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私の従僕   作者: トール
 第二章 従僕とお店を立て直す
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アレン12



 いつもはうるさくてしょうがないギルドの酒場だというのに、今は妙な緊迫感のせいで静けさが勝っていた。


 聞こえてくるざわめきも、どこか遠慮しているような小さなもので、ハッキリと内容を捉えられない。誰もが余計なことをしてこの空気を弾けさせる一因になりたくないんだろう。


 唯一ハッキリと聞こえてくるのは、テーブルを同じにしてるパーティーメンバーの声だけだ。


「お茶、きませんねー?」


「この豚の煮付け、うめぇな。アレンは食わんのか?」


 頼むから黙れ。


 タタルクの呼び掛けには応えず、俺はクリスを見つめ続けた。


 何故か増したように感じとれる戦意に細くなった瞳孔。好戦的な笑みに威圧感。ピリピリとした空気。そこからは初対面なので友好を深めようなんて意図を、読み取れなかった。当たり前だ。


 というか、最近になって慣れてきた空気を感じる……。


 ケンカを売られている時のそれに近いような気が……。


 やめてくれ。冗談じゃない。


 向こうが何かアクションを起こす前に、こちらから声を掛けた。


「タタルクに用があるんじゃないのか?」


 さりげなく舵を戻す。別にパーティーメンバーを売っているわけじゃない。


 そう。違う。


 元々タタルクに用事がある様子だ。横道に逸れるのは良くない。俺は関係ない。そこが重要だ。


 なんでもない振りをしつつ、さりげなく目線でタタルクを示す。この後に及んで平静を装っているのは、単なる見栄だ。目の前の村娘のような冒険者が平然としているのに、これで自分だけ慌てふためくのもカッコがつかない。


 ……などと、もうどうしようもない程に己の一部と化している虚栄心で思っているから、逃げ出すタイミングを見逃すんだ。手にした銀貨が虚しい。


 内心どころか背中が既に汗でびっしょりなのだが、半眼で口を引き結び退屈そうな雰囲気を纏わせるという、どこぞの従僕を真似てみた。


 なんとなく、だ。


 こうすれば、困難を乗り越えられるイメージがあった。


 気だるげ……というより実際は状況に体が痺れて動かしにくいだけなのだが、俺は興味ありませんよ、といった雰囲気でこちらを視線で射抜いてくるクリスを見返す。


「……そう……だな。どのみち黒戦斧のパーティーメンバー。黒戦斧の下についているというのなら……あたしが勝てばその序列も理解できるだろうし。わざわざ別に戦うのも……」


 よっし! 勝った!


 左手で口元を隠して何かを考え始めたクリスに、心の中でガッツポーズをとる。


 よしよしよし! 俺は今日も平穏な日を送ったぞ! あとはタタルクと戦うなり話し合うなり勝手にしてくれ。そのどさくさに紛れて俺は宿に帰る。幸いにしてこいつらに俺の宿を教えてなかった事が活きた。一週間から一ヶ月は宿から出ないようにしよう。パーティーは、元々が解消する予定だったのだ。組むのも互いの都合がつく日としていたし。


 なんの問題もない。


「ちげぇぞ?」


 いや、違わない。


 沈黙を破ったのはタタルクだ。いや、元より黙っていなかったな。


 今すぐ黙れ。


 タタルクに用事があるのだからタタルクが答えを返すのは自然なんだが、その発言の内容からタイミングから、俺に有利なことではない気しかしない。


 もはや誤魔化しようがなくなった汗が頬を伝う。


 頼む……! 頼むから、余計なことは……。


「オレらはよ、アレンに誘われてパーティーを組んどる。だーから、アレンがパーティーリーダーをやっちょる。アレンが上だ。オレん下でなく。テメー、さっきから何を言っとる?」


 そりゃお前だ!


「そんなことはない」


 思わず口出ししたが、発言を無かったことにはできない。首を傾げてオカしな奴を見るような視線をタタルクがクリスに発している。これ以上の挑発とか勘弁しろよ!


 これから起こるトラブルをタタルクが請け負うというのなら、俺も文句を言わない……言わないが!


 嫌な予感がする。


 もう予感って言うのかわからないところまでキてる。


 内心でビクビクとしたまま、クリスの表情を窺う。


 肩口で切り揃えられた黒髪は前髪も長く、少しうつむき加減なクリスの瞳を隠している。左手が口元を覆ったままなので、表情は完璧に分からない。


 ただ。


 腰に差した左右の短剣。


 その右側の短剣の柄に、いつの間にかクリスの右手が掛かっていた。


 ソッと触れる程度の接触だ。握っているわけでも、ましてや鞘から抜いているわけでもない。


 それだけだ。


 なのに分かった。


 会話は終わってしまったのだと。


 ドクンドクンと心臓の音がうるさい。張り詰められた空気のせいか? 耳が痛い。瞬きもせずにクリスに注視しているが、その時が来ても俺は気付けないだろう。しかし視線を剥がすわけにもいかない。タタルクとラキは? モグモグという音がまだ聞こえるんだが? きっと幻聴だろう。ふざけんな。


