従僕66
ミルフィー様の体を抱え直す。
膝裏と背中に腕を通して抱き上げる。
意識が飛んでいることをしっかりと確認してから、アレンとじゃれているお嬢様に声をかける。
「お嬢様」
「うん? なーに?」
少しばかり楽しそうなお嬢様と、既に疲れた表情のアレンが近づいてくる。
わずかばかり聞こえてきた内容から、アレンの回復した手の強度を確かめていたことは分かっている。痛いということは繋がっているということだと得意満面なお嬢様がアレンに説いていた。
気をつけろ。事あるごとに言ってくるから。
十年と物語をせがまれた経験者の談だ。
「あら? ミルフィー先輩?」
ようやく従僕がミルフィー様を抱え上げていることに気づいたお嬢様が、やや驚いている表情を浮かべる。
「倒れられました」
「そうね。倒れてるわ」
「……いや、これって落ち着いてられる状況なのか? その人も貴族なんじゃないのか?」
確認するように頷きあう主従にアレンが焦ったように声を上げる。
「……どうしたのかしら?」
「お腹を押さえて倒れられたようですので……」
いくぞ。
首を捻るお嬢様に気づかれないように、一度息を吐き出して、再び吸う。
「腹痛かと」
嘘じゃない。
こちらがヤバい時ばかりに妙に鋭いお嬢様だ。ここで嘘をつけばその野生もびっくりする勘で嗅ぎ付けてくるかもしれない。従僕に掴み掛かってきた片手も、抱え直した際に腹部へと当て直している。
眉間に残った皺と合わせて、どう見てもお腹が痛いポーズだ。
もしかしてこれが最も大きな罪かもしれない。
「ほんとだわ」
「なんだ? 何か変な食べ物にでも中ったか? ……いや、マズイだろ! 意識もないみたいだぞ?! 早く治療しないと!」
いいぞアレン。ナイスだ。
アレンの叫びに頷いて返し、お嬢様に目を向ける。
ミルフィー様を抱えたまま腰を降ろして片膝をつき、お嬢様の目線に合わせる。
理想的な流れだ。
「お嬢様。ミルフィー様に一早く治療を受けて貰うには、私めがこのまま抱えて学園に戻るのが近道かと存じます」
俺に『自由』な時間の。
「許可を」
成功を確信して頭を下げる。
これはイケる。
「うん、そうね。却下するわ」
……。
「……それ、ダメな方ですよ?」
「……いいわ。行ってきて、いいって言ったのよ? いい、の方の却下よ」
頭を下げた従僕に降ってきた言葉は予想外。ある意味で予想通りだ。この餓鬼……。
いい方の却下とか初めて言われたよ。
咄嗟にフォローを入れてくれたアレンに感謝だ。さすが英雄。やってくれる。
躓く予定にないところで躓きかけてしまった。
しかしそれもなんとかなった。
「ん」
そしてここからが本番だ。
両手を広げて自分も抱えるように意思表示するお嬢様を躱す必要がある。
さあ、今日の物語だ。
「お嬢様。ここは従僕だけで行く方が上策かと」
「なんで?」
「まず、出せる速さが違います」
「……でも」
お嬢様がアレンをチラリと見る。
以前アレンを教会へと運んだ時のことを言っているのだろう。一人二人抱えても大して速さは変わらなかった、と。
「おい、問答してる場合なのか? いいのか?」
視線を向けられたアレンは、ひたすらミルフィー様の心配をしているようだ。顔に浮かんだ汗がその焦りを表しているのか、お嬢様の手前、声を荒げることはないようだが、それも時間の問題に思えた。
ああ、いいぞ。流石はアレンだ。
アレンに急かされているように、押し出される勢いで言い訳を並べていく。
判断材料を深く吟味されないように。
「それに、お嬢様は一回目の実習も受けておりません。未だに獲物がゼロです」
まあ今回は近寄ってくる魔物や動物を、こっそりと威圧していた悪い従僕のせいなのですが。
「そうね」
コクコクと頷いている。だから何? と言わんばかりに不思議そうな表情だ。
「ここは魔術での狩りを続けて、しっかりとした成績を得ていた方が……」
「ミルフィー先輩の方が大事よ?」
ああ、そうだろう。そういう方だ。
だからこそ、この言い訳が効く。
「ミルフィー様の指導にも良績がつきます」
「……」
考えてる考えてる。
「幸いにして偶然にもアレンに出会いました。アレンは魔物を狩ることのエキスパート、冒険者です。いざというときは頼りになりますし、従僕めも信頼しております。前衛を任せて続けられるべきでしょう」
「おい、なら俺がその人を運んでいくか? その方が速いだろ? なあ!」
「お前は学園に入れないだろ? 門でもたつくぞ?」
「あ。……くっ!」
「お前にはお嬢様の護衛を頼みたい」
できれば、この先もずっと。
「ああ、わかった。いいから早く行くべきじゃないか? はた目にはわからないが、症状は進行してるかもしれん」
うん。気絶してるだけです。なんかごめん。
手を伸ばしてきたアレンに断りを入れると、悔しそうに手を握りしめたものだから。本当に人がいい。
おかげで偶然を強調したことにも意識を割かれなかった。
「ですので、私めが先に一人でミルフィー様を学園に送り届けるのが良いかと」
アレンに後押しされるようにお嬢様を説得する。
「……そうね。それがいいわよね……」
理屈では納得されたようだが、感情がそれに追い付いておらずボーっとした表情のお嬢様。もしくは難しくてわからないといった顔だろうか。
それか引っ掛かっていることがあるのか。
腕を組んでコテリと首を傾けている。
長居はマズい。
既に言質は貰っているが、念のため、ここを離れる旨を伝える一言を放つ。
「それでは行って参ります」
そして帰ってはこれないかもしれません。
だからなのか。
言葉と共に下げた頭を上げると、力むことなくお嬢様を正面から見つめ、笑えた。
それは自然と出てきた。
いつもの笑みとは別の、奴隷仲間に向けるような、意識して表情を作らずに済むような、気安く、自然で、柔らかく、皮肉げな笑みが。
「……うん」
……ああ、ヤバい。なんで。なんか。なんとなく。
してはいけない笑みだった気がする。頷かれたお嬢様がじっと見ている。なのに何故?
混乱を内に封じ込め、疑いをふり払うように立ち上がる。お嬢様の視線から逃れるようにアレンへと顔を向ける。
「すまん。後は頼んだ」
「ん? ああ分かった。早くいけ」
軽く請け負わせたのは、酷く重い荷物だというのに。
すまん。それで、ありがとう。
お嬢様が口を開く前に地を蹴った。
幹の太い木を蹴りつけて登り、枝のしなりを利用して次々と樹々を足場に跳びすさっていく。
お嬢様が視界から消える寸前。
こちらの動きを目で追えた筈はないのだが……じっと見つめてくる視線がかち合った気がしてならない。
今更ながらに吹き出してきた汗を飛び散らせながら、俺は約束された地点へと急いだ。




