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テンシバルの世界樹 第一部  作者: 海崎あかね
16/23

二度目のテンシバルビーチ

16


 トキオがいつものように風吹亭のテラスで『夏の練習帳』をやっていると、担任の吉田先生がひょっこりと姿を見せた。

 先生は店のなかをキョロキョロ見渡し、暖炉の前のテーブル席をえらんだ。もちろん今は火はついていないが、薪ストーブは磨かれてピカピカに光っている。

 赴任して半年ちかくになるのに、これまでいちども風吹亭に来たことがないなど、トキオからすればありえない。

 トキオに見られていることなど知らない先生は、オーダーを取りにきた楓子を見てばかみたいにポカンと口を開けた。楓子の後ろ姿がキッチンに消えるまで、ずっと見とれていたこともトキオはしっかり観察した。

 やがてヒミコが料理をはこんできた。吉田先生はちょっとガッカリした顔で立ち上がりヒミコにあいさつした。ヒミコは客がトキオの担任だと知って驚き、それから先生の話を聞いて渋い顔をした。吉田先生がまた何か言った。それに対してヒミコが長々と何かをうったえ、さいごに頭をさげた。

 それからヒミコは背伸びをして、テラスにいたトキオを手招きした。吉田先生がビックリした顔でふり向く。トキオはせっかくの見物がおしまいになったのを残念に思いながら先生のそばに行った。

「吉田先生が、あなたとリカちゃんをイルミナー祭りに誘いに来てくださったのよ」

 トキオはその意味が呑みこめると、ぱっと顔を輝かせた。

「リカちゃんを呼んできてくれない。ビーチに行ってるから」


 イルミナー祭りか! そうか、そうか。先生はいいことを思いついたなぁ。トキオはビーチに向かって走りながら感心した。

 イルミナー祭りは島で最大のお祭りであり、メインイベントがテンシバルのシンボルの神事なのだ。毎年八月に、一人の若者が選ばれてテンシバルのシンボルまで泳ぎ、しめ縄を掛けてくる。島では昔から行われている神聖な行事だ。その祭りがあさってから始まる。なんというグッドタイミング! トキオは小躍りした。



 イルミナー祭りの初日、トキオとリカと楓子は吉田先生といっしょにバスに乗った。担任の頼みとあって、ヒミコはテンシバルビーチに行くことを渋々ながら許したのだった。

 自分の父親があんなかたちで行方不明になったのだから、ビーチに行かせたくない気持ちは、トキオもいまなら理解できた。その一方で、ビーチで吉舎永悟にほんとうは何があったのか、それを調べたい気持ちも、もう抑えられなくなっていた。もちろん、ビーチに行っただけで何かがわかるとは思わない。けれどこれで、少なくとももういちどテンシバルのシンボルを見ることができるのだ。

 吉田はアイロンをかけた白い半袖シャツとチノパンツ。いつにもまして機嫌が良いのは楓子がいるからにちがいない。

 テンシバルのシンボルにしめ縄をかけるのは、イルミナー祭りの中日なかびの日没直前だ。しかし吉田はトキオたちがビーチに行きたがっているのを知っていたので、初日の今日も誘い出してくれたのだ。それに、今日なら楓子も休みだ。

 イルミナー祭りはたしかに島でいちばん大きなお祭りではあるが、島の人たちは、日が暮れてからは毎日がお祭りみたいに歌って踊っているので、今日はまだ静かなものだった。

 それでもビーチには、かき氷とスペアリブと焼きめしの屋台ができあがっていた。大人らが舞台を作ったりライトを設置したりして忙しく働くそばで子どもたちが飛び回り、がぜんお祭りらしい雰囲気がかもしだされていた。明日の神事には、ほとんど島中の人がこのビーチに集まることになる。

 吉田はテンシバルビーチに来たのも初めてだと言った。風吹亭も知らず、ビーチにも行かず、いったい先生は島に来てからどこで過ごしてきたのか、トキオは不思議でたまらなかった。

 トキオとリカはまずは先生を桟橋に案内した。手すりにはクリスマスツリーに使うような小さい電球がたくさん巻きつけられている。夜になって灯りがついたらさぞきれいだろう。

 楓子ははじめ、先生の元気のよさに怖じ気づいたが、吉田は意外にもそのあたりの呼吸をつかめる人のようで、楓子のペースをこわさないように話をしている。リカはこっそり二人を見て、なかなかやるじゃないという顔でトキオを見た。

 トキオは桟橋の先端まで来ると、いつか司馬がしてくれたように右手のこんもりした樹を指さし、あれがテンシバルのシンボルですと教えた。先生は両手で目の上にひさしを作って、海から生えているような不思議な樹をながめた。

「あれか。おもしろい眺めだなぁ。うん。たしかに神様が宿っていそうだ。明日、あそこまで泳いでしめ縄を掛けてくるんだね。楽しみだな」

「そして、あの下に海底洞窟があるんです。けど、潮の流れが速くて危ないから近寄れないんです。ところで――」トキオは重大な秘密をさぐるように訊ねた。「先生は泳ぎはとくいですか」

