34:そして出航
レミスは教会の様子から俺に不信感を覚えたようだった。胡乱な視線を向けてくる。
しかし、この地での活動は特殊だ。言語が通じないし、アスワン教勢力が蛮族共に負けている。少数派なのだ。
おのずと蛮族共に迎合することになる。仕方がないのだ。
大体こいつ、俺が命の恩人だってことを忘れてないか?
俺の自作自演とはいえ、こいつにとっては真実のはずだ。
現状、役職の優位と大声による威圧で黙らせているが、根本的な解決にはなっていない。
とはいえ、この程度じゃ異端の嫌疑をかける証拠にはならない。
しかし、仕事がやりにくくなりそうだ。
新たな渡来人が現れた。するとハン族はどうするか。歓迎の宴会だ。二晩連続の宴会だ。
俺達の目の前で炎の灯りを背に長老が極彩色の芋虫片手に微笑んでいる。
悪夢の再来だ。
しかし今回その悪魔の微笑みは、俺に向けられていない。ただそれだけでこんなにも穏やかな心持ちでいられる。
どうやらこの極彩色の芋虫は初対面の相手に対して行うものらしい。数百年、他部族と接触のなかったハン族に何故そんな風習が残っているのかは不明だが、とにかく存在しているのだから仕方ない。インパクトだけは強烈だから、記憶に残りやすいのだろう。
さて、そんなことより、この古く忌まわしい風習の哀れな被害者を紹介しよう。
長老に芋虫片手に微笑まれているのはレミス。目を見開き、怯えている。視線が泳ぎ、動揺しているのがわかる。
「ねえ。これなに?どうゆうこと?嫌な予感がするわ。」
長老はレミスの様子にどうゆうわけか笑みを深めた。
怯える若い女を見て喜んでいるのかもしれない。わからんが。
そして、極彩色の芋虫を半分噛みちぎり、残り半分をレミスに向けて差し出した。
「ひぇっ!」
小さな悲鳴を上げ、硬直するレミスに俺は先達として優しい助言をしてやった。
「安心しろ毒は無い。」
レミスには既にこの蛮族と友好的な関係を築く意義と、それが出来なかった時のデメリットを教え込んである。レミスに長老の好意を無碍にする選択肢はない。
涙を双眸に浮かべたレミスはやがて観念し、芋虫を口に入れた。
「長老と間接キスだね」
そう言ってやりたい衝動にかられたが、なんとか我慢した。
さて宴会も円満に終了した。
レミスの目的は新大陸発見が真実だったことが判明した今、俺を連れ帰ることにある。
俺も本土が恋しくて仕方ないからそれはいい。
現在食料その他航海に必要なものを全力で備蓄している。船の整備もあるが、大体2か月もあれば出航できるだろう。
問題は俺が去ったあとのこの地だ。言葉が完全に理解できる者がいない。
現状部下共は片言ながら意思疎通に問題はない。しかし込み入った話になると難しい。俺の助けが必要になってくる。
この翻訳の恩寵を誰かにくれてやりたい。そうすれば解決する。
本土に戻ってしまえば翻訳の恩寵など何の意味もない。なんせ全員同じ言葉を使用しているのだから。
正直俺が去った後、この地がどうなろうと知ったことではない。本土に呼び戻されるということは、今の布教の任務を解かれるということだ。この地に対して何の責任もなくなる。
しかし、今までハン族との友好のために流した俺の血の量を考えると、後ろ髪引かれるものがあるのも確かだ。
そんな風に考えていると、視界が唐突にホワイトアウトした。
現れたのは、もはやおなじみ神聖美幼女。気のせいか、むすっとした表情をして宙に浮いている。
『異教徒殲滅の褒美を今、貴様に与える。』
俺が喜びのあまり足をぺろぺろするタイミングで褒美をくれるって言ってたやつか。
