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テンシバルの世界樹 第一部  作者: 海崎あかね
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おそろしい勘違い


 「風吹亭」のゲストルームのことは、たちまち島中に知れ渡ってしまった。いや、正しくは島の風吹亭関係者に。だけど、それはつまり、島のほとんどの人が知っているということだ。

 もちろんトキオも、さっそくヒミコから話を聞かされた。

「リカちゃん、て名前なの。むかし、リカちゃん人形ていうのがあったなぁ。楓子ちゃんみたいに色白で、おしゃれな服を着て、手足がすらりと長くて。中学一年生らしいけど、言葉づかいなんかすごく大人びてきちんとしてるのよね。今どきの女の子みたいな乱暴な言葉なんかひとつも使わないの。トキオと一つ違いとはとても思えないわ。やっぱり都会の子は違うわねぇ!」

 ヒミコは自分とトキオもつい半年前まで東京にいたことなど忘れたかのようにやたらに興奮している。

 トキオはそんなヒミコのテンションについていけない。もちろんリカちゃんという子には会ってみたい。でも、あまりにヒミコが舞い上がっているので、逆にそれまで毎日かかさず顔を出していた「風吹亭」に行きにくくなってしまったのだ。


 その「風吹亭」では、フミヤ君が最初のトラブルをなんとか乗り越え、というより何事も起きなかったかのように、あのいつもの曖昧な笑顔で働いているらしい。何でもかんでも取りあえず「はい」と言ってしまい、あとでトラブルになるのは日常茶飯事だ。そんなときフミヤ君をどやしつけるのはたいてい司馬(しば)ちゃんだけど、じつはフミヤ君のことを一番気にかけているのも司馬ちゃんで、ときどきヒミコのところに来ては「あいつ、だいじょうぶっスかね」と真顔で相談している。

 飛び出していった楓子ちゃんのこともヒミコはずいぶん心配したのだが、次の日にはいつも通りに出勤してきて、「きのうは申し訳ありませんでした」とボスにしっかり謝ったという。そうなれば、過ぎたことはあれこれ言わないのが「風吹亭」だ。

 そんなわけで現在の「風吹亭」メンバーの関心は、ゲストルームの新人、リカちゃんに移っていた。

 いま、リカちゃんといちばん仲よくしているのは楓子ちゃんだ。ふたりは性格も年齢もずいぶん違うのに、妙にウマが合うらしい。昼休み、ゲストルームからにぎやかな笑い声が聞こえてきたり、木陰のハンモックにふたり仲よくならんで揺られていたりすることもあるという。

「楓子ちゃんが声を立てて笑うのなんて今までいっぺんも聞いたことなかったのよ。考えてみればさ、島に若い女の子なんてほとんどいないんだもん。楓子ちゃんも気の合う友だちが見つけられなかったわけよね。私なんて、どういうわけか、話しかけると楓子ちゃんを怯えさせちゃうみたいだし」

「ママはがさつだからね」

 トキオは宿題のノートから顔を上げず返事をした。ヒミコはふふんと鼻を鳴らした。

「リカちゃんも楓子ちゃんをお姉さんみたいに慕ってるのよ」

「よかったね」トキオは無関心を装った。

「トキオも一度店に顔を出しなさいな。そういえばあなた、夏休みになってからぜんぜん来てないじゃない。リカちゃんに会わせてあげる」

「べつに、いいよ。会わせてくれなくたって」

「なんでよ?」

「気が向いたらさ、そのうち行くから」


 宿題を終えたトキオは、散歩にでた。ほんとは算数の問題はひとつも解けなかったのだけど、ヒミコがうるさいので、やめたのだ。

 ビーチの美しさは、いつもトキオの心をうつ。初めて島に来たときは暗い荒れた海だったけど、あれ以来、あんな灰色の海はみたことがない。

 港には白と青に塗られたヨットがつながれ、沖合にも二、三艘、太陽の光にきらめきながら船が浮かんでいる。いつものように蜂巣さんのおばあちゃんが、お孫さんといっしょにパラソルをひろげて座っていた。トキオはおばあちゃんのすぐ近くまで行き、大きな声でこんにちはと挨拶した。おばあちゃんも歯のない口をもぐもぐさせて「おはよう」と答えてくれた。

「トキオくん、クマさんは前はあんなふうではなかったさ」トキオが隣に座るとおばあちゃんがいきなり言った。「風吹亭で大声出したりしたんだってね。昔のクマさんは、明るくて働き者で島の人気者だったさ」

 蜂巣さんのおばあちゃんはいつもクマさんに優しい。島でクマさんに話しかけるのは、ボスをのぞけばおばあちゃんくらいしかいない。

 いったいクマさんはなんで変わってしまったのだろうとぼんやり考えながらビーチを歩いていると、遠くでワン、ワンという吠え声がした。目をこらすと、五十メートルくらい沖合いで、誰かがバシャバシャと両手をあげている。吠えているのはそばにいる犬だ。こっちもさかんに水しぶきを上げている。見ているうちに、その人は浮いたり沈んだりしはじめた。

 溺れてるんだ! 

