72:剣士の里
アスワン教の象徴。闇照らす光ともうたわれる、聖女モネ・ルノアールは目を覚ました。
汗で寝衣が肌に張り付き、実に不快だ。
それは夢見の悪さを表していた。
彼女には予知夢の恩寵がある。
神の寵愛を受けた聖女は数多くの恩寵を授かっているが、その一つ。
起こりうる未来のビジョンを夢に見る。強力な恩寵だ。
しかし、多くの人にとってそうであるように、見たい時に夢を見ることができない。
夢の内容は、「神官の命と引き換えに超常の力を宿す剣士が生まれる」というものだった。
肝心の人物達は黒塗りのシルエットになっていてわからなかった。予知夢は情報が虫食い状態になっていることも多い。
神の啓示とも取れるその一幕。
真っ先に思い浮かぶのは勇者の誕生だろう。
吉兆だ。
そのはずなのに、何故かモネには不穏なものに思えてならなかった。
俺たちは迷宮を聖域化したのち、近場の街で休養及び教会への任務報告を行い、そして剣士の里へとやってきた。
巨大な木の杭が連なって地面に突き刺さり、里を守る砦と化している。
砦の中に入るとそこには商店が並び、人々が多く行き交う市場となっている。
傭兵業を主な産業としているため人の流入は避けられない。
かつては隠れ里とされていたが、今では人が流入し、隠れ里とはなんぞやという有様だ。
しかし、砦の内部にはさらなる砦があり、里で生まれ育った生粋の剣士達がその中で生活している。
外部の者も力を認められ、剣士の血筋のものと結婚すれば中に入ることができるが、基本的に傭兵たちや他の商人たちは中に入ることはできない。
便宜上、傭兵が屯する外側の砦内を剣士の里、剣士の居住区である内部を隠れ里と呼んでいる。
剣王や里の重鎮たちは日中は基本的に隠れ里から出てきて剣士の里に滞在しているし、剣の稽古をする道場も剣士の里にあるため、俺たちは隠れ里に用はない。
すでに宿をとり、俺の任務を果たすため、クイとポーロをパシって剣王への面会を申し込んでいる。人を助けるとこういうとき便利だ。メヒコ師範代の仇を討ったことと合わせて報告してくれ。
今は時間が空いたため、市場を見て回っているところだ。
メイス「戒め」がカイバスの青炎に焼かれてしまったため新しい武器を探している。土地柄武器が豊富に市場に並んでいる。
人でごった返していて活気があるが、トラブルも絶えない。傭兵業を産業としているだけに血の気が多い下卑た野蛮人だらけだ。
「どこ見て歩いてんだてめえゴラァ!」
こちらに振り向きながら、怒声を上げてくる大男。早速いちゃもんをつけられてしまった。
周りは人だらけ。密集しているため常にどこかしら他人とぶつかっている状態だ。本当に俺たちがぶつかったかどうかも定かではない。しかし、こうした男達はただ自らの苛立ちをどこかにぶつけたいだけで、矛先はどこでもいいのだろう。たまたま我慢の限界が来たときに俺たちが近くにいたというだけだ。
「見てよお頭!力しか脳のない男だよ。」
「ああ。驚くほど知性を感じない。」
「はあ?舐めた口ききやがって…って、うおっ!?神官!?」
人間というより類人猿と言ったほうがしっくり来るような出で立ちの大男は俺の神官服に気づき驚いて見せた。
「いやこんな目つきの悪い神官なんざいるわけねえ。神官のコスプレなんざしやがって。」
「いえ、神官です。」
一応神官言葉で神官であることを主張しておく。どんなバカでも神官に楯突いてはならないことは知っている。神官であることの主張はトラブルを避けることにつながるのだ。普通なら。
「てめえみたいな犯罪者面が神官なわけねーだろ」
実に低レベルな誹謗中傷だが、得てして低レベルな悪口ほど人の神経を逆撫でするものだ。
ぶっ殺してやりたい。
しかし愚かな一般人相手に次期枢機卿たる俺が同レベルで争うわけには行かない。
相手が感情の制御もできない獣だとしても敬語を使おう。それこそが霊長の長たる人の道だ。
「あなたは神を信じますか。」
俺は慈愛の心でもって問いかける。
「あ?」
「返答が遅い!」
「ごばあっ」
あなたは神を信じますか。これは聖務執行官が異端審問を行う際の常套句だ。
信仰を問う質問に対しては即答でイエス以外はありえない。間が生まれた時点でそれは信心が足りないということ。
そして拳でもって信仰を説かねばならない時が聖務執行官にはある。痛みを伴わなければ学ぶ事ができない人間もいるのだ。
「質問してから殴るまでの間の短さよ。」
「仮に信徒でも絶対殴るっていう熱い意志を感じるね。」
「これは指導!私だってこんなことしたくないんです!見てください。あなたのせいで私の拳がこんなに赤く…」
「それ、俺の返り血…」
「口ごたえしない!」
「ごばあっ!」
信徒相手の暴力は聖務執行官であっても諸々の条件が揃わない限り禁止だ。
だがこれは教育的指導。決して暴力ではない。
「暴力に対する言い訳が咄嗟に出てくるのは流石だわ。」
「いや、手慣れ過ぎてる。常習的にやってますね。これは。」
「そういや俺たちも指導の名のもとに暴力を振るわれたなあ。」
視線が集まってくるのを感じる。部下共ではなく、第三者の、野次馬の視線だ。見せもんじゃねえぞオラとばかりに視線を送ると野次馬共は皆視線をそらした。
腕自慢の傭兵が多いはずなのに、実に情けないことだ。
気づけば気を失っている大男を人通りの邪魔にならないとこに置きその場をあとにした。
この件が良い見せしめとなったのか、その後絡まれることはなかった。
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