『気持ちの悪いことを考えるな。お前が泣いて喜ぶタイミングでくれてやるからその時は這いつくばって靴を舐めろと言ったのだ。』
一緒だろうが。
でも、前回の話だと、翻訳の恩寵の派生とか言ってたし、神聖美幼女が登場したタイミングも併せて考えると、自然と褒美の内容は見えてくる。対してテンション上がらなそうだと予想がつく。
思わず漏れてしまいそうだ。ため息が。
頼むからワンチャン靴を舐めたくなるような素敵な褒美をくださいよ。
『ふん。貴様には翻訳の恩寵を他者に付与する恩寵を与える。貴様が取り消さない限り、その効果は永続する。』
そんなこったろうと思ったよ。はいはい便利便利。本土に戻った時の憂いが一つ減ったよ。本当にありがとうございましたぁ。
『貴様。覚えておけよ。』
いや、この自称神の使徒がこんな偉そうでなければ普通に感謝した。自業自得だろう。
ただ、この神の使徒が超常の力を持つのも事実だ。素直に謝ろう。ごめんなさい。
『ちっ、本土に戻って使命を果たせ。貴様が死んでもかまわん。一人でも多くの異教徒を殺せ。』
その言葉と共に意識は現実に引き戻された。
今回は一応収穫があった。これで心置きなく本土に戻れる。
「我の定めたる汝の名は邪気眼!」
少女剣士はびしっと三つ目の狐に指を差し宣言した。
「邪気眼!」
少女剣士は復唱した。三つ目の狐、改め邪気眼はきょとんとして大人しく座っている。
「お嬢、考え直した方がいいんじゃ……。」
「えーなんで。かっこいいじゃん。この額の目から着想を得たんだ。」
純粋な目を向けられ、たじろぐ部下。
「お、お頭。思いとどまらせた方がいいんじゃ。黒歴史になってもかわいそうですし。」
「そうか?いい名前だと思うが。」
「「えっ!」」
俺の言葉に少女剣士と部下が目を見開き驚きの声を上げた。
「お頭が優しい!どうしたの?」
「お頭が嬢ちゃんのネーミングを褒めるなんて……。体調でも悪いんじゃ……。」
「いや、いい名前だろ。」
俺は説明した。
「名前は個体を識別するための記号だ。オリジナリティがあればあるほどいい。他の個体と被る可能性が減る。邪気眼なんて名前を付ける奴はそういないだろう。」
「むう。なんだかうれしくなくなったっ。」
「ああ、よかった。いつものお頭だ。」
少女剣士は邪気眼を抱き上げ、顔の高さまで持ち上げ語りかけた。
「いい名前だよねえ。我の眷属になるからにはこのくらい名前に格がないと。」
邪気眼は足をだらんとぶら下げたまま、くあっと一つあくびをした。まるで少女剣士の言葉を解している様子がない。
「もう!邪気眼聞いてるの!邪気眼?邪気眼!もうっジャッキー!」
「おい。あいつ言いにくくなって略しやがった。ありきたりな愛称つけやがって。」
「いいじゃないですか。素敵な愛称だと思いますよ。黙って見守ってやりましょうよ。それが大人の優しさってもんです。」
「お前、俺と優しさについて議論したいの?」
「すみません。俺が悪かったです。勘弁してください。」
っていうことが以前あった。
「おい。こいつはなんだ。」
俺は眼前の珍生物に視線をやりながら少女剣士に問うた。
「や、やだなぁ、お頭。わ、我の眷属だよっ!」
少女剣士はどこか気まずげに視線を泳がしながら返答した。
俺の視線の先には少女剣士がわがまま言うから許可した愛玩動物が腹を見せ、怠惰に寝こけている。
問題はこいつの態度じゃない。こいつの体型だ。
以前のスマートなフォルムは跡形もなく、起伏のないだらしないボディを晒している。端的に言ってデブ。遠目で見ると丸い大きな毛玉のようだ。
愛玩動物飼育の許可を出して以降、あまり興味がなかったから、口先で少女剣士に珍生物の様子を確認する程度だった。姿を見ていなかった。
