予告状
チョコンと椅子に座って前に置かれた麻婆豆腐に視線を落とした。
「ありがとうございます」
と夏目奏斗は言い
「あの、良いんですか?」
と聞いた。
自分の前に同じように麻婆豆腐を置いて椅子に座った一色一颯は
「良いんだ」
と短く答えた。
おこめ探偵事務所のビルから徒歩5分。
樋の口町2丁目にあるマンションの一室に奏斗は連れてこられた。
というか、『暫く』住むことを許されたのである。
部屋は3LDK。
家主は目の前で夕食を口に運んでいる一色一颯である。
一颯は戸惑いながらも麻婆豆腐を口に運び始めた奏斗を見ると
「探偵をやりたかったら続けて良いが」
そうでなかったら本当にやりたいことを見つけて出ていけばいい
「先ずは本当にやりたいことは何かを聞かれて答えられるものを見つけろ」
と告げた。
「ただ、お前は17歳だ」
探偵するつもりでここに住むなら高校には行け
奏斗はそれに視線を伏せたまま、黙々と食事を続けた。
ただ、この一色一颯という人物が気になってついてきたのだ。
探偵など興味がない。
だけど、今は将来の自分の姿を思い浮かべることが出来なかったのである。
そもそも、ただ一つの事の為だけに自分は今まで住んでいた場所を出てきたのだ。
Re Shot
「それでこれが依頼の内容なんだけどねぇ、一色君」
やってくれるよね??
「やってくれるでしょ?」
そう一枚の紙を差し出し、おこめ探偵事務所の社長である尾米正が告げた。
眼鏡を掛けた60歳前後の冴えない壮年男性だが、この探偵事務所の社長である。
奏斗は隣に立って紙を受け取る一色一颯を横目で一瞥して沈黙を守った。
どちらにしても自分に選択権はない。
頭に乗っているバード用のハーネスをしたピーというオカメインコの子守りなのだ。
行くなら行く。
行かないならオカメインコのピーちゃんと散歩だ。
一色一颯は内容を見ると
「わかった」
と答え
「どうせ、今は暇人だ」
依頼を受けてやる
と踵を返して自身の机へ行くと車のカギを手に社長の机の前に立つ奏斗を見た。
「行くぞ、夏目小僧」
…。
…。
彼の隣の席に座って事務の仕事をしている坂路理沙はプッと噴き出すと
「その、夏目小僧って三つ目小僧じゃないんだから」
とツボに嵌ったらしく机に突っ伏して笑った。
声を上げて笑うと奏斗が可愛そうだと思ったのだろう声を極力抑える努力だけは垣間見えたがかなり肩が震えているので相当ツボに突き刺さったようである。
奏斗はふぅと息を吐き出すと「三つ目小僧か」と心で呟き
「はい」
と答えて一颯と共に事務所を後にした。
尾米正は二人が事務所を出ると携帯を手に
「那須様のご指示通り一色さまに今回来た依頼を受けていただきました」
はい、このことは内密にしております
と応え、通話を切った。
坂路理沙は経理処理をしながら
「社長は那須家で私は益田家で」
後は九州の神宮寺って…まるで戦国時代群雄割拠の事務所ね
と心で呟き、息を吐き出した。
毎月、定期的に那須、益田、神宮寺から事務所に支援金が入金されている。
そもそも那須家も益田家も神宮寺家も地域は違っても権力と財力を持つ家柄である。
支援金も相当の額である。
その上で自分もだが社長の尾米正も探偵業とは無縁の人間で社長は那須家から配属され、自分は益田家から配属された人間で給料などはない。
つまり、一色一颯…彼の為だけに作られた探偵事務所なのだ。
ただ、そのことを彼自身は知らない。
自分も社長も一切口にしてはいけないトップシークレットなのである。
その尾米がスカウトして連れてきた夏目奏斗も那須家がらみで何かあるのではないかと考える坂路理沙であった。
一颯と奏斗が依頼主である鎌倉統一郎の館に行くと連絡を受けて待っていたらしい執事の友井蓮司に出迎えられた。
