110:ヘイム過去編⑥完
村人に聞いた闇の眷属の出現場所に向けての道中でマルコは言った。
「ヘイム、お前に話しておきたいことがある。」
「話しておきたいこと?」
「ああ、懺悔というやつだ」
マルコは道端で倒れてヘイムとヘカテアに助けられる前、ヴァジュラマ教徒の隠れ里を襲撃していたことを語った。罠にはめられて、転移の魔法陣で飛ばされてきたという。
「おそらくヘカテアの故郷だろう」
「…あくまでマルコの推測ですよね」
ヴァジュラマ教徒の隠れ里がヘカテアの故郷であるならば、当然ヘカテアはヴァジュラマ教徒ということになる。ヘカテアの不利になることをヘイムが勝手に明かすわけには行かない。
マルコは信用できると思うが、まだ出会って間もない。ただでさえヴァジュラマ教徒は死刑の確率が高い。軽い気持ちで同意するわけには行かなかった。
「…、ああ。俺の推測だ。」
実際のところ、ヘカテアがヴァジュラマ教徒の子であることをマルコは半ば確信していた。襲撃中に顔を見ていたからだ。
そんな子に命を助けられた。今更殺すつもりはないし、通報する気もない。
マルコは別にヴァジュラマ教徒滅ぶべしという信念があるわけではない。ただ仕事で人を殺めていただけだ。
そしてこの地に飛ばされてしまっては仕事もなにもない。
仕事はその遂行を観測されて初めて仕事たりうる。もしくは成果をもって初めて仕事とみなされる。マルコの仕事の性質は今回でいえば前者だ。命の恩人ヘカテアを観測されていない状況で殺めるほどの義理を依頼人に対して感じてはいなかった。
「推測の話とはいえ、ヘカテアにこのことを言うつもりはない。いらん心労を掛ける必要はない。」
「それがいいでしょう」
「それにだ、ヘカテアといえど、親の仇と見れば襲ってくるかもしれん。俺は剣王になるまで死ぬわけには行かない。殺意をもって刃を向けられれば命の恩人といえど、容赦はできん」
「…、何故そんな話を私に?」
「だから、懺悔だと言っただろう。俺にもどうやら罪悪感というものがあったらしい」
マルコは表情から内心を読み取りにくい人間だが、それでも今はきまりが悪そうにしているのがヘイムにもはっきりとわかった。
「聞き届けました」
ヘイムはそう答えた後、少し間をあけ、続けた。
「話を聞いた代わりに頼みがあります」
「なんだ」
「私に剣を教えて下さい。
「神官が剣を教わってどうする」
「人は結局、真摯な言葉よりも、無慈悲な暴力に従います。精錬な神官のままではヘカテアを守れない」
「わかった。いいだろう。」
そんな話をしながら道を進むとそれは現れた。
狒々の頭部に胴体と尾から蛇が生えた闇の眷属、キマイラだ。村人の証言通りの出で立ちだ。
聞いていたよりも村に近い位置での出現。放っておけば遠からず村に被害がでただろう。
ヘイムとマルコが先にキマイラを視認したが、キマイラもすぐに二人に気づいた。ヘイムとマルコが動き出すよりも早く、キマイラは二人に襲いかかった。
キマイラは上位の闇の眷属なだけあり、非常に凶暴で手強かった。死を覚悟した場面は一度や二度ではない。
危機に陥るたび、ヘイムとマルコは咄嗟の判断と火事場の馬鹿力で乗り越え、ついにはキマイラ討滅を成し遂げた。
しかし、ヘイムとマルコは相応の、大きな犠牲を払っていた。
ヘイムは腹部を貫かれ、一部臓器が損傷した。
マルコは内蔵に傷こそないが、深い切り傷が至るところにあり、失血と傷による炎症で身体が高熱を発している。二人の傷はもはやヘイムの治癒の神聖術で癒せる範囲を超えているし、そもそも神聖術を使用するほどの力が残っていない。
かろうじて互いの止血に神聖術を使用し、それで打ち止めとなった。
それでもヘカテアのもとに戻り、彼女の身の安全を確保しなければならない。
ヘイムの求めに応じて、マルコはヘイムに肩を貸しながら、最後の力を振り絞り、村に向けて歩き出した。
キマイラの出現場所が村の近くだったことが功を奏した。命尽きる前になんとか村にたどり着くことが出来た。
村の入口付近には常に村人がいて、二人の帰還を待ちのぞんでいた。
いざこざがあったとはいえ、闇の眷属キマイラの方が神官と剣士よりも身に危険を及ぼす可能性が高い。
村へとたどり着くと村人たちはこぞってヘイムとマルコに駆け寄り、賞賛の言葉を浴びせた。しかしそれらはヘイムの眼中になく、ヘカテアの姿を追い求めた。
「ヘカテア!ヘカテアは!?」
「ヘイム!ヘイム!」
呼びかけると人垣の中からヘカテアがヘイムの名を呼びながら飛び出してきた。
ヘカテアの姿を確認した直後、ヘイムが動かぬ体を無理やり動かしたせいで、マルコもろともに倒れ込んだ。
「お、おい!ヘイム、マルコ。大丈夫か!?」
心配するヘカテアを安心させようと笑顔を作る。
「ヘカテア。やりました」
