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私の従僕   作者: トール
 第二章 従僕とお店を立て直す
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アレン13



 逃走は上手くいった。


「ハアッ! ハアッ!」


 と、思いたい。


 どのみちもう無理だ。動けない。


 剣の力を全開にして走った。フードを被りローブを巻き付けて腰に差した剣を逆手で握る、いつもの逃走スタイルだ。更に人目を避けて曲がり角なんかを多用した、


「最初にここに寄ったんだよ」


 もしかしたら置いていってしまうんじゃないか、という全力で。


 なのに汗一つ掻いてないってどういうことだよ?!


 ……まあ、今さらか。こいつのことで深く考えるのは損だ。頭が痛くなる。


 エヴァの宿屋に戻ってきて、裏口の近くで息を整えていた。勢いのまま駆け込んでも変に思われてしまうからだ。しかしこの男には必要がないようで……汗どころか息の一つも乱していない。


 ……そういえば、見たことないな? 息を切らしたり疲れて倒れたりするところを。……やめだやめだ。


 疑問に思ってどうする。どうせ損するだけだ。


 相変わらず、あの金髪のお嬢様の前以外ではボーっとした表情というか、気安い雰囲気というか、とても強い奴には見えない風貌だ。顔立ちの良さがそれに拍車をかけている。


 本当にこの……あれだ……奴隷の……。


 あれ、こいつの名ってなんだ?


「でもアレンはまだ帰ってないって言われてさ。とりあえずギルドの方へ歩いてたら、なんか凄い光が……どうした、アレン」


「……あ、ああ。なんだ。あれだ。一先ず中に入ろう……」


 ああ? 本当に思い出せない。なんだったか……。最初はジ? だよな。


 誤魔化して先を歩く。息はだいぶ落ち着いた。大通りを通って宿屋の正面に回ると、エヴァがシーツを回収していた。


 時刻は昼を回って夕方になりかけていた。最近は日が長くなってきたので、外はまだまだ明るい。気温も高くなった。恐らくは二回目の洗濯物の回収だろう。


「あ、ジューさん。アレンさんには会えたみたいね」


「ああ、まあ。本当、こりずにまたケンカしてて。驚いたな」


「あー……。まあ冒険者だし」


「……冒険者って、やっぱりそうなのか?」


 ……いや待て。確かにケンカは覚えてないぐらいしたことがあるが、最近は俺も落ち着いて……というか、あれは俺のせいじゃない。


 気安い会話を交わす近衛と看板娘を無視して宿に足を進めた。近衛の方は、どういうわけか大量のシーツが詰まった籠をエヴァの代わりに抱え上げて運び出した。


 ……あまりにも自然な動作だったので違和感を持たなかったが、エヴァの驚いた顔に気付き足を止めた。


 そうだ。


「いや、なんでお前が荷運びしてるんだ?」


「……え?」


「そ、そうだよジューさん! お客さんはそんなことしなくてもいいんだよ!」


「……え?」


 ああ、そうか。ナイスだエヴァ。こいつってジュウって言うのか。奴隷時代にまともな呼ばれ方をしてなかったから忘れていた。


 驚きつつもしかし構うことなく宿に入っていくジュウを追った。


 まあ、あれだ。何故そんなことをと訊いたものの、理由はなんとなく分かる。


 染みついてしまってるんだろう。


 なんせこいつは赤子の頃から奴隷という、珍しい人生を送っている。身分奴隷というやつだ。奴隷に落ちた奴が赤子を産んだり拾ったりなんてしないので、その境遇には些か驚いた記憶がある。本人がなんてことなさそうにしているから、同情はしづらいが。


 それも見目麗しい貴族のご令嬢に付いたことで報われたと思っている。なんせこいつの知り合いだからと教会で治療をしてくれるほど優しい方で、しかも危ないと知りつつも魔物の密輸を暴く為に同道してくれるほどに勇敢だ。


