閑話 少女の罪 1
2019/10/8
閑話ではありますが、本日二話目の投稿です。
少し暗めなお話なので苦手な方はご注意ください。
『――この先何年経ったとしても、あの日の出来事を忘れることはないように』
机に置かれているシックなデザインをした日記帳を捲ると、前書きとして表紙の裏にはそう記されている。
決して消えることの無い私の罪。
あの人は優しいから、全て知ってしまってもきっと許してしまう。
けれどいつかその時が来ても、私だけは私を許さないだろう。
◇
――八月九日。
八月八日の母の命日には毎年父と共にお墓参りに来ることが習慣になっている。
運悪く、その日は猛暑日だった。
それに加えて、いつもなら父が運転する車で行く道も、急な仕事のため電車とバスを使うことになってしまった。
警察官の父は一昨年に警視長に昇進し、多忙な日々を送っている。すれ違いも多いが決して仲が悪い訳では無い。
普段なら極力人混みは避けるけれど、その日だけはどうしても行かなければならなかった。
五年前、私がまだ小学校に通っていた頃、なんてことは無い普通の日常の中、母は突然倒れた。
脳梗塞だった。すぐに病院に向かったおかげで一命を取り留めたけれど、その二年後に再発して帰らぬ人となってしまった。
高校の教員をしていて、生徒から慕われている母が大好きだった。けれど病気を境に話すことが難しくなり、私のこともわからなくなってしまった。思えばこの頃から、私の心はどこか歪になっていたのだろう。
段々と自分で食事も取れなくなって、寝たきりになっていく母を見守ることが辛くなっていった。
――それでも私は母が大好きだった。
◇
家を出る直前に父に仕事が入ったため、日傘を忘れてしまったことを遅れて後悔する。
体を刺すような陽射しと、アスファルトから立ち上る熱気に意識が朦朧としてしまう。
毎年この日はすぐに家に帰って部屋から一歩も出ずに無気力になってしまうけれど、今日は自分の足で帰らなければいけない。
ぼーっとしながらも急いで信号を渡っている最中、遠くでクラクションが聞こえた気がした。
音のする方を見ると、すぐそこまで車が来ている。
景色がスローモーションのように流れ、けれど身体は言うことを聞かない。
――せめてもの救いは瞳を固く閉ざすことが出来たことでしょう。
「――っ!」
すぐ側で大きく叫ぶ男性の声が聞こえた次の瞬間。世界が三周ほど回転した。
◇
次に目を覚ましたのは病院のベッドの上だった。
気がついた看護師さんがすぐに先生を呼びに行き、連れ立って泣きそうな顔をした父が部屋に入ってくる。
「……お前まで失ったら、俺は」
普段真面目で滅多に動揺しない父が、私の手を握ったまま人目も気にせず号泣している姿に思わずもらい泣きをしてしまう。
「何があったか、覚えているか?」
目が覚めたばかりでまだ少し頭が回らないけれど、最後の瞬間だけは覚えていたので、父の目を見てゆっくり頷く。
事故の目撃者の話では、信号が青に変わる直前。私が歩き出した時には既に青に変わっていたらしい。
急ぎ気味に交差点に侵入した車両は、前方不注意もあってブレーキを踏めず、加速したまま私に突入した。
その一瞬で、高校生くらいの男の子が私を庇ったらしい。
おかげで私は軽傷だったようで、右足と腕を擦りむいた他には目立った外傷はなかった。
「大変……お礼を言わないと」
しかし、父は目を伏せて首を横に振る。
「残念だが、意識不明だそうだ。両足と右腕の骨折と、頭を強く打ったらしい」
聞けば事故直後までは意識があったらしいが、私の無事を確認したあと、意識を失ったらしい。
命の恩人に感謝も言えず、もどかしい気持ちが募る。
「彼の素性は?」
「ああ、既に調べてある。とにかく今は安心して休みなさい」
もやもやとしたものを抱え、眠るに眠れないと思っていた。けれど衝撃的な体験をした身体は休息を訴え続ける。
やがて気絶するように眠りについた。
◇
目が覚めてからの私はまず治療に専念した。それまでの私は特別他人に興味を持つことはなかったけれど、自分の身を犠牲にしてまで助けてくれた人がとても気になった。
早速父に彼の容態を問い詰めるように聞き出すと、どうやらひとつ年上の都内に通う高校生だということがわかった。
事故から一月ほどたったが、彼はいまだ意識が戻らないらしい。
インターネットで父から聞いた彼の名前を調べるとすぐに見つかった。父はプロのバスケットボールチームの監督、母はアパレル関係の主任職。五つ年の離れた兄はプロとして活躍中ということを知った。
中学の頃から注目されていて、将来有望。
けれど、不慮の事故で復帰は絶望的だ、といくつかの記事に書いてあった。
私が彼の未来を奪ってしまったという事実に直面して目の前が真っ暗になった。これは私の不注意が招いた罪。
――償いをしなければいけない。
◇
九月某日。
彼の意識が戻ったことを聞いた。
すぐに面会を求めたが、親族以外は面会謝絶と言われる。病院には彼のチームメイトらしき男の子が数人いたので、彼らも私と同じくお見舞いに来たのだろう。
けれど彼らは、私が原因でこうなってしまったことを知らない。
抱いてはいけないと分かってはいても、心の中には醜い優越感が溢れてくる。この時抱いた感情が、今の私を形作っていると思う。
――彼に会いたい。
彼はどうやら出席日数の不足、部活動への復帰が難しいことから留年、もしくは退学になるかもしれないらしい。
すぐに父に掛け合ったが、私が情報を掴むよりも早く既に動いていた。
父の母、私の祖母が理事を務める高校がある。孫の命の恩人ともあって転入の許可を取るのは容易だった。
彼のご両親には既に謝罪と謝意を伝えており、転入に関しても提案済みだと言っていた。
上手く行けば来年から同じ学校に通えるかもしれない。
「『一 徹』」
自室で一人、まだ会うことの叶わない彼の名を反芻する。
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