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私の従僕   作者: トール
 第二章 従僕とお店を立て直す
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従僕56



 血の染みのついたテーブルで翻訳を終わらせた。伯爵様の血なのかはわからない。


 なんせ古い血液だ。固まっている。


 三人から二人になってしまった研究室で黙々と翻訳した。誤解してはいけない。伯爵様は逃げ……いや出掛けられた。残ったアーロ様を刺激しないようにと職務に勤しんだ。いつから従僕の仕事は近衛でなくなったのか。


 翻訳の最中にアーロ様はひっきりなしに質問された。なにせ膨大な量の紙束の翻訳が残っている。話を聞く限りでは大層なお金が掛かっているというから。従僕の横で見よう見まねで翻訳されていた。


 しかし蔵書と言われる本が、本というより冊子という厚さであったために従僕の翻訳は直ぐに終わってしまった。質問の態で何とか翻訳を進めていたアーロ様のガッカリ感は大きかった。ブツブツと伯爵様への恨み言が漏れていた。


 伯爵様……もしや帰ってこれないかもしれないな。


 アーロ様がお茶を入れてくださり、ようやく件の貴族様の話が聞けることとなった。お茶の葉がそのまま浮いている。斬新な入れ方だ。


 お店の撤退を求めているのは、帝国の貴族。位は伯爵か侯爵。


 元々シュッシュの客層は薄かったそうだが、シュッシュをこの街に呼んだのが大物の貴族様だったらしく学園の理事会にも影響力があったために営業不振でも外す訳にもいかなかったそうだ。


 そしてそういうお店はもれなく『奇人街』へと回されるのだとか。思わず周りを見渡したいという衝動に刈られた。グッと我慢したのは碌なことにならないと知っていたからだ。


 その大物の貴族様が卒業した後でも、影響力というのは残っている物なのか、単に『奇人街』に放り込んだから別にいいと思っているからなのか、シュッシュは存続した。


 まあ下手に触れて藪からお嬢様……じゃなかった。藪から蛇を出すこともないと考えたんだろうな。


 わかる。


 だからこそ強引に撤退を求める他の大物貴族様にも逆らえないという訳か。しかも無い方が都合が良さそうだもんな、あのお店。


 しかしその貴族はシュッシュだけではなく、この『奇人街』の一帯にも圧力を掛けているそうで……。


 それは素直に凄いと思う。


 なんだかんだでこの街にお店を構えるということは、貴族様の後ろ楯や関係(コネ)を持っているということで……貴族様そのものがやっている研究室なんかもあるわけで。そこに一石を投じるのはキラービーの巣に石を投げるようなものじゃないか?


 余程の大物か余程の自信家か。あるいは余程のお嬢様ぐらいだろう。


 なんでそうまでしてシュッシュの撤退を求めるんだろうか?


 この疑問にもアーロ様は答えてくれた。


「……単純に土地、です……。区画も整理されて……お店は飽和状態に近いですから……。新しく入れたいなら、新しく潰すしか……。……もしくは……貴族様の間では……土地は、一種のステータスになるので……サロンを建てて会合したり、とか?」


 なるほど。単純に自分の持つ影響力を内外にアピール出来るというわけか。


 もしかするとシュッシュも元はそういう使われ方をしていたのかもしれない。相手の正統性が高くてうちのお嬢様がワガママにしか見えない。


「そのままシュッシュの後ろ楯につけばいいのでは?」


「……忌避感が、あるとか……」


 凄い納得できる。お嬢様、お手上げです。


 シュッシュをトライデントに呼んだという大物貴族様は文句を言わないんだろうか?