70歳前の壮年男性で顔に刻まれた皺さえ何処か風格が感じられる男性であった。
彼は恭しく頭を下げると
「ようこそ、お越しくださいました」
旦那様は一階の応接室でお待ちです
と告げた。
一颯は頷くと
「よろしくお願いします」
と答えた。
日頃は粗野な言葉使いや態度であるがちゃんとTPOは弁えているのだ。
蓮司は頷くと
「こちらです」
と歩き始めた。
奏斗は頭の上にオカメインコのピーを乗せながら館に入ると周囲を見回した。
エントランスには豪華なシャンデリア。
足元は細かい模様の入った絨毯。
壁には絵画。
角には壷や彫刻。
想像以上の金持ちである。
キョロキョロと見回す奏斗に一颯は
「見回すなら物珍し気に見るんじゃなくて観察するつもりで見ろ」
会社を幾つか経営しているんだ
「こんなもんだろ」
と告げた。
…。
…。
『これが、こんなもん?』と奏斗は心で突っ込むと
「凄い金持ちだと思わないのか?」
と付け加えた。
一颯は応接室に入ると待っていた統一郎に頭を下げて
「お初にお目にかかります」
おこめ探偵事務所の一色と申します
と告げた。
統一郎は頷き後ろに立っていた奏斗を見ると目を僅かに見開いた。
奏斗は慌てて
「あ、この鳥は何もなければ騒ぎません」
と頭のピーを指差した。
ピーは羽根を広げると
「サワガナイ、ワ」
ワタシ、ホムズ
「カワイイホムズ、ヨ」
とパタパタパタさせた。
一颯は目を細めると
「既に騒いでるな」
と言い
「ピー、黙ってろ」
と告げた。
ピーはぴたっと動きを止めると奏斗の頭の上で座った。
ピーも場をわきまえていたのである。
奏斗は思わず
「賢い!」
と心で突っ込んだ。
統一郎は「いやいや」と軽く笑い
「お座りください」
というと胸元から一枚の封書を出した。
「これが、ご相談したい手紙です」
一颯は前に出された封書を手にすると中から手紙を出した。
手紙はチラシや新聞からの切り抜きで
『天罰が下るだろう』
と貼られていた。
他には何もない。
一颯はちらりと統一郎を見ると
「…悪戯とは、思わなかったのですか?」
と聞いた。
統一郎は腕を組むと
「届いた時はそう考えたのですが…」
と前置きをして二人に目を向けると
「実は家の車のブレーキに細工がされていて危うく惨事になりかけたのでこの手紙の主を探してもらいたいと思いました」
と告げた。
奏斗は驚いて
「ブレーキに細工って!?」
と聞いた。
一颯はちらりと奏斗を一瞥し
「それが天罰ってことだろ」
と答えた。
奏斗は「え!?」と言い
「そうじゃない…かもしれないと思うけど」
と告げた。
一颯は腕を組むと
「まあ、どっちにしても手紙の主を探せばわかることだな」
と呟くと、封筒を見て
「この手紙をこの封筒で送られてきたのですか?」
と聞いた。
「貴方宛てになっている」
統一郎は頷いて
「ええ、最初は悪戯だと思い引き出しに入れて気にもしなかったのですが」
ブレーキのことがあって
と告げた。
一颯は目を細めると
「なるほど」
と呟いた。
「それでお心当たりは?」
統一郎はうむっと息を吐き出すと
「まあ…私には子供が2人いて一人は18歳になる正妻の子供で統流と言い男子ともう一人は15歳になる美郎という田ノ井美和という女性との間の子供がいるのですが…有体にいれば正妻と愛人それぞれいい感情は持っていないかと思います」
と告げた。
一颯は「なるほど」と言い
「ちなみに他に女性は?」
と聞いた。
統一郎は視線を動かし
「まあ、それなりに」
と告げた。
「既に切れた女性もいますし今は二人だけです」
一颯は封書をペラペラ見ながら
「恐らくこの手紙の主は新聞をとっているということと…名古屋市内在住ということだけははっきりしてます」
