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ホルシュタインの聖杯

評価、ブクマ、御観想ありがとうございます。

楽しく拝見させていただいております(*- -)(*_ _)ペコリ

ちろちろと更新していきますのでお付き合いいただけば幸いです。

これにて聖杯は無事なくなりました編。


 ホルシュタインの聖杯




 アシュリーがいまだに爆笑が止まらぬなか、とりあえずヘアセットだけはしておこうと女官が何とか椅子に座らせていそいそと準備を始める。

 しかし、時折思い出したように「ふひっ」とこらえきれない様に吹き出し、笑い悶え続けるアシュリー。その様子を見て、ちっともショックを受けていない様子に安心しつつも、笑いやまぬ少女にだんだん呆れた視線が突き刺さる。

 アシュリーに切り刻まれた衣装を持ってきた女官は新人の女官で、衣装を取りに行くよう先輩に頼まれていた。そして、一番にその惨状を目の当たりにし、動転してその衣装を持ってきてしまったそうだ。アシュリーはその惨状を見ても現実に微塵もショックを受けていないようだからいいものの、これでメンタルが抉れて儀式に支障をきたすこととなったらどうするのだ、と別の女官からお説教を喰らっている。

 そして、衣装はいまだ見つかっていない。

 アシュリーは10歳であり、聖女候補の中でもかなり小さく華奢な方である。今から、他の衣装の長さを詰めて間に合うはずもない。

 上等で分厚い白絹のワンピースに、装飾品や金刺繍のはいったストールを巻けばだいぶ元の衣装に近いものになるが、間違いなく重い。そして、水中でさらに重くなることは間違いない。

 衣装を確認し、アシュリーの安全を取るか、予定通りに儀式を行うかとアレクシスやエイザムが難しい顔で頭を突き合わせていた。そして、ズタボロ衣装を見てアシュリーが発作のように笑いだすのを、片や白けた目で、片や困惑の目で見ていた。



「騎士見習いの洗礼衣も白いし、ズボンを巻きスカートに変えればなんとかなるか?

 まだあちらの方が生地も薄いし動きやすいだろう」


「アシュリー様は未婚の少女ですよ。もし衣装が透けたらそれこそ目も当てられないことになってしまいます」


「だが、あの儀式用の布地は特注品だ。今更用意は難しいぞ。現存するのを詰める時間ももはや残されていまい」


 古参の女官がこんな理不尽でアシュリーの評判が下がっては可哀想だ、と歯ぎしりしながら必死に考えている。

 あーでもないこーでもない、と必死に考えているが儀式衣装は基本白というのがネックとなっており、薄い衣装は張り付き防止でご法度だ。神聖な場にいかがわしさは要らない。


「分厚い絹でいいです。その辺の女の子よりはずっと体力には自信がありますので。露出狂や痴女扱い受けるなら無様に犬かき晒した方がましです」


 教皇聖下や枢機卿らにそんなイメージを持たれたら死ぬ。主に社会的に。

 アシュリーの年齢ならぎりぎりセーフかもしれないが、のちに禍根を残す可能性もある。何より、アシュリーとて自分の名誉は最低限守りたい。


「やむをえん・・・それでいくか。冬服の聖女の衣装ならば儀式の衣装と遜色もないだろう。不自然でない程度に生地が厚く、かつ布が少ないものを見繕ってこよう・・・・最近ではアシュリーほどの年齢などとんと少ないが、以前ならば多少いたはずだ」


「他の聖女候補や、聖女様たちの衣装に譲っていただけるものがあるかお伺いしてきます」


「できるか?」


「アシュリー様とメリグ様なら、間違いなく皆さんアシュリー様の味方をするはずです!」


 若い女官が握りこぶしを作り、顔を上げた。先ほどまで説教でしょげていたが、挽回のチャンスに意気込んでいる。

 そして、新人にそこまで断言されるメリグに脱帽だ。あんた凄いよ、ほんとに。見習いたくないけど――アシュリーは量産されるピンクドリルを横目に眺めながら思った。


「まさかここまで幼稚とはな・・・今度こそ席が飛ぶぞ、あの小娘」


 走り去る女官をちらりと眺めながら、ボロボロの衣装を拾い上げるアレクシス。

 席が飛ぶって、やっぱり聖女候補の席だろうか。

 見るからに平民には着る機会のなさそうな上等な衣装は、流石に高貴な方々の前に出るだけあって豪華絢爛ではないが、随所に精緻に施された刺繍や、細やかな縫製をしている。


「メリグ様がやったという証拠、掴んでるんですか?」


「小間使いの女官が今朝方泣きながら密告してきた。メリグを止めようとして、衣装棚に閉じ込められていたんだと。メリグが犯行をやらかし翌日起きるまで何もできなかったそうだ」