「苦手じゃないよ。けどね、海には入らないってお母さんと約束した」吉田はダメダメというように人さし指をふってみせた。


 潮の流れに逆らってテンシバルのシンボルまで泳ぎ、太い幹にしがみついたり立ち泳ぎをしたりしながら太くて重たいしめ縄を掛けわたすのは、簡単なことではない。だから、この神聖な役割を担う者には、海で鍛えた若い漁師が選ばれるのが常だった。トキオはかつて、クマさんも選ばれたことがあったのだろうかと考えた。島の人気者だったクマさん。今度会ったら蜂巣さんのおばあちゃんに訊いてみなければ。

 トキオとリカはクマさんのところにはまだ行けないでいた。なんの準備もなしに炭焼き小屋を訪ねたところで、クマさんがすなおに話しをしてくれるとはとても思えない。だから、二人は作戦会議と称して話し合いを続け、クマさんのところに行くのをぐずぐずと一日延ばしにしていた。

 四人は桟橋を引き返してビーチに戻った。ハチマキを巻いた人たちが、慣れた手つきで屋台を組みたてている。吉田はみんなにかき氷を買い、四人は一列に並んで海を見ながらそれを食べた。吉田が言った。

「このまえきみたちの話を聞いてから思い出したんだ。大学の研究室に残ってる友だちがいてさ、そいつがおんなじような事を言ってたんだよ」

「おなじこと?」

「うん。そいつはたしか、この島の海底洞窟がどうとかって話をしてた」

「ほんとですか?!」リカが大声を出す。

「うん。島に赴任することになったって連絡したらさ、うらやましいって言うからね。ダイビングするならともかく、他には何にもなさそうな島だよって答えたんだ。そしたら、たしか、謎の海底洞窟がある不思議な島だって、そいつが言ったんだよ」

「先生、その人がどうして海底洞窟のことを知っていたのかわかりますか」

 リカが急きこんで口をはさむ。海底洞窟のことは、ふたりが調べた限りでは吉舎永悟の論文にしか出てきていないのだ。

「うーん。いやあ。そのときはそれっきりで聞きながしちゃったんだよね」

「先生、これ、私たちの共同研究にとってすごくだいじなことかもしれないんです。その人と連絡をとっていただいて、もっと詳しくお話をきくことはできませんか」

 リカのあまりの真剣さに吉田先生はたじろいだ。どういうこと? という顔で先生はトキオの方を向く。先生の友だちに協力してもらうなら、もう少しだけ説明しておいた方がいいかもしれない。リカも頷いていた。

 そこでトキオは、自分の祖父の吉舎永悟が歴史家だったこと。島の海底洞窟について論文を書いていたことを先生にうち明けた。

 先生より先に楓子が「えっ!」と驚きの声をあげた。無理もない。半年も風吹亭でいっしょに働いてきたヒミコの父親のことなのだから。

 吉田先生は、そういうことならやつに会ってくるよ、と言った。なあに、わざわざ行くんじゃないよ。イルミナー祭りが終わったら東京の実家に帰ることにしてたんだ。どうせ向こうに行ったってヒマなんだしさ。




「あの子たち、どうしてるかなあ」

 ヒミコはキッチンで魚を捌いている相上のまわりを落ち着かなく動き回った。司馬はイトコ島に行っている。

「まさか先生がイルミナー祭りの誘いに来るなんてさ。トキオが忘れてればいいなと思ってたのに」

「そりゃ無理だよ、ヒミコさん。ここにいたらイルミナー祭りをパスするなんてありえない。先生が来なくたって行ったに決まってるさ。むしろ良かったじゃない。いっしょに行ってもらえて。なかなかよさそうな先生だったし」

「まあ、そうね」ヒミコも認めた。「でもね、先生ったらあとで私に、楓子ちゃんのお休みは何曜日ですか、って訊いてったの。やっぱり若者よね。私、この島にあんな若い先生がいるなんて知らなかったわ」

「知らなかったって、トキオくんの担任じゃないの?」

「そうだけど、わたし、参観日とか行ったことがなかったし。トキオも先生の事なんて話したことがなかったし」

「ヒミコさんらしいや」

「それより、先生が今まで風吹亭を知らなかったことの方が私にはおどろきよ。島にいたらいやでも目につくのにね」

「先生は氷室さんのところにいるんだろ? 島に赴任してきた独身の先生は、氷室さんのところに下宿するんだよ。氷室さんの奥さんは料理上手だし掃除やら買い物やらすごく面倒見がいいらしい。先生もこれまで外食しようなんて思わなかったんだろうさ」

「なるほど。でも、これからはきっと来るわよ。お目当てはボスの料理じゃないと思うけど」

 相上は笑って魚の煮つけにとりかかった。ヒミコはグラスを拭きながら、伸びあがってホールを見た。島の人々はビーチに流れたようで客はわずかだ。このぶんなら司馬と楓子が留守でも問題ない。

