アレン9
いつもの草原が使えなかった。
この好景気であっても決して実入りがいいとは言えない草原なのだが、今日は初心者っぽいパーティーが陣取っていた。
パーティーとなると本当に旨味がなくなる場所なんだが……安全さを取ったんだろうか。
寝坊が尾を引いてしまった。
こうなると取れる選択肢は二つ。
帰るか、森に行くか、だ。
森ともなると、当然ながら危険度が増すことに違いない。森にはグレイハウンド、オーク、ロープスネーク、ブラッディベアーなんかがゴブリンに加えて出てくる。
単一種が支配している森もあるが、この森は追い立てられた魔物が混ざっているためその心配はない。あのオークだらけの森では再びオークの数が増えていたらしく、また中級冒険者パーティーが連合を組んで掃討すると話していた。
混ざっていれば混ざっているで厄介だが。
……ただ魔物同士が争って数が減るパターンもある。競争に負けた弱い魔物が森を出ていく。その弱い魔物を狙って狩るのが最近の俺だ。大抵はゴブリンだが、はぐれたオークなんかも狙える。
魔物は減少している傾向にある。ここ一月でそれは理解している。
森の深部はブラッディーベアーの縄張りだ。最奥に至っては竜がいるという噂だが、ここは基本的にゴブリンが少しいる森でしかない。
半端な時間だ。……行くか。
そもそも危険度は森の方が高いが草原とそんなに大差はない。実入りもいい。それでも草原で狩りをしていたのは、ちょっとした感傷だ。
初めてパーティーを組んで入った森というだけの。
……ゴブリンを探して歩く冒険行だった。見つけたゴブリンに後ろから襲い掛かって仕留め、得意気に魔石を取り出して仲間に放っていた。パーティー仲間だというのに見下して、嘲笑うような笑顔を浮かべていた。
思い出すと頭を掻き毟りたくなる。
ゴブリンを倒すなんて冒険者をやるなら誰でも通る道だというのに。
……あまり考えるな。考えるな、考えるな。
注意深くゆっくりと森の奥へ入っていく。剣は既に抜いている。垂れ下がる蔦をロープスネークかどうか剣で断ち切って確認し、時折立ち止まり耳を澄ます。
三年前だ。
もう三年だ。
鼻息荒く冒険者としての成功を疑わなかった未熟な俺から。
だというのに……。
ある程度の深さで足を止め罠を張る。足を引っ掛けるような簡単な罠ばかりだが、逃げる時にも戦う時にも役に立つ。他の冒険者が来たのなら声を掛けれるように身を潜める位置から見渡せる範囲で。
俺は、強くなってない。むしろ何も変わってない。
未だにゴブリンを相手にしてオークでギリギリの力量だ。慎重になったのも罠を張るようになったのも、冒険者としての経験じゃなく奴隷に落ちてから覚えたことだ。
これまで何をしてたのか。何故あんな無駄なことを。
……そんなことを考えていると、体の芯からゆっくりと力が抜けるような、強く願っていたことがくだらないような、そんな不思議な感覚に包まれる。
「……なんで英雄になりたかったんだっけな……」
村の皆を守りたいと願った。それだけだった筈だ。
どこから英雄が出てきたのか……。村を出て何を成したかったのか……。
今ではよく分からない。
感情の高ぶりが引いて冷静になると、自分は英雄にはなれないのだと理解できた。
…………やはり森で狩るのは止めとけば良かった。あの新人っぽい冒険者パーティーを見たことや久しぶりに森に入ったことで、思い出さなくていいことまで思い出している。
険しい顔のまま、足を滑らせたゴブリンに茂みから飛び出して襲いかかる。直ぐさま胸を貫いて魔石を取り出して移動する。一匹しかいなかったので、見逃しても良かった。死体の処理が面倒なので放置して他の場所に移動して再び罠を張るようにしている。一匹なら手間だ。
何をやってんだ……。
二度三度とゴブリンを狩りながら森を回る。
今日の成果は少ないが、次で最後にすることにした。
気分が乗らない。
そう決めると中々やってこなくなる。あー、……もう帰るかな?
なんて考えていたら怒号を上げながら冒険者が走り寄ってくるのが見えた。……今日は一度も当たらなかったというのに、最後に限って……。
まあ、冒険なんてそんなものなのかもしれないが。
「……お……」
声を上げかけて気付いた。
追われている。オークが五匹。
咄嗟に体が動く。
最後に限ってこうだ!
「右に逸れろ!」
剣を左に突きだして叫ぶ。
草原にいた新人パーティーだ。辛抱出来ずに森に入ってきたのだろう。負傷者を一人背負った男と、女が二人。オークが諦める訳がない。
許容範囲を越えてるぞ? ああ、くそ!
