て
「悪かったな、礼儀正しくなくて」
とぼやいた。
理沙はそれに笑って
「一色君はTPOを弁えてるから気にしない気にしない」
とアハハと告げた。
一颯は「…それ今関係あるか?」と思いつつ
「あー、よろしくな」
と呟いた。
理沙は笑顔で
「了解」
と答えた。
杉田家は愛知県でハンバーグレストランのチェーン店を展開する会社のオーナーで家は名古屋市昭和区にある。
川名公園に隣接した邸宅であった。
一颯は少しして理沙からそれらの情報を網羅した書類を受け取ると
「カワナハンバーグか」
理津子は21歳の大学生か
「JKでないだけましか」
とぼやいた。
友晴は一颯をちらりと見た。
一颯はさっぱりと
「俺はJKと相性が悪い」
と答えたのである。
理沙はそれに
「私だって後10歳若かったらJKなんだけどね」
と呟いた。
一颯は嫌そうに彼女を見て
「サバ読んでどうする」
それに坂路がJKだったら俺が困るだろ
とぼやいた。
理沙は笑いながら
「えー、若いことに越したことないと思うけど」
と答えた。
一颯はハハッと乾いた笑いを零して
「まあ、彼女は一人暮らしと言うわけじゃないから問題は大学の登下校だな」
不審人物が判明するまでは外出を控えてもらうしかないな
と話題を変えた。
友晴も頷いて
「そうですね」
と言い
「彼女の他に姉妹はいないようですし」
資産争いと言う点を考えたら父親の杉田理の弟夫婦くらいでしょうか
と告げた。
一颯はふむふむと
「確かに元々が杉田家の遺産だからな」
と言い
「それは明日話を聞いてから調べていく方がいいな」
と答え立ち上がった。
「取り敢えず川名公園に遊びに行くか」
友晴は頷いて
「かしこまりました」
と答えた。
理沙は小口管理のデータを入れながら
「いってらー」
と二人を送り出した。
おこめ探偵事務所から大きな邸宅が立ち並ぶ一角にある川名公園までは車で20分程度とかなり近い。
川名公園の駐車場に車を止めて一颯と友晴は杉田家を目指した。
周辺にはやはり大きな屋敷風の家が建ち、道幅は意外と広かった。
一颯は周辺を見ながら
「…人通りはないな」
と呟いた。
それに友晴はふっと笑み
「そうでしょうね」
と言うと
「資産家の多い高級住宅街では意外とそう言う状況はありますよ」
と告げた。
一颯は17歳くらいまで九州で暮らしており、その時は政財界に通じた家柄であった。
所謂金持ちであった。
ただ、自分が起こした事件が切っ掛けで九州を出ることになり両親は母親の実家のある山陰へ行き、一颯は一人名古屋で暮らすことにしたのである。
それが名古屋に居付く発端であった。
つまり、山陰からやってきた坂路理沙と七尾友晴は母親の実家の本家がらみの人間で、社長の尾米正は名古屋で一颯が出会いその特技…暗号作成や解読などを通じて知り合った那須幸一がらみの人間だったのである。
なので、高級住宅街で人影が少ない理由は何となく理解は出来た。
「車移動か」
それに友晴は静かに頷いた。
「歩いているのは恐らく家政婦とかでしょうね」
一颯はそれに
「ふ~ん」
と答えると
「なるほどな」
と呟き、家を確認し周辺を調べて
「次は名城西大学だな」
と告げた。
友晴は「はい」と答え、駐車場に戻ると理津子の通う大学へと向かった。
彼の本当の雇い主…つまり一颯の母方の実家の本家である益田家の当主達雄から命令されてきたのだがここ3か月近く共に過ごし一颯について少し理解をしたのである。
達雄から『俺には跡取りがいない。だが益田家を俺の代で無くすわけにはいかない。それで考えている第一候補が一色一颯だ』と言われてやってきた。
余りある資産に地位。
益田家の跡取り候補であれば是非にと言うのが通常である。
だが、この三か月そう言う素振りが全くない。
粗野でぶっきらぼうで。
だが。
だが。
「芯はゆがみがない」
媚びず。
諂えず。
傲慢にもならず。
仕事も文句を言うもののきっちりこなしている。
友晴は一颯と大学の近くの駐車場に車を止めると大学の周囲を歩いた。
一颯はフムッと考えると
「大学の中に入るか」
と呟いた。
友晴は驚いて
「え?」
と声を零した。
一颯は彼を見ると
「いや、しゃちょーの話と辻褄が合わないからな」
と言い
「向こうも今は俺達を知らないから風景の一つとして見るだろう」
