32:風操のレミス
ロマノス大陸を7隻の船が出航した。
フランシスコの部下の言葉、新大陸の発見が真実か否か確認しに行くのだ。
今回の任務の総責任者はレミス・オイゲン。今年で18歳になる。神官見習いを卒業し、正式に神官となったのが1年前。
貧乏貴族に産まれ、生まれながらに恩寵を身に宿した麒麟児だ。
しかし風を操る彼女の恩寵、風繰は内陸に位置する彼女の一族の領土では何の意味もなかった。
全ての恩寵持ちが神官になるわけではない。貴族の長男や、地位ある商家の跡取りは神官にならずに跡を継ぐ。跡を継がない者でも有用な恩寵持ちであれば高給で雇われる場合もある。
しかし、レミスは実家では役に立たなかったために神官学校に入れられた。
こういうと、さもレミスの本意ではないようだが、そんなことはない。
彼女は向上心が高かった。彼女自身、成功したいなら神官になるしかないとわかっていた。実家では役に立たなかったとはいえ、恩寵持ちは数が少ない。優遇されるだろうという打算もあった。レミスは喜んで神官になろうと前向きに入学した。
いざ入学してみると聞いていた以上に恩寵持ちが居て面食らった。ここ一・二年で入学する恩寵持ちが爆発的に増えているとのこと。神官内では何かの前兆かと噂になっている。しかしそれでも少数派には違いない。周囲からは常に一定の期待と羨望のまなざしがあった。
レミスの成績は全体の中では上位だったが、こと恩寵持ちのみに限ると下位だった。
向上心の賜物か、レミスは勤勉なうえに負けず嫌いだった。勉学に没頭したが、何故か恩寵持ちは皆、恩寵以外の基礎的な能力も高い。結局卒業時まで恩寵持ちの中での下位の成績は変わらなかった。
恩寵の能力も実家と同様学校でもイマイチ役に立たなかった。
自意識過剰で繊細な年齢だ。もやもやとした劣等感があった。自己防衛のためか、このころから多少口調がきつくなった。
神官学校を卒業し、レミスは地方の大きく裕福な港湾都市に配属された。
海運貿易の盛んな場所だ。風を操るレミスの恩寵が役に立つかもしれない。そう考えられての配属だった。
教会の命令で大商人の船に無事を祈る神官として乗船したのが始まりだった。レミスはその恩寵を用いて、かつてない速度で積み荷を届けた。風の方向を少し変えるだけで帆船の速度はずいぶんと変わる。レミスにとってそれは簡単な仕事だった。
商人にとって時間は金と同じくらい貴重だ。大商人はおおいに喜び、それ以降頻繁に乗船の依頼を受けることになった。レミスの噂は広がり、あらゆる船から引っ張りだことなった。1年もしないうちにレミスは船乗り達の幸運の女神かのように扱われるようになった。
寄付という名の給金もウナギ登りだ。なんせ商売相手は大商人。金がある。
さて劣等感のあった若輩の小娘が世慣れた商人や屈強な舟夫達に急にちやほやされ始めたらどうなるか。
レミスはわかりやすく舞い上がった。やはり自分は特別だったと調子に乗った。あっという間に有頂天だ。
貧乏とはいえ貴族としてのプライド、そして元からのきつい性格が合わさって、高慢ちきな女が産まれた。
レミスの勤勉さはなりを潜め、徐々に神官としての務めをおろそかにしていった。教会の清掃、炊事、洗濯、他様々な雑務仕事が神官にはある。そしてその多くは下っ端の役割だった。
しかしレミスは「どうして一番稼いでいる私がそんなことをしなければならないの?」などと言って上司や同僚を困らせた。事実、レミスの働きにより商人や舟夫などからの寄付が増え教会の運営に大きく寄与していた。
口ぶりが、神官というより商人のそれだ。
職務柄商人と関わる機会が多いため無理からぬことではあるが、神官としては褒められたものではない。
稼ぐ、儲けるという言葉を神官は嫌う。神官が金銭を受け取るときに報酬と言わずわざわざ寄付やお布施などと言い表すことからも教会の金への考えがわかるだろう。金への執着は堕落の始まりなのだ。
金に汚い神官。損得勘定ばかりする神官。そんなイメージを持たれると教会への信頼が崩れてしまう。教会の権勢は信者の献身によって成り立っているのだから。
上司はレミスをどうにか改心させようと教え諭したが、いまいちレミスには響いていないようだった。
そんな折、レミスに出向命令が下った。行き先は新大陸だ。レミスの上司と同僚はもろ手を挙げて喜んだ。厄介者が居なくなる。
レミスは悩んだ。命令を受けるべきか、断るべきか。
レミスは調子に乗ってはいても打算はきちんと働く。
新大陸への任務は成功すればその功績は大きい。しかし、もし仮にフランシスコの部下の報告が嘘だった場合、海上を彷徨い餓死することとなる。ただでさえ外洋の船路は危険なのだ。命の危険がある。
それに引き換え今の仕事は楽だ。必ず岸の見える範囲までしか航海しない。岸の淵をたどっていくだけだ。命の危険は限りなく少ないし、それでも十分な報酬がある。
