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105:ヘイムの過去

ヘイムの過去


 とある辺境の村。何もない辺鄙な田舎。唯一ある教会だけがその村のシンボルだった。


 その教会はアスワン教の教会としてはありふれたものだったが、赴任しているのは神官一人のみ。


 本来ならば複数人で管理されるべき広さの教会は、辺鄙で寂れた田舎の村故に、最小の人員しか配置されない。


 村の教会で働く神官、その子供がヘイムだった。


 ヘイムの母はヘイムを産んですぐに亡くなった。神官の父と二人で教会の切り盛りをしていた。


 父は治癒の神聖術と身体能力強化系統の神聖術を行使することが出来た。農作業や力仕事などで村人達に頼られ、さらには医者代わりでもあった。


 父は敬虔な信徒だった。規律を重んじ、そして利他的な思想の持ち主だった。


 しかし、それが災いした。


 山を彩っていた木々の葉が落ち、冬の訪れを感じ始めた時期だった。


 冬をこえるための食料が十分に集まらなかったのか、理由は定かではないが、番の熊二頭が村の近隣に出没し、人を襲うようになった。


 日を追うごとに人の被害は増えていく。村はこの熊の番を討伐することを決めた。


 村の猟師を中心に男達が討伐隊を編成した。その中にヘイムの父親も含まれていた。


 身体能力を強化する神聖術と治癒の神聖術は討伐の可能性を引き上げる。神官であるヘイムの父は村に残っていた方がいいという意見もあったが、ヘイムの父本人がそれを否定した。


「神より授かったこの力は人を災いから救うためにあります。そのためには災いから離れていてはいけません。」


 まだ幼かったヘイムはそんな父をかっこよく誇らしいと思ったし、神と信仰の威光を感じた。


 しかし、どんなに善く見える行動を取ったからといって、それが良い結果をもたらすとは限らない。


 父は死んだ。


 熊の番を探し出し、なんとか討伐した直後、番の仔と思われる小熊に不意を突かれて村人が襲われた。父はそんな村人をかばい、喉元を噛みちぎられ、苦しみのなか息絶えた。


 村人たちはなんとか小熊を討伐した後、父の遺体を村まで運んできた。


 村人達も必死で余裕がなかったのだろう。特に悪意があったわけではないが、配慮が足りなかった。


 死後の処置をされていない父の遺体は血と土に汚れ苦悶の表情で固まっていた。


 それがまだ幼いヘイムの眼前にさらされた。信仰に殉じた男の末路。


 それがヘイムの目に今なお焼付いている。


 村はすぐにヘイムの父を英雄として祀るまつりを催した。英霊として丁重に埋葬された。


 村の人々はヘイムを連れ出し、口々に父をたたえた。


「立派な行いだ。誰でもできることじゃない」


「ヘイム、君の父は偉大な人だ。神官とはかくあるべきだ」


「あなたもお父様のような神官になるのよ」


 お前も村のために死ね。


 ヘイムはそう言われているように感じた。


 この時ヘイムは自らの信仰がゆらぐのを感じた。




 ヘイムは父の死により、その跡を継ぐこととなった。


 神官見習いでありながら、教会の管理者という異常な立場だ。アスワン教の本部から重要視されていないがゆえの特例だった。


 ヘイムはその父同様、先天的に身体能力向上系と治癒の神聖術が使えた。


 ヘイムの教会管理者の立場もあって村人達はヘイムに期待を寄せた。


「頑張ってるか。そんなんじゃお前の父親のようにはなれないぞ」


「神官なら村のためにこれも覚えておくべきよ。ほら、私が教えてあげるわ。あなたのことを思って言っているの」


 村人達はなんの気なしに声をかける。


 それは善意だったかもしれない。しかし、ヘイムには利己的なおぞましい言葉に聞こえた。


 偉大な父を持ち出し、まるで父の言葉を代弁するかのように自らの要求を口にする。


 それは他者を支配しようとする、ずるく卑怯な物言いだ。


 ヘイムは村人が嫌いだった。だが、ヘイムの父はそんな村人たちのために命を投げ出した。


 ヘイムは未だに父を敬愛している。そのために村の人たちを無下にすることが出来ずにいた。


 子供らしく年相応な話し方を許されず、ヘイムは気づけば誰に対しても敬語で丁寧な物腰で接するようになっていた。






 近隣の村への行商に同行した際のこと、用を終え村への帰り道、道際に倒れる少女を発見した。


「大丈夫ですか!」


「待てっ!ヘイム!」


 ヘイムは少女を目にするや咄嗟に馬車を止め、少女に駆け寄り、声をかける。


 困ってる人は助けるべし。


 アスワンの教え、そのモラルはヘイム自身のモラルに強く影響を及ぼしている。内心では反発していたものの、村人の期待に応え続けてきたのもそうしたモラルの下地があったからこそだ。


 村人達は止めたが、ヘイムはそれを無視した。


 助け起こした少女はつややかな黒く長い髪を有していた。近隣では見ない髪の毛の色あい。服は一般的な麻の服だったがボロボロで、肌には多くの裂傷が見られた。


 黒髪の少女は息が荒く、意識が朦朧としているようだった。


「ヘイム!よそ者だし、厄介ごとの種にもなる!可愛そうだが放っておけ!村のためだ!」


「ですが!」


 ヘイムが村人の言葉に言い返そうとした時だった。


「父様…、母さま…死なないで…」


 少女のつぶやきがした。意識が混濁しており状況にそぐわぬ言葉だった。しかし、少女のその言葉で、今なお続く村人の反対の声が頭から消えた。ヘイムは彼女を助けることを無意識下に決めた。


 父を亡くした自分と重ねたのかもしれない。


 ヘイムは治癒の神聖術を行使した。


『神よ、かの者を癒やし給え』


 かざした掌がほのかな燐光を纏い、その光はやがて黒髪の少女をも包んだ。


 神より賜った癒やしの奇跡は少女の裂傷を癒やした。呼吸も穏やかになった。


 先程まで見開かれた目は閉じられ、静かに寝息を立てている。


 ヘイムは安堵の息をつく。


「ヘイム!その子をどうするつもりだ」


 行商の責任者の男が険しい表情でヘイムに問う。


 暗に少女を見捨てろと迫っている。


 村の食料を含めた物資には余裕がない。だから今回買い出しも含めた行商に来ていたのだ。村のことを考えればとても正しい対応だ。


 しかし、彼らもアスワン教徒。程度の差はあれど教えにしたがって生きている。


「困った人間を助けよ」と偉そうにご高説をたれて生きている人間だ。


 父の死の上に生きる人間だ。父のようであれとヘイムに教えてきた人間だ。


 なのに、いざ自分の身に負担が降りかかろうとすると途端に不寛容になる。


 人には利他的であることを求めるのに、それを求める本人は非常に利己的だ。


 ヘイムは村人達に強い嫌悪感を抱いた。もともと嫌いだったが、更に強烈な嫌悪感だ。


「この子は村に連れて帰ります。帰る先がわかるまで教会で面倒を見ます」


 ヘイムの村は辺鄙な村だ。この道の近くにはもはや自分達の村しかない。


 ヘイムは村人達の静止を振り切り少女を村へと連れ帰った。


 思えばヘイムにとって初めての反抗だったかもしれない。


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