「ひゅうっ! 流石メリグ様! やることが悪辣ぅ!」


「楽しそうにするんじゃない、馬鹿者」


 茶化すアシュリーに、アレクシスが呆れた視線をよこす。

 少しくらいめげるかと思いきや、寧ろアシュリーは嬉々としている。そういえば、この少女は冒険者であり、ばりばり戦闘系である。教会の生活はそれなりに満喫していても、刺激が足りていなかったのかもしれない。

 相棒のメリーの散歩兼魔物退治は欠かさず毎日行い、少女が持つには小銭と言い難い稼ぎを叩きだしていると、もっぱらの評判だ。

 やはりこいつは聖女に不向きだ、と顔立ちこそはやたら可愛いが、中身が野猿だと理解しているアレクシスはため息をついた。

 この無駄に可憐な(強調すべきところ)容姿に、すでに騎士候補や巡礼や洗礼にきた貴族子息が数人では足らないレベルで騙されていることをアレクシスは知っている。

 外面はとてもいい。にこやかで朗らかで非常に愛らしい笑みを湛えて、教徒たちを迎え入れている。だが、奴が五月蝿い来客にめげていた女官の手助けをした後、お茶に誘い「そんなやつらしゃべる給金だと思っていればいいですよ。今日の給金はよくしゃべると思っていれば平気です! 人間と思うからいけないんですよ?」と、可憐な笑顔でどす黒い――それこそ罵声よりもたちの悪いセリフを吐いたことをアレクシスは知っている。

 幻想的なほどの美少女の凄まじくドライな発想に、何人の夢がぶち壊されたことか。そして、そこに居合わせなかった彼らが真実を知ったらいくつの初恋がぶち壊れることか。

 だが、一方で「確かに」と納得した自分もいる。クレーマーはどのご時世にもいるものだ。







 アシュリーの衣装は難なくそろった。

 むしろ、ここ一番のイベントといえる教皇自ら取り仕切る、ホルシュタインの聖杯の浄化の儀式にみな教会で待機していた。そして、日に日にヒステリーが増していきり立つメリグの声は、教会にいる騎士や女官や司祭らだけでなく聖女や聖女候補にも否応なしに届いていた。

 彼女らは、大なり小なりメリグに絡まれたことがある。新人に矛先が向いて、ついにやったかと思ったものが大半だった。

 まさか儀式の衣装に手を出すほど愚かだったとは思わなかったというものもいたが、起こってしまったことはしかたない。衣装を貸せそうな少女たちは、快く貸し出した。


「同情票がこれだけ集まっただけ儲けものですね」


「お前はもう少ししおらしい態度はとれないのか。どうしてそこまで不屈の精神なんだ」


 嫌いじゃないが、可愛げもない。

 アレクシスはアシュリーのことは気に入っているが、こうも屈強な精神であると聊かやりづらいこともある。弱みも隙も無いアシュリー。

 この状況に気が動転しておろおろ泣き叫ぶしかできない子供よりずっと扱いやすいが、ひとしきり爆笑してさっさと切り替える姿は上司としてフォローし甲斐がないものだ。

 胡乱な視線をよこされ、アシュリーは首を傾げた。


「アレクシス様、メリグ様に虐められて超傷ついたので美味しいご飯を奢って欲しいです」


「・・・今回の儀式が無事終わったら連れてってやる。何か希望はあるか?」


「肉。他人の金で食べる肉は格別です」


 きりっと潔いほど真顔でアシュリー・ゴーランドは言い切った。

 ド直球だ。

 教会の食事に不満をこぼしているところは見たことないが、やはり育ち盛りのアシュリーには少し物足りないようだ。

 くるくる巻かれたピンク頭をぽんぽんと叩き「メリー同伴は無理だからな」と釘は指しておいた。

 先ほどまで冷静というより、冷めきった目で事の成り行きを見ていたアシュリーは、目の前につるされたニンジン――ではなくタダ肉に意欲を見出している。かなり気分が上向いている。狡猾なのか単純なのかよくわからないが、こうやって上機嫌になっているあたりまだまだ子供らしい可愛げも残っているということだろう。