 本当に、恵まれたよな。


 そのことを前ほど妬んでいない自分に、ちょっと驚く。


「……なんか酷い勘違いの気配がする」


「なに言ってんだお前」


「こ、ここでいいよジューさん! ありがとう!」


 カウンターの横に籠を下ろしたジュウに、エヴァが後は大丈夫だからと手を振っている。


「ジューさんの用事は済んだの? アレンさんに用事があったんでしょ?」


「……ああ、そうだった」


 なんだ? こいつも用事とやらか。


 先程の用事より酷いことはないと思うが、思わず身構えてしまったのは状況が状況だからか。


 公爵家関係のあれこれ、つまり貴族間のいざこざが遂に来たか? と。


「なんだよ……用事って」


「……いや、なんというか……。教えを乞いたいというか、分からないことがあるので知りたいというか。悩み。悩み……かな? 近くに頼れる知り合いがアレンしかいなかったから……」


「……公爵家関連じゃないのか?」


「え? いや。俺のことだよ……私事だな、私事」


 ……ふうー。なんだそうか。


 つまり前に食事した時のようなものか。そのついでに愚痴を言いたいとか、そんなところか。……悩み、ねえ。こいつも悩んだりするんだな。


 大きく肩の力が抜けたのは、宿に着いたことと面倒事ではなさそうだと理解したからだ。


 なら食事しながら聞いてやるか。どうせしばらくは宿に籠るか、王都を出る依頼を受けるかといったところしかない。……まあギルドは下手をしたら張られているだろうから、宿に籠るの一択だが。


「じゃあエヴァ。俺の部屋に食事を頼む。豪勢な方で、エールもつけてくれ」


 今日も助けられたっちゃ助けられたしな。食いっぱぐれたこともある。偶の贅沢もいい……。


「ほいほーい。三人前ね、りょうかーい!」


「……おい」


「やだなあ、悩みとか聞く人間が多い方が絶対いいってえ! 知らない仲じゃないんだし、あたしも聞いたげるよ!」


「……奢らんからな」


 それとこれとは別だろう。


「ああ。じゃあ金を……」


「お前じゃない! 俺が出す!」


「わお、ありがっとう!」


「お前でもない!」


 なんだお前ら! 打ち合わせでもしてんのか?!


 この問答が面倒になって、ジュウが懐から布袋を取り出すのを制してポケットに入れていた銀貨をカウンターに置く。


 ……今日は些か出費し過ぎかもしれない。


 少しばかりの後悔が生まれたところで、自称美少女看板娘がサッと硬貨を奪っていった。まだ俺の指が掛かっていたにも拘わらず。


「はい、まいどありー」


 返ってきた硬貨は大銅貨二枚と銅貨五枚だった。飯は大銅貨二枚だろう。知ってる。エール一杯に銅貨五枚を取られたことより、自分も飲むつもりになっている看板娘に物申したい。


「……お前仕事」


「今日ーぉっは、こっれで、あがりだよぉー! おっかあさーん!」


 変な節をつけて踊りながら奥へと消えていくエヴァ。階段と反対方向にある食堂は、そこそこの賑わいを見せていたんだが……まあ、宿屋の従業員がいいと言っているんだから良いんだろうが……。


