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テンシバルの世界樹 第一部  作者: 海崎あかね
15/23

帰還者平田五郎

15


 リカは両手を胸のまえでくみあわせて図書室を歩き回った。今トキオから聞いた話に興奮してじっと座ってなどいられなかったのだ。

 やがてリカはむずかしい顔をして黙りこくっているトキオに気づき、向かいに腰をおろした。

「吉舎永悟さんがそんなふうに消えてしまったことは、ほんとうにお気の毒だと思う。とくにヒミコさんにとってはたったひとりの家族だったんですもの。はしゃいでるみたいに見えたらごめんなさい。でもね――」リカはゆっくりかみしめるように続けた。「吉舎永悟さんは実際は海で亡くなったのではないかもしれない。もしかしたらトキオくんもそう思ったんじゃない?」

 トキオは顔をあげ、リカの切れ長の眼を見つめた。

「うん。ひょっとしたら――」

「ひょっとしたら、海底洞窟をぬけて空気のある世界、向こう側の世界に行ったのかもしれない」

 リカの言葉にトキオは肯いた。

 話を聞いたときは、トキオも祖父の吉舎永悟はテンシバルビーチで足をすべらせて亡くなったのだと思った。なによりヒミコがそう納得していたから。

 けれど、ふたりでいつもより遅い夕食をとり、ヒミコがひとっ走り風吹亭にメンチカツを届けに行くと出ていったあと、トキオの頭には別の考えが浮かんできたのだった。


 ――祖父、吉舎永悟は歴史上の行方不明者の研究をしていた。およそ十年間にわたり、島に来て〔帰還者〕から話を聞いたり、文献を調べたりしていた。そして海底洞窟そのものの調査が必要と考えた。一九八九年、失踪の年、吉舎永悟は海底洞窟の調査を始め、向こうの世界に行く「回路」を本当に見つけたのかもしれない……。

 ――でも、それからどうなったんだろう? 吉舎永悟はなぜ還らなかった? 向こうへ行ったまま戻らなかった人もたくさんいたという。彼もその一人になってしまったのだろうか。何かの事情で還れなくなってしまったのだろうか。それは、吉舎永悟が事故で亡くなったというのとどう違うのだろう……。考えるうちにトキオはすっかりわからなくなってしまったのだ。


 リカの方はもはや、吉舎永悟が海で死亡したとは考えられず、海底洞窟を抜けて別世界に行ったと信じていた。とはいえ、それは今のところ推測でしかない。

 もっとたくさんの証拠が必要だった。

 トキオはゆうべ、吉舎永悟のほかの論文や残されたノートやメモがないかヒミコにきいてみた。けれど父親の研究そのものがいまわしく思えていたヒミコは、そういうものはすべて処分してしまったと答えてトキオを失望させた。そして、どんな理由があろうと、テンシバルビーチや海底洞窟に近づいてはならないと、あらためてトキオに釘を刺した。

 リカは残された資料がないことを知ると、またもや図書室をぐるぐる歩き始めた。それならやはり生きている証人に会いに行かざるを得ないではないか。

「ねえ、そっちはどうだったの? 蜂巣さんに会えたんでしょ?」

 トキオはリカに問いただした。

「ああ! そうだった。忘れてた。収穫はあったともいえるし、無かったともいえるわ。ビーチに行っておばあちゃんに聞いてきたの。まず、クマさんの名前は大城浩一。つまりやっぱり〔帰還者〕だった。でも、クマさんはあの時のことは何一つ話してくれないらしいわ。それからもうひとりの〔帰還者〕の平田五朗さん、もうこの島にはいないはずだって」

「リカちゃん、いまから平田五朗さんの家に行ってみよう!」

「え? だから――」

「いないかもしれないけどさ、行けば何かヒントがあるかもしれない」

 ふたりが図書室のドアを出たとき、廊下の向こうからトキオの担任の吉田信一先生が歩いてきた。

 今年赴任したばかりの吉田先生は若くて元気がよくて生徒の人気者だ。夏休みになってから、先生はずいぶん日焼けしたなぁとトキオは思った。シャツから出ている腕がまっ黒だ。先生は白い歯を見せて二人に笑いかけた。