「……そもそも自分が学生の間だけ、存続してれば満足だったとか……」


 貴族様かよ。


 ……しかし大体は分かったな。調べたのかどうかは分からないが、貴族様の影響力を失ったお店があったから撤退を求めている。目的はシュッシュの土地そのもので、所持しているだけで貴族としての格をアピールできる代物だと。『奇人街』そのものに圧力を掛けているのは……まあ、近くに変な集団がいたら嫌だろうしな。


 貴族様は奴隷に彷徨くなと命令されるのが常だ。お嬢様除く。


 手順を踏んだ貴族様間の争いなんじゃないだろうか……これ。横紙破りはどちらかと言えば、いやどちらかどころかお嬢様だろう。知ってる。


 そう、知ってるのだ。そんなこと。


 それでもお嬢様がやれと言うならやるしかない。


 なので。


「あの……アーロ様。先程から伏せられているのですが……帝国の貴族様の名の方はなんなのでしょう?」


 伯爵か侯爵って。曖昧だな。


 そこが重要だよ。なんせ交渉する相手なのだから。更に調べるにしろ何にしろ名を知っておかなければ。


「……あう」


 ほう?


 困ったとばかりに寄せられた眉に逸らされる目。ピンときた。おっまえ……まさか?


「あ、か……顔! 顔、知ってます……。あの、他は……興味なくて」


 いや……仮にも自分に関係してくる貴族様の名ですよ? 少しぐらい覚えておいても……。ああ、そういえば旦那様の名とか知らないな。うん。仕方ないですね許してあげましょう。


「……い、今いる所も! ……大体、わかる、ます。大丈夫、です。いきましょう」


 しかし従僕の一瞬の落胆を読み取ったのかアーロ様が勢い込んでグイグイと袖を掴んで引っ張ってくる。いや、単に勢いで誤魔化そうとしてないかなぁ。


 お嬢様を丸め込みたい従僕がダブって見えるもの。


 大抵は失敗に終わるが。


 まあ、せめて顔を知っておくのは悪くないと、アーロ様に引かれるままに研究室を出た。






















 やってきたのは『成人通り』だ。


 もう既に日も落ちた。時刻は夜へと移行しつつある。等間隔に置かれた魔灯に明かりが灯り、今からの時間を楽しもうとされる学生様方が馬車を走らせている。ここには文字通り成人を対象としたお店が軒を連ねている。


 学園に住む成人とは、まず魔術講師の方々に下働きの平民や参入しているお店の店員などが上げられる。


 しかし、学生も四年になると全ての方が齢十五を越えられる。ここにはそういった学生の方もいる。


 というかそちらの学生の方々がメインだろう。


 整然と並ぶお店の一つ一つが、王都でアレンと一緒に入った食事処なんて目じゃない敷居の高さを感じる。


 気軽に入れない雰囲気というか、お貴族様専用というか。


「あ、あれです。多分……この時間は、あそこに居ます……」


 ついてくるままに任せてついてきてしまったが、この区画に平民は入ってもいいのだろうか? 移動は馬車がメインの方ばかりで歩いているのが他にいないんですけど?


 非常に目立つ。


 しかしアーロ様は普段通りにオドオドしながらもピッと一つのお店を指差す。そこに躊躇はない。


 指されたお店には、門衛なのか完全装備の兵士が扉の左右に立っているというのに……。


 もしかしてどこぞのお嬢様ですか? アーロ様。訊き辛かったので女性かどうか聞けなかったけど。可能性は高く感じる。


 幸いなことに門衛はこちらに注意を払わなかった。これで後はその貴族様が出てくるのを待ってアーロ様!


 従僕が馬車を避けている間に、ヒョコヒョコとお店へ近づくアーロ様。通り過ぎた馬車の向こう側、通りをいつの間にか渡っていた。それはもう門衛との接触を防ぎきれない距離だ。


 咄嗟に視線を反らし、まるでいずれくる馬車から主をお迎えしようとする従僕を演じた。その微笑みに反して汗が伝う。


 しかし予想通り門衛に止められたアーロ様がこちらを指差して何かを喋っているのが横目に見えた。


 やっぱりあの前髪を全部引っこ抜いておくべきだった。



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