考えるより速く足が動く。一匹が反応してこちらに向かってきて、躓いて転んだ。立ち上がろうとするそのオークの首を斬る。半ば首を無くしたオークを放置して近くのロープを切る。丁度女冒険者に追い付きそうになっていたオークの上から、一抱え程のロープで結ばれた石が落ちてきて頭に当たる。脅威度が高いと判断されたのか、二匹のオークがこちらに向かってきて、何故か残りの一匹は足を止めた。
構わず振り下ろされる棍棒をすり抜けて目を回しているオークに突撃する。
ダメージが回復するより速く!
「ふっ」
息を吐き出してオークの背中から心臓を一突きにした。剣を抜く前に追ってきたオークが棍棒を再び振り下ろす。体を入れ換えて刺し殺したオークで受ける。
「こっ、の!」
流れ込んでくる力を最大限に発揮してオークの死体を蹴り離し追ってきたオークにぶつける。一匹には当たったが、もう一匹は避けて剣を振り上げる。
剣?! 冒険者の持ち物を拾ったのか?
振り下ろされる手首を狙って斬りつける。取り落とす剣を避けて首を斬る。浅い。返す刀で胴を薙ぐ。
斬り抜けた先で、オークが棍棒を横薙ぎに。
「ぐっ?!」
なんとか左手で支えた剣の腹で受けたが、ふっ飛ばされる。もう一匹がこの隙に距離を詰めているのではと、受けた瞬間に立ち止まっているオークに目を向ける。
立ち止まっていたオークの眼前には子供の頭程の火球が生まれていた。
――――上位種、オークメイジ!
「なん、だそれ!」
時既に遅く空中では飛ばされる方向を変えられない。
着地の瞬間に火球が飛んでくる。この剣の効果に魔術に耐えられる物もあったか? 火球を斬る。体勢が不安定だ。そもそも斬れるのか? 腕を捨てて身を守る。まだオークが二匹。どのみち。
思考は一瞬。
着地の時がきた。
が。
火球が発射される寸前で、右からナイフが飛んできてオークメイジの頭に刺さった。半ばまで刺さったそれに集中を乱されたのか火球は消えた。当然、オークメイジはナイフが飛んできた方を見る。
そのタイミングを見計らったかのように左の茂みから女が出てきた。
茶色い髪を短く切り揃えた青い目の女で、森の中にいるということは冒険者なんだろうが、全くそうは見えなかった。着ている服も普通で、急所に革を縫い込んである装備なのだが、パッと見は村娘にしか見えない。
街娘ではなく。
その女が右手に持った小さなハンマーでオークメイジに刺さっているナイフの柄を叩いた。背がそんなに高くないので結構ギリギリだ。
「とう!」
「ゴゲ?!」
根元まで入り込んだナイフにオークメイジは一瞬だけ痙攣して倒れ伏した。
…………。
助けられたん……だよな?
一瞬前までの死闘がなんだったのかと言いたくなる、どこかコミカルなその空気に、着地した態勢のまま動いていいのかどうか分からなくなった。
「ブゴォオオオオオ!」
しまった! まだ一匹いた!
棍棒を持ったオークはしかし、新たに現れた敵に狙いを定めたのか女の方へ突撃していく。
「ちょ、きたよー?! タタルクさーん! た、タタルクさん? もう! 早く早く! わあー?!」
泡を食って右の方へと逃げ出す女。追い掛けるオーク。
……倒せないのか?!
慌てて追いかけようとした俺だったが、直ぐさま飛来した巨大な戦斧に女を追いかけようとしたオークが真っ二つに断ち斬られたため足を止めた。
ぬっと姿を表したのは、頭二つ分……いや俺の身長の二倍はあろうかというずんぐりむっくりとした巨体だ。ヘルムを被り急所だけ覆った金属製の軽鎧に、奔放に伸ばされた黒い髭が胸の辺りを覆っている姿はドワーフを想わせた。
いや、ドワーフか?
軽々と戦斧を引き抜き青い瞳でこちらを見下ろしてくるこいつは、どちらかと言えば巨人じゃないか?
溜め息を吐き出した巨人にビクリと震える。
「ラキ! テメー何年冒険者やってんだ? もう三年だろうが! オーク一匹にいつまでも怯えんじゃねえわ!」
「なに言ってんですか! 三年目ですよ! まだ二年半ぐらいでした! 残念でした! というか、か弱い乙女が魔物に怯えたからってなんですか? 大体あたしは魔物倒すのは専門じゃないんですから」
「……へっ、乙女だぁ?」
「この!」
「いで?!」
……どうしたらいいんだ?
ギャンギャンと言い合うその二人組に、俺は話し掛けるタイミングを逃してしまい途方にくれた。




