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私の従僕   作者: トール
 第二章 従僕とお店を立て直す
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従僕53



 案外悪くないな、なんて思ったり。


 授業中ということもあって、アーロ様の研究室は静かだった。ただ翻訳しなければいけない紙束の量が増えていたことに言及してもいいだろうか……いけないんだろうな、やっぱり。


 交換条件……というかこの条件、俺が神期言語の翻訳が出来るなんて知られなければ出されなかった条件なんじゃないかと……。


 タダで教えてくれたんじゃないかと……今になって思う。


 余計な事をしたと。


 それでも、こう、静かな空間でカリカリと翻訳をしていると不思議と心が落ち着いていく気がする。


 月明かりの下でジュレールを起こさないように何度も指で床をなぞったな……。


 そんな記憶と普段にない静けさを感じて。


 悪くないな、と。


 作業そのものは単純で大変でもない。なんで前回はあんなにも面倒だったのかと考えた時、ここにいた人物に思い当たる。ああ、そうか。面倒だったのは仕事じゃなく人か。思えば奴隷仕事も一人でやれる仕事を好んでいた。


 そういう仕事の方が好きなのかもしれない。


 ふと解放されていった奴隷仲間を思い出す。彼ら彼女らは、解放が近づくと鬱陶しくも俺に聞いてきた。


『将来はどうなりたいのか?』


 狩りが出来るようになりたいと答えた。食卓に肉を提供するために。


 しかし想像の中で行う狩りは、いつも一人だった。


 一人になりたいのだろうか?


 ……よくわからない。


 人が嫌い……なんだろうか? 考えたこともない疑問だ。


 俺にとっての人というのは周りにいる同じ奴隷で、嫌いな奴なんていなかった。皆好きだった。


 それでもお嬢様に引っ張られて平民になって、平民に貴族様にと()()()()に会う機会が増えた。


 奴隷より上位の方々に。


 しかし本当に大切に思えるのは……自分に色んな事を教えてくれた奴隷仲間だけだというのは、割と早い内から気付いていた。薄情なんだろうなとボンヤリと思っていた。


 上位だなんだと思っていても、知識としてあっても、いざというときに俺は奴隷仲間を選ぶと思う。


 でもエヴァはお嬢様を背にして立っていた。アレンは見知らぬ誰かの為に手を切り落とした。


 …………やはり理解できない。


 うーむ。何だろうか。非常にマズい気がするのだが……。それがなんなのかわからない。前にもあったな。段々と近付いて来ているような……。将来か? 奴隷じゃない者か? 自分か? 何を気にしているのだろう。


 そしてマズいと思っている筈なのに、なんでこの時間を悪くないって考えているんだろう。


 ……今までこういう時にはどうしていたか――――ああ。


 掴み掛けた答えを手繰り寄せる前に、扉が荒々しく開いた。


 やましいことなどないのだがビクリとしてしまった。いかんいかん、お嬢様が近くにいないので気を抜いていたのか? 近付いてくる気配に気付かないなんて……。


 振り替えるとアーロ様が息も荒く目を血走らせて立っていた。確か一限と二限の間の短い準備時間の筈なんだが? 走ってきたん……ですよね。息切れてるし。


 しかし戻ることを考えると遅刻だろう。


「はあ……はあ……す、はあごい……はあ」


 にじりにじりとテーブルに近付いて翻訳済みの紙束を掴み、引ったくるように床に屈み込んだまま目を通すアーロ様。授業はちゃんと受けるようにと言っておいたのだが、まさか短い準備時間の間に走ってくるとは。


 水差しからコップに水を注いでアーロ様に差し出す。


 視線は紙に固定したまま一息に飲み干すアーロ様。


「すごい! 本当にすごいですよ! この『光』と『ライト』なんて全く別の文字なのに同じ意味なんですか?! ああ、疑っているわけじゃなくてですね。確かに文面から見るに……! そうか! だったら――」


「アーロ様」


「はい!」


「残念ながらお時間です」


「……………………………………え?」


 はい、帰ろうね。授業始まるから。


 チラッと時計を見てこちらが何が言いたいのかを悟ったアーロ様は、途端に今までの勢いを失いモジモジとし出す。


「……あ、ボク、その…………気分が……だから二限目は……」


「なんと。それは大変です。今すぐ治療室までお運びしましょう。その間は翻訳の手が止まってしまいますが……仕方ありません。緊急事態というやつです」


「気分が良いので全然出ます、二限目。だから大丈夫です。翻訳、続けてください」


 そうだね。気分が悪いとは言ってないし、出ないとも言ってなかったもんね。ズルい。


 どことなく金髪悪魔と同じ匂いがするなぁ、前髪。なんかだいぶ分かってきたよ。


「……あの、終わったの、持ってっても?」


「……」


 それに否と言える立場にはないけど……。間違いなくクラスで発症してしまうだろう。そしたらどうだ。目を輝かせて獲物を狙う悪魔が見えるじゃないか。


 きっと金髪碧眼の。


 なのでここは正攻法で攻めさせて貰おう。


「授業で使われるので?」


「はい」


 即答かよ。


 しかしそんな筈はない。次は算術の授業でしょう。せめて歴史ならともかく。


 ここで交わされた交換条件に於ける約束事が活きてくる。


 条件の履行が終わるまでは『虚偽無しで』というもの。


 思い出して貰う為に、少し強めに言葉にする。


()()ですか?」


 ハッとされるアーロ様。


「……え、それ……それは……そんな……これ、も?」


 お嬢様と関わっていて良かったなと思えるのは色んな対応を学べるようになることです。そして悪かったなと思えるのはそれらを含めた全てです。


「アーロ様」


「………………広義的な意味では必要と言えなくもないですから嘘じゃないんです本当なんですでも次の授業でその範囲に届くかは疑問に思えるので必要かどうかで問われるとまた違った答えになることは否定できなくもないというかボクにとっては間違いなく必要なので嘘はついてなくて反射的に出た本音だから虚偽とは言えない気も」


 なげぇ。


「使わないということですね?」


「…………はい」


 項垂れるアーロ様を見ていると俺が悪いことしたように感じてしまう。


 話は終わりとばかりに翻訳済みの所にアーロ様が掴んでいた紙を積む。


 澄んだ鐘の音が聞こえてきた。どうやら二限が始まるようだ。


 せめてもの抵抗とばかりにゆっくりと部屋を出ていこうとするアーロ様に思い出したように声を掛ける。


「翻訳するのはここにあるので全部ですよね?」


 増えたりしないよね?


 俺の問い掛けにアーロ様はビクリと背中を震わせる。やはり量は増えていたようだ。


「……モモモモチロン、です……」


 しかしこちらに視線を合わせることなく、今度は足早に出ていくアーロ様。


 これに溜め息を吐き出して、今後の翻訳の量が増えないように紙束に一通り目を通しておこうと思った。



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