「おい! お前、鍵! おい!」


「そうだった、そうだった」


 上半身だけカウンターに覆い被さるように乗り越えて従業員専用スペースに叫ぶと、さっそく空のジョッキを三つ手にしているエヴァが戻ってきた。


「はい、アレンさんの部屋の鍵」


「……おい」


「じゃあ、直ぐに持ってくから、先に食べててもいいよ?」


「いや待て。お前大体まだ……おい、おいエヴァ! 先にって、お前が食事持ってこない限り食べるの無理だろうが!」


「仲いいな」


「前から思ってたが、お前の目は節穴だ」


 聞く耳持たずに再び奥へと消えていくエヴァに文句を叫んでいるのに、何を思ったのかジュウは納得するように頷いていた。


「……まあいい。こいよ、ジュウ。その悩みなのか愚痴なのかを聞いてやる」


「おお! 助かる」


 本当に困っていたのか、そこでようやく安堵の笑みを浮かべるジュウに少し浮き立つような気持ちが湧いてくる。


 俺なんかでも、こいつの悩みを聞いてやれるってことに。


 階段を上がって廊下を進み、長期間契約で借りている部屋の鍵を開ける。


 部屋に入ってローブと剣帯ごと外した剣をベッドに放る。部屋の真ん中にあるテーブルに付いている一脚だけある椅子を引いてジュウに促す。


「使え。俺はここでいい」


 返事を待たずにベッドに腰を降ろす。


 実際に椅子を使ったことは数える程度しかない。そのまま眠れるようにベッドに腰掛けて食事を取るのが普通になっていた。


 ちょっと信じられないが……どうやら俺は酒に弱いらしいのだ。


 いや、弱いじゃ語弊があるな。飲むと眠くなりやすい、だな。決して弱いわけではないな。うん。酒、好きだしな。


 椅子に腰掛けたジュウがこちらを見てくる。その表情は、確かに珍しく困っているような、苛立っているようなものだった。口を開こうとしては閉じ、閉じては開く。


 言い淀むというよりは、話を上手く纏められないといった雰囲気だ。


 ついには頬をテーブルにつけてグッタリしてしまった。


「……なんなんだ」


「いや、どう伝えればいいのかと……」


「そこからかよ。……まずあれだ。悩みなんだよな? 何をしてどう思ったとか、そこから話せ」


 解決できるかは分からないが。


「どう思った……のかが分からない……。どういう感情だ、これ?」


 知るか。


「……じゃあ、何をしてたとか、どういう状況だったとかを話せ。そっからこっちで推測してやる」


「ああ、それいいな。頼む」


 顔を上げたジュウが訥々と語り出した。





















「なんだそんなことかよ……」


「そんなことかよー! あっはっは!」


 途中で加わったエヴァと食卓を囲みながら、ジュウの話を聞いた。


 テーブルにはジョッキが三つ。既に飲み終えたエヴァのジョッキは空だが、俺のにはまだ半分、ジュウのには八割が残っている。取りやすいように中央には焼き立てのパンの入ったバスケットにジャム。酒のツマミなのか肉団子の刺さった串に、分厚いステーキ。少し塩辛い貝と野菜のサラダ。エビとジャガイモを揚げたものと、値段に見合った豪華な食事だ。


 ……少しばかり宿屋の娘が職権を振りかざしている気がしなくもないが。……なんだよ。やらんぞ。あっちの方が多いんだから向こうにいけ。


「……え?」


 ジュウが手にした串を頬張ることなく驚いた表情を見せている。こいつも元奴隷だ。食事の大切さは分かっているのか、しっかりと食っている。


 やや酒が回って陽気に絡んでくる看板娘を遠ざけ、俺はジュウに大丈夫だと伝えんばかりに大きく頷く。


「そんなの簡単だ」


「ねー? カンタンカンタン! あーん、だから一口」


「お前はムカついてんだよ」


「そうそう! くれないとかムカつ…………え?」


 バタバタを手を振り回していたエヴァの動きが止まる。ようやく諦めたらしい。


 ジュウの話の内容を要約すると、こうだ。


 知り合いの餓鬼が見ず知らずの餓鬼から水をひっ被せられたのを見て、なんかモヤモヤしたと。


 他の部分は聞き流した。そんなに大切じゃない気がしたし。


 固有名が出てこなかったのは、オブラートに包んだ発言をしていたんだろうが……でもな。お前の知り合いなんて奴隷に限定されるわけで。しかも公爵邸から出たことないお前の、外にいる知り合いなんて解放奴隷だろ?


 働いている場所が場所だから解放奴隷と知られるのはマズいよな。うんうん、わかるぞ。


 つまり働いている平民の中に、知り合いの元奴隷を見つけて、そいつが陰湿なイジメにあっているのを目撃したとか、そんなところだろ?


