30:本土・ロマノス大陸
本土、正式名称ロマノス大陸。広大な面積を誇り、多くの国家がひしめき合っているが、そこに住まう人々が胸に抱く信仰はただ一つ。アスワン教だ。
厳密には細々と異教の神を信じる者達がいるが、本当にごくごく少数の者達だ。
そんな大陸を征服しているといっても過言ではない巨大組織、アスワン教会。その総本山は俗世を離れた高山の頂、神に最も近い場所……ではなく、大陸で最も栄える港湾都市にあった。
以前は俗世を離れた高山に本部があった。現在でもアスワン大聖堂は高山の頂にそびえているし、参拝客は途絶えない。しかし、教会組織の中枢は近年移動していた。
なぜなら俗世を離れた山の上には娯楽はないし、食材も限られ、気候も厳しい。
金と権力を持った教会のお偉いさんはお年を召しているし、俗世の蜜を吸いに吸って堕落している。
俗世を離れた清貧な暮らしに我慢が出来ず、下界に降りて来た次第だ。
むしろ、いままでよく耐えてきたものだと口さがない者達は言う。
さてそんな理由で比較的新しい豪奢な教会的建設物、新アスワン大聖堂の会議室に教会の要職にある者達が顔を突き合わせ、机を囲っていた。背後には護衛の聖騎士や聖務執行官が控えている。
半年に一度の定例会議だ。普段は情報共有が行われるだけの退屈な場だ。意思決定がなされることは極めて稀。至急必要なことは特別会議が招集される。定例会議は半ば形骸化していた。
しかし、今回は何やら議題がある様子。重々しい雰囲気の中、会合が始まった。
「お耳に入っているものと思いますが、フランシスコ・ピサロの船が戻ってきました。本人は乗っていませんでしたが、部下が彼の存命を証言しています。」
教会に7名しかいない枢機卿の一人、マカロフ・ベルナルディ枢機卿が口火を切った。
「新大陸を発見。しかし、原住民とは言葉が通じなかった。幸いフランシスコ・ピサロが神の恩寵を賜り、意思疎通を可能にしたと。今は神の教えを広めることに尽力しているとか。素晴らしいことですね。」
ユヴァル・ノア枢機卿がマカロフの言葉を引き継ぐ。
マカロフとユヴァル。この二人は枢機卿の中でもとりわけ権力が強く、その影響力は教皇をもしのぐ。教皇も二人の言葉には逆らえない。
「馬鹿な!新大陸などあるはずがない!しかも言うに事欠いて神の奇跡たる言葉が通じないだと!神の威光を否定するつもりか!それにだ。あんな男に、フランシスコに恩寵などありえん!恩寵は後天的には得られないものではなかったのか!偽りの報告に違いない。どうせその辺を軽く探索して帰ってきただけだ。さも任務を果たしているかのように見せかけているだけだ!」
丸々と肥え太った豚のごとき壮年の男が口角泡を飛ばして主張した。皮膚には不摂生による出来物が無数にあり、表面は皮脂でテカっている。
古代の賢人に「満足した豚よりも不満足な人間でいたい」と遺した者がいるが、なるほど賢人はこのような豚になりたくなかったのだなと偉人の慧眼に感服する。
そんな「満足した豚」を体現する人物こそアスワン教を統べる教皇、マクスウェル1世その人である。
実家が王族に連なる金満家ゆえに地位を金で買った。教会内の権力事情的にも偶然都合がよかったこともある。
本人にはその能力も人望もない。あらゆる偶然が重なって、マクスウェル1世は教会の権力機構の頂にいる。幸運のみで教皇の椅子に座る彼はある意味神の恩寵を誰より受けていると言っていい。
教会中枢を現在の港湾都市に移すよう命じた張本人でもある。意外と神官内では好評だった。清貧を逃れるだけでなく情報収集が山の僻地に比べて断然しやすくなった。怪我の功名である。
しかし、そんなことで民の生活はよくならない。
清貧とかけ離れた様子から教会の腐敗がささやかれている。
マクスウェル1世はその象徴だ。腐敗王などとも影では言われている。
「船には新大陸の品物がたくさん積まれていたそうですよ。現在大陸内で同じ品物は確認されていません。偽りと断じるのは早計ではありませんか。」
鈴のなるような涼やかで凛とした声が響いた。声は大きくないのによく通る。
光と水の聖女、モネ・ルノワールだ。透き通る金糸の長髪と碧眼。すらっと伸びた手足、ふくよかな胸。そしてもっとも人目を引くのは背中から生えている白銀の両翼だ。その恩寵の強さを物語っている。
恩寵により癒しの聖水を作り出し、大陸中に納品し多くの人々を救っている。
また、ごく一部の者しか知らない機密だが予知夢の恩寵も備えている。
ちなみに教皇は知らない。
聖女の役割は教会の象徴だ。実権はないが、聖女の言葉は民衆に強い影響を与える。演説する内容は教会が決めるのだが、聖女にはそれに対する拒否権がある。モネは癒しの聖水を出荷している関係上、今までの聖女たちと比べてさらに強い影響力を有しているため、教会内での発言力も自然と強まっている。
聖女の言葉に教皇は押し黙るも表情には不満といら立ちが如実に表れていた。
なんせ教皇はフランシスコを左遷させた張本人だ。
