2.食べる、歩く、一からのスタート
翌日の朝7時過ぎ。
「おはようございます、朝の検温です」と若い女性看護師さんに起こされた。
昨日見た人とは違う。
「今日の昼担当のSです、よろしくお願いします」
ショートヘアの似合う目のぱっちりした看護師さんだ。
「うん、吸入器はもういいですね」
やっと苦しい吸入器を外してくれた。
柵にピンチで止めてあるマスクを急いでかける。
個室は基本的にマスクなしで過ごしていいが、誰かが入室したらかけることになっている。
「毎日担当さん変わるんですね」
「昼と夜でも変わります。今夜はまた別の担当が来ます」
元々物覚えが悪い私だ、もう担当の看護師さんの顔と名前を覚えるのは諦めようと思った。
多少熱が下がった気がするが、全身が汗まみれで気持ちが悪い。体温は37.6度、でも血圧は……
「110の160。高いですねえ……。血中糖度も測りますね」
S看護師さんは小さなクリップのようなものを出し、「ちょっとちくッとしますよ」と言って右手の人差し指を挟んだ。血がにじむ。家庭用の血糖測定装置には肌にあてるだけでわかるものがあると聞いたが、病院の方が何だかアナログだ。
「うーん、絶食状態で140かあ」
「それ、高いですよね……」
私には糖尿病の持病もあり、定期的に病院にかかっている。それでも、空腹時の血糖値は大抵100前後だ。そんな数値は出たことがない。
「そうですね、ブドウ糖点滴の影響もあるかもしれません。血圧は普段から高い方ですか?」
「いえ、いつもは下80の上110くらいです」
そう言ってから、こんな悪い数値が続くと退院が延びてしまうかもしれないという恐れから、つい言い訳を考えてしまった。というより、本当の話だけれど。
要するに、自分が閉所恐怖症でパニック障害持ちで、おまけに不眠でメンタルクリニックに通って薬を処方されている事と、今は安定剤も飲めてない状態にあるので酷く緊張しているのが関係してるかも、と言いたかったのだが、何だか全身が衰弱していて頭もよく働かず、言葉が出て来ない。
「あの、この環境がダメなんです。眠れないし。私、メンヘラなもんで」
「はい? メンヘラですか? ぷっ、あはははは」
思い切り笑われてしまった。笑い事じゃないというのに。60過ぎのおばんにメンヘラという言葉は似合わなかったのだろう。
「夜には睡眠剤も出ますよ。それと、お昼からご飯も出ます、全粥ですけどね。頑張って食べて、午後は歩く練習をしましょうね」
「やっぱり、今日からですか……」
「そう、皆さん大抵手術の翌日からです」
うぇーっほえっほえっほ。げほげほげほ、うおおおおお!
いつもの声が隣室から響いてきた。
続いて、看護師さんのナースコールが鳴る。
「はいどうしました? ああ、Tさん、ええ、苦しいですか? 今行きますからね」
看護師さんは「ではこれで」と手元の道具を整理し始めた。
「あの、お隣の方、ずっとこうですか?」おずおずと尋ねてみると、
「ちょっとボケがはいっちゃったお爺ちゃんでね、うるさいでしょ、すみませんね。あの咳払いがもう、ナースコールみたいなもんですよ。お寂しいんでしょうね」そう言って苦笑いした。
「コロナで面会禁止になってますしね」
「まあ、奥様も亡くして身寄りのない方なんですけどね。そのこともよくわかってないみたいで」
「……大変ですね」
「仕事ですから。あ、深呼吸を繰り返す練習、しといてくださいね。痰を絡ませないためです。じゃあまた」
バタバタとS看護師さんが出て行くと、すぐ隣の部屋から何やら怒鳴り声が聞こえた。
……はいつ来るんか! わしの電話はどこだ!
Tさん、スマホは先日投げて壊してしまったでしょう。それと、今はどなたも面会禁止ですから。
嘘をつけ! 電話を返せ! うおーっほおっほおっほ、うおおおおお!
ねえTさん、そんな大声でなくても、痰は切れますから。それとも痰吸引します?
あんな苦しい思いはもうお断りだ! わしを殺す気だろう。それよりも、わしの狸はどこだ!
はい? たぬき? たぬきですか?
狸などと言うとらん! あほうめ!