 アレクシスは何とか無事舞台が整い始めたことに安堵していた。


 儀式の会場に来るまでは。




 流石のアシュリーも絶句していた。アレクシスなど冷え凝った目をしている。エイザムは真っ青になり、卒倒しそうな顔である。

 アシュリーのいるべき場所に、なぜか先にメリグが陣取っていた。

 しかも、白い衣――儀式の御役目のような服装をしているのだ。ただ、アシュリーよりも全然派手でけたたましい程煌びやかな刺繍や飾りを纏っている。荘厳というより、滑稽だった。ドレープやフリルをふんだんにあしらい過ぎて着ぶくれして、厚く塗りたくった白粉と目の周囲を黒く縁取り瞼を真っ青に染めぬいたアイメイク、頬紅の強烈なコントラストが道化のようである。銀粉でもまぶしているのか髪の毛がてらてらと不自然に輝いている。

 アシュリーが「まぶしい」とぽつりとつぶやいた。同意しかない。


「あら、アシュリー・ゴーランド。何その粗末な衣装は? そんな服で聖下にお目見えするつもり? なぁんて無礼なのかしら! 流石田舎者! 身の程を知らないわねぇ!」


 あいさつ代わりの嫌味は、自分の優位性を感じてかいつにも増して露骨だった。

 アシュリーは「目がしぱしぱする」と眠たげな猫のように目を細めている。逆光になっているせいもあるが、やたら金銀錦と原色の差し色が白い衣装という色彩で全面戦争している。

 ここは儀式のすぐ近くの控室だ。

 こんな声高に叫んだら、間違いなく枢機卿、もちろん教皇にも聞こえている。


「メリグ・ビアッカ・・・なぜお前がいる?」


「アレクシス様! この不肖な後輩の尻拭いの為ですわ!」


「頼んでません」


 当たり前だろう、とアレクシスは同意する。メリグに頼むくらいなら、自分でやった方がましとすらアレクシスは思っている。

 男子禁制の水場だが、この聖女モドキを教皇の前に出し、あの神聖な水に入れるくらいなら自分が罰されたほうがましなほどである。


「貴女はすっこんでここで待ってればいいのよ! わたくしが聖下のお手伝いをいたします! この次期聖女! メリグ・ビアッカが!」



 アシュリーの目が死んでいる。心底関わりたくないという目だ。

 それでも止めなくてはならないアレクシスたちが近づこうとしたら、なにかがパチンと爆ぜた。痛みはないが、何か拒絶された、と確信がある。

 狼狽している間にメリグは高笑いとともにアレクシスの制止もエイザムの懇願も振り切った。



「すでにこの場所すら女神の領域か・・・っ」


「ああ、男嫌いの処女厨の水の女神」


「その表現は止めなさい」


「でもわたしは先に進めるようですね。こんな不謹慎発言にもかかわらず」


「行けるならメリグを追いかけなさい。あれではだめだ」


「・・・えーっ」


「えーっじゃない! この儀式が失敗したら、聖下にご迷惑がかかる。できる限りフォローしなさい」



 アシュリーはいやいやではあるが進んだ。そしてアシュリーのいるべき位置に堂々と陣取る人物に肩を落とし、当惑する周囲に首を振り「下っ端には無理でした」といわんばかりの意思表示をする。

 そして、メリグはそんなアシュリーを鼻で笑いながら、教皇の前に立つ。普通に不遜というか、不敬だ。教皇は穏やかな笑みをたたえたままだが、聖騎士や教皇の御付きたちがすぐさま気色ばむ。流石にまずいと思って、アシュリーは首根っこをひっつかんで自分が教えられていた定位置へ引きずる。