「……いや、あの、アレンさん?」


 酔っぱらい娘を無視して、俺はジュウに力強く頷く。


「間違いないな。その知り合いの餓鬼? 公爵邸にいただろ?」


「! あ、ああ。すごいな……アレン。わかったのか?」


 当然だ。


「お前が相手の名を伏せる理由もわかるぞ。だから俺は聞かない。その上で言わせて貰うが……お前は、ムカついてんだ」


「……ムカつく、か。それとはちょっと違う気もするんだけどな……」


 そう言って、どこか納得してない雰囲気で再び串に刺さった肉団子を頬張るジュウ。


 ああ、そうだろうそうだろう。お前、その知り合いの餓鬼はそんなに好きじゃないって言ってたもんな。


 だがお前は、仕事を奪おうとしたり飯を食い逃げたりした俺を助けるぐらいだからなあ……。


「んで、この件には構わないでって言われたことでモヤモヤが増したんだろ? そりゃ間違いないな。間違いなくムカついてんだよ。俺もよくある」


 なんだエヴァ。そんな目で見てもエールはやらんぞ。


「ムカついてるかぁ……。ムカついてるってさ……どっちにだ?」


 肉団子を食べ終えた串を振ってジュウが訊いてくる。


「そりゃ両方だろ」


 だからモヤモヤしてんだろ。


「……そうなのか?」


「そうに決まってる」


「……いや、あ、あのさー……」


「わかったよ、ほら」


 しつこく袖を引いてくるエヴァに残ったエールをくれてやった。フォークでエビを刺しながら続きを話す。


「まあ、気にいらない奴を他の奴がイジメてるんだからな。戸惑うのは分かる。でも少なくとも知り合いの餓鬼の方が付き合いが長いんだろ?」


「それは、まあ……」


「だったらそうさ。そいつが生意気なこと言ったのにムカついて、そいつをイジメてる奴にもムカついてんだよ。間違いない」


「だとしても……どうしたらいいんだ? その……スッキリするには」


 それこそ簡単だ。


「ぶちのめせ」


「…………いや、それは」


「なんでだよ? 簡単じゃねえか。いつもやってることだろ?」


 お前が奴隷同士のケンカを止める時とかやってただろ? 今日なんか特級の冒険者を……。


 思い悩むジュウにピンときた。


「あー! そうか、そうか……。お前あれだ。自分からケンカ売ったり買ったりしたことないんだな?」


「う。それは……確かに自分からはないな。大体、そういう相手じゃないだろ。いやそもそもケンカなんか売ったり買ったりしていいもんなのか?」


「そりゃいいさ」


「……いいのか?」


 いい。男たる者、気にいらない奴にはどっちが上か……。


 ああ、そうだ。


 酔いが回ってきたのか少し熱くなった頭に、名案が浮かぶ。


「なら決闘にすればいい」


「……そうか。やっぱり決闘になるか……」


 そう、そうだ。冒険者の決闘は命と体を張って、意地とどちらが強いかという考えを通すもんだ。ああ……このサラダってワインが掛かってんな? だからエヴァが酔ってんのか……度数高くないか?


 焦った様子でグイグイと腕を引っ張りだしたエヴァに肉団子串を手渡す。わあーってる。サラダもくれてやるって。


「……………………ん。よし。わかった。覚悟が決まった」


「それでこそ男だ!」


 ……うっ。底に残っていたワインを器を傾けて飲み干すと、喉が焼けた。しかし全身に電気が走るようで、いい。


 体が軽い気もしてくる。


「それでアレンに頼みたいことがあるんだが」


「なんでも言え」


 続く話はちょっとした依頼で大したことのないものだったので、早々に二つ返事で返した。その後でジュウは食事を残さず食べ終えて帰っていった。


「ね、ねえ。ジューさん行っちゃったよ?」


「ん? ああ……」


 そりゃ、来たら帰るだろう? お前、酔ってんな? ……ああ違う。そういうことね。


「わかってるわかってる」


「ほんとに? 絶対わかってないと思うんだけど……」


 わかってるわかってる。


 ジュウのいなくなった席をピッと指差す。


 そこには空の食器と、まだ半分ほど残っているエール。


 飲みたいんだろ?


「半分ずつな」


 返事はエヴァの手に残っていた串がした。



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