そののち担当医が入ってきて静かに何事か話し始めたようだ。急に老人は大人しくなった。女というものは、まったくあのアマは、と繰り返す老人に、検査があるので車椅子に乗って移動してください、というような声をかけている。車いすなどいらん、わしはまだ歩ける、歩行器でいいとだだをこねているうち看護師さんは部屋を脱出したようで、老人もどこかへ連れていかれた。
相部屋も個室も、これじゃ何の変りもないじゃない。私は心底がっかりした。
電動ベッドが個室にはあると聞いて、背を自分で立てられるということもあって個室を選んだのだけど、リモコンで操作とはいかず、短いコードに繋がったコントローラーは手すりの足元にぶら下がったままだ。手は届かない。体中管に繋がれて、体も起こせない。今は8月、空調ももっと温度を下げたいのだが、ダイヤルは頭のはるか上にある。体をねじって手を伸ばそうとしたら、傷跡が激しく痛んだ。
本当に身動き一つできない。なにひとつ思いのままにならない状態で、ここから出たい、出たい出たいという欲求ばかりが胸の内で暴れ始め、役にも立たない汗がだらだらと額から流れ落ちる。
追い詰められている、私は追い詰められていると、認識し始めたら負けなのだ。けれど、小刻みに震える手と止まらない汗と動悸が、病んだ心のSOSを体で伝え続けていた。
昼食は12時ちょうどに運ばれてきた。持ってきてくれたのは看護師さんではなく配食担当の年輩の女性だ。
「お食事です、お名前をおっしゃってくださいね」
食事を受け取るたびに名前を名乗ることになっているらしい、一人一人病人食が違うからだろう。ご飯の代わりに全粥なだけで、後は魚の煮つけや野菜の煮物、あえ物など、普通食だった。肝臓は消化器官ではないので、腫瘍ごと切除した後も食事には支障はないらしい。
「じゃ、ベッドを起こしますね」
一人では身体を立てられないので、コントローラーを握って電動ベッドの角度を立ててくれる。
70度ぐらいまで立てられたところで、お腹が異常に膨らんでいることに気づいた。その出っ張った下腹が、ベッドにまたがるように設置されたテーブルと掛布団の間に挟まって、むしろ立てたベッドに押しつぶされかけている格好だ。あたたた、傷が痛い。
このお腹は何だろう、もしかして手術の後しばしばたまるという腹水かしら。
相当苦しかったけれど、「これでいいですか」と聞かれて、思わず「はい」と答えてしまう。
「ごゆっくり召し上がってくださいね」
食欲は全くなく、むしろストロー付きのコップから飲む手術後初めての水が、五臓六腑に染み渡った。
両手が震え続けているので、箸は選ばずスプーンを手に取った。そして、点滴の繋がれた両手で、一つ一つの皿をできるだけ自分に近づける。
かがんで顔を皿に近づけ、ぶるぶる震える右手のスプーンで苦労して粥を掬い、震える口元に持っていく。それでも口元からボロボロと粥がこぼれる。
手が震えるのは精神的なことばかりが原因ではない。とにかく、スプーンを重く感じるほど、体に力が入らないのだ。
おかずもみな、スプーンで探るようにして口元へ運んだ。
背を丸め、小刻みに震えながら口元をべたべたにして懸命に食事をしている自分は、まるで90過ぎて施設に入ったときの父のようだ。
こんな年で、死にかけのお年寄りのようなザマになっている自分を自覚しつつ、ああ自分は今人生の峠道にいるのかなあ、と思う。坂道の底ではない、まだ底には行っていない。
病気が治れば、今が過去のことになれば、そのうち笑い話にできるだろう。これも経験の内だ。
おかずはどういう訳か全般に塩味が効きすぎていて、正直不味かった。兎に角無理やり押し込むようにして、皿の上のものを体内に片づけた。食事と言うより、生きるための「作業」だ。
テーブルの上に置かれた「食事の記録」用紙の昼食の欄に「完食」と鉛筆で書く。
幼児が書いたような字になった。
幼児のようでもいい、私はこれから、生き直すのだ。
それにしても、このままだとベッドとテーブルに挟まれたまま圧死しそうなので、初めてのナースコールを押す。
『はい、どうしました?』とスピーカーから声。
「あの、ベッドをもとに戻してください。それと、食事、終わりました」
Sさんが現れて、ベッドの角度を戻してくれた。助かった、息ができる。
「少しだけ、頭の部分起こしておきますね」
そしてテーブルの上を見て、
「あら偉いわ、ちゃんと全部、食べられましたね」
「はい、がんばりました」と私。