 明日はイルミナー祭りのいちばんの見せ場があるから、トキオはまた先生とビーチに行く。この島に来ると決めたときから、トキオがテンシバルビーチに興味を持つことはわかっていたはずだとヒミコは自分に言い聞かせた。それに、父のことだって頃合いを見て話すつもりだった。でも、ヒミコの方の準備ができないうちに、トキオが吉舎永悟の論文を見つけたことが、不安をかき立てていた。

「トキオくんに吉舎さんのことを話したの?」

 煮汁に魚を並べてふたをしてから、相上がさりげなく訊いた。ヒミコは頷いた。

「あの子たち、夏休みになってから島の歴史を調べるとかって図書館通いしてたでしょ。で、偶然、父の論文を見つけてしまったらしいのよ」

 ヒミコはポケットから論文のコピーを取り出して相上に見せた。図書室の先生に頼んでコピーをとってもらったのだ。相上はヒミコといっしょにテラスに出てそれを読んだ。

「なるほど。それでトキオくんが海底洞窟に興味をもったかもしれないと不安なんだね」相上が言った。

「海底洞窟に近よるほどバカじゃないとは思うけど、このあいだからずっと胸騒ぎがするの。あの洞窟には魔力みたいなものがあると思えてしかたない。父もすっかりとりこになって……。行方不明になったあの年、父がさいごに島でなにをしていたか、ボスは知ってる?」

「いや。ぼくもあんまりよく分からないなあ。あ、ちょっと待って。火かげんを見てこないと」

 相上はヒミコをテラスに残して、キッチンに入っていった。

 ヒミコはぼんやり海をながめた。ボスに吐きだしたことで少し楽になった。テンシバルビーチに行っただけで海に流されるなんて想像するのはばかげている。今、ビーチにはお祭りでたくさんの人がいる。先生もいっしょだ。父が消えてしまったときとは状況が全くちがう。

 そのとき、テラスの下をフミヤが台車を押して通りかかった。フミヤはヒミコがテラスに立っているのをみつけてサングラスをはずし「おはようございます!」と大きな声であいさつした。このごろのフミヤははっきり声が出せるようになっていた。

「ごくろうさま。今日はまだお客さんが来ないのよ。あなたはイルミナー祭りには行かないの?」

「あ、はい。あした行かせてもらいます。ボスがいちどは見ておけって」

「あしたは島中の人がビーチに集まるらしいわよ」

「ほんとですか!」

「まあ、大げさにいえばそういうこと。きっとお店も昼間はガラガラよ。そのかわり、夜は忙しくなるからね」

「あの、それじゃ――」フミヤはモジモジした。「あの、あした、クマさんもお店に来ますか?」

「クマさんとは犬猿の仲だもんね」

「そ、そういうわけじゃ」フミヤはサングラスをもてあそんだ。「なんか、おれ、いつもタイミングわるくて……」

「だいじょうぶ。クマさんは来ないと思うわ。人がたくさん集まる場所は嫌いだもの。あ、てことは今日あたり姿をあらわすかもね」

 フミヤはぎょっとしてサングラスを取り落とした。

「あの、ヒミコさん、もしクマさんがきたら教えてください。ぼく、引っこんでますから」

「なに言ってるの。今日は楓子ちゃんも司馬ちゃんもいないのよ、あなたにやってもらわなくちゃ」

 

 キッチンに戻るとボスは金目鯛の煮付けを大皿に盛りつけていた。

「吉舎さんは島に来たときはいつもここで食事をしてくれてさ、研究のこともいろいろと話してくれた。おもしろい話ばかりだったよ。たしかに、吉舎さんはテンシバルの海底洞窟が研究の鍵になると考えていたようだった。でも、海底洞窟を調べるとしたらちゃんと準備をしないと無理だし、ぼくの記憶にあるかぎり、あのときの吉舎さんはそんな準備はしてなかったはずだ。ただ、吉舎さんがいずれは海底洞窟を探検するつもりだったのはたしかだね」

「私は論文が郷土史全集に入ってたなんてぜんぜん知らなかった。あれは父の最後の論文にちがいないわ」

「吉舎さんが海底洞窟について書いたものはあれだけ?」

「トキオにもおなじ事を聞かれたんだけど、わたしは知らない」

「そうなのか――」

 その言い方がヒミコは気になった。

「なぜ?」

「うん? 残念だな、と思ってさ。あれば、吉舎さんが海底洞窟の調査をどの程度進めていたかわかるかもしれないから」

「わたしはそれでいいと思ってる」

 そのときフミヤがあわててキッチンに飛びこんできた。右手で店のドアをさしている。

「クマさんが来ます。こっちに向かってます」

「よし。フミヤ君、行って」

 フミヤは泣きそうな顔でヒミコを見た。ヒミコはフミヤの胸に銀のトレーを押し付けた。


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