 一瞬先か、数秒後か。


 そこらに転がっている冒険者の仲間入りをするのだ。いや、状態はもっと悪いかもしれない。二度と目覚めないとかだ。


 くそったれ。


 右のポケットに入れていた、手の内に収まる程の小さなボールをクリスに向かって投げる。同時に逆手で剣を握る。


 膠着を自分から破ることになるが、もう動けるタイミングはここしかないだろう。


 放物線を描いて飛ぶボールが、クリスの眼前で二つに分かれた。


 斬られたのだろうか? それすらよく分からない。


 まあ、でも。


 斬ってくれて、良かった。


 斬られたボールから爆発的に白い煙が吹き出すのと、俺が体勢低く床に身を投げ出すのは、ほぼ同時だった。瞬時に広がった煙は酒場どころかギルドの受付の方まで覆い尽くす。間違いなく罰則ものだ。


 俺の反応速度がボールを投げる前と後で違ったせいか、一撃目をやり過ごせた。犠牲になった椅子の背もたれが、一拍遅れて床に落ちる。二撃目が来なかったのは、床に転がる冒険者がいるせいか。だったらいいな、という賭けのような予想だったが当たってくれたらしい。


 そのまま出口を目指して走る。


 視界はゼロだが、どんな状況でも逃げられるルートを探しておくことが癖になっていたので、問題はない。しかも逃げ出すことが多い冒険者ギルドの中だ。地の利もある。


「――へえ。面白いじゃん」


 全く同意できない。


 獣人とは感性が違うんだろう。


 呟かれた声は遠く、最初の位置から動いていないみたいだ。


 テーブルの下や柱と壁の隙間をすり抜け、人ごみの頭を飛び越え、出口を目の前にした。


 幸いと誰にぶつかることもなかった。


 あとは通りに紛れていつものパターンでいける!


 ズパッ


 そんな音がして、思わず振り向いてしまったのは……心に余裕が生まれたからか。


 これだけ引き離せば問題ないと。いつもこれで撒いているのだから間違いないと。


 布を一太刀で裂いたような音だった。


 誰かが斬られたのか?


 振り向いても白い煙が蔓延しているのだから、何も見えない……筈だった。


 煙が斬られている。


 なんのことかと公爵家の繋ぎ役に訊かれることがあっても、そうとしか答えようがなかった。


 クリスを中心に、俺から見て左上が鋭角に切り取ったように、煙がなくなっていた。


 振りきられた、逆手に持った短剣と、聞こえてきた音から、そういう風に見えた。そうとしか見えなかった。


 それを裏付けるように。


 穴を埋めようと膨張した白い煙が切り取った部分を満たすよりも速く、クリスの短剣が連続して振られる。


 白い靄と青い靄を発する二対の短剣。その残光が幾重にもクリスの周りを回る。あっという間に白い煙が消し飛ばされた。もう残っている煙を探す方が難しい。影響は煙だけにあるらしく、延長線上にいた冒険者に斬られた気配はない。


「おっと。もうそんなところに……」


 げえ。


 呆気に取られていたせいか、棒立ちだったところに視線があった。違うんだ。未だにモグモグと口を動かす後ろの女にイラッときていただけで! 睨んでたのはお前じゃないんだ!


「くっ!」


 なんて聞いてやくれないんだろう?


 分かってる。


 だから無駄口を叩かずにギルドを飛び出した。


 大きく二歩ほど飛びすさって振り向いて左ポケットから取り出したボールを投擲する。大きさは先程投げた煙幕玉と同じ大きさのものだ。


「二度も――?!」


 タイミング良く出てきたクリスが、今度はボールを避けた。勢いよく投げつけられたボールが、今度は開きっぱなしのギルドの門に当たって――――弾ける。


 もう一つの太陽のように、弾けた玉は明る過ぎる光を生み出した。


 閃光玉だ。


 突然生まれた目を焼く光に、通りを行き交う人が悲鳴を上げる。ギルドの罰則じゃ収まらないかもしれない。


 当然だが、咄嗟に目を瞑った俺も、その程度じゃ完全に防ぎきれずに目を眩ませた。しかし足を止めていたら直ぐに捕まってしまう。通りじゃ人が多くてぶつかる。


 必然的に飛び込んだのは、いつか四人で逃げた道だった。


 ここなら人気も少なく、この先の道も分かる。


 背後から聞こえる騒ぎに追ってくる足音は聞こえない。幾つかの角を曲がり、視界が回復したので後ろを確かめたが、クリスの影はない。


「……ふう。どうやら撒いたみたいだな……」


 幾分足を緩めて、いつか来た行き止まりを背に腰を降ろす。


 荒く息を吐き出して呼吸を整える。


 ……念のため、この壁を越えて向こうに抜けておこう。宿は……最悪、他の所で泊まるとしよう。いらん出費だが仕方あるまい。しばらくギルドに顔を出せないが……指名手配になったりしないだろうな? いやいやいや、相手が短剣を抜いてたのは職員も見てるだろ。……見てるよな? そもそも俺が思う上級以上の冒険者同士の決闘ってこうじゃねえ。……それは俺が逃げたからか。待て待て。こんな強制的な戦闘を決闘って言わないだろ? 俺が昔に聞いた物語なんかでは、強い奴に英雄が腕試しを挑む……あれ? 違う違う。難癖つけてきた悪漢を英雄が蹴散らす……あれ? どうだったかな?