 溺れた人を助けに一人で飛び込むほどトキオは無知ではなかった。おとなを連れてこなくちゃ! トキオは周りを見回したが、あいにく近くにはだれもいなかった。港だ! トキオは走り出した。蜂巣さんのおばあちゃんが不思議そうにこっちを見ている。

「おばあちゃん! だれかが溺れてる!」

「?」

 おばあちゃんの耳が遠かったことをトキオは思い出した。トキオは時間を無駄にせず、港に向かって一直線に駈けだした。大声で叫びながら近づいてくるトキオに、ヨットの整備をしていたおじさんが気づいて手を止めた。

「だれか溺れてます! あっちです。早く!」

 息を切らして叫ぶトキオの話をすぐに理解したおじさんたちは「よっしゃ」と言うなり、浮き輪を持って助けに向かってくれた。一人がふり返って「おにいちゃん、駐在さんに知らせておくれ」と言った。

 トキオはハアハアいいながら駐在所まで走り続けて、年取ったおまわりさんに知らせ、そのまま方向転換して家に向かった。けれど母はもう「風吹亭」に出勤したあとだった。トキオは「風吹亭」にむかって駈けだした。

 「風吹亭」に着いたトキオは「ボス! 海で!」と言ったところで息が続かなくなり、その場にへたり込んでしまった。

「どうした、トキオ?」

 相上さんが奥から飛び出してきた。うしろにヒミコと楓子ちゃんも続いている。

「海で、だれか溺れてる。犬が吠えてて」

「犬?」

「犬といっしょに溺れてるんだよ」

 その瞬間、楓子ちゃんが奇妙な声を立てて両手で口もとをおさえた。

 ヒミコが驚いて振り向いた。

「リカちゃん……」楓子ちゃんがかすれ声で言った。

「リカちゃんが海に行ってるの?」

 ヒミコが鋭く問いただす。楓子ちゃんは頷いた。

「ハナちゃんといっしょに」

 楓子ちゃんは今にも泣きだしそうだ。相上さんはいきおいよく店を飛び出した。

「トキオ、あなた、ここで待ってなさい。楓子ちゃんをみててね」

 それからヒミコは裏の菜園にいる司馬ちゃんを探しに駆けだした。



 結局、リカちゃんは溺れてなどいなかった。

 港からおじさんたちが慌てふためいて現場に着いたころ、リカちゃんはあざやかなクロールで、ビーチに向かって戻ってくるところだった。

 駐在さんも港の関係者も近所の人たちも、息せき切って駆けつけ、救急車もけたたましくサイレンを鳴らしながら到着した。

 あとからわかったのだけど、リカちゃんは一歳の時からスイミングスクールに通っていて、水泳は得意中の得意なのだった。はなちゃんを連れて海に出て、ふざけてバシャバシャやっていただけだったのだ。

 リカちゃんは浜辺に人がおおぜい集まっているのを訝しそうに見ながらハナちゃんと海から上がってきた。最初に口を開いたのはヨットのおじさんだった。

「おじょうちゃん、溺れてたんじゃないのかい?」

「えっ?!」

「いや、だれかが溺れてるってんで、こうやって駆けつけたんだけどね」おじさんたちは顔を見合わせて頭をかいた「どうも、間抜けなことになっちまったな」

「いやいや、溺れてるんでなくてよかった。いや、いや。こういう間違いならぜんぜんいいさ。驚かせて悪かったね」

 駐在さんがリカちゃんに言った。

 そのとき、人混みをかき分けて相上さんが姿を現した。相上さんはリカちゃんとハナちゃんがまん中に立っているのを見て心底ホッとしたようだった。リカちゃんは戸惑っていたが、事態が飲み込めると「みなさん、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」とていねいに頭を下げた。

「いや、いや、おじょうちゃんが謝ることじゃないよ。勘違いしたのはこっちなんだからさ。よかったな、相上さん」

「みなさん、とんだご迷惑をおかけしました」

 相上さんもヨットのおじさんをはじめ、集まってきたみんなに深々と礼をした。


 「風吹亭」に戻ってきたボスからことの顛末を聞かされたトキオはまっ赤になり、つぎに蒼くなった。もちろんだれもトキオの勘違いを笑ったり叱ったりしなかったし、ボスは心配かけたねとトキオの肩をたたいた。楓子ちゃんは無言でリカちゃんに抱きついた。

 司馬ちゃんも「ほんとうによかったッス」といつもの調子で言い、フミヤ君もみんなのうしろで笑っていた。

 ヒミコだけは「この、おっちょこちょい!」とトキオの頭を小突いた。平和なビーチに大騒ぎを引きおこしてしまったんだから当然だ。

 けど、トキオにとっていちばんこたえたのは、リカちゃんの反応だった。リカとトキオは、このとき初めて顔をあわせた。最初の出会いとしては最悪だ。だって、リカちゃんの眼は怒りに燃えていたのだから。


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