7話
驚いて目を見開いている私を見て、オーギュストが不可解そうに眉をひそめた。
「価値観……?」
思わず漏らした呟きを拾い、首を傾げている。
「え、ああ、えーと……その、リンエルでは子をなすことよりも重視されていることがありまして……教養といいますか、資質といいますか……それが私は他の王族よりも劣っていたため、役立たずと呼ばれておりました」
予知夢については伏せて、言葉を濁して説明する。子をなすことができないなんて話が広まるのは困る。
オーギュストと離れてどこかに嫁ごうと思っても、子を産めないと思われていたら最初から対象から外され、愛情を育むための交流すら難しくなるだろう。
もしも私が子を産めない体だったとしても、愛を得たあとならば子がなくてもと思ってもらえるかもしれない。
「なら、君は子を……」
「確実に産める、かどうかはわかりませんが……産めないと断言することもできません」
試したことがないのでどちらも断言はできない。
曖昧な言い方をする私に、オーギュストは何か考えるようにわずかに目を伏せた。
「……ひとつ、伺ってもよろしいでしょうか」
伏せられた目が上がる。何を聞きたいのかと探るような眼差しに、私は居住まいを正した。
オーギュストが勘違いしてしまうほど、貴族――そして王族にとって、子を産めるかどうかは重要だ。
「子をなせないと……そう思っていながら、どうして私を妻に望んだのですか」
つい先ほど、家臣がうるさいからだと言っていたけれど、それにしたってわざわざ子を産めない女性を妻に選ぶ必要はない。
もしも本当に私が子を産めなかったとしたら、どうあがいてもオーギュストの血を継ぐ子供を王位につかせることはできない。
彼の愛を得た伯爵令嬢がいたが、この時点の彼はそんなこと知らないはず。
もしかしたらすでに、彼は伯爵令嬢のことを愛していて、私の知らない障害があって結婚できないので、お飾りの妃を求めたのでは――そんな想像すら生まれてしまう。
「……君には関係のないことだ」
「…………どなたか、愛する方がいて……結婚できない事情があるのでしたら教えてください。協力いたします。……私の処遇にお困りでしたら、どなたか良い方をご紹介いただけたら大丈夫ですので、安心して――」
思わず漏れてしまった欲に、オーギュストの顔が不快そうに歪んだ。
「俺は誰かを愛するつもりはない。そもそも、君は俺がそんな――他に相手がいて妻を娶るような、不誠実な男に見えるのか」
十分見えるし、知っています。
寸でで出かけた言葉を呑み込む。
予知夢の中で私がオーギュストの妻として過ごした期間はおよそ二年。
たった二年ではあるけど、それでも私にとっては長い二年だった。
初夜にすら訪れず、公の場では妃として扱ってはくれたけど私的な会話はいっさいなく、せめて食事ぐらいは一緒にと望んでも忙しいからと素っ気なく返され。
役立たずと称された私を娶ってくれたことや、支援してくれたことに対する恩と、最初に愛することはできないと告げられていたことで、政略結婚はこういうものなのだろうと、諦めていた。
子供ができれば労わってくれるかもしれない――そんな幻想すら抱けないほど没交渉の夫に愛する人ができたと知ったときは、頭がおかしくなるかと思った。
誰も愛することはできないと言っていたから諦めていたのに、忙しいからと言うからできるだけ邪魔にならないように過ごしていたのに、誰かを愛することも、愛する時間もあっただなんて、信じたくはなかった。
だけど子供ができたと、その子供を私の子供として――たった一晩すら共に過ごしたことのない私の子供として公表すると聞いて、怒りを通り越して絶望した。
役立たずだから、恩があるからと、どうしてここまで踏みにじられないといけないのか。
私だって誰かを愛して、愛されたかった。
オーギュストのように、誰かを愛する喜びを、愛する人との間に子を持つ喜びを知りたかった。
だから私は――予知夢の中の私は、これから一生、喜びを得ることができないことに絶望し、自ら命を絶った。