どうにか顔だけをヘアテアへと向けてヘイムは成果を告げた。ヘカテアは側でかがみ込み混んでおり、どうにか視線を合わせることができた。
しかし、転倒の衝撃で腹部の傷が開き、血が地面に広がった。
「ヘイム!ヘイム!お前、血が!」
「ええ、少しヘマしてしまいました」
「いや、ヘイムのその負傷がなければキマイラ討滅はあり得なかった。ヘマではない。強いて言えば、俺の力の至らなさが招いたことだ」
ヘイムの受けた傷はもとより致命傷だった。転倒で傷が開こうが開くまいが、いずれ命は尽きる。こうして意識を保ってヘカテアと言葉を交わしていることすら奇跡。ヘイムの命は風前の灯火で、そして消える直前に火が激しく燃えるように、ヘイムも死の直前の最後のあがきをしている。
そのことにヘイム自身が気づいていた。
「大丈夫なんだよな!?」
「私の神聖術では治癒しきれませんでした。流した血も多い。ちょっと難しいかもしれません」
「そんな…」
「幸いマルコは深手を負いましたが、療養すれば命に関わることはないでしょう。これからは彼にあなたのことを任せます。」
「嫌…、嫌だ!ヘイム」
「これも自然の摂理です。死は神が人に平等に与えたもうたものです。逃れることは出来ません」
「……」
うつむき黙り込むヘカテアにヘイムはどこかさみしさを覚えながらも安心していた。しかし、再度顔をあげたヘカテアは頑なな表情をしていた。瞳には覚悟の色がある。
「自然の摂理だから何だ!アスワンがお前の命を奪うというならその命は私が繋ぎとめる」
ヘカテアは言葉とともに、ヘイムの背に手を当てた。
「え?ヘカテアあなた何を…」
村人も見守るなかヘカテアは禁句を口にした。
『力の根源たるヴァジュラマよ!』
「駄目です!マルコ!ヘカテアをとめてください!」
しかし、マルコはすでに力尽き、気を失ってしまっていた。
なんとかヘカテアを止めようともがくが、身体は動かない。
「駄目です…、ヘカテア!」
『我が魂を代価に!かの者に廻天の力を与えたまえ!』
ヘカテアが詠唱を終えると同時、ヘカテアの手を伝い暖かな力が流れ込むのを感じる。体が修復されていくのがわかる。心地よいぬくもりとともにヘイムの意識はまどろみ、薄れていく。
「おい!今のは代償術か!?」
「じゃあヘカテアはやはりヴァジュラマ教徒か!?」
「ということはキマイラはそいつの仕業か!?」
村人たちの不穏で不快な怒鳴り声が背後に聞こえる。
ヴァジュラマ教徒と知れたヘカテアはこれより村人達に糾弾されるだろう。あらぬ罪を期せられ殺される恐れもある。
自分のために認め難い茨の道を選ばせてしまった少女がいる。
自らが守らなければならない。まどろみの誘惑に身を委ねるわけには行かない。
抗おうと手をヘカテアに向けて手を伸ばす。
「ヘカテア!どこですか!?ヘカテア!」
だが、目を開いているはずなのにヘカテアの姿が見えない。
「アタシはここだぜ。ヘイム」
穏やかなヘカテアの言葉とともに伸ばした手が包まれる。
「ヘカテア!大丈夫です!誤解を解きましょう!大丈夫です!君のことは必ず…」
ヘイムは必死に言葉を紡ぐが支離滅裂だ。意識がどんどん遠のいていき、自分でも何を言っているかわからない。
「いいんだ。ヘイム。大丈夫。大丈夫だから」
「何がいいと言うんですか!このままではあなたが…」
今意識を失ってはならないと自らの直感が告げている。意識とともに大切なものまで失ってしまうと。
しかし意識を保とうと抵抗するも生存本能がそれを許さない。もはや意思力でどうこうできる段階を過ぎている。
そして薄れゆく意識の中でヘイムは確かにヘカテアの言葉を聞いた。
「ヘイム…、愛しているぜ」
ヘイムの意識はそこで途絶えた。
ヘイムのその後の記憶は曖昧だ。
ただ黒焦げの人体が黒焦げた十字架に磔にされ、村の広場にさらされていてひどく不快に思った。
実に悪趣味なモニュメントだと。
しかしすぐに嫌な予感が首をもたげ、そして村人達の言葉で確信に至った。
「ヘイム!目を覚ましたか!良かった。ヴァジュラマ教徒に騙されてかわいそうに」
「ヴァジュラマ教徒には報いを受けさせておいたからね」
「まったく、異教徒めが。火炙り程度じゃ生ぬるいぐらいだ」
吐き気を催すと邪悪とはこのことだ。これをなしたものは神の敵対者に違いない。
気づけばヘイムは自らの神に祈りを捧げていた。
『力の根源たるヴァジュラマよ。隷属を代価に神の敵対者に永久の苦しみを』
「え?」
村人たちが薄ら笑いで聞き返してくる。
ヘイムは対象を指差し聖句を唱えた。
『苦しめ』
そしてヘイムは村人全員を老若男女を問わずその力の対象とした。
村人たちは止まぬ苦痛にのたうち回り、3日もせずに全員が死に至った。
バッドエンドは打開策を考える必要がないのが良いです。
ブックマーク、評価、いいね、感想等いただけると励みになります。