まさか、こんなぶっくぶくに太って居ようとは。
フォルムが丸くなったからと言って特段可愛くなったということはない。妙にふてぶてしく、腹立たしい。毎日少女剣士に水洗いされ、清潔にされているせいか毛並みがフサフサだ。まるで野生を感じない。
「で、何の用だ。」
俺は少女剣士に呼び出されて、この太った生命体を目にすることになったわけだが、わざわざ俺にこいつを見せた理由がわからない。それとも別の用事があるのか。
「うん。あのね。お頭のことだから、万が一があると思って。いやまさかとは思うんだけど、我も心配だし…。」
「早く用件を言え。」
「ジャッキー船に乗せていいよね。」
「……。」
「お頭、黙られると怖いんだけどっ!我連れてくからね!」
船内のネズミや虫避けに使えるだろうか。太ったこいつに果たしてそんなことが出来るのだろうか。
はたまた万が一の非常食として連れていくか。もしかしたら少女剣士もそのつもりで肥えさせたのかもしれん。
糞尿が心配だが、排泄場所は覚えるという報告を受けている。それに船の旅程は長くて1か月だ。猫の糞尿による妙な病気が蔓延する可能性は低いだろう。多分。
「まあ、面倒見れるならいいぞ。排泄の掃除はお前がしろよ。」
何かあったら最悪ハクモの白蛇の餌にすればいいしな。
「う…、はい。」
ハクモは母の墓前で神妙に黙り込んでいる。
母の墓はハハ族殲滅後に建てた。ハクモの母親の骨を他の遺体と区別することが出来なかったため、墓の下には何もない。
場所は改宗の儀式を行った場所だ。荒れ果てた元ハハ族の集落が良く見渡せる。
一応護衛としてここまでついてきたが、こいつの恩寵と白蛇がいれば必要なかったかもしれない。
『フランシスコ、もういい。』
「そうか。」
本土にはハクモを連れていく。ハン族とハクモの関係性は微妙だ。元敵対種族の生き残りにしてハハ族殲滅の立役者の一人。しかし、その一族を裏切ったという事実に嫌悪感を抱くものも多い。この地に残ってもあまりいい思いはしないだろう。本人の了承も得ている。
だが、郷愁の念、名残惜しさはあるのかもしれない。
『本土で手柄をあげて贅沢な暮らしをする。今から楽しみ。』
「手柄をあげればな。」
『うん。ヴァジュラマ教徒は皆殺し』
「まずは、聖務執行官見習いの登録をしないとな。」
ハクモは本土に行くことに前向きだ。ハクモにとっては見知らぬ土地だ。不安もあるだろうが、まあどうにかなるだろう。
「ところでお前の白蛇って飯必要なの。」
『必要ない。生物じゃないから。所詮は闇の眷属の残骸。』
便利なもんだ。
さて、いよいよ出航当日。翻訳の恩寵をこの地に残す部下の一人に付与した。ハン族の娘といい感じになっている奴の一人だ。翻訳の恩寵の付与は翻訳の恩寵持ちを増やす能力だ。俺の翻訳の恩寵が失われるわけではない。一人にしか付与できないが十分便利ではあった。
ちなみにメルガに懸想していた部下は本土に連れ帰ることとなった。
「もうマヂ無理。メルガちゃんに振られた。ちょぉ大好きだったのに…。」
このザマである。ここに残しても迷惑をかけるだけだ。哀れな恋の負け犬はうちで引き取ろう。
すでに前日の宴会で別れは済ませたが、一応海岸までハン族は見送りに来た。
名残惜しさがないと言えばうそになる。しかし、俺はそれ以上に早く本土に帰りたかった。
俺は、「必ずまた会おう」などと、心にもないことをハン族の奴らに言い、そして出航した。
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