「……陛下のおかげでリンエル国は持ち直せました。そして王家において役立たずと称されていた私を娶ろうと、そう思っていただいたことには感謝しております。ですが……子を産めないと思っていながら私を娶ろうとしたのか――当事者であるはずの私にすら、関係ないとおっしゃるあなたを、どうして誠実であると思えましょうか」
未来を知っているからよくない想像をしてしまうのか。
未来を知らなくても同じような想像をしていたのかはわからない。
だけど彼を誠実な人だと思うには情報が足りない。
愛することはないと最初から教えてくれたのは、誠実だからと言えなくもない。
準備期間が必要だと言って、それを受け入れてくれたのも紳士的な対応だと思えなくもない。
だけど、いまだ妻ではないにしても、妻として訪れた女性を侍女に丸投げして放置して、食事を共にする時間すら惜しむのは、どう考えても誠実とは言えないだろう。
「私は陛下のことを詳しくは存じません。ライナストンで過ごしている間、あなたとお会いしたのは最初と今だけです」
二年間彼の妻として過ごしていた時も、彼が何を思い、何を考えて生きているのかわからなかった。
わかるほど、同じ時間を過ごすことができなかったから。
「だから、考えてしまうのです。当事者である私にすら伏せないといけない理由は何か――あなたが誠実な方なのか、不誠実な方なのか。それすらもわからないから」
沈黙が落ちる。
こちらを見つめるオーギュストの赤色の瞳は、ひとかけらの揺らぎすら見せていない。何を考えているのかわからない。
これで私を王妃として迎えようとした理由を話してくれるのなら、未来はどうあれ彼自身は誠実な人だと思えるかもしれない。
だけど、そんなことはないと――期待しても無駄だということを、私は知っている。
「……共に過ごす時間があれば、君は満足なのか」
彼は必要なことしかしない人だった。
招く客のリストを覚えておくようにと用意しても、彼が自ら渡すわけではなく侍女経由。
ライナストンの踊りを覚えるための練習も、実際に踊る相手であるオーギュストではなく講師を相手に。
いつだって彼は、自分に必要なことしかしない人だった。
「陛下はお忙しい方でしょう。共に過ごしたいと望んだとしても、そうできないことは存じております」
王妃を娶る必要があったら娶って、だけど交流する必要はないからしない。ただ、それだけの話だ。
オーギュストにとって私はそれだけでしかない存在なのだと――今、私の言葉に少しだけ安堵しているオーギュストの姿が物語っている。
彼がどうして忙しいのかは、知っている。
先王が若くして亡くなり、本来王位を継ぐはずだった兄もほどなくして亡くなった。
そして彼は幼いころに王位を継ぐことになった。子供であった彼を侮る者も、きっといたに違いない。子供だからと悔しい思いをしたこともあっただろう。裏に誰かいるのではと、疑惑の目も向けられたこともあったかもしれない。
だから、王として、この国を率いる者として、民に家臣に認められるために必死なのだ。
わかっている。理解しているから、多くは望まなかった。
だけど私はそれでは駄目なのだと――私に多少でもいいから心を砕いて、歩み寄ってくれる人でないと幸せにはなれないのだと知ってしまった。
「ですがひとつ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「俺に答えられることなら」
「陛下は……子を産めない女がお望みだったのでしょうか」
子を産めない王妃にどのような価値があるのかは、私にはわからない。
だけどそうである必要があるのなら、私はオーギュストの望むような王妃にはなれない。それはオーギュストもわかっているはずだ。
「……それは、そうだ」
頷くオーギュストに私は小さく息を吐く。
「でしたら、私との結婚はどうされますか? 破談とされる場合、いただいた支援をお返しする……というのは現状では難しいですが、お望みでしたら何年かかろうと、我が国は返還されることでしょう」
大国であるライナストンが望めば、小国であるリンエルは従うしかない。
だけど今はまだ建て直したばかりで、物資を返す術はない。
「……与えたものを返せと言うつもりはない……だが、君との結婚は……」
少し考えさせてほしい。そう締めくくって、オーギュストとの対談は終わった。