「やあ。今日はもう終わりなのかい」

「はい。もう帰ります」

「毎日通ってきてるんだって? 図書の先生が感心してたよ。いままで図書室をこんなに利用してくれた子どもはいなかったって。だけど、ここ、あんまり本が揃ってないだろ。そんなに熱心に何を調べているんだい」

 トキオはリカと顔を見合わせた。リカが眼で肯く。

「島の歴史について調べています。ぼくたち、この島の出身じゃないからいろいろと興味があって。共同研究してるんです」

 聞かれたらこう答えようとふたりは打ち合わせていた。

「共同研究か。すごいな。ぼくも部外者だけど調べようなんて思ったこともなかったな。それで、なにか発見があったかい?」

「はい。まあ、いくらかは」

 トキオがあいまいな返事をする。

「わたしたち、ここの郷土史全集で島の歴史について調べました。それで、島にはいろいろとおもしろい言い伝えがあることがわかったんです」

 リカが横から言った。あまり秘密めいた感じにしないほうがいい。吉田先生はリカの方に問いかけるような笑顔を向けた。

「橘リカです。父が仕事で外国に行っているあいだ、島で過ごしています。それで、トキオくんといっしょに共同研究をはじめました」

 吉田先生はリカのしっかりした口調に感心したようだ。

「橘リカさんか。きみが共同研究者ってわけだね。六年生?」

「いいえ」リカはとんでもないと首をふった。「中学一年です。東京の学校に通っています」

「なるほど」先生はちょっと気圧されたように改めてリカを見た。リカはノースリーブの水玉模様のワンピースを着てヒマワリの飾りのついた麦わら帽子をかぶり今日もスキが無い。「じゃあ、東京に比べたらここの図書室は物足りなく感じるだろうなぁ」

「ええ、まあ」

「わかるよ。ぼくも、ここに来る前は東京の小学校にいたんだ。来たときはなんにもなくてびっくりしたよ。インターネットさえつながればずいぶん違うんだけどね。正直、これがいちばんこたえたね」

「そうなんです! ネットがあればどこにいても同じなのに」

 リカがパッと顔を輝かした。単純だなぁ、とトキオは思った。

「で、おもしろい言い伝えって何? おしえてよ」

(どうする?)とトキオは眼でリカに問いかけた。リカも迷っている。

「研究の秘密ってやつかな。いいよ、いいよ。無理には聞かないから」

 吉田先生はふたりがあまりに真剣な顔つきになったので、冗談めかして笑った。

「秘密ってわけではないんですけど、実は資料が少なくてまだあまり進んでいないんです」

 そう言いながらリカがトキオを眼でうながした。

「テンシバルのシンボルって、先生、ごぞんじですか?」トキオが訊く。

「えーと、たしかテンシバルビーチにある樹のことだったよね?」

「はい。郷土史全集のなかに、あの樹が三世紀くらいから神様のやどる場所と考えられていたことがでてきました」

「へえ! そんなに古い歴史があるのか」

 トキオは郷土史全集で読んだ神事について、吉田先生に説明した。先生は思いのほか興味を示した。

「なんにもない島だと思ってたけど、どこにも歴史はあるもんだな。テンシバルのシンボルか――一度行って来なくちゃな。あ、そうだ。よかったらきみたちもいっしょに行かないか。案内してよ」

 トキオとリカは跳びあがりそうになった。願ってもないチャンスだ。

「はい。案内します!じつはぼくたち、テンシバルビーチに行くのを禁止されてるんです」

「それはまたどうして?」

「正確には、テンシバルの海底洞窟に近づいてはだめだと母に言われてます。ぼくたちが危ない目に遭わないか、母は心配してるんです」

「でも、そんな危険なところじゃないんだろ?」

 先生は不安になったようだ。このチャンスを逃すまいとトキオはあわてて言った。

「ぜんぜん危なくはないんです。でも、ぼくたち前にちょっと約束を破っちゃったことがあって……」

 トキオが頭をかいてみせた。

「トキオくん、先生といっしょならヒミコさんも許してくれるに決まってるわ。先生、トキオくんはちょっと大げさに言ってるだけなんです。かならず連れてってくださいね。約束ですよ」