 その間、メリグは「この役目は渡さないわ!」「このアバズレ!」と散々罵られたが、物事には順序がある。暴れついでに髪をむしる勢いで引っ張られたし、引っかかれたが。しかし悲しいかな、ここまで独断専行しまくったのだから今更空気的にメリグを引きずり下ろせない。

 お偉い方の集まる儀式なんてその順序のオンパレードをさっそく乱したメリグに対する周囲の目線は当然冷え切っている。

 血のにじむ手の甲や頬っぺたを軽くこすり、痛みに少し顔を顰めたものの、アシュリーは努めてすました顔で脇に下がった。そして、周りの司祭たちに倣うように膝をついて、指を組み、聖教の頂点たる教皇ユーウェルツェーリへの恭順を示す。それでも、そばにアシュリーがいるのがよほど嫌なのか、メリグは狼ならぐるぐる唸っていそうな険しい顔立ちで睨みつけている。その間にも、進行は遅れている。


「メリグ様・・・お役目をやる気がおありなのでしたら、きちんと前を向いて聖下の御前に相応しい振る舞いをお願いいたします」


「い・・・云われなくても知ってるわよ!」


 だから声を下げろ! トーンだけでも下げろ!

 アシュリーは全力でメリグをどついて水の中に沈めたくなった。

 思わず腹の底から「しずかになるまでなぐりてぇ」とどすの利いた本音が漏れた。一瞬メリグが「ん?」という表情をしたが、すました顔で流した。なんだか隣の女騎士が一瞬揺れたが、気のせいということにしておく。

 その儀式の場は、清廉たる水の女神の御座すところというだけあって、白いタイル張りと、上から差し込む光が何とも荘厳だった。

 清らかに水をたたえる泉は、湧き水であり、女神の神体そのものともいわれている。

 ようやくメリグが定位置についたので、司会進行とばかりに重みのある壮年の声で始まりが告げられる。

 男子禁制だが、教皇は例外なのか、かなり水辺に寄っているのに平気そうな顔をしている。枢機卿らは一段下がった場所で待機している。

 教皇がたくさんの金の輪のついた錫杖を振ると、幾重にも重なった鈴のような和音を響かせる。錫杖から光の粒が柔らかに降り注ぎ、台座にあるホルシュタインの聖杯を覆う。暫く抵抗するように黒い靄のようなものを出していたが、数度さらに錫杖を振るうと、さらに強く降り注ぐ光にやがて沈黙した。


「では、この杯を聖炎へ」


 あれ、純金製だよな、重かったし。もったいねえ。

 アシュリーは澄ました他人顔をしつつ、勿体ない精神が疼いていた。

 たしか、手はず通りだと教皇に呼ばれた後、歩いて向かい深く一礼、跪いて聖杯を受け取る。そして炎目指して水の中へ行くはずだ。

 だが、ここでもメリグはやらかした。呼ばれる前に教皇聖下の前に、駄犬よろしく静止すら掛けられる時間すらない――要するに優雅さも気品も微塵もない早歩きでいつの間にか教皇へ肉薄していたのだ。メリグを呼ぼうと振り返ったユーウェルツェーリ聖下が一瞬身じろいだ――というより、近くに来過ぎていたメリグにのけぞりかけた。

 絶世の美少年といっていい白皙の美貌がほんのわずかにひきつったのは気のせいでないだろう。

 容赦なく叩きださないだけ、騎士たちをメリグにけしかけないだけ彼は心が広いようだ。もしくは、場を締めるのが苦手なのかもしれない。人徳者とは噂で聞くが、お優しいだけでは組織のトップは難しい。それが巨大な組織なら、なおさら。

 だが、この儀式を滞らせるわけにはいかないのか、何もなかったようにメリグのほうへ聖杯を向ける。それを見つめるメリグ。


・・・・・


・・・・・・・・


・・・・・・・・・・・・見惚れてんじゃねえええ!!!