しかし、教会の庇護下にある現状を壊したくない。命令に背くということは、教会を破門される可能性があるということだ。
ロマノス大陸で教会の権力はとても強い。教会に破門されたということは信用ならない人間の烙印を押されるということだ。引き続き同じ仕事が出来るとは思えない。
さんざん悩んだ末、結局教会の命令に従うことにした。
3週間の航海の末、レミス達は無事着岸し、新大陸への到達を果たした。
空が赤らみ、日が暮れようとする寸前での着岸だった。
本来こんな暗くなるぎりぎりで着岸するのは危険だ。翌日、空が明るくなるのを待つのが賢明。しかし、レミスはもう船上の生活は限界だった。揺れるし、臭いし、狭い。火は危なくて使えないから食事も味気ない。陸が恋しかった。
総責任者レミスのわがままとその恩寵でどうにか間に合うだろうという判断で、この無茶な着岸は実行された。
いよいよ夜の帳が落ちる。
月明かりの照らす明るい夜だった。
野営の準備を終え、一息ついてぼんやり周囲を眺めていると一本の白い煙が目についた。
煙の方角からは薄っすらと灯りが漏れている。
人がいる。レミスは直感した。
煙と灯りは火があるということだ。火とは人の営みに必要なものだ。きっと人がいるに違いない。そしてここに人がいるとすればそれは報告にあった言葉通じぬ蛮族とフランシスコの一味だ。
未開の地との報告だったが、さすがに野営よりかは快適な住空間があるに違いない。
フランシスコについてはあまりいい噂を聞かない。
『生ける屍』(リビングデッド)と呼ばれ、定期的に背信の疑いを噂され、結果的に左遷までされている。左遷先で新大陸発見の功績を成したものの不信感はぬぐえない。謎の多い人物だ。
しかし、今回の同行者の中にはフランシスコの部下もいる。仲立ちを頼めばいい。そもそもフランシスコも神官だ。教会の任務を帯びた人間を無碍にするとは考えにくい。
フランシスコは不信だが、能力は確かという噂もある。もしかしたら快適な住空間、豪華であたたかな食事そしてさらにはお風呂なども用意してくれるかもしれない。
推測というより、もはやただの願望だ。火は山火事の可能性もあるし、フランシスコの用意している住環境がこの野営の準備よりいいとは限らない。
フランシスコの部下がハン族の集落までの道を知っているとはいえ、夜の森は危ない。大型の肉食獣は大抵夜行性なのだ。
今レミスは最も不安定な状態にある。
少し能力があるからと、掃除や雑務をサボる甘ったれた小娘だ。そんなレミスに3週間の船旅はあまりにも厳しかった。
冷静な判断が出来ていない。
また、レミスに妙に体力が残っていることも災いした。彼女は恩寵で風向きを変えることだけが仕事で他一切のことは他の船員や神官がやってくれていた。慣れない環境で体力は消耗していたものの、今すぐぶっ倒れるほどのものではない。
レミスは脊髄反射で決断した。
「今からあの煙の場所まで移動するわ!ついてきなさい!」
当然他の神官や船員から猛反発を食らった。
今日は一日休み明日、陽が昇ってからにするべきだと。
夜は視界が制限されるし夜行性の獣もいるから危険だと。
ごもっともである。
しかし、レミスは頑として譲らなかった。レミスは暗視と身体能力強化系の神聖術を使用できる。問題はないと主張した。
神官は一部の例外を除いて原則暴力禁止だ。しかしそれはあくまで対人の話で獣については適用されない。無意味に傷つけるのは駄目だが、必要ならば殺すのもやむをえないとされている。
結局、妥協案としてレミスとフランシスコの部下だけで煙目指して進むこととなった。フランシスコの部下は戦闘要員ではないがまあまあ腕が立つ。獣と遭遇しても問題ないだろう。
他の者は疲れているし、そもそも全員分に神聖術をかける余力はない。海岸に残り野営をし、船の見張りをしてもらう。
レミスは最後の力を振り絞り、フランシスコの部下を連れて森の中を先頭きって歩き出した。
フランシスコの部下の道案内を受けてようやく灯りが見えてきた。何やら騒がしい声や笑い声らしきものが聞こえてくる。
逸る気持ちを抑えきれず、速足で進み、そしてやがて森を抜けた。
視線の先には火を囲み踊り狂う異様な者達。
頭に獣の頭蓋骨を被り、首には人骨をぶら下げている。なんとおぞましい姿だろうか。人を創造したもうた神への冒涜ですらある。
そして、レミスのすぐ近くにもその一人はいた。
火を囲む者共と同様の装い。細身ながら筋肉質な肉体。そして夜の闇の中でさえその鋭い眼光がわかる。頭部の頭蓋骨の奥からにらみつけられている。妙に威圧的な雰囲気がある。
レミスは直感でこいつがこの冒涜者たちの親玉だと思った。
気づけばレミスは相手を指差し叫んでいた。
「い、異端者だ!」
直後、その異端者はものすごい速度で接近してきた。
動揺する間もなく顎に衝撃が走り、レミスは気を失った。
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