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106:ヘイムの過去②

「ヘイム!そんなんやめて遊ぼうぜ!さっきトンボが飛んでたんだ。羽むしろうぜ」


「今、朝のお祈り中ですよ!それに言葉遣い!命を粗末にしない!」


 やんちゃにすぎる言葉が幼い少女の声音で紡がれた。ヘイムは何度目かわからない諌める言葉を返した。


 黒髪を揺らし、蓮っ葉な笑顔でケラケラ笑う少女はヘイムの知る女とは何もかもが違っていた。


 だが、ヘイムが無意識に目で追ってしまうほどに魅力的でもあった。






 ヘイムによって助けられた黒髪の少女はヘカテアと名乗った。


 道端で倒れていた理由も、怪我だらけでボロボロだった理由も問うたが答えは返ってこなかった。


 ヘイムはそれを許容したが、村人たちは違った。


 村人達はヘカテアを受け入れることに反対し、村から追い出したいようだった。


 白を象徴とするアスワン教において、黒は縁起の悪い色だ。村人はヘイムを含め、くすんだ金髪の者ばかりだった。


 また折り悪く、ヘカテアを受け入れてからすぐに近隣で闇の眷属の目撃情報があった。


 それによりヘカテアの存在は不吉であり、災いを招くと騒ぐ者もいた。


 この村は異物を許容しない不寛容で閉鎖的な田舎村。それをヘイムは思い出した。  





 ヘカテアが村に来てからというもの、ヘイムが外出する際には多くの場合、ヘカテアがついてきていた。逆もまたしかりだ。


 ヘカテアははじめこそヘイムをひどく警戒していたが、生活の世話や村人たちからヘカテアをかばう様子を見るにつれ、ヘカテアはヘイムに対する態度を徐々に軟化させていった。


 今ではべったりだ。


 二人が村に出ると、いつものように村人はヘカテアに警戒と嫌悪の混じった視線を向けつつもヘイムに話しかける。


「こんにちは。ヘイム」


「こんにちは。マーヤさん」


「この前のおじいちゃん、残念だったわね。」


 数日前看取った老爺のことだ。容態が急変したと夜中に呼び出された。すでに死の淵にあったその老爺にその家族の要請で治癒の神聖術をかけた。しかし効果はなく、そのまま亡くなってしまった。


「力が足りず、すいません。精進します」


「あなたの神聖術、もっと強力にならないの?ベンおじさんもあなたの加護を受けてる最中に腰を痛めたじゃない?」


「…申し訳ございません」


「頼むわよ。あなたがしっかりすれば村のためにもなるんだから。あなたの亡きお父様も安心するはずよ」


 村人たちは上から目線で説教し、そしてヘイムが申し訳無さそうにうなずく。


 もちろん善意だったり、まっとうな注意にも思える。


 しかし世間的地位のある神官見習いに何かを教える。そのことに愉悦を覚えているようにも見える。


 ヘイムの父が死んで以降、いつの間にかそれが常態化していた。


 ヘイムはそれを仕方ないものとして、違和感・抵抗感はあるものの受け入れてきた。口をつぐんできた。


 そして村人はヘイムの鬱屈とした思いを代償に上機嫌になり去っていく。


 今回もそうなると思っていた。


 だが、そうはならなかった。


 ヘカテアが唐突に口を挟んだからだ。


「なぜこのおばさんは自分が出来ないことを、さも当然のようにお前に求める。」


 一瞬場が凍った。


 ヘイムも村人のおばさんマーヤも声の主がヘカテアだと気づくのに時間がかかった。


 今までヘカテアは村人の前では警戒し、ヘイムの後ろに隠れ続けてきたからだ。口を開くことなどなかった。


 マーヤはヘカテアが喋ったことと、その言葉の意味を理解すると、顔を真っ赤に紅潮させ憤った。


「なんて失礼なの!ヘイム!あなたがどうしてもというから、そんな気味の悪い子を受け入れているのよ!年上を敬うことも知らないなんて」


「人は神の前で平等なはずだろ。なぜ年上というだけで敬わなければならない。敬意を払ってほしければそれに値するものを示してくれ。それに話をそらすな。なぜお前はヘイムにそんな偉そうな口が利けるんだ。神聖術は神の寵愛の証だろ。なぜ寵愛を受けていないお前が寵愛を受けるヘイムに説教できる。」


 ヘカテアの問いかけにマーヤは言葉に窮する。


 はじめはアスワンの教えに対して不自然なほどに無知なヘカテアだったが、ヘイムとの共同生活の中で、アスワン教の教義を自然と学んでいた。


「人に何かを求める前に、まず自分がそれに値するのかを顧みたほうが良いんじゃないか」


 ヘカテアの追い打ちにマーヤは怒りで何かをまくし立てながら、大股で歩き去っていった。


 ヘイムはマーヤが去ったのを確認し、ヘカテアに声をかけた。


「どうしてあんなこと言ったんですか」


「だって、ムカつくだろ」


 ヘカテアのぶっきらぼうな物言いと態度にヘイムは思わず苦笑した。


「ヘカテアが矢面に立つ必要はないってことです」


「…迷惑だったか?」


 唇をわずかに突き出すヘカテア。すねたように、そして不安げな表情をする彼女にヘイムは虚を突かれた。いつもの怖いもの知らずな彼女はそこにはいなかった。


 ヘイムはよくわからない、罪悪感と庇護欲の合わさったような、心のざわつきを感じた。


 早く彼女を安心させたいとも思った。


「そんな事はありません。ありがとう」


 ヘイムがそう言うと、ヘカテアは表情をパッと明るく変えた。そのことにヘイムはひどく安堵した。


「へへ。また同じことがあったら任せとけ」


「それはやめてください」


 照れくさそうに笑うヘカテアにヘイムは確かに救われた。


 だが、この日を境に村人たちのヘカテアに対する抵抗感は確固としたものとなってしまった。


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