 間近で見たユーウェルツェーリの美貌に、すっかりウットリしているメリグ。

 一礼せず、跪いてもいない。差し出した聖杯を受け取らず、陶酔の視線をまっすぐ向けている。

 神聖な場であるはずの空気があちこちでひびが入った。

 どこかで活火山のようなマグマ渦巻くマントルのような憤怒の気配や、気が抜けたような中だるみのような空気、そしてすべてを凍てつかせる極寒凍土がその場に混在した。

 アシュリーが視線を感じて、少し視線を動かすと――枢機卿の一人で、最も年を召しているだろう白髭の好々爺然とした人物が髭をしごきながらこちらを見ている。

 なんとかしろということか。

 空気の読める日本人の性か、社畜精神か。

 アシュリーは仕方なく足を踏み出して、メリグに近づいた。

 蛇蝎のごとく嫌うアシュリーが隣に来ているというのに、ユーウェルツェーリの神秘的ですらある端正な美貌にフォーリンラブ状態のメリグは気づかない。


「メリグ様」


 声をかけても身じろぎもしなければ、瞬きもせず教皇に見入っている。

 教会の中では主上もかくやと仰がれ、その御身を相見えることは僥倖とすら言われるユーウェルツェーリ・カイル・リヴィティエール。不躾に眺めていい相手ではない。


「メリグ様、一礼して膝をつき、聖杯をお受け取りください」


 動けや!!

 微塵も耳に入ってないのか、ちっとも再起動しない。

 舌打ちしたいが、視線が集まっている中そんなチンピラじみた態度も取れない。アシュリーは、自分の舌打ちがそれなり強く、切れたときの怒声は巻き舌気味なのを知っている。


「お役目果たせばアレクシス様がデートしてくださるそうですよ」


「え!?」


 ようやく反応し振り返ったメリグ。

 目を血走らせ「今なんて言った!?」とつかみかからんばかりだ。

 アシュリーはかなり白けた一瞥を向けたものの、そんなもの当然メリグには届かない。つくり笑顔を張り付け、余計な動きをしようとしたメリグを力ずくで押しとどめる。


「教皇聖下がお待ちです。一礼し、膝をついて、顔を上げずに聖杯をお受け取りください」


「えっ? あ!」


 そこで本来の役目――といってもお呼びでなかったはずなのに無理やり横入りしてきた――を思い出したのか、無遠慮に聖杯へ手を伸ばそうとするメリグ。基本的な順序すらも忘れているようだ。アシュリーが威圧気味に笑みを浮かべると「ひっ」と僅かに息をのんだ。


「礼、膝、受取」


 やれ!!!

 年下にやり込められたのがよほど悔しいのか、メリグはアシュリーを睨んだがそれよりも『憤怒』交じりに発動した『威圧』スキルが獰猛に唸りだんまりとなった。

 ようやく儀式が進んだと思いきや、もう一目ユーウェルツェーリを見たいとちらちら視線をよこすメリグ。その前に立ちはだかるアシュリー。スキルの強度を、メリグが卒倒せずいうことを聞かせるためにこまごま調整するのは少し骨が折れた――魔物相手であれば、基本強烈なのを常に全力全開で出すだけである。

 ようやく水辺までたどり着いたメリグは、嫌そうな顔をしながら足を水へつけて入っていった。数歩進んだところで、急にドボンと落ちた。


(・・・そういえば、途中から水深一気に変わったっけ)


 ゆえに、水泳できなければこのお役目が難しい。アシュリーがやる予定だったのは、それも理由の一つだ。もしだめでも、運動神経の良さげなアシュリーなら練習でなんとかなると踏んでもいたのだろう。

 大きな飛沫が上がったあと、水面に気泡がいくつも上がってくる。だが、メリグらしき頭は上がってこない。

 僅かな水音だけが響く中、アシュリーの後ろから小さく声が上がった。


「・・・・おぼれている?」


「そのようですね」


 やっぱりか、としかアシュリーの中には浮かばなかった。

 後ろでユーウェルツェーリが息をのんでいるが、当然だろう。

 そりゃそうだ。あんだけ装飾過多なうえ、布地たっぷりびらびらしたフリルレースをふんだんにあしらった衣装など錘でしかない。碌に泳げないだろう。


「助けなくては」


「聖下の仰せのままに」


 素早く膝をついて胸の前で指を組み、深く聖下に一礼する。

 あんなのほっとけばいいだろ、みたいな顔をしている女騎士もいたが、女神の領域で水死体が出来上がるのはよろしくないだろう。


「騎士様、あれを引きずりだすのにご協力を。わたしが水に入り捕まえます。ロープをお借りしても? 彼女を捕まえたら一気にこちらから引っ張りますので、そちらからも引っ張ってください」

