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テンシバルの世界樹 第一部  作者: 海崎あかね
12/23

フミヤ君操縦法

12


 楓子がフミヤの教育係になってからひと月がすぎた。

 風吹亭の新人教育は決して大げさなものではなく、一週間もあれば普通は十分だ。

 しかし、相上はなかなか楓子の任務を解除しなかった。そのことが楓子にはものすごいストレスになりつつあった。一方のフミヤは半人前扱いを楽しんでいるようにさえ見えた。

 フミヤはもうとっくにわかっているはずのことでも、いちいち楓子に確かめた。ケース入りの飲み物をどんな並べ方でストックしておくか(これは司馬が初日にきっちり教えこんだ)、外に干したモップを取り込むのは何時か(そんなのはお天気しだい)、消耗品のスポンジやダスターを交換してもいいかどうか(楓子がもう何回も説明した)、などなど。

 そして楓子が面倒くさそうに承認の合図をだすと、ご主人にほめてもらった犬みたいにしっぽを振ってよろこぶ。すくなくともヒミコはそのしっぽが見えるようだと思った。

 フミヤにまったく進歩がないというわけではない。初日の失敗がやはりこたえたのか、ようやくオーダーだけはちゃんと取れるようになった。

 司馬はこう言う。

「あいつはなんにもこたえてないッスよ。なんでも五秒たてば忘れるんス。ホント、動物並みッス」

 フミヤがすぐショボンとするわりには、こっちが心配したほど落ち込んだり反省したり学習したりしないことが、風吹亭の皆にもわかってきた。しかし、フミヤは楓子にガッカリされるのだけは避けたかった。しつこいほどの確認もその現れだった。まったく逆効果になってしまっていたが。

 司馬ちゃんはそんなヒミコの考察を一蹴した。「ヒミコさん、あいつはそんな殊勝な心がけなんてこれっぽっちももってないッス!」

 今もフミヤは楓子のうしろに金魚の糞よろしくくっついている。楓子はテーブルを拭いたり、椅子をそろえたり、一輪挿しの水を取りかえたり、床に落ちたゴミを拾ったり、せわしなく動いている。楓子がくるっと向きを変えるたびに、すぐ後ろにいるフミヤとぶつかりそうになる。フミヤは「あっ」と言って脇によける。が、楓子の仕事を手伝おうとはしない。気がきかないのだ。あるいは、遠慮しすぎているのだ。ゴミを拾うくらい、だれの許可もいらないのに。うんざりした楓子が、店中のゴミ箱をカラにして新しいゴミ袋をセットしてと命ずると、やっと動き出す、うれしそうに。

 だからこそ、フミヤがボスに頼んでチャーハン作りを教わったことは店のみんなを驚かせた。記憶にあるかぎり、フミヤが風吹亭に登場したこのひと月で、自分から動いたことはこれだけだった。

 フミヤくんにも自分からやりたいことがあったんだね、とヒミコは司馬に言ったものだ。

「けっ。冗談じゃないッスよ。おかげで賄いはぜんぶチャーハンじゃないッスか。おまけに、うちに帰ってまでチャーハン喰わされる身にもなってくださいよ。ヒミコさん、あいつはね、ほどほどってのが無理なんッス。このあいだ、イトコ島でおれは中華鍋買ってきたんスよ。なんでおれがあいつのために重い鍋を運ばなゃならないんッスか!」

 司馬はひとしきり愚痴ったが、ヒミコにはできの悪い弟を自慢する兄貴分のようにきこえた。

 そんなことを考えていたヒミコの耳に、だれかが店の外で言いあらそっている声がきこえてきた。ヒミコは急いで出て行った。

 そこにはゴミ箱を両わきにかかえたフミヤとバケツをさげた楓子がいて、三人の若い男性がふたりを半円状に取り囲んでいた。三人とも膝丈の半ズボンとチェックのシャツを着ている。ズボンから生白い脚が延び足もとはなぜかおそろいの雪駄だ。

 そのうちの一人、シャツのおなかがはち切れんばかりの若者が、楓子の髪を指さしながらしきりになにか言っていた。ヒミコも聞き耳を立てたが、いまいち何を言っているのかがわからない。