と告げた。
それに統一郎と奏斗は驚いて一颯を見た。
奏斗は「何故?」と聞いた。
理由が分からなかったのである。
一颯は封筒の消印を指差すと
「ここが名古屋市内の郵便局の消印になっているじゃねぇか」
この封書は名古屋市から出しているってことだ
と告げた。
「例えば北海道や九州とかなら居所を分からなくさせるための細工と考えられるが態々名古屋市から名古屋市の人間に送るってのがな」
送り主はそんなこと考えずに出したんだろうな
奏斗は目を見開いて
「…」
と思わず絶句した。
そんなところに注意を払うとは思いもしなかったのである。
一颯は頷き
「この封書と貼り付けられた紙から送り主を調べることにしますが車のブレーキ細工は命に係わることなのでくれぐれも注意してください」
と統一郎に告げた。
「しかも犯人は身近にいるので」
奥さんとご子息は写真を
「愛人の田ノ井美和とその息子に関しては写真と住所を」
統一郎は頷くと執事の蓮司を呼び寄せて
「一色さまに写真と美和の住所を」
と指示をした。
蓮司は頭を下げて
「かしこまりました」
と答え立ち去り暫くすると戻ってきて一颯に写真を4枚と住所のメモ書きを渡した。
一颯は立ち上がると
「では、送り主を調べてご報告いたします」
と答えた。
統一郎は頷いた。
「よろしくお願いします」
一颯は奏斗を見ると
「じゃあ、行くぞ」
と館を後にした。
車に乗り込むと奏斗は慌てて
「あの…」
と言いかけた。
一颯はそれにエンジンを掛けながら
「手紙の主とブレーキを細工した主が同一人物かどうかはわからん」
と言い
「とにかく手紙の送り主探しとブレーキの細工をした人物探しを同時進行だな」
と告げた。
奏斗は「え、はい」と答えた。
ピーは先からずっと鎮座したままである。
一颯はアクセルを踏んで車を走らせた。
「先ずは新聞とチラシだな」
奏斗は首を傾げると
「え?」
と聞いた。
一颯は前を見たまま
「貼り付けている文字はチラシと新聞だ」
チラシが分れば新聞も調べられるし
「範囲も分かる」
と言い
「お前は何処にいたんだ?」
と聞いた。
奏斗は目を瞬かせて
「え?俺がいた場所ですか?」
と聞いた。
一颯は頷くと
「ああ、17歳だろ?家出をしてきたような気がしたんだが」
と告げた。
「しゃちょーが君を引き留めたのはそれもあったからだろ」
奏斗は「そうか」と呟き
「母が2週間前に亡くなって…父親はいません」
と告げ
「それで住んでいたマンションを引き払って東京へ行って仕事を探そうかと思って」
と視線を伏せた。
一颯は前の車を見つつ奏斗を一瞥し
「…で?どこのマンションだ?」
と聞いた。
奏斗は戸惑いつつ
「昭和区です」
と答えた。
一颯は目を細めて
「意外といい場所に住んでいたんだな」
と言い、おこめ探偵事務所のビルの駐車場に車を止めると
「お前は取り合えずピーの散歩行ってこい」
俺は行かないからな
「ピーの面倒はお前の仕事だ」
と告げてビルの方へと足を向けた。
奏斗は頭の上のオカメインコを見ると
「…はい」
と答えビルとは反対側に向かって足を進めた。
ピーは羽根をパタパタさせると
「カナカナカナ」
としゃべり始めた。
奏斗は歩きながら
「…それって俺の名前のつもりかな」
と呟いた。
ピーは奏斗の言葉などお構いなしに
「カナカナカナ」
と歌うように言い続けたのである。
一颯はビルの中に入るとおこめ探偵事務所の中に入って
「しゃちょー、この依頼…どういうつもりか聞いていいっすか?」
と睨んだ。
尾米正はにっこり笑うと
「答えるつもりはないけどねぇ」
聞くのは聞くよ
と答えた。
最後までお読みいただきありがとうございます。
続編があると思います。
ゆっくりお待ちいただけると嬉しいです。