1話
おぎゃあおぎゃあと、遠くで赤子の泣く声が聞こえる気がする。
帳の落ちた空の下、同じ城の中で、子供が生まれた。
私の夫と、夫が愛する女性の子供が。
私の母国リンエルは小さく、これといった特産も何もない国だった。
どこかに嫁ぐなんて考えもしていなかった私に、大国ライナストンとの婚姻が持ち上がったのが二年前。
当時リンエルは大規模な災害に襲われ、飢餓に陥っていた。そこに手を差し伸べてくれたのがライナストンだった。
国同士の交流が盛んだったわけでもなく、けっして親密とはいえない関係だったにも関わらず、大量の物資を用意してくれた。
だけどそれは親切心からではなかった。ライナストンは支援の代わりに、私を要求した。ライナストンの王の妻に迎えたいと。
窮地に陥っていたリンエルからしてみれば、破格の待遇だった。
姫をひとり差し出すだけで、支援が受けられるのだから断る理由はない。
誰もかれもが――父も母も、誰もが喜んで私を送り出した。きっと見初められたのだと言って。
でも、そんな甘い話はなかった。
ライナストンの王オーギュストは誰のことも愛せない男だった。
彼はただ恩を売れて、どんな扱いをしても文句の言えないお飾りの王妃を欲しがっていただけだった。
それでも構わないと、私は受け入れた。受け入れるしかなかった。リンエルを救ってくれたのはライナストンとオーギュストで、私にほかに行く場所などなかったから。
たとえ、初夜ですら足を運んでくれない夫だったとしても、私は彼の妻になるしかなかった。
本当に、オーギュストが誰も愛せない男だったのなら、私も諦めをつけられただろう。
だけど私が嫁いだ一年後、彼は愛を得た。私ではない女性との間に。
「王妃様」
コンコン、と控えめなノックのあと、侍女が入ってきた。
オーギュストの愛する人が懐妊してからずっと、私に仕えてくれている。
ライナストンには優秀な侍女やメイドが揃っているからと、母国からは誰も連れてくることはできなかった。
だけど優秀なはずの侍女もメイドも、私ではなく、オーギュストの愛する女性に仕えることになった。大切な子供を産むために。
「母子ともに健康とのことです」
そして代わりに私のもとにやってきたのが彼女だった。入城して間もない子で、力のない家の出。
だから、たとえ王妃に同情しても楯突くことはないと判断されて、私の側仕えになった。
そのことを、私も彼女もわかっている。
お飾りの王妃と、お飾りの王妃に仕えるにふさわしい侍女。それが私たちのこの城での立ち位置。
「あら、そう、そうなの。陛下も喜んでいるでしょうね」
「数か月後、母体と子が安定したら王妃様に会わせるとのことです」
オーギュストの子が宿ったと聞いたのは、八か月前。無事に産まれたら私の子供として公表すると告げられた。
一度も体を重ねたことがないのに。
「そう、わかったわ。……もう休みたいから、下がってくれる?」
「かしこまりました。どうぞ、ゆっくりお休みください」
痛ましそうに頭を下げた侍女がそっと部屋を出る。ゆっくりと閉ざされた部屋の中で、私は乾いた笑いを漏らした。
一度も体を重ねたことがないのに、誰かに体を許したことがないのに、母になる。子供とは月に一度、誰かに話題を振られても困らないように会うだけだと言われているのに。
公の場ぐらいでしか顔を合わせない、言葉も交わさない男との間に子供をもった女になる。
「馬鹿馬鹿しい」
ライナストン国には恩がある。オーギュストに感謝の念を抱いたこともある。
そして戦になれば負けるのは母国であると理解していたから、抗議することなく、言われるがままお飾りの王妃を演じてきた。
「だけどもう、どうでもいい」
誰も愛せないと告げられ、初夜ですら足を運んでくれなかった。他国が足を運ぶ公の場では王妃として振る舞うように言われ、それ以外では声をかけてもくれなかった。
たとえお飾りでも、王には子が必要だ。それなのに彼は一度も、私の寝所に足を運ぶこともなければ、私を自らの寝所に呼ぶこともなかった。
もしかしたら、最初からこうするつもりだったのかもしれない。誰か愛する相手ができたら、その人に子供を生ませ、王妃との間にできた子供にするつもりだったのかもしれない。
子供ができたと告げられてからの八ヶ月、私は悩み、苦しんだ。
誰かを愛せる人だったのに、どうして私ではいけなかったのか。
私だって、愛されたかった。愛する我が子を抱いてみたかった。たとえ子供ができなくても、愛する人とほほ笑みあっていたかった。
そして節目には互いにプレゼントを用意して、愛を語り合いたかった。
だけどそのどれも私には与えられなかった。愛と名のつくものはすべて、私ではない人に与えられた。
開いた窓から吹く風が頬を撫でる。星の瞬く夜空の下、私はそっと、手すりに手をかけた。
愛されたいと望むことすら許されない環境に終止符を打つために。