「――あ、外国人なんだ」ヒミコはようやく気がづいた。こんなところに来るなんてめずらしいことだ。

 楓子は水の入ったバケツを両手で提げたまま困っている。どうやらその若者は片言の日本語で「かみ、かみ」と何度もくり返しているようだ。ほかの二人が「ピンク」とか言っているのも耳にはいった。

 ――やれやれ。また、楓子ちゃんの髪をからかっているのね。ヒミコは両手を腰にあてた。そういう困ったお客さんが時々いるのだ。もちろん島の人はそんなことはしない。けれど、観光客の中には楓子ちゃんをナンパしようとするふとどき者がいる。ヒミコはずんと前にでてひとこと言ってやろうとした。

"This girl is not a model.She dyed her hair pink.If you want to buy one,please go to ITOKO island.If necessary,I will tell you the name of the shop.”

 おどろいたことにフミヤが楓子のまえに出て、流ちょうな英語できっぱりと言った。

 若者たちはそれを聞いていっせいに「オー!」などと嬉しそうに叫んで、口々にサンキューといった。そしてフミヤに何か言った。フミヤが楓子をふりかえって「いっしょに写真を撮りたいって。きみが日本人形みたいだから記念に写真を撮りたいらしいよ。かまわない?」と伝え、楓子がこくりと肯くのを待って三人に「OK」をだした。若者たちはいそいそと楓子をまん中にして左右に並んだ。

「ヒミコさん、すみませんがシャッター押してあげてください」

 フミヤにいわれてようやくヒミコはわれにかえった。若者たちのこまかい注文に応じてヒミコが何枚も写真を撮ったあと、画面でそれを確認した三人はいきなりヒミコとフミヤと楓子をハグし、去っていった。

「すごい! どうしちゃったのフミヤ君。あなた、ぜんぜんいつもみたいじゃないじゃない。英語がしゃべれるなんてなんで隠してたのよ」

 ヒミコはフミヤの背中を思いっきりバンとたたいた。

「べつに隠してたわけじゃ。それにぼくの英語なんてぜんぜんです。あんなの、しゃべれるうちにはいらないです」

「なにいってるの。ちゃんとあいつらに通じてたじゃない。ね、楓子ちゃん。なんか、いつものフミヤ君とはちがってたよね。カッコよかったわあ!」

 楓子もよほど意外だったのだろう。フミヤの方を向いてしっかりと首をたてにふった。フミヤは耳までまっ赤になった。

 たしかにいましがた二人が目にしたフミヤは、あの、おどおどした意味不明な笑いをうかべたいつものフミヤとは別人だった。言葉がちがうと人格まで変わるのか。声も大きくハッキリして、楓子を敵から守る騎士みたいな雰囲気をかもしだしていたのだ。

「ボス、このこと知ってたのかなぁ。うーん。ボスなら知っていても言わない可能性があるなあ。ね、ね、フミヤ君。あなた、どこで英語をならったのよ」

「あっ、ぼく、これ、あっちに置いてこなくちゃならないんで」

 フミヤはペコリと頭をさげて逃げてしまった。ヒミコはふうんといってそれを見送り、楓子に向きなおってニヤリとした。

「さて、私はいちど家にもどるわ。このごろトキオが夕方まで図書室に行ってるものだから、洗濯物を取りこんで来なくちゃ」

 ヒミコは行きかけていきなり振りかえった。「あのさ。私が思うに、フミヤ君はね、楓子ちゃんに褒められたらきっとすごくはりきるわよ。そしたら、楓子ちゃんも晴れて教育係が卒業できるかもね」



 ヒミコが行ってしまったあと、楓子はバケツを下において考えこんだ。なんだか、いまの話のなかに、ヒントがあったような気がする……。

 しかし、考えがまとまらないうちに、またフミヤが店から飛び出してきた。まだゴミ箱をかかえている。店中のゴミ箱とはいったけど、何十個もあるわけじゃないのに。どうしてこんなに要領がわるいんだろう。こんなふうじゃ、教育係が終わる日なんて来そうもないわ。