 


「あ、ああ」


 狼狽気味に女騎士がアシュリーに返答する。事故を想定していたのか、すでにロープの用意はあった。

 こういったことは時間との勝負だ。メリグなんて死ねばいいのに、と思わなくもないが、水死体を引き上げなくてはいけないのは一緒だ。

 アシュリーは自身の余計な装飾は取り外し、水に飛び込む。

 透き通った水の中で、急激に水深が深くなったところでメリグがもがいていた。

 アシュリーが近づくと、凄まじい速さで抱き着いてきた。当然泳げないが、天の助けを離すものかとばかりにメリグは手も足も抱き込んで来ようとする。アシュリーが合図を送ろうとロープを手繰るのにも邪魔だったが、相手は気づいてくれたようで引っ張り上げる気配がした。

 アシュリーが顔を上げると、騎士たちがほっとした顔で手を伸ばして陸へと引きずり出してくれた。ついでにアシュリーに抱っこ状態で張り付いていたメリグを見つけ、顔を顰めていた。

 死に物狂いでしがみつく彼女は真っ青で意識もないのに、それこそ妄執のようにアシュリーから離れない。アシュリー単独で救助に向かったら、アシュリーも共倒れしていただろうというくらいがっちりしがみついていた。なんとかして引きはがしたものの真っ青な顔で床に突っ伏している。息をしているか不安だったので、アシュリーは逆さに持ち上げ、背中をバシンと一発叩くと、水を吐き出してむせ返り始めた。危機一髪である。

 メリグがしこたま噎せたあとは肩でゼイゼイ息をしながら、膝と肘を床につけた状態だった。悪趣味なほど豪勢にセットした髪はすっかり乱れ、装飾も取れている。


「メリグ様、聖杯は?」


「・・・あんったねええ! それよりもあたしのこと心配しなさいよ!!!」


 顔を上げたメリグは、控えめに云っても化け物だった。

 アシュリーの傍に居た女騎士たちが「ひぃ!」「化け物!」と女性らしい青い悲鳴を上げながら、アシュリーを抱きかかえて後退する程度には顔面崩壊だった。

 目一杯塗りたくられた白粉は水にドロドロに溶け、目の周囲を縁取っていた黒いアイラインと鮮やかな青のアイシャドウと混ざり悲惨な――完全にホラー仕様だった。おまけに真っ赤なチークと真っ赤な口紅も滲んで一部混ざり合い、何を食したのか疑いたくなる惨状を思い起こさせた。

 怒気を発していた騎士たちが狼狽して引いた。

 気のせいじゃなく、あの温和の権化といっていいような聖下すら体が半歩後退した。


「顔ふけ!! 騎士様だけでなく教皇聖下の御心に傷を残すおつもり?」


 自分に差し出されていたタオルをメリグの顔に投げつけるアシュリー。アシュリーの言葉を理解していないのに、言い返そうとしてメイク崩壊の末に身の毛もよだつ顔面仕様もほったらかしに睨みをいれてくるメリグ。アシュリーは無言で押さえつけ、悪趣味メイクをガシガシ拭った。メリグがわめいているが無視だ。

 漸く自由になればそんな周囲の反応をものともせず、きぃきぃとヒステリーを爆発させるメリグ。だが、アシュリーはそんな一銭の得にもならないメリグの罵声よりも気になることがあった。


「聖杯は?」


「聞いてるの!? 別に助けろなんていってないんだから! 勝手な事――」


「聖杯は?」


 畳にかけるように、冷徹なほど平坦な声でさらに問われれば、メリグはようやく周囲をきょろきょろと見まわした。


「知らないわ。水の中に落としたんじゃない?」


 あっけらかんというメリグ。様子とは裏腹に、周りの空気が凍り付いた。

 だめなやつだ、とアシュリーは悟った。そういえば、あの水は女神のご神体といわれるくらいのものだ。そんな中に浄化したとはいえ、曰く付きの聖杯を落としっぱなしは不味い。