学校給食を思い出す。人生一年生。病室にプライドは持ち込めない。
食事がとれるようになったので、服薬も開始された。仕切りのある大きな薬ケースに、時間ごとの薬が揃えていれてある。
「えーとこれが鎮痛剤、胃薬、抗生剤、精神安定剤、これが……抗うつ剤ですね。食後に飲んで、薬の殻はゴミ箱に捨てず必ずケースに戻してくださいね。確認しますから」とSさん。
家では実は安定剤も抗うつ剤も処方通りには飲まず、寝る時眠剤と一緒に飲んでいたのだ。この方法ではごまかしがきかない。
それでも、ぎりぎり閉鎖空間に耐えていた精神が、安定剤と抗うつ剤で、やっと少し和らいだのは有り難かった。
午後2時を過ぎたころ、再びSさんが笑顔で現れた。
「さて、そろそろ歩く練習をしましょうか」
本当に今日やるのか。まだ少し体が熱い。熱を測ると、37.3度。
「ま、これぐらいなら歩けるでしょう」
はい、と言うしかない。歩けなければ尿管も外してもらえずトイレにも行けないのだ。
「まず、ベッドの上で起き上がってください。と言っても、お腹の傷に響いてご自分では無理ですね。背の部分を起こしましょう」
ベッドにまたがるかたちでおかれている車輪付き横長テーブルを足元に移動させ、コントローラーのスイッチを入れてベッドの背を起こしてゆく。
「さ、体をこちらに向けて、お布団から足を出してゆっくり床に降ろしてください」
背中を支えてもらいながらそろりそろりと言われた通りに体を動かしてゆく。どんなわずかな動作でもお腹の傷に響く。腹筋を使わずにできる動作ってホントにないんだなと改めて思う。
導尿管や胆汁ドレーンの先にはそれぞれ黄色、赤茶色の液体が溜められた袋がベッドの枠にぶら下がっている。
「ちょっとそのまま待っていてくださいね」
尿袋を外すと、Sさんは個室内のトイレに持ち込み、便器に中身を空けると水洗を流し、空になった袋を再び導尿管につなげた。二つの袋を、点滴台の下の方についている金具にぶら下げる。
両手で体を支えつつベッドに座っているだけでも辛い。傷口がズキンズキンと音を立てるように痛む。
「では、私の腕につかまって、そろーっと立ち上がってくださいね。体重預けていいですよ」
これが思ったより難行だった。
少なくとも、手術後一番傷口に響いたのは確かだ。それをこらえ、これでもかと下腹に力を入れ、膝をガクガクさせながら立ち上がる。傷がさらに痛み、世界が回り始める。
「眩暈がしますか?」
「はい、少し……」
少しではない。
「じゃあそのままちょっと呼吸を整えましょう。右手で点滴台を握ってくださいね、左側は私が支えますから」
袋だらけの点滴台と、Sさんの腕にすがるようにして、そろりそろりと部屋を出る。
ああ出た。部屋の外だ。少なくとも今、私は閉所から出られた。空気が、動いている。
廊下では医療器具を積んだワゴンを押した看護師さんたちが忙しそうに行き来していた。
隣の部屋の前を通るとき、ドアが開いているのに気づいた。
診察中かと思ったが、お医者も看護師さんもいない。いつも開けっ放しにしているのか、道理で声がよく聞こえたわけだ。
個室の中では、痩せこけたざんばら髪のお爺さんが手に何やらノートのようなものをもって、呆然とベッドの脇に突っ立っていた。
部屋の前を通り過ぎるその瞬間、お爺さんの目がぎょろりとこちらを見た、ような気がした。
慌てて視線を前に戻し、またそろりそろりと足を進める。
あまり悪くはとりたくないけど、常に開けっ放しであの物凄い咳ばらいをし続けるのって、このコロナ禍で、嫌がらせに近いんでは……
とにかく、ここは危険区域だ、と思い、できるだけ足早に通り過ぎる。
20メートルほど進み、洗髪台のようなものが並んだコーナーを過ぎると、もう息切れがした。
「歩けましたね。そろそろ戻りましょうか。少しずつ、距離を伸ばしていきましょうね」
「はい」
ゆっくり回転して、来た道を戻る。スリッパをはいた足元に目を落とし、一歩一歩を確かめながら。
顔を上げて、私は思わず「え」と声を上げた。
隣の部屋からあのお爺さんが半分顔を出し、ドアを掴んで、こちらを凝視しているのだ。
落ちくぼんだ、大きな目で。
視線を外して前を向き、見なかったことにして部屋を目指す。視界の端で、お爺さんの目がこちらを追っているのがわかる。咳払いも喚き声も出さず、ただじいっとこちらを見ている姿は、何だか妖怪のようだった。
とにかく、これ以上私に興味を持ってくれないことを祈るしかない。