 フミヤはまたしても楓子にぶつかりそうになり「あっ」とわきに避けた。さっきの三人組をあざやかにさばいた勇姿はあとかともなく消え去り、いつものオドオド状態に戻っている。

「それは?」

 楓子はフミヤの手もとのゴミ箱に視線を送った。

「あ、はいっ。あとこれひとつでおわりです」

「もうすぐまたお客さんがくるわ」

「あっ。はい。わかってます。あの、楓子さん。これが終わったら、次はなにをすれば――」

 楓子は大きくためいきをついた。

「なんでもかんでも私に訊くのをやめて少しは自分のあたまで考えて!」

 いつもの楓子なら口にしないだろう言葉を、気づいたらフミヤに言っていた。それもすごくきつい調子で。フミヤは目を丸くし悲しそうな顔になった。

「楓子さん、すみません。ぼく、ほんとに――」

「いいの。ごめんなさい」

「楓子さんがあやまることないです」フミヤはさえぎった。「いつもそうなんです。ぼくはいつも、やさしくしてくれる人をさいごにはイライラさせてしまうんです。そういう運命なんです」

「運命?」その言葉がまた楓子のどこかにカチンときた。「運命なんかじゃないわ」

 フミヤはぽかんとしている。

「フミヤ君自身がそうやっているのよ。わからない?」

 フミヤは楓子の言っていることが理解できないまま、意味もなく口の中で「あ」とつぶやいた。

「フミヤ君はいつも人にどう思われるかを気にしているみたいだけど、人のことを考えているようでほんとうは自分のことしか頭にないの。わたしにはよくわかる。だって、わたしもそうだったから。フミヤ君、そうやって一生ひとの顔色うかがってオドオドしてたい? 自分の考えで生きたくない?」

「……はじめてです」

「え?」

「楓子さんがこんなにたくさんぼくに話してくれたの、はじめてです」

「そこじゃないわ、わたしが言いたいのは――」

「わかってます。いえ。あの、わかるようにこれから考えます」

「これからって……」

「すみません。楓子さん、ぼく、あたまがわるくて。だからちゃんとした返事ができないんです」

「うそ」

「ほんとです。いつもいわれてました。おまえあたまわるいなぁって。ここでも、司馬さんにもいつも怒られてます」

「司馬さんがなぜ叱るとおもう?」

「それは、ぼくにもわかってます。司馬さんはぼくが今まで会ったような人とはちがいます。ボスもヒミコさんもちがう。楓子さんも。ここの人はみんなちがいます。ぼくみたいな人間でも本気でつきあってくれています」

「まあ、それがわかってるならいいわ」

 楓子はつぶやいた。私もそれで救われたんだし……。

「だけど楓子さん、ぼくのためにこんなに話してくれて、うれしいです。ありがとうございます」

 フミヤはペコリと頭をさげた。

 ――ちょっとちがうんだけど。どうも、彼にはいつもどこかズレてるところがある。ヒミコさんもそんなことを言っていた。けど、不思議。フミヤ君には思ったことが言えるようになったみたいだ。

「ゴミ箱がおわったら次はなにをしたらいいかわかる?」

 楓子はふと思いついてそう訊いてみた。

「えっと――」フミヤは真剣に考えた。「夜にはアルコールが出るから、地下室からビールケースを運んできます」

 風吹亭には立派な地下貯蔵庫がある。一年中ひんやりしている。ワインとか泡盛とかの貯蔵には最適だし、食品もかなりストックしておける。風吹亭がどんなメニューでも出せるのは、この貯蔵庫のおかげでもある。

「そうよ。考えればわかるじゃない」

 楓子が褒めた。フミヤの顔がパッと明るくなった。

「あ、それからあとどれくらいあるか確認してから、ジュースとかもいろいろ出してきます」

「いいわね。あとは?」

「あとは――」フミヤは楓子に褒められたくてさらに考え込む。「ボスに夜のメニューを教えてもらって、必要な材料もついでにだしてきます」

「それでいいわ。じゃ、動きましょ」

 フミヤは一目散に地下室に向かって走っていった。楓子の足もとには、最後のゴミ箱がころがったままだ。楓子は「フミヤ君!」と叫ぼうとして苦笑し、ゴミ箱を拾いあげた。


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