 そんな話だったかな?


 目をキラキラと輝かせて憧れていた英雄は……。


 立場が違うだけで、同じ話のような……。まるで勝った方が……。


 いやいや待て待て。落ち着け。今考えるようなことじゃない。とりあえず今は……。


「ふーん。機転は大したもんだな、『壁砕き』。ただ、まだまだ甘さが目立つ。それほど場数を踏んでないのか? まあ、若そうだもんな、お前」


「……あんた程じゃないさ」


 今は……生き残ることに集中しよう。


 不意に陰った頭上から、落ちてきた言葉に答えを返す。


 見上げれば逆さまの猫獣人。イタズラが上手くいった餓鬼のような顔だ。


 トンッ、と軽い足音を響かせて壁を蹴って飛ぶクリス。その高さは人外のそれだ。俺だったら無事で済まない高さ。人を抱えて飛んだバカがいたなあ……。


 勢いを殺すためか、一回転に捻りを加えて道の先に降り立つ。そこは分岐の前。逃がさない意思表示。


「身のこなしに反射速度。見誤ったよ。新人に毛の生えた程度か、ってさ。しかし見せた動きは中級冒険者ほどの格がある。それだけならタタルクを叩いたんだけど、興味が沸いた。あんたの『壁砕き』という二つ名にね。まあ、上手く騙されたことにもだけど。大したもんだよ、実際さ」


 構えはゆっくりと、短剣から発せられる靄が尾を引く。


「次は攻撃力なんかを見せて欲しいなあ~」


「……後悔するなよ?」


 がっかりするぞ?


 こちらもゆっくりと立ち上がり、左手から右手に持ち替えて剣を抜く。


「……大した余裕だね?」


 余裕? いいや時間稼ぎだ。


 剣を前に構えて、左手をポケットに突っ込む。これで少しでも警戒してくれれば……!


 因みにアイテムはもう無い。


 こちらの構えに何を思ったのか、不機嫌そうな表情になったクリスがクルクルと短剣を手の内で回す。それは明らかな油断であり、挑発だろう。


 しかしこちらにそれを突く手立てはない。


「あのさー、その動きならもう見たって。このままだと直ぐに終わるぞ? あたしとしても実力を見極めたいからさ……。何か奥の手があるんならさ、さっさと使ってくれない?」


「じゃあ、遠慮なく」


 俺の声音だ。


 しかし発したのは俺じゃない。


 突然として現れた、公爵令嬢の近衛が、そう答えた。


 ハッキリと見えたわけじゃない。


 しかし現れた近衛の踏み込まれた足からは地面に亀裂が入り、伸びきった手は掌底の形をとってクリスがいた場所を押していた。直後に聞こえた爆音と、入れ替わるように消えたクリスから、何が行われたかを悟った。


 助かったという気持ちと、なんで俺の声なんだよという文句と、言いたいことは色々とあったのだが……。


 直後に言葉を失ったので、聞くタイミングを逃した。


 土壁を突き抜けて、廃墟になっているあばら屋に突っ込んだクリスに、こいつが追い討ちを掛けたからだ。


 ジャッ、と細かい物がぶつかり合うような音を響かせて近衛が何かを取り出した。いいや分かってる。小石だ。


 広げた手の平には、やはり小石が乗っていて……。


 あばら屋に向けられている。


「ばっ! まっ」


 俺の制止は、続く轟音に掻き消された。


 チュイン、という金属が擦れ合うような音と土壁だか柱だかが崩れる音が連続で響く。右手の指が霞むような速度で打ち出された小石は、あばら屋を揺するだけに留まらず、直後に鈍い音を響かせて倒壊させるに至った。


 ……絶対死んだだろ、これ。


 小石が尽きたのか、反対のポケットを探り出した時点で走っていって腕を掴んだ。


「待て待て待て待て、待て!」


「ようアレン。相変わらずケンカばっかしてんだな」


 お前に言われたくはない!


 そもケンカの範疇に収まるのか? これ……。


 未だに粉塵を上げる廃墟()を見つめて辟易する。


 しかしそれも粉塵の向こうで動く気配がするまでだった。


 どいつもこいつも化け物どもめっ!


「逃げるぞ!」


「わかった」


 今の気持ちのままを吐き出して、俺たちはその場から逃げ去った。



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