と告げて大学のキャンパスへと足を踏み入れた。
大学内は意外と自由で講義が無ければ食堂やレストランで時間を潰す人間も少なくはない。
一颯は大学のレストランを見て
「少し早いが昼になると学生で混雑するし」
食べていくか
と告げた。
友晴は頷き
「はい」
と答えた。
一颯が選んだレストランは依頼主の杉田理津子の専攻している国文学科の講堂が近い和風レストランであった。
が、一颯はそのレストランを見て
「ん?」
と呟いた。
友晴もレストランを見ると
「…カワナハンバーグの和風レストランですか」
と呟いた。
一颯は中に入りながら
「そうだな」
とおろしポン酢ハンバーグ定食を選んだ。
友晴は普通の日替わり定食であった。
和風レストランだけあって日替わり定食にハンバーグはなかった。
二人は食事を終えるとパラパラと講堂から学生が出てくる姿を見て周辺を散策した後に事務所へと戻った。
理沙と正は
「「おかえり」」
と二人を出迎えた。
一颯はふぅと息を吐き出し
「じゃあ、今日は本当に店じまい」
と言うと、書類を引き出しにしまってオフィスを後にした。
友晴はじっと見てくる理沙に
「私は仕事が残っているので」
とにっこり笑って答えた。
理沙は笑顔で
「なるほどー」
と答え
「じゃあ、私もひと踏ん張りしますか!」
とパソコンに向かった。
翌日、杉田理津子が姿を見せた。
彼女は中に入るとオフィスを見回し
「サイトの通りね」
と呟いて、出迎えるために席を立って前に進んだ尾米正を見た。
「先日、依頼した杉田理津子です」
正は笑顔で
「お待ちしておりました」
どうぞ、こちらへ
と衝立だけがしている簡易な応接室のソファを勧めた。
彼女はそこに座り、席を立って訪れた一颯を見た。
一颯は名刺を出すと
「おこめ探偵事務所で探偵をしている一色一颯です」
と告げた。
理津子は頷いて受け取りチラリと理沙を一瞥した。
「あの女性の方は?」
探偵ではなくて?
一颯は理沙を見ると
「ああ、彼女は事務員です」
と答えた。
理津子は「そう」と答えた。
一颯は正面に座り
「それで最近行く先々で不審な人物が現れるという話なのですが」
と告げた。
理津子は頷いて
「ええ、気味が悪くて」
と顔を顰め
「こう言っては何だけど」
私は杉田家の唯一の跡取りだから…誘拐とか危害が加えられるかもしれないと心配しているんです
と答えた。
一颯は頷いて
「確かに、財産目当てと言うのはあり得る話しですね」
と言い
「それで良くどの辺りで見かけられますか?」
と聞いた。
理津子はそれに思い起こしながら
「ええ、家の近くとか」
大学の近隣とか
「そうね、この前は行きつけのジュエルの近くでも」
髪を切りに行ったときに
と告げた。
一颯はメモを取りながら
「なるほど、サロンですね」
と言い
「周辺を調べて行こうと思いますがその不審人物が分かるまで家と大学以外に極力出歩かないようにお願いします」
あと見た目もお願いします
と告げた。
理津子は頷いて絵を描き
「何時もこういう鍔のある茶色の帽子とコートを羽織って顔は分からないんですけど…中年男性っぽいです」
と少し考えて
「あの、例えば…あの方に暫く身代わりをお願いするというのは出来ないでしょうか?」
と理沙を指差した。
「怖くて…私でないと分かったら誘拐しても簡単に逃がしてくれると思うんです」
一颯はそれに
「おいおい、反対に殺される可能性があるだろが!」
と心で突っ込み
「いや、身代わりと言う」
と言いかけた。
それに被さるように理沙が
「私、良いですよ!」
と答えた。
一颯は驚いて
「あぁ!?」
と振り向いて理沙を見た。
理沙は笑顔で
「背丈も似ているし、鬘を使えば変装できると思うんだけど」
と告げた。
一颯は怒って
「あー、そういうのうちは受けてないからな」
お前事務員だろうが
「やめとけ」
とパタパタと手を振って大きく息を吐き出した。
が、理津子は両手を合わせると
「お願いします!」
私怖いんです!
と言い
「不審人物が見つかるまで私は大人しく部屋に籠っているので」
お願いします!
と告げた。
一颯は心で
「ざけんな!」
と突っ込みつつ、やる気満々の理沙を見た。
「つーか、なんでアイツあんなにやる気なんだ?」
そう心でぼやいたのである。




