従僕43
雨の日に外に出るとか頭が可笑しいのだろうか。
もしくはお嬢様の得意属性とやらが水系統なのと関係があるのかもしれない。掴み処のない、水のような方ですので、ええ。スライムかな。
「なにか失礼なこと考えてなーい?」
「まさか。ありえません。不思議な魔道具だなと思っていた次第で」
手にした握り拳程の水晶玉を掲げて見せる。
避雨球。
そう呼ばれる魔道具で、読んで字のごとく雨を避ける結界を張ることができる。使い方も魔力を込めるだけと簡単だ。しかも魔力の込め方が分からずとも、勝手に必要なだけ吸い取ってくれる親切仕様。更に魔力が切れても安心! 代わりに生命力を吸うという優れ物!
先代公爵様のお気に入りの魔道具だとか。
ちくしょう。
そういえば、奴隷の間でも先代様の話っていい顔されてなかったなあ。度々聞く悪名と相まって、なんとなく先代様がどういう人物だったか分かってきた。
結界は水晶玉を中心に球状に展開されている。なのでいつもはお嬢様の後ろをついていくのだが、今日は隣合わせに歩いている。曰く「濡れちゃうでしょ?」とのことだ。じゃあ何故外に出たのかなんて訊いちゃいけない。きっと理解できない。
従僕の魔力で出来た結界が雨を弾く。お嬢様はそれを嬉しそうに観察しながら通りを歩く。
トライデントと呼ばれるこの学園は、敷地を分厚い外壁で囲われていて、学園に関係しない人には縁遠い事かもしれないが、場所によって細かく呼び分けられている。
まず学舎。
お嬢様が毎日通う学舎だ。そのまま学舎と呼ばれているが、塔が何本も突き建つ城だ。行ったことのない場所に行けばまず迷うこと間違いないだろう。個人の研究塔から各学年の教室まで揃っている。丸く囲まれた敷地の真ん中にある。
そこから北が、実習でよく行く平原だ。
ここは敷地の比率からいくと、一番狭い範囲なのだが、実際に足を向ければその広さに驚く。馬に乗る練習をする生徒なんかもここにいる。
そこから東西に寮や家なんかが建っている。大体、東が貴族様関係、西が学園内で働く者関係という住み分けがされていて、ここは纏めて『ホーム』と呼ばれている。
そして学舎から南へ放射状に広がる街を、ここに住む学生や学園関係者は『学生街』と呼んでいる。
実は各国の要望やセンス、風習に慣例などが合わさって、中々混沌とした作りになっているのだが、お嬢様はそこが気にいっているらしく、ここに来る時は機嫌がいい。
学生街の中は、学舎に近い店を『学用店』酒や武器など扱う奥の店の通りを『成人通り』マイナーな触媒や怪しげな店が集まる一角を『純魔地帯』何故か各派閥で借りている店が集まる一帯を『裏建て』等と呼んで更に細かく分かれている。
今、お嬢様と従僕が歩いているのは、その中のどれでもなく、『奇人街』と呼ばれる一角だ。
奇人変人が集うという変な通りだ。実用的なのかどうかわからない魔術の研究や性格や言動に難がある人物がやっているお店が並んでいるらしい。
俺の集めた噂だと、人が気絶する程の臭気を魔法で再現する研究を行っているところもあるそうだ。もし成功したのなら獣系統の魔物に無敵になれると豪語しているらしく、ただ術を発動したら術者も気絶するところが問題なんだと。
そんな通りを好んで歩くのが我が主人な訳で。
チラリと視線を横に振れば通りに並ぶ看板が目に入る。
『耐性屋』『解体屋』『素材屋』
一連の流れを感じる。
「なにか面白そうなお店、ないかしら?」
「今のところ見当たりませんね」
「そーお? でも従、ジークの魔力がなくなる前にどこか適当なところに入らないと」
何故その気遣いが普段から出来ないのでしょうか?
