従僕55
「さて。改めて自己紹介をしようじゃないか。平組員! お茶を」
「……平も何もボクと先輩しかいないじゃないですか」
「ふむ。確かに。ではこうしよう! 今日から君を副主任として任命するということで手を打とうではないか!」
「お断りします」
「ふははははははははは!」
「あ、お取り込み中のようなので私は失礼しますね」
これは絶対ヤバい。奴隷時代に培った勘が言っている。
お嬢様臭いぞと。
だってほら。扉のノブが回らないじゃないか。よく見ると内側からも鍵が掛かるように鍵穴がセットされている。納得だ。いや出来ない。絶対におかしい。こいつらおかしい。
会話の間にも光球が興奮したようにブンブンと飛び回り、よく聞くと前髪は小さな声でシネシネシネシネと言っているのだから。テーブルの上から降りてこないし。
全力で回しているのにピクリともしない扉も不可解だ。本当に木製ですか? もう壊してしまえとかなり力を込めているのだが。何故かバキバキという音だけは聞こえてくるのに。
後ろから。
「……開きませんよ?」
いつの間にかコールズマン伯爵と呼ばれた緑髪を取り押さえる……というか滅多打ちにする為にテーブルの上に上がっていたアーロ様が言った。
返り血が頬について握り拳を振り上げたままの姿勢で首を傾げるアーロ様。テーブルの端から首を垂らし逆さまになった顔が腫れ上がっている伯爵。
お嬢様に話すホラーの題材にしよう。
もう第一印象とはなんなのかと疑問を覚えるしかないアーロ様の奇行に、そういえば自己紹介の時に関わるなと言っていたなと思い出す。まさか忠告だったとは。
認めよう。油断があった。ここは『奇人街』なのに……。
「うむ。そのとぉおおおおりっ! 扉には魔術が掛かっていて開かない! それはエルダートレント製でな。削って持ち帰らないでくれたまえよ君ぃ! ふははははは!」
いつの間にかアーロ様の拘束から抜け出した伯爵が、いつの間にか椅子に足を組んで座り、いつの間にかティーカップを持っていた。顔の腫れすら残っていない。
従僕の目を持ってしても捉えられない動きだった。
ティーカップの受け皿を膝の上に乗せて絶妙なバランスを取りながら、わざわざ椅子をカターン……カターンと傾けている。
ティーカップを小指を立てて持ち上げながら匂いを嗅ぐ伯爵に舌打ちするアーロ様。そこに驚愕が見られないのは慣れているからか。
伯爵が、何故かティーカップを持った方の手で再びズビシッと指を突き付けてきた。ティーカップの中は空だ。まだ一口も飲んでないだろ。湯気はなんだったんだ。
「この、けんっっっきゅううううしつはっ! 見た目とは裏腹な素材で出来ているため! 例え津波が押し寄せてこようとも耐えられるのだよ! 王都が墜ち、学園が墜ちようとも残るほどであるからして!」
迷惑だな。
「どうも私めには過分な領域のようで」
「なに。遠慮することはない」
いやー、本当に勘弁してください。
海に面さないこの国で津波とか……。昨今の出来事で従僕が記憶しているのは一つしかない。今の動きといい建物といい、最警戒の人物だ。
『奇人街』はお嬢様が面白がるだけあって油断ならないようだ。
ニヤニヤと笑う緑髪。従僕としてお嬢様の教育に悪そうだから会わせないようにしようと誓う。ベレッタさんと従僕の苦しみを増やさないで欲しい。
これ以上、従僕の首に刃が食い込むような出来事はノーだ。
笑顔で略式の挨拶を交わす伯爵様と従僕をよそに、アーロ様は持ち前の積極性で奥にある棚から紙束を取り出している。俺の中の平民感をこれ以上壊さないで欲しい。ああ、無性にエヴァの慌てふためく姿が恋しいよ。
「……これと、これ…………あと、これ……それとこれ……ついで……に」
「アーロ様」
前髪引っこ抜きますよ。
「……? 翻訳……約束……」
「いえ、些か量が……」
おかしくないか? 伯爵様が退いたテーブルの上には、どこにそれだけあったのかという程の量の紙束が積まれていく。適当に一枚を拾い上げて読むと、いつだか紛れ込ませていた紙のように思える。
全部こっちに持ってきたのか?
こちらにある蔵書は文字通り本で、しかも聞く限りでは二、三冊という話だった筈。
アーロ様にチラリと視線を向ければ、その髪に隠して目が合わないようにするというのだから。
そのオドオドした態度も演技なんではないかと思う。吟遊詩人のアーレも言ってたな。上手く演技したいのなら本当だと思い込ませることだと。
しかし証拠がない。差し出された鞭は頭を垂れて受け入れるのが奴隷だ。
仕方ないかと思ったところで、
「んん? 神期言語の翻訳を頼んだのかね? ほほう! その齢で解読に成功しているとは大したものだ! ふははははは! いやてっきり新規の組員になりたいのかと思っていたよ! そう、私の魅力に惹かれたのかとばかり……いや失敬。ははあ、それで最近急に翻訳が曖昧な神期言語の写しを買い漁っていたのだね? 素晴らしい! しかし我が団体の予算はお蔭様で空になったがね!」
伯爵様がナイスアシストをしてくれた。
「……あ」
これにはアーロ様も青い顔だ。思わず従僕を見てくるではないか。
なのでこれ以上ない程の笑顔で出迎えた。
「確かお約束は……ああ、思い出しました。立ち上げ当初から研究室に置いてある神期言語を翻訳して欲しい、でしたね?」
「んんん! 成る程! つまりそれらを元に自分で翻訳をするということかい? 素晴らしい知的探究心だ! やや量は多いがね。ふはは……アンネ氏。何故そこで杖を握るのだね? 疑問だ」
酷くガックリときたアーロ様が、壁際に置かれていた自分の杖をお取りになったので、従僕めは扉の近くまで下がった。
相変わらず禍々しい杖だが、今のアーロ様にはよくお似合い…………。
うん? 聞き間違いか?
もし魔術を使うのならば翻訳する約束の本も片付いて便利だなぁ、と考えていたので今一自信が持てない。
今の伯爵様の発言に。
当の伯爵様は余裕の笑みを浮かべながら、青い顔でカタカタと震えている。どうやら痛いものは痛いらしい。アーロ様の空気を裂く素振り音も影響しているのかもしれない。杖の使い方って色々あるんだなぁ。確かに振ってるけど。
お嬢様が「わたしも杖を振ってみたいわ」とか言い出さないよう願うばかりだ。
酷く鈍い音が響いて。
顔かぁ、なんて思ってしまう従僕がいた。
お仕置きをする平民と、お仕置きされる貴族様もいるというのだから、聞いていた外の世界とはちょっと違うようだ。
やはり何事も見聞きすることが大事というのは本当なんだろう。




