14話
机の上に広げられた書類を前に、もう何度目になるかわからないうめき声を漏らす。
私はこれまで王妃として、王女として生きてきた。お飾りかつ役立たずではあったし、王妃だったころは何もさせてはもらえなかったけれど、それでも多少は政治に触れたことがある。
だからこそ――いや、その程度の私ですら、レナルドの実家は切迫していて、奇跡のような一手は存在しないとわかってしまう。
もともとは鉱山業を営んでいて、そこから掘り出された宝石を加工し、販売していた。だが産出量が減りはじめたことで経営が悪化。
他国から宝石を輸入することにしたようだが、それが致命傷となった。近くの国から仕入れるだけでは持ち直せないと思ったのだろう。海を渡った先にある国から珍しい宝石を仕入れようとして――宝石を運んだ船が嵐で沈んだ。
借金してまで買いこんだ宝石は海の底に消え、多少保険は降りたが負債を補填できるほどではなく、結果どうにもならない状況に追い込まれた。
「……どうにかなりますかねぇ」
無理だとレナルドもわかっているのだろう。肩をすくめながら浮かべている苦笑は自嘲気味だ。
「正直に言って……厳しいわ。細々と借金を返してはいるようだけれど、元金はあまり減っていないようだし……」
利子は悪辣というほどではないが、良心的とも言い難い。法律で定められている金利のギリギリを攻めている。だが法は守っているので、無効にすることはできず、手の打ちようはない。
「……その書類は?」
「ああ、これですか。所有鉱山の一覧です。ほとんど掘りつくしているのであまり意味はないと思いますが、一応用意しました」
ふと、レナルドの手に数枚の書類があることに気づく。私が帳簿とにらめっこしている間に持ってきてくれたようだ。
レナルドも何か手はないかと必死なのだろう。意味はないかもしれないけど、情報は多いに越したことはないと判断したに違いない。
「念のためそちらも見せてちょうだい。土地の関係で高く売れるものがあるかもしれないし」
「どいつもこいつも二束三文にしかならないって結論が出てますけどね」
鉱山を売ることも視野に入れていたようだ。すでに調査済みだったようで、レナルドの顔に希望の色は灯らない。
それでも、なんとしても糸口をつかまないと――私の明るい未来はやってこない。
「あら……」
書類を一枚一枚めくり、並んでいる名前とどんな鉱石が採れていたか。そして何年前から採れなくなったか。位置や周りの環境も記されたものを読み込んでいき――その中のひとつが目に入る。
「たしか……これって……」
おぼろげな記憶をたどる。
王妃の役目をまっとうするべく参加した夜会。オーギュストは顔見知りの貴族と話に花を咲かせ、その近くでただほほ笑んで、佇んでいただけの私。
話しかけてくる友人もいなければ、話しかける知り合いもいない。たったひとりで嫁いできた、弱小国の姫君を気に掛ける者のいない空間で――書類に記された名前を耳にした。
「レナルド。騙されたと思って、この鉱山の採掘作業を開始してちょうだい」
安値で買った鉱山から希少な鉱石が採れたのだと。運がよかったと笑う男性と、それは羨ましいとおだてる人々。そして一番大きな鉱石は加工して王家に贈呈しますと言われ、気をよくしていたオーギュスト。
かつて、どこぞの王が愛する姫君に送ったと言われる宝石。
当てる光によって色を変える石の名前は「アレキサンドライト」。どこぞの王の名前にあやかってつけられたらしいその宝石を、オーギュストはレイチェルにプレゼントしていた。
「作業する金もないんですが」
「なら、私が投資するわ。微々たるものだけど、ないよりはいいでしょう」
私の私財は本当に微々たるものだ。なにしろ、困窮していた国からの嫁入りである。
他国の王のもとに嫁ぐというのに、それらしい嫁入り道具は何もなかった。オーギュストがこちらになんでも揃っているから何も持ってくる必要はない。それよりも早めにこちらに来るようにと、要求したのが原因のひとつでもあるけど。