 やらかした重大性を気づいていないメリグのお花畑過ぎる脳みそがある意味羨ましい。細く長いため息をついたアシュリー。


「わたし潜水苦手なので、何か重みになるものをいただけますか? 」


 あの急激に水深が変わる場所のさらに下に落ちていたら、それでも拾えない可能性がある。

 アシュリーの意図を悟ってくれたらしい周囲は、すぐに近くにあった金属製の戦斧を見繕ってくれた。壁に掛けられ、飾られていたものだ。それにしっかりとロープを固定しそれとは別にアシュリーも持つ。万一、戦斧を落としてしまっても、これで引き上げられる。

 アシュリーは水の中に再度入り、メリグがいた周囲で目を凝らす。

 すると、途中で何かに引っかかっているのか、水中で一つ違う輝きが反射していた。斧を持った状態でそこまで潜ると、ほんの小さなくぼみに運よく引っかかっていた。

 だんだんと息がつらくなってきた、とアシュリーは水面を見上げると、青い豊かな髪の女性がアシュリーを見下ろしていた。

 ゆらゆらと光を差し込ませながら青く輝く水面と、その青髪が絡み合う。だが溶け合うように光を乱反射させ、その美しさに目を奪われた。

 水面と同じ青の輝きを宿した瞳が、アシュリーの金の目を覗き込んでいる。透き通る白い肌に、青いルージュを刷いたような女性的な唇は悪戯っぽく微笑んでいた。


『すぐに取りに来てくれたの? 貴女はいい子ね』


 鼓膜よりも脳に響くような声。

 水中なのに喋れるのか、なんて疑問はなかった。

 アシュリーの間抜けに開いた口から、こぽ、と気泡が漏れる。そして、それを戻すように女神の唇がアシュリーのものと重なった。

 驚きのあまり、ごぼりと息を吐きだし咽かけたが――全く苦しくない。

 気が付けばあの青の美女も消えていた。

 とりあえず上に上がらなきゃ、と軽く足を動かすとぶわりと体が一気に上に行った。ジェット噴水でもされたような勢いだった。

 


 ――『女神の加護(水):EX』を手に入れた。

  それに伴い『水魔法:B』『水呼吸:A』『水泳:A』のスキルを取得します。



 ぴょこんと水中から顔を出したアシュリーは「とれました」と聖杯を掲げてみせると、周囲は安堵する。こくりと頷いたユーウェルツェーリが「炎へ」というと「仰せのままに」と返事をした。一礼したくとも、水の中からでは無理である。そのまますいすい泳いで聖炎側へ行く。

 汚物は消毒が一番だ。

 女神の領域にある炎は、不思議な青みを帯びた炎だ。

 一見火に見えるが、近づいても全く熱を感じない。髪も衣装も水が滴って止まらないが、炎の前で深く頭を垂れ、跪く。そして練習通りに一度聖杯を高く掲げた。


「清廉たる水の女神。どうか偉大なるお力添えを、寛大なる御心を賜りたく存じます」


 ゆらゆらと揺れる炎が一段と高くそびえ、輝いていた。

 アシュリーは「女神いたな、本当に」とその青い炎に先ほどの青い女性――多分女神だろう、と直感した存在を思い出す。初ちゅーを奪われたが、相手は神様で女性だとノーカンを主張する。

 ゆっくりと立ち上がり、炎の中にホルシュタインの聖杯を傾けて投げ入れた。

 音も無く、炎に飲まれた聖杯はあっけなく消失した。

 それを見届け、アシュリーは再度一礼し、跪いて「ご慈悲を有難く存じます」と深々と首を垂れる。相変わらず水が滴っている。女官が気合を入れて巻いた髪はすっかりほどけて、僅かに緩く波打うった名残を残すのみだ。

 疲労と濡れそぼったという二重の意味で重たい体だが何とか引きずり水の中にはいって、向こう岸まで泳いで渡る。

 最初からアシュリー自身でやればずっとこの流れはスムーズに済んだのだろうが、それ以上にメリグの自己主張と傲慢さが予想の遥か斜め上方向にかっ飛び過ぎてこの惨状。予定調和が崩れまくりでトラブル続出しまくりだったが、アシュリーを穏やかな笑みで出迎えるユーウェルツェーリはもしかしたら器がでかいのかもしれない。

 疲れ切っているが、努めて澄まし顔のままで跪いて首を垂れる。


「拝命の沙汰、教皇聖下に申し上げとうございます」


「発言を許します」


「ありがとう存じます。女神のお力にて、ホルシュタインの聖杯の消滅を確認いたしました」


「ご苦労様でした――これをもって、ホルシュタインの聖杯の封殺の儀を終了とします」


 封殺? 消滅とか、破棄じゃなく?