「よし。二人も共同研究がんばってな。で、おもしろいことがわかったら、今度はぼくにも教えてよ」

「はい!」

 ふたりは声をそろえた。



 先生と別れて、トキオとリカは平田五朗の住所をめざして歩き出した。夏の日差しが肌をじりじり焼き汗がだらだらと流れる。ふたりとも水筒に入れた麦茶をごくごく飲んだ。

 テンシバルビーチにもう一度行けそうなので、ふたりとも気をよくしていた。吉田先生は、こう言っては失礼だが、気のいい犬みたいな人だ。単純で疑うことを知らない。

 ひょっとしてわけを話せば力になってもらえるかもしれないとトキオは言った。だめよ、用心しなくちゃ、トキオくんも先生と同じくらい単細胞なところがあるから、とリカはずけずけ言った。インターネットの話で単純に喜んでたのはそっちなのに、とトキオは思った。


 平田五朗の家は、島の東のはずれ、テンシバルビーチに近い場所にひっそりと建っていた。家のまわりは背丈ほどの夏草におおわれ、大きな樹が濃い影を作っていて、まぶしい陽ざしからはいると、すぐには何もみえなかった。

 うすぐらい玄関のまわりも裏庭も荒れ放題で、雨戸がぴっちり閉まり、人が住んでいる気配は感じられない。玄関の木戸の上に表札がかかっていて、かろうじて「平田」と読めた。場所はまちがっていない。リカは日陰にはいって帽子を脱ぎ、ハンカチで汗をふいた。

「誰もいないみたいね」

「うん」

「じゃ、帰りましょうよ」

「せっかく来たんだから、声をかけてみようよ」

「だって、いないわよ。蜂巣さんのおばあちゃんもそう言ってたもの」

 リカはなぜだか無性に帰りたくなってしまった。イヤな予感がする。でもトキオは木戸のまえに立って「こんにちは」と呼びかけた。返事はない。トキオはもういちど、大きな声で「こんにちは!」と言った。

「だれかね」

 うしろでいきなりしゃがれ声がして、トキオとリカは文字どおり飛びあがった。おそるおそるふり向く。

 そこには曲がった腰の上に篭を背負ったおばあさんがいて、ふたりを疑わしげにジロジロ見ていた。いったいどこからいつのまに現れたんだろう。

「こんにちは。あの、ぼくは吉舎トキオといいます。こっちは橘リカ。ぼくたち、平田五朗さんに会いにきたんです」

 トキオはビクつきながら答えた。おばあさんはだまったまま小さな眼でこっちを見ている。もしかしたら、聞こえなかったのかな、とトキオが思った頃、おばあさんがやっと口をひらいた。

「キサあ?」

「はい。そうです。吉舎トキオです」

「ふん」

 おばあさんは吐きすてるように言い、よっこらしょと地面に篭をおろした。なかには野菜や卵が入っていた。

「五朗は病気さ」

「えっ?」

「五朗は病気だよ。あの子に会いたいって、どういうことだい」

「あ、あの。できたら、五朗さんに昔の話を聞きたいと思って……」

「そりゃ無理だね」

「どういうことでしょうか」

 リカが一歩前にふみだした。おばあさんは白くにごった瞳でリカの方を見た。

「なんにも話せないからさ。あれから」

「あれからって、行方不明になってからですか」

 リカがくいさがる。これ以上訊くのは気の毒な感じがしたが、ここまで来てしまったからにははっきりさせたかった。

「わかってるんならよけいなことはしないでおくれ。もうお帰り」

「あの。すみません、もうひとつだけ。おばあさんは平田五朗さんのお母さんですか」

「かわいそうに、あの子はずっと怯えて閉じこもって暮らしてるのさ」おばあさんは急に力が抜けてしまったようにしょぼんとなり、皺だらけの手で眼をぬぐった。「わたしら親子のことは島のみんなもおおかた忘れてしまったろうよ。わしももう長いことないだろうが、あの子が死ぬまでは死ねないのさ。さ、もう帰っておくれ。あの子はだれにも会わないよ」

 おばあさんは重い篭をひきずりながら木戸のなかに消えてしまった。

「ひどいわ……」リカがつぶやいた。大きな目に涙がにじんでいる。

「うん。〔帰還者〕の人たちは、それまでとは違う人になるってこういうことなんだね。だいじょうぶ、リカちゃん?」

「わたし、とても腹がたってきたの。こんなのってひどい。誰の何のせいだかわからないけど、こんなの許せない!」



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