殺すつもりで島流しにした。海上で飢えて死ぬものと考えていた。
よもや生きているとは思わなかった。
要人の背後に立つ聖騎士や聖務執行官の中には頬を引きつらせている者達もいる。
フランシスコに煮え湯を飲まされた経験がある者達だ。
左遷命令をフランシスコに出す前に捕らえるよう教皇から捕縛命令が出たせいで、フランシスコと争うことになった。神聖術、毒、罠、人質に神官の買収あらゆるものを使って抵抗してきた。今までの仕事で最も苦労したし損害も大きかった。二度と関わりたくはない。
心の平穏のためには死んでいてほしかった。
「もう一度船を送りましょう。そうすれば真実かどうかわかります。新大陸、目新しい品々、莫大な富を生む可能性があります。教会の保有地にしてしまってもいいでしょう。もし新大陸発見が真実ならフランシスコの大手柄ですね。」
ユヴァル枢機卿の言葉に教皇マクスウェル1世が激高する。
「あいつに手柄だと!そんなことは許さんぞ!」
「落ち着いてください。新大陸発見が事実ならフランシスコの大きな手柄であることは間違いないですが、それを指示したのは教皇猊下です。猊下の名は新大陸発見の立役者として歴史に名を刻みます。」
ユヴァルの言葉に教皇は押し黙る。マクスウェル1世は自身の利益には敏感で強欲な人間だ。自身の名声が後世にまで響くと聞けば自尊心がくすぐられる。
フランシスコのことは遥か彼方だ。
思考回路が単純で扱いやすい。二人の枢機卿にとっては理想の傀儡教皇だ。
当然フランシスコもまた歴史に名を残すことになるだろうが、それをこの場で口にする愚か者はいなかった。
「さて、そうと決まれば船に乗せる責任者の人選ですが、推薦したい者がいます。新世代のレミスですがご存じでしょうか。彼女の恩寵は海上では大変有用なのですが。」
「風を操る恩寵を持つ子ですね。近年は恩寵のバリエーションの増加が著しいですね。」
「ええ。」
「ふんっ。新世代か。若輩が粋がりおって忌々しい。」
新世代とは近年急激に増えた恩寵持ちの若年層の総称だ。今代の聖女も同年代だ。16歳から18歳くらいで恩寵持ちの神官見習いは正式に神官となり出世を始める。恩寵持ちは希少なため教会組織ではそれだけでエリートコースまっしぐらだ。出世が早いが、そのせいか自尊心が肥大化しやすい。上司の言うことを聞かず問題になることがある。特に今代の新世代は数が例年に比べて多く軋轢も問題も乗数的に増えている。組織全体で頭を悩ませていた。
教皇に対しても敬語は使うし、作法は守るが侮蔑の表情を隠しきれていない。
「うまく手綱を握れないなら、外に出してしまうのが手っ取り早いです。ついでにフランシスコに教育してもらいましょう。きっと手を焼きますよ。」
「ふんっ。だといいがな。」
「聖女様にも癒しの聖水の御用意をお願いしたいと考えています。お願いできますか。」
マカロフ枢機卿の言葉に聖女モネはうなずきを返す。
「わかりました。用意いたしましょう。」
「ありがとうございます。」
「参考までに新大陸までの旅程は何日を想定していますか。」
「フランシスコの部下の報告では行きで2か月、帰りに1か月ほどかかったそうです。天測航法で距離や位置も割り出せました。レミスの恩寵があれば3週間もかからず新大陸に到着するでしょう。」
「なるほど。」
「レミスには私から伝えましょう。他に議題はありますか。」
それ以上の議題はなく、定例会議は御開きとなった。
会議が終わり、聖女モネは彼女の護衛の聖騎士を連れて、自身の住まいである聖花園へ向かっている。いつも通り彼女にはただそこにいるだけで華がある。しかし、今日は何やら上機嫌であることが長い付き合いである聖騎士にはわかった。
「モネ様、何やら機嫌がよろしいようですね。」
「そうかしら。」
聖騎士に振り返り、薄く笑む。聖女モネのそのしぐさに護衛の聖騎士は同じ女でありながら頬を赤らめる。聖女モネは清純な乙女そのままの容姿をしているが、心許した相手に向ける表情やしぐさはどこか色っぽい。
動揺する聖騎士が二の句を告げずにいると聖女モネは再度微笑み、言葉を続けた。
「ふふ。そうかもしれないわね。フランシスコが戻ってくる道筋が立ったわ。」
「あの男のことでしたか。」
聖騎士は頬を引きつらせる。
「あなたは苦手だったわね。」
「それもありますが、その……。」
聖騎士は言い淀みながらもはっきりと口にした。
「聖女様はあの男に恨まれているのでは。」
「ふふふ。そうかもしれないわね。」
聖騎士の言葉に表情を曇らせるどころかなお一層うれしそうに笑う聖女に聖騎士は訝しむ。しかし、それ以上追求できなかった。
聖女モネの裏切りによってフランシスコは左遷されたのだ。
命じたのは教皇だったが、彼一人の力でフランシスコを陥れることなどできない。
そしてフランシスコはそれを知っている。
「きっと怒られるわ。」
言葉とは裏腹に聖女モネは待ち遠しそうにつぶやいた。
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