 ――『何を』殺した?

 アシュリーの中で引っかかった疑問が、ぐるぐるっと一気に駆け巡る。

 ホルシュタインの聖杯。未来に呼ばれるはずだった魔王。儀式を取り仕切る教皇、そしてできる限り呼ばれた枢機卿。たくさんの護衛の聖騎士たち――女性の聖騎士は少ないと聞いたのに、かなり数がそろっている。アシュリーが選ばれた理由。しつこく妨害に近い横やりを入れてきたメリグの沙汰を差し置いてまで強行された儀式。誰一人中止の声を上げなかった――上げるより、メリグの不敬より優先される重要視される何かがあったのだ。

 教皇の一声により、すでに場は僅かに安堵の雰囲気が漂っている。

 それを待っていたように、メリグは女性騎士たちに捕らえられ引きずられていった。

 だが、アシュリーは座り込んだまま、自分の中でつながった何かに対して凄まじい悪寒を感じていた。なんとなく、まだその時じゃないからとかっぱらってきたホルシュタインの聖杯。

 あの中に、すでに『魔王』はいた?

 注いだ瞬間穢れた聖水。それを守護していたのは陽の光すら動き回る吸血鬼――それも、かなり有名な一族だった。教会に『白コウモリ』と別名を持つほど。

 何か小さなきっかけで呼び出されるのを待つだけの触媒だったといってもいい程、完成されつつあったのか。

 幸い、アシュリーは強い光・聖属性を持ち合わせていた。だから、近づいても触れても精神干渉がなかった。それだけでなくアシュリーは少なくともポテンシャル的にはかなり高く、魅了系に対しての精神干渉に対しては強い耐性を持っている。

 ちゃぷんと揺れる水。その向こう岸には神の力により燃え盛る力がある。

 教皇しか、男性は場に近づくことすら許されない。だが教皇すら水に入ることは許さない気高い女神。

 今更ながらに、心臓がバクバクと音を立てている。

 その震える細い肩に、白い手が置かれた。はっと没頭していた思考から抜け出すアシュリー。驚いて顔を上げると、柔らかな輝きを宿す緑の瞳が見下ろしていた。


「アシュリー・ゴーランド、貴女も疲れたでしょう。今回の儀式が恙なく済んだのは、貴女の功労が大きい。その尽力に感謝します。貴女はゆっくり休みなさい」


 掛け値なしの労いだが、アシュリーはぎこちなく頷くことしかできなかった。

 教皇は厳重に守られていた。次に危ないのはアシュリーだったが、聖女見習いという微妙な身分の田舎娘にしては大役を仰せつかった。もし、この儀式が失敗して、あの杯が最後に大きな抵抗を見せたら――死ぬのはおそらくアシュリー、もしくは役目を奪い取ったメリグだろう。

 あの教皇はどこまで読んでいたのだろうか。枢機卿らもどこまで知っていた――最初から予定調和だったのだろうか。

 何事もなければよし、あったら田舎出の聖女見習いが真っ先に死ぬ。


(・・・・・・・・・疲れたわ)


 うん、疲れた。教皇様にも休んでいいって言われたし、心おきなく寝るとよう。

 予想外に何度も泳がされ、謎の女神っぽい女性に唇は奪われるし、脳みそに栄養と情報がいきわたらず偏っているメリグに朝からずっと会っていたせいで非常に疲れた。






宜しければ下から評価やご感想を頂けるととても嬉しいです(*- -)(*_ _)ペコリ

誤字等のご指摘もありましたらどうぞ。

順次直していきます。ただ、機能の使いこなしがいまいちなのでところにより反応が鈍いかもしれません。

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