それでも、さすがに何もないのはと思ったのだろう。輸出するには数が少なく、災害時にはなんの役にも立たないからと倉庫に眠っていた宝石をいくつか持たせてくれた。
未来視の中の私は、その宝石を売ることもせずに手元に置き続けた。不用な人間に不要なものを持たせただけだとしても、家族からの最後の贈り物だったから。
「でも、本当にいいんですか?」
「箪笥のこやしにするよりは、ずいぶんといい使い道だと思うわ。それに、加工したり売る手間はあなたの実家に任せることになるのだから、遠慮しなくていいわよ」
はい、と手渡した手の平サイズの革袋。中には爪の先ほどの宝石が十数個入っている。そのまま売るにしても、加工して売るにしても、時間がかかるし手間も必要になる。
だからすぐに作業を開始できるとは思えないが、実家が復興する可能性があればレナルドはレイチェルの想いを受け入れたりはしないだろう。
「……それでもどうしても気おくれするのなら、一番最初に採れた鉱石を私に贈ると約束してくれるかしら」
「いやそりゃあ、投資してくれるんですからそれ相応のお返しは用意しますよ。……用意できたら、の話にはなりますけど」
「それでじゅうぶんよ。それに、あなたの実家を立て直すのは私のためでもあると言ったでしょう? 恋や実家のことで頭を悩ませて、私の護衛をおろそかにされたら困るわ」
「さすがに俺も騎士としての矜持があるから、おろそかにはしませんよ。……それじゃあ、これはありがたく使わせていただきます。鉱山の件と合わせて家族に伝えようと思うので……また数日ほどお休みをいただいても構いませんか?」
「もちろんいいわよ。万が一紛失されたら困るから、しっかりと届けてちょうだい」
レナルドの剣の腕前がどのぐらいかはわからないが、配達人に預けて野盗のたぐいに奪われる可能性を考えたら彼が自ら持っていくほうが安全だろう。
あとはどのぐらいで、宝石を掘り当てることができるか――自分にできるのはここまでだ、とようやくひと息つく。
「……そういえば、あなたって賭博に興味はある?」
「これを元手に賭けたりしないんで安心してください」
ふと、レナルドが違法賭博に手を出したことを思い出した。時期的にはまだ先だが、もしかして実家の財政状況と関係あるのではと思っての質問だったが、まったく違う受け取られ方をしたようだ。
「今のは聞き方が悪かったわね。あなたがそんなことをするとは思っていないわ。ただ……賭博に興じたことがあるのか気になっただけよ。純粋な好奇心からの質問だから、気軽に答えてちょうだい」
「いやあ、心配になったとしか思えないんですけど……えーと、賭博ですか……。これまでしたことはないですし、するつもりもありませんよ。胴元が儲けるだけってわかってるものに手を出すほど馬鹿じゃないんで、信用してください」
純粋な好奇心からの質問とは受け取ってくれていないようだけど、彼の返答はおそらく真実だろう。こちらをまっすぐに見る瞳にやましさはない。
「そう……ならいいわ」
そうなると、レナルドが違法賭博をしようと思ったのは、やはり実家が原因だろう。どうにもならなくなって、そんな馬鹿なことをしでかした、と。
「……この場合、どうなるのかしら」
実家が持ち直せば、レナルドは法を破ることはなくなり、騎士の資格もはく奪されない。
だけどレイチェルが自分の恋心に見切りをつけたのが、レナルドが騎士ではなくなったからだとしたら――。
ちらりとレナルドの様子をうかがう。大切そうに革袋を持つ彼に、まあいいか、と苦笑する。
未来視の中ではほとんど交流のなかった彼だけど、今は私の護衛騎士である。落ちぶれるのが自業自得であるのならともかく、追い詰められてのことだったのなら、きっとこれでよかったはずだ。
レイチェルの恋心は、またあとで考えよう。