「でしたら、女学生様方に人気のカフェが一番通り沿いにございます。そこで少し足休めをされては?」
「あら、一番通りは遠いわ。ジークに悪いじゃない」
「私めの事なぞお気になさらずに。お嬢様の為にこの身を削れるのなら本望というもの」
いざとなったら握り潰そう。このガラス玉。
「まあ。ジークのチューセイ心は相変わらず高いわね。主として鼻が高いわ」
ははははははは、と互いに笑い合う主従を、雨の中を足早に進む遣いの方々は訝しげに見てくるが、視線が合わないように直ぐさま逸らされる。
雨が降ってるのにゆっくり歩いてますからね。そういう視線になりますよね。決してこの通りの住民だと思われている訳ではないと信じたい。
「でも丁度いいところに、面白そうなお店を見つけちゃったわ。あそこに入りましょう」
お嬢様が指差す先には、雨が降っていて暗いからだと信じたいが、ピンクのネオンをこれでもかと光らせる、存在を主張し過ぎているお店があった。
服飾とお茶の店『シュッシュ』
女性をデフォルメしたキャラクターがジョッキをぶつけ合っている看板が大きく掲げられている。片方はメイド服を、片方はウサギの獣人? が露出の高い服を着ている。
「いけません」
つい止める言葉が口に出てしまったのは気の緩みだろうか。
バカ言うんじゃねえよ、と出なかっただけまだ良かったと思うべきか。
「なんで?」
お嬢様がキラキラとした目を向けてくる。久しぶりに好奇心を刺激されている証だ。
従僕にはそれに返す言葉を持たない。なんだよ服飾とお茶って。着替えさせてご休憩とかだろうか。ふざけんな。…………ああ、雨の日は池周りの整備をするんだ。池の水が溢れたり濁ったりするのを防ぐ為に水門を調整して泥はけなんかもやったな。馬車が車輪をとられないように板を持って門まで送ったり。馬が風邪をひかないように体を拭いてやって……。
「従僕?」
「はいお嬢様」
「なんでダメなの? なんでー?」
「私めはダメとは言っておりません」
「ん? 今、いっちゃダメって言ったわ?」
「いいえ、申しておりません」
「……いけませんって」
「その通りでございます」
「……いけないってことよね? いっちゃダメってことでしょ?」
「いえ、ダメなのではなく、いけないのでございます」
「…………んー? よくわからないわ」
「大変申し訳ございません。財布を忘れてきました。持ち合わせがないのでございます。このお店には『いけません』」
「ああ! そういう!」
本当にこういうやりとりが好きでございますね、お嬢様。チョロい。
「罰は如何にも」
鞭でいいです。この店に入るくらいなら。
「んー、しょーがないわ! 別にまた来たらいいのだし……また今度にしましょ」
それまでお店が残っているといいですね。何者かの襲撃を突然受けて、今夜辺りにでも潰れてしまうかもしれません。世の中は何が起こるかわからないので。ああ、従僕は心配です……。
「はいお嬢様。それでは……」
「話は聞かせて貰ったわ!」
激しい音と共に、シュッシュの店の扉が中から開く。
現れたのは――――魔物だ。
「上流階級なお客様がお相手のこの街で、文無しのお客様なんて珍しいじゃない! ウェルカムドリンクはタダにしておくから寄ってイキなさいな! それ以上は――――うふふ。あなたし・だ・い!」
「うわー」
「お嬢様お下がりください。どうやら先日の件の魔物の生き残りでしょう。学園にまで入り込んでいたとは……」
素早く手を伸ばしお嬢様の視界を腕で塞ぐ。近衛の役目として対峙しなければならないのだが、目が腐り落ちそうだ。なんて敵だ。
短く刈り上げた黒髪に金色の瞳、異様な顔のデカさを誇る筋肉質の雄だ。青く残る髭剃り跡、唇には真っ赤ルージュ、ピンクの全身タイツは胸の所が切り取られていて、赤いブーメランパンツが肩までVの字に伸びてそれを隠している。
右膝を曲げ左足をピンと伸ばし右手で膝を掴んで肩を突きだすポーズは、もしかしなくとも精神を侵してくる。
「魔物ですって? 失礼しちゃうわ! あ、でも、魔性の者って意味なら、やだ正解! んもう! カラシムギもつけちゃう!」
「ウェルカム……歓迎してくれるってことかしら?」
「そおよぉ。あら、こちらもまたビックリするほど綺麗な娘じゃない。わお、食べちゃいたい!」
「じゃあ、世話になるわ」
「ええ勿論よくってよ! ……あ、段差気をつけてね。その段差のせいかここで店番してるとよく転ぶお客様を見るのよ~。やだわぁ」
「ありがとう。でも小さな段差だわ。転ぶのはよっぽど慌ててたんじゃないかしら?」
「まあそれってうちのお店を褒めてくれてる?! フルーツの盛り合わせもつけちゃうわ!」
スルリと従僕の腕を掻い潜ったお嬢様が変態マッチョについて店の中に入っていく。余りにも自然だったせいか、マッチョを意識の外に出したかったせいか、従僕はそれを見送ってしまっていた。
…………ああ。
さようなら、俺の首。




